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フィギュアスケートラブ無料お試しページ

                             山本昌輝

   ()出会い

 

 午後七時十分、俺は改札口を通り、階段を降りて行った。左手に巨大な三角形の屋根と

白い壁に覆われたスケート場が見える。スケート場に背を向けるように右側に進んで行く。

交番の横を通り、赤い鳥居の下を過ぎる。すぐ左側に小料理屋の、お雪、が見える。いつ

もそこで夕食を済ませる。焼き鳥のような匂いがしてくる。引き戸を開けて中に入る。

「いらっしゃいませー」

厨房の奥から聞き慣れない若い女の声が聞こえてきた。頭の中がスーと爽やかになるよう

な声だ。新人のアルバイトの子が入ったのかもしれない。どんな子か早く見てみたい。三

つ並んでいるテーブルには着かずに、カウンターの前のイスに座った。さらに厨房が見え

やすい位置に席をずらした。女将(おかみ)のおばあさんは見えるが、若い女は陰になっていて見え

ない。諦めてマンガに手を伸ばした時、

「ご注文は?」

という澄んだ声が心地よく流れてきた。顔を上げると、やる気に満ちた大きな目が優しく

微笑んでいる。健康的な浅黒い肌に歯並びのいい白い歯が輝いている。丸みのある顔を少

し横に傾けている。こっちの心までも傾きそうだ。

「ピ、ピーマン定食」

急に恥ずかしくなり、下を向いて、マンガを開いた。

「分かりました」

彼女はいい香りを残して、きびすを返した。すぐ白いシャツを着た彼女の背中を見詰める。

肩幅が広く、胴がくびれている。ベージュのズボンを柔らかく持ち上げた形のいいお尻が

一瞬のうちに奥に消えた。しかし、その引き締まった体形が目に焼き付いた。

 何かスポーツをやっているのだろうか。何歳なのだろうか。学生なのだろうか。次々と

疑問が沸いてくる。カウンターから身を乗り出して中を覗きたいが、入り口付近のテーブ

ルに学生風の二人の男が対座している手前もあり、それもできない。何でもいいから彼女

について知りたい。女将が彼女に話しかけてくれないだろうか。それを盗み聞きしたい。

「お勘定、お願いします」

学生風の男が立ち上がった。右手で前髪を直している。畜生、お前も意識しているのか。

妙な対抗心が沸いてきた。

「千四百円でーす」

彼女が小首を曲げて、かわいらしく出てきた。クソー、その笑顔、みんなに振り撒いてい

るのか。俺だけのものじゃないのか。彼女はお金をもらうと、こっちを振り向きもせずに

中に入って行った。無性に寂しくなった。右側壁の棚に置いてあるテレビから流れるニュ

ースが物悲しく聞こえる。

「秋本さんは学生時代、何かスポーツをやっていたのですか?」

突然、彼女が女将に質問し出した。願ってもない機会だ。腹が痛くなるほど前のめりにな

った。

「弓道をやっていたけど、水口さんは?」

水口っていうんだ。下の名前も教えてくれ。

「私は小学生の頃からフィギュアスケートをやっています」

俺と同じじゃないか。

「今もやっているの?」

