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 二上山をを仰ぐ当麻の里を石光寺から當麻寺へ・・・
 
二上山・登山口 今日の歴史散歩は、二上山のふもと、当麻の里を歩きます。
近鉄・二上神社口から当麻まで、3〜4時間、もちろん反対側からでもOK。
石光寺から、傘堂など巡らずに直接當麻寺へ行っても、庭園などの見ごたえも充分ありです。 石光寺
本当なら、二上山に登って大津皇子のお墓にも行ってみたかったのですが、「道の駅」で聞いた所、片道2時間ほどかかるとの事で、断念・・・。
二上山の登山も含めるなら、朝のうちに現地に着くように出かけましょう。
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          二上山登山口
 
              1、二上山ふるさと公園  道の駅
 
 
 
 
                         
                   3、高雄寺と厳島神社    
         5、鳥谷口古墳   4、傘堂        2、石光寺
       
     6、當麻山口神社
                  7、中将姫墓塔
                               9、当麻蹶速(たいまのけはや)塚  10、葛城市相撲館(けはや座)
                   8、當麻寺                
 
1 二上山ふるさと公園
2 石光寺
3 高雄寺・厳島神社
4 傘堂
5 鳥谷口古墳
6 當麻山口神社
7 中将姫墓塔
8 當麻寺
9 当麻蹶速塚
10 葛城市相撲館

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二上山
二上神社口からバイパスへ出ると二上山が美しく迎えてくれます。
右の高い方が雄岳、左が雌岳です。

以前小学校の遠足で二上山に登った際、引率の先生が下見をしていたにも関わらず道にに迷うという失態を起こし
↓大津皇子の墓
大津皇子の墓
散々な目に遭った事がトラウマとなり、「地図なしで」という冒険はやめる事にしました。
時間もないし。
休憩タイム・・・大津皇子と二上山
第49代・天武天皇が亡くなった後、その後継者を巡って争いが起こります。

病弱でおとなしい性格の草壁皇子より、奔放で決断力と行動力を兼ね備えた大津皇子のほうが帝王にふさわしい・・・という事は、宮中の誰の目にも明らかでした。

しかし、天武天皇の皇后・鵜野讃良皇女(後の持統天皇)にとっては、我が子・草壁がカワイイ。

早速、新羅の僧・行心(こうじん)という者が、大津皇子に近づき、「あなた様こそ、天皇の位に着くにふさわしいおかたです」

しかし、聡明な大津皇子が、そんなあやしげな僧の言葉の惑わされる事はありません。 むしろ逆に、いよいよ皇后が自分を消すために、行動を起こし始めたを痛感しました。

さて、これから自分はどうするか?出家して吉野に入ろうか?・・・いっそのこと、海の向こうの大陸の行ってしまおうか?

思い悩んだ大津皇子は、一番親しかった友人・川島皇子に相談した後、姉・大伯皇女のいる伊勢へ旅立ちます。

幼い頃、母を亡くしてから、ふたり寄り添うように生きてきた・・・皇后の強大な黒い影を前に、可憐な姉弟は、どんな話をしたのでしょう。

やがて、ふたたび飛鳥に戻る弟を見送りながら、大伯皇女は歌を詠みます。

♪二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を  いかにか君が ひとり越ゆらむ♪
「ふたりでも、たいへんな山を、弟はひとりで越えて行く・・・」


万葉集に残るこの歌・・・去ってゆく弟の背中を見て、大伯皇女の胸が締め付けられるような悲しみを感じた事でしょう。

飛鳥に戻った大津皇子を待っていたのは、非情な皇后の『謀反の罪で逮捕せよ』という命令でした。

密告したのは、他ならぬ川島皇子・・・その日のうちに、大津皇子と共犯者三十余名が逮捕され、翌日には大津皇子ひとりに死刑が執行。

しかし、共犯者として一緒に逮捕された者は、流罪となった者が、わずか2名・・・残りは全員無罪。

明らかに、大津皇子ひとりをターゲットにした茶番劇のように思えてなりません。

大津皇子は二上山に葬られ、やがて伊勢の斎宮を解任された大伯皇女が毎日のようにその塚の前に姿を見せていたと言います。

ぬけがらとなって、その二上山の姿に弟を見る・・・大伯皇女の悲痛な叫びが万葉集に残ります。

うつそみの 人なる吾や 明日よりは
 二上山
を 兄弟とわが見む
大伯皇女
1二上山ふるさと公園
二上山ふるさと公園 バイパスを歩いていると、二つ目の信号で「道の駅→」の看板があり、道の駅のほうへ向かうと、正面にふるさと公園があります。

