京阪奈ぶらり歴史散歩
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 難波のヒーロー大塩平八郎の足跡をたどる
 
天下泰平の徳川幕府を震撼させた難波のヒーロー大塩平八郎・・・「幕府の敵は西からやって来る」と、太閤ビイキの大阪人を恐れていた徳川家康の遺志を汲んで、ひと際力を入れて建立された川崎東照宮。

皮肉にも、大塩らは、この東照宮で集合し、乱を決起します。

明治維新をさかのぼる事三十年・・・腐敗した幕府に、元幕臣自らが一石を投じ、幕末を予感させるかのように散った大塩・・・大阪の天満界隈をぶらりと2〜3時間、その大塩の足跡をめぐる歴史散歩です。

地図にあるはいつものように本日散歩したコース、は、乱の時、大塩らが進んだと思われるルートです。
大塩平八郎
大阪天満宮
大阪天満宮
このコースはビルの建ち並ぶ大阪の大都会の真ん中で、しかも大阪天満宮以外はすべて石碑のみなので、花を愛でながら美しい景色の中でのお寺めぐりを期待しているかたには、ちょっとキツイかも・・・。

そのかわり、大塩ファンにとっては、例えようのない興奮の場所ばかりです。
地下鉄:南森町駅
1 成正寺
2 蓮興寺
3 与力公園
4 大阪天満宮
5 川崎東照宮跡
6 洗心洞跡
7 与力門跡
8 大塩の乱・槐跡
9 天満橋
10 八軒屋船着場跡
11 東町奉行所跡
12 舎密局の碑
13 西町奉行所跡
地下鉄:堺筋本町駅
 
ちょっと寄り道
14 青物市場跡
ちょっと寄り道
15 泉布観
                       3、与力町公園
          1、成正寺(大塩平八郎の墓) 2、蓮興寺             龍海寺
(緒方洪庵の墓)
                       寺町通            15、泉布観
                                   8、大塩の乱・槐(えんじゅ)の碑
                                   6、洗心洞跡
                  4、大阪天満宮                7、与力役門
                                5、川崎東照宮跡
                          13、青物市場跡
                               9、天満橋
 
 
 
 
                           10、八軒屋船着場跡
                                 11、東町奉行所跡
 
             
             13、西町奉行所跡                 12、舎密局跡
                                   
 
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歴史散歩がもっと楽しくなる『歴史のチシキ:大塩平八郎の乱を読み解く』
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成正寺 1成正寺
大塩平八郎先生と格之助君のお墓
南森町駅のある交差点から天神橋筋を北へ2筋上がる寺町通との交差点近くにある成正寺は、大塩平八郎と養子・格之助の菩提寺です。
ふたりのお墓には、今も花が耐えません。
2蓮興寺
大塩家・代々の菩提寺。
両親を早くに亡くした平八郎少年は、祖父と祖父の後妻の影響を大きく受けます。

蓮興寺
3与力町公園
与力町公園
このあたりは、与力町・同心町といった地名でもわかるように、昔は与力や同心の家が建ち並んでいました。
4大阪天満宮
大阪天満宮
菅原道真公を天神として祀る『天満の天神さん』。
日本三大祭りのひとつ天神祭でも有名ですね。
大塩の乱の時は社殿が全焼していまいましたが、その後、弘化二年(1845年)に再建されました。
ここは、神武東征の時、最初に上陸した難波碕で神代の昔から涌く『天満の水』があります。
登龍門
登龍門
中国の黄河上流にあって、鯉が登れば龍になると言われている龍門の滝。
門には、その勇姿が描かれています。
5川崎東照宮跡
     (現・滝川小学校)
滝川小学校正門