「はい。今日も八時半からそこのスケート場で練習するんです。貸切だから、自由にでき

ます」

「へー、今度拝見してもいいかしら」

「どうぞ、どうぞ。いつでも歓迎します」

水口さんの弾んだ声が、こっちの心までも浮き浮きさせた。見てみたい。水口さんの華麗

なスケーティングを。どんなコスチュームを着るのだろうか。ピンクの短いスカートをは

くのだろうか。スカートがめくり、あの肉付きのいいお尻を後ろに突き出して、バックス

ケーティングをするのだろうか。ああ、何て俺はいやらしい奴だ。どんな技ができるのだ

ろうか。まさか四回転ジャンプはできないだろう。

 俺は、高校時代、四回転ジャンプで失敗した。大事な試合に負けて、世界が崩れ落ちて

行く気がした。みんなは、次があるさ、とか言って励ましてくれたが、どん底に落ちた俺

には光は差さなかった。しかし、今考えれば、それは自分で(ふた)を閉めて、暗闇の中で悲劇

のヒーローに浸っていただけなのかもしれない。

 再び蓋を開けてみようか。銀盤で水口さんといっしょに技を磨こうか。お互いの演技を

チェックし合って、親交を深めようか。待てよ、俺はフィギュアスケートを単に恋の仲介

役にしようとしているだけなんじゃないのか。まあ、いいや。とにかくやる気が出てきた。

暗黒から飛び出したくなった。食事を済ませたら、水口さんの練習を見に行こう。

「お待たせしました」

水口さんがピーマン定食を持ってきた。何だかさっきよりも一段と輝いて見える。愛くる

しい笑顔を見せてから、すぐまた中に入って行った。

 水口さんが作ったピーマン定食だと思うと、いつもよりもうまく感じた。また何か話し

出さないかと期待したが、食器を洗う音が聞こえるだけだった。マンガも見るのも忘れて

食べ終わる頃に、ほろ酔い加減の初老の男が入ってきた。水口さんが軽やかに出てきた。

「ご注文は?」

「お姉ちゃん、新しいアルバイトか?」

男はふらつきながら、ストレートに聞いた。そのずうずうしさが羨ましい。お姉ちゃんと

言ったのが、何となくおかしかった。

「はい」

水口さんは嫌がりもせずに笑顔で答えた。

「お姉ちゃん、何歳だ?」

「十九歳です」

俺と同じだ。もっと聞いてくれ。

「大学生か?」

「はい。西武蔵大学の一年生です」

俺の西都大学の近くじゃないか。

「ふーん。じゃ、ニラレバ炒め頼むは」

「はい」

水口さんが戻りかけた時、俺は立ち上がり、勇気を出して言った。

「お姉ちゃん、勘定」

水口さんが口に手を当てて、クスッと笑った。ヤッター! うけたー。右横の席で男が口

を尖らせている。

「七百円です」

俺はわざと千円札を出した。水口さんがおつりを持ってきた。

「ちょっとー」

おつりを出した水口さんの右手の手首にキャベツの切れ端が付いている。

「あれー」

俺は首を伸ばして、水口さんの白い手首にちょこんと付いているキャベツの細切(こまぎ)れを見た。

取って食べたい。いや、持ち帰って、お守りにしたい。水口さんはおつりを渡すと、奥へ

消えた。しかし、水口さんの、ちょっとー、という親しげな言葉が俺の耳を熱くした。鼓

膜にキスされたような感じだ。俺を認めてくれた喜びが溢れてきた。

 

