トップページへ 京都・古都探訪へ 大阪・そぞろ歩きへ 奈良・大和路へ
 
 

 
 王仁墓から津田城跡へ・・・散歩、ではなく登山です
 
王仁墓 今回の歴史散歩は・・・と言いたいところですが、タイトルにもつけたように、散歩というよりはハイキング(山登り)です。

有名で壮大な伽藍のお寺があるわけでもなく、特に津田城跡のある国見山は100%ハイキングコースとなってはいますが、城跡らしい城跡もありませんので、歩くのが好きな人におすすめです。(森林浴には最適!)

ハイキングコースの部分は片道45分。
このコース全体で、道に迷わなければ4時間くらい・・・なぜ、迷うか?それは、このあたり住宅開発真っ盛り。

あるはずの道が無かったり、無い道があったり・・・ネット上で最新地図GETを・・・。
                                  2、王仁墓
                                      
 
 
 
             1、藤阪菅原神社
 
 
     
              3、山根街道
 
 
 
             4、春日神社
 
               5、地蔵池
 
                      6、津田正信の墓
 
                                   
                                    7、津田城跡
 
 
JR:藤阪駅
1 藤阪菅原神社
2 王仁墓
3 山根街道
4 春日神社
5 地蔵池
6 津田正信の墓
7 津田城跡(国見山)
JR:津田駅


 地図を別窓で開く・印刷する
ガイドブックなどで見かけない場所ですので、迷わないためのウォーキングガイドも書きましたが、これはあくまで、私の歩いたコースで、このあたりをよくご存知のハイカーさんから見れば「もっと良い道あるよ!」とのご指摘もあるかと思いますが、一応参考にしてみて下さい。
アクセス
京阪・枚方市駅からなら京阪バス長尾行きで藤阪または藤阪駅バス停下車。

電車利用ならJR学研都市線の藤阪駅下車。

バス道沿いにある菅原神社の地下道をくぐって本殿側へ。
藤阪菅原神社 1藤阪菅原神社
境内のど真ん中をJRが横切る思い切った造りの菅原神社。
二つの境内は地下道でつながっています。

鳥居をくぐり本殿(文久三年に奈良の春日大社から移築)を左に行くと王仁公園のほうに抜けられます。
王仁公園
王仁公園案内板
↑クリックで案内板拡大
菅原神社を通り抜けると交差する道に突き当たり、左にJRの踏み切り、右に行くと広大な王仁公園が広がります。
この公園を通りすぎて王仁墓へ・・・公園入り口に案内板があるので、お墓までの地図を確認しましょう。
王仁(わに)博士について
『天皇、阿直岐(あちき)に問いて曰く「如し汝に勝れる博士亦有りや」とのたまふ。対して曰く「王仁といふ者有り、是秀れたり」とまうす』と日本書紀にあります。
天皇とは第15代・応仁天皇、天皇がアチキという学者に「君より優秀なのはいる?」と聞いて紹介したのが、百済の王仁(わに)でした。

そして、日本に来た王仁博士は、日本の人々に文字や論語を教え、儒教の祖として
王仁博士
尊敬されます。
以後、子孫はこの藤阪に地に住み、代々文筆や出納の担当として朝廷で重要な役職を荷います。
ウォーキングガイド 王仁公園から王仁墓への道は公園の周囲を行く道が左に折れる場所で右に曲がり(ここには王仁墓→(右)という看板があります)、一つ目の料理屋さんの駐車場の前を左(ここには看板ありません)、くねくねと坂を上る感じの道に・・・住宅街のためたくさんの住人用の道が枝分かれしますが、とりあえず道なりに進んで行くと、だんだん急な坂になり、坂を上りきった突き当たりにお墓があります。
王仁墓 2王仁(わに)
長く、その場所が不明とされてきた王仁博士の墓が判明したのは、江戸中期の頃。

京の儒学者・並河亮が、村人たちが、この墓を「オニ塚」「ワウニ塚」と呼ぶ事を知ってはじめて世に知られるようになりました。

現在は、江戸以降に立てられた2つを
昔から「オニ塚」と呼ばれ
ていた一番古い墓標↓
王仁墓
王甚墓 含め3つの墓標が立っています。

2004年には、日韓友好の証として、韓国霊岩王仁公園に、この藤阪の王仁墓のレプリカが完成しています。

←江戸の儒学者建立の墓標
韓国の王仁墓
韓国にある王仁墓↑
     と王仁公園→
韓国の王仁公園
ウォーキングガイド 王仁墓からは、もとの道を王仁公園まで戻り、さきほどの菅原神社の道の一本手前を左(南)へ向かいます。
林を抜けると釣り池に突き当たるので、その道を右。JRの高架の手前をもう見えている藤阪駅のほう(左)へ、藤阪駅の前を通るバイパスを越えて墓地のある少し昇り気味の道が山根街道です。
3山根街道
穂谷川
穂谷川
穂谷川を渡るこの道は、石清水八幡宮と野崎観音を結ぶ『山根街道』と呼ばれた道です。

