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幕末最大の謎
 坂本龍馬・暗殺犯を推理する


最初は、謎でも何でもなかった・・・新撰組の犯行を匂わせる遺留品が残り、自白する者もいた。
その頃の坂本龍馬は、京の町をうろつく不逞浪士のひとりにすぎなかった。
彼が政変のウラで奔走し、画策した事を一部を除いて、誰も知らなかったのだから・・・
後世になって、彼の行動が明るみになるにつれ、それは謎となって行く。

ここに、様々な証言・資料を報告書ふうにまとめてみました、ご一緒に推理してみませんか?
 
 
資料
犯行日時 慶応三年(1867年)、11月15日・夜8時〜9時
現場 京都・河原町三条下ル蛸薬師角、醤油商・近江屋・2階・奥の間
事件概要
近江屋主人の証言(部屋の外の状況)
夕方

被害者Aは、風邪気味だったため、いつもいる自分の部屋から暖のとりやすい母屋2階・奥の間へ移動し、昼間から遊びに来ていた被害者Bと友人・岡本健三郎氏とともに、火鉢を囲んで談笑する】
PM8時頃 被害者Aは、腹が減ったので、かわいがっていた近所の書店の息子・峰吉に軍鶏(しゃも)を買って来るように頼む】
【友人・岡本氏は他に用事があるため、買い物に出かける峰吉とともに、近江屋を出る】
(この時近江屋の母屋にいたのは、2階奥の8畳間に被害者AB、1間挟んで階段そばの6畳間に下男・藤吉、1階の居間に近江屋主人一家四人)
まもなく 【人が訪ねてきたので、下男・藤吉が応対する】
犯人X: 「拙者は十津川郷の者。坂本先生、ご在宿ならば少々お会いしたい」
【名刺を差し出したので、藤吉はそれを持って2階にいる被害者ABに取り次ぐ】
被害者A: 「知らんな。おまん、知っちょるか?」
被害者B: 「知らんな」
【被害者に名刺を渡して階段の所まで戻ってきた藤吉が、すでに階段を上がってきていた犯人に斬られる】
被害者Bの証言(部屋の中の状況)
被害者Aは藤吉が斬られた物音を、客とふざけていると思ったらしい)
被害者A: 「ほたえな!(騒ぐな)」
【襖が開き、男たちが中に入って来る】
被害者B: (男たちの顔に見覚えはない)
犯人X: 「坂本先生、お久しぶりです」
被害者A: 「さて、どなた様でしたかな?」
【その瞬間に男たちが動く】
犯人X被害者Aの前額に一太刀】
犯人Y: 「こなくそ!(この野朗)」
  犯人Yが、屏風の後ろの刀を取ろうと体をねじった被害者Bの後頭部に一太刀】
犯人Xの二太刀めは、床の間の刀を取ろうとした被害者Aの右肩から袈裟懸けに】
犯人X三太刀めは、被害者Aの前額部に致命傷を与える】
被害者A: 「刀はないか。刀はないか」
被害者Aはそのまま意識を失う】
犯人Y被害者Bの腰に二太刀め、被害者Bは意識が朦朧とする】
犯人X 「もうよい。もうよい」
被害者Bは、もたれかかっていた窓から出て隣家の屋根に逃げる】
犯人XY立ち去る】
近江屋主人が土佐藩邸に連絡
遺留品
@ 黒塗りの刀の鞘(一本)
A 『瓢亭(ひさごてい)』と焼印された料亭の下駄
犯行の手口 被害者Bにとどめを刺さなかった事から、殺人のプロの犯行とは考えにくい
犯行の動機 被害者ABともに、政治上の要人であるため、政治状況によるものと思われる
被害者の身元
被害者A・坂本龍馬
年齢:33歳
土佐藩を脱藩後、勝海舟の門弟となり航海術や海運術を学ぶ。その後薩摩の支援により、後に海援隊となる『亀山社中』を作り海運事業に従事した。
被害者B・中岡慎太郎
年齢:29歳
弾圧を逃れて、土佐藩を脱藩後、亡命浪士たちと統制を組む。禁門の変・下関戦争の長州藩の敗北を機会に、尊皇攘夷派から武力討幕派に転向。
両人の当日
までの足取り
昨年 1月22日 薩長同盟が結ばれる。
1月24日 坂本氏、京都・伏見・寺田屋にて、新撰組と伏見奉行捕り方に囲まれる。逃走の際、軽症を負い、薩摩藩邸にて養生する。
本年 1月12日 坂本氏、長崎にて後藤象二郎と会う。
3月20日 中岡氏、長崎にいる坂本氏を訪問。
4月上旬 坂本氏、亀山社中を土佐海援隊に改編、脱藩罪が免除される。
6月 9日 坂本氏、後藤氏とともに長崎を出発、公武合体論を進める『船中八朔』を作成。
7月29日 中岡氏、洛北・白川村にて、陸援隊を結成。