店を出ると、三分程の距離にあるアパートにも戻らずに、電信柱の陰で水口さんが出て

来るのを待った。後十五分程で出て来るはずだ。大の男がカバンを持って、警備員のよう

に突っ立っているのを訝しげに見て通る通行人もいるが、構わずに見張りを続けた。とに

かく水口さんを見失いたくなかった。

 八時十五分、水口さんが裏口から出てきた。右手に黒の大きなバックを持っている。ど

うやらスケート場へ直行するらしい。俺は十メートル程後から付けて行った。左右に動く

お尻が色っぽい。これじゃ、変態じゃないか。ストーカーじゃないか。いや、俺は水口さ

んの練習姿を見たいだけだ。そう言い聞かせたものの、交番の横を通る時は、顔を背けて

早足で通り過ぎた。

 水口さんがスケート場の右側の入口から中に入って行った。俺は足の動きが鈍くなり、

緊張してきた。入口に部外者へのガラスの透明な壁が張ってある気がした。しかし、それ

を打ち破り、ガラスの破片が背中に突き刺さっても、入場したくなった。水口さんがリン

クを舞っている姿を早く見たい。その欲求が俺に勇気を与えた。

 一気に中に入った。張り紙には、見学は無料、一般滑走は千二百円、貸靴は五百円と書

いている。一般滑走の時間は五時三十分で終わっている。貸切なので、一般客はいない。

がらんとした通路を歩いて行く。

「もっと膝を伸ばして!」

しわがれた女の声が聞こえてきた。コーチが叫んでいるんだろうか? リンクが見えた。

照明を反射し、白色の世界が広がっている。そこを華やかに彩るのが演技者だ。血が沸き

立ってくる。

 リンクに近付いた。透明なプラスチック製の防御塀がリンクの周りに張ってある。熱い

息がそれに跳ね返る。天井は高く、三角形になっていて、多数の三角状の(はり)がそれを支え

ている。天井の底辺にあたる位置に四角形の照明がずらりと周囲を囲んでいる。リンク上

には円形や直線のアイスホッケー用のラインが引いてある。防御塀の外側はすり鉢状の観

客席になっている。

「あや、遅いわよ!」

「済みません」

水口さんの声が聞こえてきた。あや、という名前なんだ。水口さんがスケーティングして

きた。長袖の赤のコスチュームを着ている。柔らかく膨らんだ胸から胴にかけて、銀色の

星粒の模様が入っている。ヒラヒラした短いスカートから、白い健康的な太股が伸びてい

る。ふくらはぎがふっくらとしていて、結構たくましい。白いスケート靴を履いている。

 姿勢を前に倒し、両手をやや下に広げて、加速を付けている。肩まである後ろ髪が風に

なびいている。バックスケーティングに切り換え、左膝を深く曲げて、右エッジのつま先

を突いて踏み切り、トリプルルッツを決めた。続けて、着氷した右足で、左エッジのつま

先を突いて踏み切り、ダブルトゥループを決めた。笑顔が眩しい。両手を右下に水平に広

げて、指先も綺麗にそろっている。

 リンク内を楕円状に進みながら、ステップを行っている。細かくターンして体の向きを

変え、両手を巧みに動かしている。音楽は鳴っていないが、流麗な調べに乗っているよう

だ。全身で内面を表現している。水中の小魚のように体の切れがいい。空間と身体が織り

成す変幻自在の芸術だ。

 トリプルルッツを成功させた後、トリプルトゥループをやった。しかし、転倒してしま

った。立ち上がれずにうずくまっている。どこか怪我をしたのだろうか。他の三人の選手

が、大丈夫あや、と言いながら寄って行く。まだ丸くなっている。

 俺は心配でじっとしていられなくなった。スニーカーでリンク内に入って行った。

「こらー、土足で入っちゃダメじゃない!」

中年の女のコーチが怒鳴った。慌てて俺は引き戻った。悔しいから、スケートのように滑

って行った。最後にダブルトゥループを見せびらかしてやった。

 水口さんが立ち上がった。どうやら大丈夫らしい。あれっ、こっちに向かってやって来

る。微笑みながら、拍手をしている。もう隠れようがない。水口さんが目の前で止まった。

「練習、見にきてくれたんですね」

水口さんが目を輝かせて、興奮気味に言った。

「済みません。ちょっと聞こえたものだから。すぐ帰ります」

俺は眩し過ぎる水口さんから視線をそらした。

「そんな。最後まで見ていて下さい。ダブルトゥループ、見事に決まりましたね。フィギ

ュアスケート、やっているんですか?」

「ちょっと」

「すっごーい。今度いっしょに滑りません?」

「は、はい」

俺は舞い上がった。

「よかったー。そうだ、アドバイスしてもらいたいから、私が着替えて来るまで、ここで

待っていて下さいね」

「いいですよ」

「ヤッター。ありがとう」

水口さんは明るく手を振って戻って行った。こんな積極的な子だったとは、ちょっと意外

だった。今度いっしょに滑りません、か。いいな。いっしょにリンクを舞おうか。俺が水

口さんを右手で支えて、彼女が体を水平に倒しながら大きな円を描く。俺が水口さんを空

中に投げ出して、彼女が豪快にジャンプする。俺が水口さんを頭上に持ち上げる。次々と

水口さんとペアを組んだ時の妄想が広がった。

 

 

 

 

 

 

    あの世はこの世無料お試しページ

 

                              山本昌輝

 

 ゴーという激しい音が聞こえてきた。バリッという何かが弾ける音が響いた。私は気が

付いた。五十一歳で胃ガンで死亡し、きっと棺の中に入れられているのだ。火葬炉の中で

燃やされているに違いない。絶叫した。

(助けてー。ここから出して。私は生きている。死んじゃいない。ちゃんと生きている。

蓋を開けて!)