道の駅「当麻の家」には
案内板などがあるので、散歩のヒントに立ち寄ってみるのも良いかと思います。
道の駅・当麻の家
右の建物が「道の駅」正面が公園です
2石光寺
    (拝観:400円)
石光寺は、天智天皇の時代(670年頃)、この地に光を放つ石があり、まわりを掘ると弥勒三尊の石像が現れた事から、天皇の命により、役の小角が弥勒如来を本尊として祀り、名前を石光寺としたのが始まりです。

また、奈良時代には、
染の井
中将姫が、「蓮糸曼荼羅」を織ったとき、このお寺の井戸で、糸を五色に染めたと言われていて、「染の井」と「糸かけ桜」が残っています。
石光寺
石光寺は「花の寺」としても有名です。
今回も「寒牡丹」や「寒咲き菖蒲」など寒咲きのお花が沢山咲いていました。
春には、シャクヤクや、春の牡丹が境内を華やかに彩ります。
寒咲きのお花の写真はフォとアルバムへGo
寒牡丹
 
寒咲き菖蒲
3高雄寺と厳島神社
高雄寺
高雄寺は、白鳳時代に役小角によって開かれたお寺で、当時は大変栄えましたが、後に大火となって、その面影はありません。

写真の紅い鳥居が、隣接する厳島神社で、その向こうに見える建物が現在の高雄寺です。
神社横の急な坂を上ると「傘堂」に着きます
厳島神社と高雄寺
傘堂
4傘堂
柱1本で屋根を支えるユーモラスな「傘堂」。
詣でると四苦の一つ「死苦」から逃れられるそうです。

古文書から、延宝二年(1674年)に建立された郡山藩主・本多正勝の「位牌堂」である事が確認されています。
当麻を一望
傘堂の前の池沿いの道は、かなり昇り坂・・・と思ったら二上山・雌岳の登山道。振り向けばけっこう上まで登ってます。登山できたかも・・・。
5鳥谷口古墳
傘堂を抜けると、見通しがよくなり、池の向こうに鳥谷口古墳が見えます。

この古墳は、約1300年前に築造された一辺が7.6mの方墳です。

墓室は横口式石槨と呼ばれる横に穴が開いた構造で、なぜか未完成の家形石棺が底石や側面に使用されています。
鳥谷口古墳 鳥谷口古墳・石室部分
鳥谷口古墳は、きれいに整備されていて、石室や石棺が間近で見学できます。

←清掃中で池の水が抜かれていましたが、手前の石垣の部分が池です。
石棺のアップ写真は【もっと古墳を知ろう】のページへGo
6當麻山口神社
當麻山口神社・社殿
當麻山口神社は、天孫降臨のニニギノミコトを始めとする八柱を祭神とする歴史ある神社。
仁寿三年(853年)には官社であった事が記録されています。

供に祀られている麻呂子皇子は用明天皇の皇子で、聖徳太子の弟、この地を治めた當麻氏の先祖とされています。
當麻山口神社
中将姫と曼荼羅伝説
中将姫は、奈良時代の右大臣・藤原豊成の娘です。
幼くして母を亡くし、継母に育てられますが、
その継母によって、山へ捨てられてしまいます。
その後、父と再会し、一旦都に戻りますが、姫の希望により當麻寺へ入ります。   ある時老尼に「阿弥陀仏に会い
中将姫像 たければ蓮茎を集めよ」と言われ、蓮茎を集め五色に染めあげた所、織女たちが現れ、一夜にして荘厳な「曼荼羅」を織り上げます。

老尼は阿弥陀の織女は観音の化身で、姫に曼荼羅の深義を説き西方浄土へ去りました。
7中将姫墓塔
當麻山口神社の参道をまっすぐ下って行くと、道の両側に墓地が広がります。

その墓地の角を右に曲がったところに、中将姫の墓塔がひっそりと建っています。

造十三重塔は高
中将姫墓塔
さ3m鎌倉時代末期の様式
8當麻寺
    (境内:自由)