8月20日 坂本氏、長崎にて木戸氏、佐々木高行氏らと、大政奉還の事を相談。
9月29日 坂本氏、6年ぶりに高知の実家に帰る。
10月24日 坂本氏、山内容堂への手紙を持って岡本氏と福井へ出発。
11月 5日 坂本氏、京に戻る。
11月15日 京都・近江屋にて襲撃を受ける。坂本氏・即死。中岡氏・2日後死亡。
事件
直後の証言
中岡慎太郎の最後の言葉
「はよ〜討幕に立ち上がれ!急がんと逆に幕府にやられてしまう」
女中の証言
「いや、ウチ見たんどす・・・犯人にげて行くとこ・・・ほんで、なんやコソコソ話してるのが聞こえましてん・・・いえ、内容はわかりまへんどした・・・けど、関西弁や関東弁やないゆーのはのはわかりましたえ・・・そう、あれは九州弁どした。」
元新撰組・伊東甲子太郎の証言
「遺留品@の黒塗りの鞘は、新撰組・隊士の物ではないかと思います。昔、新撰組にいた時に見た気がします。」
伊東甲子太郎の友人の証言
「聞きました?伊東君、殺されたんですわ〜新撰組に・・・。事件直後に証言してましたやろ?ほんで、三日後に殺されたんです。いや、ワシは怯みまへんで!あの鞘は、新撰組の原田佐之助のモンに間違いないです。ホンマです。」
料亭・瓢亭の主人の証言
「へぃ、そーだす・・・あの下駄は、事件の前の晩、新撰組に貸し出したモンです。間違いおまへん。」
紀州藩公用人・三浦休太郎の証言
「えぇっ?僕、疑われてますのん?海援隊の人らから・・・?そんな事あるわけないですがな〜。だいいち僕は、坂本さんが近江屋にいてはった事も知りませんでしたがな。その前に三条小橋の酢屋にいてはったんは知ってますけど・・・ほう・・・3日前に移動しはったんですか?いや、ホンマ知りませんでしたて・・・。
明治になってからの証言
新撰組々長・近藤勇の証言
「いいえ、私は坂本さんの殺害を指示したりはしていません。そりゃぁ、隊士全員の行動を24時間把握するのは不可能ですが、我ら新撰組はプロです。新撰組の犯行なら、中岡さんにどどめを刺さない事は考えられないでしょう?」
旧見廻組隊士・今井信郎の自白
「殺害したのは、鳥羽・伏見の戦いで亡くなった佐々木只三郎さんと、僕を含めて7名の見廻組隊士です。昼間に近江屋に探りを入れてみたところ坂本さんが不在だったので、東山のあたりをぶらぶらして時間をつぶしました。えぇ、僕は見張りをしてただけなんで・・・。いや・・・僕がやりました!あぁ・・やっぱり見張りをしてただけです。えっ?黒幕?僕は知りませんよ〜ついて行っただけですから・・・」
勝海舟の日記
【今井信郎糺問・・・坂本龍馬暗殺は佐々木只三郎首として信郎などの輩(やから)乱入という。もっとも佐々木も上からの指図これあるに付き、事を挙ぐ。あるいは榎本対馬の令か】
(榎本対馬守道章は、幕府・大坂城代目付役。大坂城代は先の伏見・寺田屋事件に官轄している)
越前福井藩主・松平慶永の日記
【さりながら風聞によれば、原市之進、密かに誰かに命じて龍馬を暗殺せしといふ】
(徳川慶喜の側近だった原市之進は、龍馬暗殺の3ヶ月前に、慶喜に兵庫開港を奏請させたとして、陸軍奉行竹中丹後守・配下の者に暗殺されているが、生前にすでに指示を出していた可能性も否定できない)
もっと後の証言
今井信郎の三男の証言
「親父が坂本を斬った話は、よく聞かされましたよ〜これでやったっていう小刀も見せてもらった事あります。
佐々木只三郎の兄・手代木直右衛門の死を前にした言葉
「坂本龍馬を暗殺したのは、わが弟であり、それはある方の命によるものです。名前は・・・言えません。」
(当時、手代木は会津藩・若年寄で、藩主・松平容保の右腕であった)
街頭
インタビュー
第一まちびとの意見
「あれ、新撰組の仕業ですやろ?違いますのん?町では皆が新撰組や〜て言うてはりますけど・・・」
第二まちびとの意見
「ないない!薩摩はないて・・・せやかて、その前に坂本はんが寺田屋で襲われた時、助けたんは薩摩藩やで。怪我の治療もしてもろてるし、ホネー・ムーンとかいう旅行にも、薩摩藩頼って九州に行ってはるんやさかい」
第三まちびとの意見
「幕府ちゃいまっか〜坂本はんは、大政奉還の立役者でっさかいにな」
第四まちびとの意見