ここは、乱の当日、彼らが集合した川崎東照宮のあった所です。
明治6年まであった川崎東照宮 豊臣びいきの大阪人のための東照宮
洗心洞跡
6洗心洞跡
ここは、大塩の邸宅に作られた陽明学を教える塾・洗心洞のあった場所。
今や石碑のみですが、ここで学生たちは大塩に教えを請い、乱の決起を模索しました。
7与力役門
江戸時代の大阪東町奉行所配下の天満与力・中嶋家の役宅門です。
当時この一帯は、与力たちの邸宅が並ぶ場所でしたか、唯一この門だけが現在に残ります。
与力役門
8大塩の乱
  (えんじゅ)
槐の跡
ここは、大塩の乱の時、大砲の攻撃によって裂けてしまった樹齢200年の槐(えんじゅ・アカシアに似た葉っぱが小型の落葉樹)の木があった所です。
あたりは、めっちゃややこしいので、詳細を・・・
大阪天満宮の東門から続く道を東へまっすぐ、そのまま谷町筋を越えて行くと、角に滝川小学校。北へ曲がって正門前の東照宮跡の石碑を見てそのまま1号線へ。
1号線を東に行くと、右側に造幣局宿舎の2号門があるので、中に入って道なりに行くと建物の角に洗心洞跡があります。
洗心洞跡を右に曲がって一つ目の辻「造幣局厚生桜クラブ→」の看板を右にまがると与力役門があります。
宿舎を出て、1号線を銀橋のほうに歩くと歩道に槐跡。
地図
桜ノ宮公園
ここから、東町奉行所へは、銀橋手前の階段を下り、淀川沿いの桜ノ宮公園を歩くと気持ちいい!桜の季節ならなお◎です。
11東町奉行所跡
東町奉行所跡と大阪城
北浜・北船場の豪商を次々と打ち壊した大塩軍団は東町奉行所のあたりで大阪城から出撃してきた軍勢にはばまれ散り散りに・・・左の石碑が奉行所跡、右奥に見える木々が大阪城
9天満橋
豊臣時代に始めて架けられた天満橋。その後何度も架け替えられ、明治には、鉄橋になりました。

乱の時、大塩たちは天満橋を渡らず、右にまがり天神橋をめざします。

天満橋
10八軒屋船着場跡
八軒屋船着場跡
奉行所前での衝突で、壊滅状態となった大塩の一団・・・平八郎と格之助は人ごみにまぎれて八軒屋から船で逃走します。
12舎密局の碑
ここは、明治二年にオランダ人・ハラタマ博士創立の物理化学の学校・舎密局(せいみきょく)の跡です。

大塩とは関係ありませんが、せっかく目の前を通るので無視できませんでした。
舎密局の碑
13西町奉行所跡
西町奉行所跡
松屋町筋にある『マイドームおおさか』前の植え込みが西町奉行所跡です。
江戸時代には、味噌や米倉が建ち並ぶ、まさに天下の台所。
明治には、初代・大阪府庁の建てられた場所です。
ちょっとより道・青物市場跡
天満橋の北詰に広がる南天満公園内を、少し西に向かって行くと、青物市場跡14があります。

かつてここは、堂島の米市場、靭の雑喉場(魚市場)とともに、大坂三大市場と呼ばれて、江戸時代の『天下の台所』を支えました。

起源は石山本願寺時代にさかのぼりますが、本格的な発展を見せるのは、この天満橋北詰の地に移ってからの承応二年(1653年)頃から・・・。

青物市場跡から天満橋を望む

市場跡の碑
元禄(1688年〜1704年)の頃にはすでに、35万人に達した大坂の人口をこの市場がまかなっていました。

その後、昭和六年になって、安治川に中央卸売市場が建設されるまで、『天満の市』と呼ばれ常に活気にあふれていたのです。

大正四年の天満→
大阪の子守唄
幼い頃、母から聞いた大阪の子守唄・・・・活気に満ち溢れたこの場所から舟に積まれた野菜たちは、
いったいどのあたりまで運ばれたのでしょうか・・・夕陽は、あの頃と変わりなく 静かな川面を照らします
ちょっとより道・泉布観
造幣局から、国道1号線を挟んで真向かいにある洋館が泉布観15です。
明治四年に造幣局の応接所として建てられた泉布観は明治の様式をそのままに残した貴重な建物です。
一般公開された建物内部の写真は、【泉布観一般公開】のページへGo
同じ敷地内にある大阪市立ユースアートギャラリーは、創設当時の造幣局正面玄関を移築した物。
両建物ともに重要文化財に指定されています。
造幣局の桜の通り抜けの写真はフォトアルバムへどうぞ
もっとより道・大阪城公園と中之島
大阪城公園
大阪城公園内を走る
ロードトレイン(月曜運休)
今回は西町奉行所跡が終点ですが、そのまま松屋町筋を少し北に行って左に曲がれば高麗橋なので、歴史散歩・中之島のコースをめぐりながらこのまま乱の群集の進んだコースをさかのぼって行くのも面白いですね。
天神橋
天神橋
大阪城の前を通るので時間があれば、大阪城見物もできます。
歴史散歩・中之島周辺のページをを見る
歴史散歩・大阪城公園のページをを見る

歴史散歩・太閤下水と石垣めぐりのページを見る

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