全ルートが未だ解明されていない山根街道ですが、旧石器時代の遺跡がこの街道沿いに出土している事から、かなり昔から道としての役目を果たしていたのではないでしょうか。
このあたりはかなり整備されていて街道という雰囲気ではないですが・・・
山根街道
ウォーキングガイド: まっすぐ南に進んでいくと、国道307号との交差点に出ますが、そのまま直進です。
4春日神社
山根街道
春日神社のこのあたりは街道らしい雰囲気が残っています。
春日神社は、神功皇后が三韓征伐をする際、必勝祈願をした三柱の神様をお祭りしています。
春日神社
ウォーキングガイド 春日神社の前の道をずずずい〜っとさらに進み、田んぼに突き当たります。
JRの線路はくぐらず、ここを左に曲がれば正面が地蔵池、池のほとりを回るように道がついているので、その道なりに行くと、池の南側にあるお地蔵様のほこらに出ます。
5地蔵池
地蔵池
地蔵池の地蔵
明治の始めに大幅な補修工事が行われ、たくさんのお地蔵様が出土したので地蔵池と呼ばれるようになりました。
お地蔵様は池の南側に鎮座されています。
ウォーキングガイド 歩いてきた道は、地蔵池をグルッと囲む感じになっていて途中ベンチなどがある爽やかな公園になっているので、休憩するならそちらへ・・・。
先へ行くなら、池とお地蔵様に向かった時背中側に来る信号のある交差点を左(東)へ向かいます。昔からある道ですが、最近補修をされたみたいで、とてもきれいな道路です。
そのまま進むと、道じたいが左に曲がっているので、そのまますんなりと北向きに歩いていると、歩道に右側に『津田正信』の墓があります。
6津田正信の墓
津田正信の墓

墓石は最近新しくなったようですね。
津田氏について
楠木正成の末流である津田氏は、延徳元年(1489年)に、初代城主・津田正信が、国見山に津田城を築城し、以来四代・100年にわたってこの地を治めました。

三代目・正明の時代には、河内・飯盛山を拠点に近畿に勢力を持っていた三好長慶と同盟し、1万余石を領有しました。

しかし、四代目・正時の時代に石山本願寺の合戦で、周辺村民とともに織田信長と戦い、城も村も焼かれてしまいます。

その後、信長の臣下となり二百石を領しますが、今度は山崎の合戦で明智光秀に味方し、結局、豊臣秀吉によって津田氏は滅ぼされてしまいます。
山崎の合戦については『明智光秀の最も熱い日々』へGo
ウォーキングガイド: 正信さんのお墓を右に見て、そのまままっす北南に進んでいくと、国見みちとの交差点にでます。(最近できたビッグなマンションのせいか、たいへんきれいな道です)
この交差点を右(東)に曲がり国見みちを歩いていくと、そのまま国見山のハイキングコースに入れます。                             クリックで案内板拡大↓
ハイキングコース入り口に案内板があり、城跡まで45分とありましたが、私の場合はそんなにはかかりませんでした。
ただ、城跡への別れ道に所の看板には、なぜか『城跡→』と書かれずに『休憩所→』と書かれているので注意です。(私は休憩所=城跡と気付かずにそのままもっと先まで行ってしまいました〜)
国見山ハイキンコース・案内板
7津田城跡(国見山)
このあたりは、さわやかなハイキングコース、コースは城跡から先も、交野・私市へと続きます。

国見山ハイキングコース
津田城跡
ここが、城跡・・・この城跡の西麓に築城前に居館や、後の本丸があったと言われています。
城跡からの展望・・・ここには、城跡らしき遺構は見られませんが、景色はバツグンです。現在では、本丸があったと思われる場所を含めで、このあたり一帯を津田城跡と呼ぶそうです。
津田城跡からの眺め
国見山・津田城跡の石垣っぽい 国見山・津田城跡の石垣っぽい
ここは、城跡と間違えて迷い込んだ場所で、先程の城跡から見て西麓にあたり・・・土に埋もれた石がゴロゴロ・・・石垣のようにも見えます。本丸があったのはこのあたりでしょうか?
国見山 ←津田駅近くから眺めた国見山。



城跡からは、もと来た道を地蔵池まで戻ります。
地蔵池からは、左(南)に曲がっても、まっすぐ行ってJRの線路沿いに南に行っても津田駅に行けます。


ホームページ・ランキングに参加しています、よろしければ応援クリックお願いします→ホームページランキング 旅行・地域部門

このページの先頭へ戻る