今回コースだと、北門から、當麻寺へ入る事になります。

當麻寺には多くの堂塔があり、それぞれに「ぼたん園」や「枯山水庭園」「茶室」などの見どころが沢山。
全部見るならたっぷりした時間が必要です。
當麻寺
612年に聖徳太子の弟・麻呂子親王が河内の地に建てた万法蔵院を、當麻国見(たいまのくにみ)が、役行者ゆかりの、この地に移したのが當麻寺です。

中将姫の「曼荼羅伝説」や、天平時代の東西両塔、日本最古(白鳳時代)の鐘楼や石灯籠、牡丹の名所としても知られています。
當麻寺・本堂
本堂(曼荼羅堂)
伽藍(拝観:500円)
本堂、金堂、講堂の三つのお堂を「伽藍」と呼びます。
本堂は中将姫が織った曼荼羅を本尊とするお堂ですが、中将姫の物は傷みが激しく現在は未公開。

現在安置されているのは、室町時代の写本ですが、それでも重要文化財、見事な物です。
當麻寺・中之坊 中之坊(拝観:500円)
中之坊は當麻寺最古の塔頭。
白鳳時代に役行者が開いた道場で、中将姫の師・實雅法印や、弘法大師などの高僧が住まいとした場所です。
千仏院と講堂 千仏院にはやはり「牡丹園」、西南院紅葉で有名・・・境内にはほかにも護念院宗胤院念仏院極楽院など拝観できるお寺が数ヶ所。
全部見るか、チョイスするか悩みます〜。
奥院(500円)

境内から石段を登った所にある奥院は、浄土宗の総本山・知恩院の奥の院として建立され、本来は往生院と
奥院・鐘楼門からの眺め
いう當麻寺とは別のお寺です。
こちらは、高台にあるので眺めが良く、鐘楼門からは東西両塔が一度に眺められます。

極楽を再現したの浄土庭園も美しいです。
庭園と「寒牡丹」の写真はフォトアルバムへGo
當麻寺・東大門
東大門
當麻寺の山門、本来こちらが正面ですね。
門を出て道をまっすぐ行けば蹶速塚から当麻駅へ・・
【當麻寺・中之坊堂塔伽藍】の公式HPはリンク集へ
曼荼羅(まんだら)のお話
曼荼羅とは、仏教の聖域や仏の教え、世界観を、仏像・シンボル・文字などで文章ではなく絵を見てわかるように一枚の図柄に描いてある物です。

現存する曼荼羅の多くは、
「両界曼荼羅」など密教の世界感を現した物で、位の高い仏様を中心に描かれていて、ものすご〜くわかりやすく言うと絵に描いた仏様の番付表といった感じです。

當麻寺の曼荼羅は
「浄土曼荼羅」という曼荼羅で、西方浄土の風景を描いた物です。
曼荼羅
9当麻蹶速(たいまのけはや)
休憩タイム・・・日本最古の相撲
ある時、当麻蹶速(たいまのけはや)という強い男が朝廷にやってきて「自分と力比べをしてくれる強い者を探している」と申し出て、ならば・・・という事で、出雲の勇士・野見宿禰(のみのすくね)が相手をする事になります。

両者は、向かい合って互いに足をあげて蹴り合い、宿禰が蹶速のアバラを蹴り折って、腰骨を踏んで殺してしまった・・・勝利した野見宿禰は、褒美として蹶速の領地をもらい受け・・・て、これが相撲?

日本書紀には
「垂仁天皇の七年、7月7日に天皇の前で『死合・しあい』(←こんな字かよ!)が行われた」とあります。
10葛城市相撲館(けはや座)

相撲というよりは、まさにルール無用の『死合』が行われた七夕の夜ですが、それ以来、格闘技は七夕の夜の呼び物となったようで、あの大仏建立で有名な聖武天皇も、七夕の夜に相撲観戦を行っています・・・という事で、日本最古の相撲をとった当麻蹶速を祀る蹶速塚のお隣に、珍しい相撲の博物館・けはや座があります。

館内には、あの伝説の雷電為右衛門の手形や、江戸時代の番付表などが展示されています。
葛城市相撲館(けはや座)


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