 しかし、声にはならない。気ばかりが空回りしている。炎の音と破裂音が一段と高くな

る。おそらく棺は崩れ落ちて、私の白装束は焼けてなくなっているだろう。表皮が黒焦げ

にただれ落ちて、筋肉が縮み上がっているだろう。内臓が破裂して、霧散しかけているか

もしれない。あの音は骨が弾け、砕けていく音かもしれない。

 しかし、私にはその猛火の熱が伝わってこなかった。破壊音だけが聞こえてきた。それ

が私を少し冷静にさせた。別の私は肉体とは関係のない所で生きているのではないか。焼

け崩れた肉体から脱出することができるのではないか。

 突如、頭蓋骨が破裂した。その瞬間、私はふわっと浮き上がった。自分でもびっくりす

るぐらい軽く舞い上がった。さらに驚いたことに、黄色い火炎の下に灰と化している私の

残骸があった。

 もう間違いない。私は幽体離脱したのだ。こうなったら、早くここを脱出しなければな

らない。この地獄のような業火に完全に焼き尽くされる前に。煙突口が見える。あそこか

ら抜け出そう。

 私は曲がりくねった煙突を上り、さらに狭くなった装置のような所も通り抜けた。やが

て、上空にポッカリと開いた天国のような所が見えてきた。あそこには第二の人生の世界

が広がっているかもしれない。次第に明るくなってくる。期待を込めて、外に飛び出した。

 上空には白い雲が流れている。煙突から出ている煙が風になびいている。屋根が日光を

反射している。駐車場にはミニバンやセダンや霊柩車が停まっている。喪服を着た人々が

出入りしている。

 ここはあの世ではなく、この世だ! 下から見るはずの風景を、屋根の上から俯瞰(ふかん)して

いる。天国に行けるかもしれないという淡い夢が、(かわら)がガラガラと落ちて行くように崩れ

て消えた。そして、この逆転の光景が変わり果てた私の証拠として、突き付けられた。そ

れを確かめるために、下へ向かった。

 ミニバンのバックミラーの前にきた。後ろの車の左側と道路と建物の一部が映っている。

私の姿はどこにも映っていない。鏡に付くぐらい目の前にいるというのに。私を無視して、

後方の物体が映っているだけだ。

 もう認めざるを得ない。私は霊になったのだ。私にも正確には分からないが、たぶん大

きさは耳の穴よりも小さい。透明で極小になった私には、もはや誰も気が付かないだろう。

 しかし、私の方は今まで以上に見たり、聞いたりすることができる。これは私にとって

不幸中の幸いなのだろうか。それとも、この世の地獄を見聞きすることになるのだろうか。

私はこれからどうなるのだろうか。どう生きて行けばいいのだろうか。

 まさか私が霊になるとは思わなかった。霊になって、一番驚いているのは私自身なのだ。

生前、将来自分が霊になると思って生活している人間は少ないだろう。私もその一人だっ

た。第一、私は怖がり屋で、夜一人で寝る時は、電気を点けていないと眠れない(たち)だった。

その幽霊を恐れていた私が霊になるとは、何と皮肉なことだろう。

 幸い私の姿は誰にも見えないはずだ。ということは、誰も怖がらない、ということだ。

そっと忍んで暮らせば、私が生活する場はできるのではないか。霊生活を開始することが

できるのでは。人生が終わり、霊生が始まる。私にも一縷(いちる)の希望の光が差したような気が

した。とにかくここにいても仕方がない。火葬場に入ってみよう。

 私はそこへ向かって飛んで行った。地上約一メートルの所を、人間がゆっくりと歩くよ

うな速度で。考えてみれば、こうして飛行していることも驚きだ。小学生の時、鳥になっ

て空を自由に飛んでみたい、と思ったことがあったが、まさか霊になって、その夢を実現

するとは思わなかった。人間とは不思議なものだ。私は他人事のようにそう思いながら、

前へ進んで行った。

 人が火葬場のドアを開けて中に入った隙に私も進入した。火葬炉の前に参列者がいる。

どうやら火葬が終わり、私の骨を骨壷に入れているようだ。私は天井近くまで高度を上げ

て、そっと近付いて行った。

