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 京都御所の一般公開に行ってきました
 
京都御所・御池庭 御所の春の一般公開に行って参りました。

ご存知、京都御所は南北朝の時代から明治までの500年以上に渡って、歴代の天皇が住まわれた場所。
平安の頃に始まった寝殿造りから、室町の武家造りへ移行する様が、見て取れる貴重な建築物ですが、もちろん天皇家のお持ち物。
宮内庁の管理となっているため、普段は申し込まないと見学はできません。

・・・で、春と秋の年2回、申し込み不要の一般公開がされていて、今回は4月5日に行って参りました~。
1 宜秋門
2 御車寄
3 諸大夫の間
4 新御車寄
5 建礼門
6 回廊
7 承明門
8 春興殿
9 日華門
10 紫宸殿
11 清涼殿
12 小御所
13 御学問所
14 御池庭
15 御常御殿
16 御内庭
17 聴雪
18 御三間
19 清所御門

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19、清所御門                    
                                17、茶室・聴雪
                                     
                             15、御常御殿
                         18、御三間         16、御内庭
                                      
                       13、御学問所         
1、宜秋門                          
                         12、小御所     14、御池庭
        2、御車寄  11、清涼殿                        
      
      3、諸大夫の間                          
        4、新御車寄       10、紫宸殿            8、春興殿             
                                
                          9、日華門       
            6、回廊    7、承明門
                           
               5、建礼門
                          
 
                     番号をクリックすると写真にとびます
京都御所
やっぱり、御所と言えば、この広い道と築地・・・
京都御苑と京都御所
京都御苑の地図 御所の周りの約65haの土地を整備した公園を京都御苑と言います。
ここは、都が東京に移るまでは、お公家さんたちの邸宅が並んでいた場所。

道には、玉砂利が敷き詰められ、邸宅跡には、芝生があり、四季折々の花が美しく咲くとても美しい公園です。

また築地や門はそのまま残っていますから、幕末に銃撃戦があった蛤御門などの見所も満載!

御所の中を見学できなくても充分満足できますよ。
京都御所・蛤御門
京都御苑と周辺の歴史散歩は、【安倍晴明と京都御所】へGo
御所の桜
1宜秋門(ぎしゅうもん)
京都御所・宜秋門
まずは、入口の宜秋門で持ち物チェック!なんせ御所ですから・・・日頃ほとんど人影がない場所ですが、やはり今日はスゴイ人出ですね~。
御所について
ご存知のように794年の桓武天皇の平安遷都以来、明治になるまでの1075年間、京都に都がり天皇の住い内裏(だいり)がありました。

最初内裏は、現在の二条城の少し北にありましたが、焼失・再建が度々繰り返されていました。
【平安京の遺跡を巡る】を参照

そのため内裏が再建されるまでの一時的な皇居・・・つまり緊急避難場所のような
里内裏という建物をいくつか建てたのです。
現在の京都御所はそんな里内裏の一つなのです。

やがて、元弘元年(1331年)に光厳天皇がここで即位された事をきっかけに、ここが皇居となりました。
京都御所・御車寄 2御車寄(おくるまよせ)

宜秋門をくぐってまずあるのは御車寄。

宮廷に勤める人々は、宜秋門で履物を履き替え、歩いてここから参殿しました。

「牛車の宣旨(せんじ)」という天皇の許可を得た者だけが、宜秋門を車に乗ったまま通過し、この御車寄に乗り付ける事ができたのです。
京都御所・御車寄
御車寄の中・・・つまり玄関です。
写真でわかり難いですが、段を上がった所にあるのはついたてです。
京都御所・諸大夫の間
3諸大夫(しょだいぶ)の間
正式に参殿した者の控えの間。
その人の身分の違いによって部屋が分けられていました。

一番格式の高い奥(上写真の右)から「虎の間(岸岱筆)」=公卿クラス、「鶴の間(狩野永岳筆)」=殿上人クラス、「桜の間(原在照筆)」=諸大夫クラス・・・右の写真は虎の間の襖絵です→
京都御所・諸大夫の間・虎の間
4新御車寄(しんみくるまよせ)
京都御所・新御車寄
←大正天皇の即位の際に自動車が利用できるように新築された新御車寄は、天皇の為の玄関。
その他の者が利用できる御車寄とは「御」の読み方が異なります。