「後藤象二郎?ないなぁ〜。そら、坂本さんは後藤さんの知恵袋みたいなモンやさかい、坂本さんの考えたえぇ案を自分の手柄にしたいっちゅー気持ちはあったかも知れんけど、そんなん死んでもたら、これからその知恵も借りられはんがな。だいいち、ふたり仲ええ友達でっせ。中岡さんも大親友でんがな。」
第五まちびとの意見
「今井信郎ですやろ?自白してるし・・・まぁ、今井信郎以外の人はみんな死んでもたさかい、たしかめようもないけどね。」
第六まちびとの意見
「政治の事はよ〜わからんけど、坂本さんって土佐藩を脱藩しはったお人ですやんな?不逞浪士の親玉みたいに言われてましたさかい、見廻組が目ぇつけんのは当然ですやろ。見廻組は仕事をしただけ、怨みもつらみも黒幕も関係ありまへんやろ〜」
第七まちびとの意見
「幕府は違いまっせ〜。もうこの頃になったら幕府の人間も、今までのままの状態で存続できるなんて思てる人なんかいてないですやん。こうなったら、天皇の傘下でどう盛り返そうか・・・って思案してたに違いありませんわ〜。武力派でもない坂本さんは、そんな幕府にとっては暗殺する必要おまへんやろ」
第八まちびとの意見
「今井さんの自白、アレ信用できます?その前に寺田屋で坂本さんを取り囲んだ時、あんなけの人数で行ってんのに、ピストルで驚かされて取り逃がしてまんねんで〜。それが、あの日はわずか7人で、しかも昼間に行ったけど留守やったから・・・て、もしその時おったら、昼間やってたんかい!って話ですやん。彼らも役目やねんから、そんなミスしまへんやろ」
第九まちびとの意見
今井はん、明治五年に釈放されてますやろ?あれね、ウラで西郷はんが手ぇまわして死刑やったんをやめさせたらしいどすえ。どんな関係かは知りまへんけど・・・。ひょっとして、真犯人をかぼうてたりして・・・。
第十まちびとの意見
「坂本さんの暗殺の2日後には、薩長が出兵協定結びましたやろ?あやしいでんな〜。12月の会議での王政復古への強引な感じもねぇ〜。武力倒幕派の西郷はんにとって、平和主義者の坂本さんは、どうなんやろ?敵かな?味方かな?」
第十一まちびとの意見
「土佐藩の人らは、どーなん?山内堂容と後藤象二郎やん。坂本と中岡が暗殺されて、見廻組と新撰組に疑いがかかる・・・一番疑いのかからへんところにおんのは、この二人やんな」
第十二まちびとの意見
「伊東甲子太郎はん、あの殺された人な。アノ人事件のあった前日の昼間に、近江屋の坂本はんに会うてはるんどすえ。あの日、坂本はんが近江屋に潜伏してるっちゅー事知ってる人、ごく一部だけやったんどす。伊東はんから、誰かに伝わったんちゃうかなぁ?て思いますわ〜。」
第十三まちびとの意見
「あぁ、伊東甲子太郎なぁ、高台寺党を結成した人でんな。アノ人坂本さんの暗殺のず〜と前から新撰組に狙われてたらしいでっせ。事件直後に証言したから殺されたんやないんちゃいますか?それより、その高台寺党におった斉藤一、スパイのスパイみたいな事やってそっちのほうが気になりまんなぁ。
第十四まちびとの意見
「ワシは、坂本はんやのうて、中岡はんがターゲットやったんちゃうか〜て思いますわ。坂本はんが近江屋にいてた事は皆知らんかったし、昼間、中岡はんをマークしてたら、坂本はんもおった・・・て感じやないですか?あぁ、もちろんワシは、幕府の命令で実行犯は見廻組や思いますわ」
第十五まちびとの意見
「去年の寺田屋事件の時、伏見奉行・配下の捕り方が二人ケガしてますやろ?案外、たいした理由のない単なる仕返しちゃいまっか」
第十六まちびとの意見
「こなくそ!」・・・って伊予(四国)の方言だよね?だったら、やっぱ新撰組の原田じゃねぇ〜の?アイツ伊予の出身だし・・・。

今のところ、暗殺実行犯は京都見廻組、というのがほぼ定説ですが、指令を出した黒幕は、誰なのか?
それとも、はなから黒幕なんていなかったのか?どう思いますか?

私の見解は・・・おっと、私の見解は、【龍馬暗殺犯を推理する・投票コーナー】にすでに投票しましたよ。
よろしければ、あなたの見解も投票してください!

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ブログ:今日は何の日?では、龍馬暗殺がいつから謎になったのか、『龍馬暗殺の謎の謎』を書いています
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