 明(二十一)がいる。私の一人息子だ。三年前、明は進路のことで私と夫と大喧嘩をし

て、家出をした。それ以来、一度も会っていない。そんな明が私の葬式にきてくれた。私

は嬉しくなって、明の上に行った。

 また身長が伸びて、百八十センチは越えたようだ。髪は長髪から短髪にしている。目鼻

立ちが整っていて、相変わらず精悍な顔をしている。場所のせいか、顔色は少し悪いが、

私といる時よりも頬がふっくらとして元気そうだ。それが何よりも嬉しい。

 明は火葬炉の前にある小さな机の方を見ている。机の上には二本のロウソクや私の位牌

や遺影がある。どうやら明は私の遺影を見てくれているようだ。遺影の私は真面目な顔を

して映っている。右側に白髪が混じり始めた短い髪、少し頬がこけた四角い顔、薄い眉の

下の垂れ下がった細い目、小鼻がちょっと膨らんでいる低い鼻、下が厚目の唇。美人とは

言えないが、笑うともっと愛嬌のある顔になる。どうして笑顔の写真にしてくれなかった

の、と不満に思った。

 しかし、明を見ているうちに、それが消えた。明は私を懐かしむように遺影を見詰めて

いる。そして、夫と二人一組になり、長い箸で私の骨を拾って、骨壷に入れている。小さ

く粉砕された白い骨が、音も聞き取れないぐらいの軽さで入る。鳥の骨よりもちっぽけな

物が、小さな骨壷に楽々と納まっている。私はあんな物だったのか、と少し悲しくなった

が、それもすぐに吹き飛んだ。明が仲の悪かった父親といっしょになって、私の骨を手厚

く納めてくれたことに感動した。遺影の私は笑っていないが、今、明に見とれて、微笑ん

でいる。私は決めた。明の所に行こう。明がどんな生活をしているのか見に行こう。

 

 葬式が終わると、私は明が進む方へ飛んで行った。明が白のミニバンのドアを開けた。

私はその隙に車内に入った。明はラジオや音楽もかけずに沈んだ顔で運転している。

(そんなに落ち込まないで。お母さんは明といっしょにドライブができて、楽しいよ。明

が小学生の時、家族で日光に行ったよね。車の中で歌を歌って、盛り上がったよね。日光

のサルを見て、大はしゃぎをしたよね。あの時と同じぐらい楽しいよ。だから、もう悲し

まなくてもいいんだよ。いっしょに楽しもうよ)

私は必死に訴えたが、明の固い表情が変わることはなかった。

 

 ミニバンが団地の前で停車した。明はコンクリート製の階段を登って、301号室に入

って行った。私も後から飛んで付いて行った。台所の他に四畳半と六畳半の部屋がある。

本や雑誌が散らばっていて整理整頓ができていないところは、以前の明と変わっていない。

 部屋を片付けろ、と叱りたくなった。他にも言いたいことがたくさん出てきた。声に出

せないなら、せめて私がここにいることだけでも、それとなく知らせたくなった。直接分

からせるには、まだ刺激が強過ぎる。また、そんな手段は思い付かない。間接的に私がそ

ばにいることを知らせるいい方法はないだろうか。

 明が六畳間の窓の前にある机の前に座り、何かカタログを見始めた。私は机の上に止ま

って、それを見た。どうやら食品宅配業者の商品カタログのようである。明は申し込み用

のマークシートに鉛筆で印を付けている。カタログをめくって、黒い棒印を次々と付けて

いる。後ろのページにコーヒーの欄があった。

 私は、これだ、と思った。私は生前コーヒーが好きで、よく飲んだ。一方、明はコーヒ

ーが嫌いで、一滴も飲まなかった。私は何度も、コーヒー飲む?、と勧めたが、いや、と

断わった。

 明は未だにコーヒーは飲んでいないようである。もし、申し込んでもいないコーヒーが

届いたら、変だと思うだろう。私の仕業だと確信しなくても、半信半疑の状態になるだろ

う。コーヒーを飲んでいる私の姿を思い出し、もしかしたら、私が頼んだのではないだろ

うかと疑うだろう。

 これは私の存在を匂わす絶好の機会だ。宅配日は明日のようだ。宅配の車に乗り、業者

のコンピューターに忍び込んで、コーヒーを申し込んでみよう。かなり難しい仕事だろう

が、やるだけのことはやってみよう。

 