5
建礼門は御所の正門です。
京都御所・建礼門
6回廊
紫宸殿の南庭を取り囲むように朱色の柱と白壁が並ぶ回廊が連なります。
京都御所・回廊
7承明門(じょうめいもん)
建礼門を背に、正面の門・・・中央の扉は天皇の専用です
向こうに美しく紫宸殿が見えます。
京都御所・承明門
豆知識:右近の橘と左近の桜
承明門から紫宸殿を見た時、右にあるのが「左近の桜」、左にあるのが「右近の橘。

お雛様でもよく飾られる木ですが、この右左の呼び方はもちろん、紫宸殿にいる天皇様から、の見た目なので、承明門側から見れば、右が左近で左が右近になります。
説明にある通り、承明門は天皇とエライ人専用の門。
宮中では、朝、月華門と日華門から入った近衛兵が、木を目印にズラリと並んだ所から、「右近」「左近」と呼ばれるようになったのです。

木の種類に関しては、桓武天皇の時代に、「梅が枯れたので桜に植え替えた」という記述がありますので、あまり関係ないのではないかと思われます。
紫宸殿の図
8春興殿(しゅんこうでん)
京都御所・春興殿
大正天皇の即位の時に建てられ、三種の神器奉安の儀式が行われました。
9日華門(にっかもん)
見学は、回廊の東にある日華門から入りますが、日華門と対になるように西側には、月華門(げっかもん)があります。

現在は、いつも開放されている門ですが、本来は即位や立后・立太子などの重要な儀式の時のみ開けられ、左近衛・右近衛がこの門から出入りし、紫宸殿の左右の庭に陣を整列させたのです。 京都御所・日華門
10紫宸殿(ししんでん)
京都御所・紫宸殿
紫宸殿は即位式など、最も重要な御所の正殿です。

即位式は、もともと宮廷の最も重要な場所・大極殿で行われていましたが、安政三年(1177年)に焼失し、そのまま再建されませんでした。

その後は太政官(だじょうかん)という所で行われていましたが、それも寛政六年(1465年)に炎上し、そのまま応仁の乱へと突入しそこも再建される事はありませんでした。

第104代・後柏原天皇が1521年に、当時の里内裏だった土御門東院殿の紫宸殿で即位され、それがこの京都御所の紫宸殿です。
紫宸殿の前庭には、向かって右が左近の桜、左右近の橘・・・右近・左近は、あくまで紫宸殿におわす天皇陛下の目線ですので、向かい側からは反対になります。

これは、昔、毎朝、日華門・月華門から入場した近衛兵が、この木を目印に右と左に整列した事から右近・左近と呼ばれるようになったと言われています。
京都御所・紫宸殿京都御所・紫宸殿
京都御所・紫宸殿の高御座 内部の中央に見えるのが「高御座(たかみくら)」で、その右に見えるのが、「御帳台(みちょうだい)」です。
高御座は天皇陛下のお座りになる場所。
御帳台は皇后陛下のお座りになる場所です。

写真では見え難いですが、8角形の屋根から柱が伸び、
高御座の図
周囲にカーテンがかけられている台の真ん中に椅子(玉座)が置いてあります。
明治天皇、大正天皇、そして、昭和天皇の即位の礼はこの場所で行われました。
現在の天皇陛下の即位礼は、この高御座と御帳台を、わざわざ東京に輸送して行われたんですよ。
11清涼殿
清涼殿は紫宸殿とともに、由緒のある建物・・・天皇が日常の生活をされる場所です。

白砂の庭から見える御帳台の奥には、御湯殿やお手水(ちょうず)など、生活感のある部屋が並んでいます。
京都御所・清涼殿 御帳台
12小御所(こごしょ)
京都御所・小御所
平安期には昭陽舎代(しょうようしゃだい)と呼ばれていましたが、鎌倉頃から小御所と呼ばれるようになり、主に皇太子の元服や、立太子の儀式
や、武士との謁見に使用されました。

寝殿造から、武家造りへ移行する時期の建築様式。

幕末のあの
「王政復古の大号令」が発せられた小御所会議の場所です。
王政復古の大号令
慶応三年(1867年)12月9日夜、この小御所で重要な会議が行われました。

総裁に就任した
有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)以下、皇族・公卿・諸侯(山内豊信・松平慶永ら)からなる議定と、岩倉具視ら公卿と、討幕派の藩士(西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・後藤象二郎ら)からなる参与と・・・

もちろん
明治天皇も同席し、この会議が正式なものである事をアピール・・・しかし、慶喜はじめ幕府の要人は出席していません。

少し前の10月に徳川15代将軍・慶喜が行った
大政奉還詳細は二条城のページへ)・・・これは、薩長が行おうとしている武力での討幕を回避して、朝廷の下で、幕府が生き残るための大政奉還でした。

しかし、新政府としては、それでは困ります。

何としてでも幕府を完全に消滅させ、朝廷による天皇中心の政治を行いたい・・・そこで、幕府の要人が一人もいないこの小御所会議で、慶喜に対する徳川家の所領の返上、征夷大将軍職と内大臣の冠位の剥奪、一大名への格下げ・・・などが話し合われ、
王政復古の大号令というクーデターを発するのです。

幕府側はこのクーデターを否定し、慶喜は二条城から大坂城に移り、全面対決への道・・・
戊辰戦争=鳥羽伏見の戦いへとを歩み始めます。
京都御所・小御所
13御学問所
京都御所・蹴鞠の庭
もともと清涼殿内にあった御学問所は、慶長年間に徳川家康が行った造営で別棟に建てられました。

右写真のように皇太子が学問をする場所・・・という事ですが、学問だけではなく、歌会や、ご対面などにも使用されていました。

写真左は、小御所と御学問所の間にある蹴鞠(けまり)の庭。
現在でも国賓来日の際などには蹴鞠」が行われます。
京都御所・御学問所
14御池庭
京都御所・御池庭
御学問所の前面にある御池庭は、その名の通り、池を中心にした回遊式庭園です。
真ん中にある飛石は、船遊びの際に、船をつけた船着場
右奥の欅橋(けやきばし)を渡った対岸には、遊歩道のような小道があり、様々な角度からお庭が楽しめます。
京都御所・御常御殿 15御常御殿(おつねごてん)
京都御所・御常御殿
御常御殿は、天皇の普段のお住まいの場所。
最初は、清涼殿にあったものが、室町時代の頃に現在のような別棟になりました。
畳を敷き詰めた書院造のお部屋が、大小15間あり、戦前までは、隣の御学問所と廊下でつながっていたそうです。
16御内庭
京都御所・御内庭
先ほどの御池庭とは堀で区切られ、少し趣の違ったお庭で茶室などが配置されています。
以前は潜り戸でしっかりと閉ざされめったに開けられる事はありませんでした。
17聴雪(ちょうせつ)
京都御所・茶室・聴雪
御内庭の奥まったところにある茶室です。
杮葺き(こけらぶき)の数寄屋造りで、縁の下に水を流れさせる寝殿造の様式の遣水が、この建物の下にも呼び込まれています。
18御三間(おみま)
京都御所・御三間
京都御所・御三間での七夕祭りの様子
天皇の居間であった御三間は、江戸時代に別棟として現在の場所に建てられ、やがて、七夕やお盆といった年中行事がここで行われるようになりました。

上の写真は人形で七夕祭りの様子を再現した物。
笹に願い事を書くのは、江戸時代に始まった庶民の七夕祭り・・・天皇家では、梶の木の葉に和歌を書き、織女と牽牛に捧げます
右の一段高い所が天皇のお席です。
19清所御門
春と秋の一般公開はこの御門が出口です。
参観申し込みで見学する場合はこの御門から入ります。
京都御所・清所御門
京都御所・御三間の襖絵
↑こちらは、御三間の襖絵です。
絵は御常御殿の「上段の間」を描いています。


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