 翌日、私はドアの右横に出された宅配の箱の上で、宅配業者を待った。正午過ぎ頃、宅

配業者が新しい箱を持ってきて、代わりに空き箱を持って行った。私は後から飛んで行っ

て、トラックに忍び込んだ。その後、宅配業者は各会員の住所を回って、夕方に会社に戻

った。

 宅配業者は会員の申し込み用紙だけが入った箱を持って行った。私はその後を追った。

宅配業者は事務所に入り、女の前にその箱を置いて出て行った。女は箱の蓋を開けてから、

申し込み用紙を一枚一枚ビニール袋から取り出して、ダンボール箱に入れている。申し込

み用紙は箱に曲がって入っていたのが多かったせいか、重ねても隙間ができている。私は

その隙間に入り、明の申し込み用紙を探した。それには各自の名前がプリントされている

ので、簡単に見付かった。

 私はいったん外に出た。壁に貼っているスケジュール表から、申し込み用紙をコンピュ

ーターに入れるのは、明日であることが分かった。まだ十分に時間がある。その間に自分

の能力を試し、作戦を練ることにした。

 私は事務所の天井に下がっている長形の蛍光灯へ向かって飛んで行った。その周りを回

転してみた。すると、蛍光灯が点滅し出した。二人の女の事務員が上を見上げたので、慌

てて止めた。蛍光灯は元に戻り、事務員は何事もなかったかのように仕事を再開した。

 どうやら私には電気が帯びているようだ。光は通さないようだ。体長は約五ミリ。とい

うことは、申し込み用紙のコーヒーの欄にへばり付いているだけで、鉛筆で細長く塗りつ

ぶした効果があるのではないだろうか。コンピューターはコーヒーを申し込んだものと判

断するだろう。これは意外と簡単な作業かもしれない。私は事務所を観察するぐらいの余

裕を持って、次の日を待った。

 

 翌日、女の事務員が大型コンピューターに申し込み用紙を大量に入れ始めた。私は急い

で明の申し込み用紙に潜り込んで、コーヒーの欄にピッタリとくっ付いた。昨夜の余裕は

消えて、緊張と不安が襲ってきた。他の申し込み用紙との摩擦の関係で、コーヒーの欄か

らずれてしまうのではないか。コンピューターがうまく作動しなのではないか。

 他の申し込み用紙がどんどん少なくなり、明の申し込み用紙がコンピューター内に入る

時が近付いて来る。ついにその瞬間がきた。一瞬、強い風と光が通り過ぎた。あっという

に外に出た。

 私は見事に成功した。心配なのはコンピューターがうまく作動するかどうかだ。やるべ

きことはやった。後は運を天に任せるしかない。もうここには用はないので、明の所に戻

った。

 

 五日後の午後六時、明が帰ってきた。鍵でドアを開けてから、右横の宅配の白い箱を二

個ずつ二回に分けて、流しの前に持って行った。右側の箱の蓋を開けて、引っ繰り返った

声を上げた。

「何だこりゃ! コーヒーじゃねえか。何でこんな物入ってるんだ。頼んでねえぞ」

明は一番上にあった白いコーヒーの箱を持ち上げて、訝しげに見ている。私は、ヤッター、

と心の中で叫んだ。明はコーヒーの箱を左横に置いて、食品を冷蔵庫の中に仕舞っている。

眉根を寄せて、時たまコーヒーの箱をにらんで、何か考え事をしているようだ。

半分ぐらい入れた時、突然手を洗ってから、六畳間に行った。私も付いて行った。明は

電話番号表を見ながら、電話をかけている。

「もしもし、あのー、申し込んでいないコーヒーが届いたんですが、調べてもらえますか。

もしかしたら、コーヒーの欄に間違えて印を付けたかもしれないので、お手数ですが、マ

ークシートを点検して頂けますか。商品番号と会員番号と住所と名前は×××××です。

よろしくお願いします」

明は右手の人差し指で電話機を軽く叩きながら待っている。

「えっ、コーヒーの欄に印が付いてないっ! じゃ、どうして届いたんですか。間違えて

配達したかもしれないって。返品するにはどうしたらいいんですか。いや、ちょっと待っ

て下さい。返品はしません。これ、購入します。手続きの方、よろしくお願いします。で

は、失礼します」

明は真っ青になって、電話を切った。しばらく呆然としてから、ゆっくりと壁に貼ってあ

るカレンダーに近付いて行った。私が死んだ月の辺りをにらんでいる。

「まさか母さんの霊のせいじゃないよな。まさかだよな」

明は引きつった笑いを浮かべた後、残りの食品を冷蔵庫に収納した。手を洗ってから、コ

ーヒーの箱を冷蔵庫の上に置いた。

 私は嬉しかった。コーヒーを返品するか、ゴミ袋に捨てるかと思ったが、大事に手元に

置いてくれた。明は私の霊のせいでは、と疑い出したようだけど、まだ半信半疑の状態だ

ろう。これで、私の存在を匂わす、という目的はそれ以上の効果を上げて達した。予想よ

りも刺激が強過ぎたようなので、しばらく静かに見守ることにした。

 

 

 

銀河連合女王ヒミコ無料お試しページ

山本昌輝

 

 はるか未来。六万人の観衆を集めたコンサートの帰り。トップアイドル歌手の白鳥ヒミ

コ(十八)は、彼女のマネージーの大和(やまと)武(二十三)が運転する車に乗って、事務所へ向

かっていた。高速に入った。車体が宙に浮く。リニアモーターカーにように疾走して行く。

「誰か追って来るわよ。ファンの子かしら?」

ヒミコはバックミラーに映っている白の流線形の車を見た。

「パパラッチかもしれませんね。振り切ってやりましょう」

大和はスピードを上げた。前方の車を何台も追い越して行く。しかし、尚も白の車が追跡して来る。しかも二台だ。天井には赤色灯が付いている。

「前の車、停まりなさい。銀河連合パトロール隊だ!」

「銀河連合パトロール隊? 大和さん、何か悪いことやった?」

ヒミコは大和の堀の深い横顔を見詰めた。

「いいえ。とにかく停まりましょう」

大和が銀色の車を停車させると、白の車が右横に停まった。中から黒の制服を着た男が出

てきた。サイドウンドーを軽く叩いたので、それを開けた。

「白鳥ヒミコさんですね」

男が身を屈め、低い声で聞いた。

「はい」

「銀河連合パトロール隊隊長の根岸です。あなたはテロリストに狙われています。安全な

場所にお連れしますので、こちらに車に移って下さい」

「ちょっと待って下さい。どうして私がテロリストに狙われなきゃならないんですか?」

「それは後で説明しますから、早く移って下さい。ここは危険ですから」

その時、目前に青白い閃光(せんこう)が走り、バンパーのすぐ前が爆破した。アスファルトの破片が

フロントガラスに当たって、ひびが入った。

「キャー!」

ヒミコは頭上に両手を上げて、身を縮めた。

「さあ、早く。そちらの方も早く」

「分かりました」

ヒミコと大和は白の車に移動した。その瞬間、銀の車が爆破し、炎上した。白の車は急発

進した。両側から翼を出し、飛行モードに切り換えて、青空へ上昇した。後方から黒の円

盤状の飛行物体が追尾して来る。何十発もビームを打ち込んで来る。白の飛行船は上下左

右に方向転換して、それを交わして行く。急降下する。黒の飛行物体もビームを発しなが

ら、追って来る。もう一機の白の飛行船がその後から襲撃した。黒の飛行物体は黒煙を上

げて旋回しながら落下した。

「どうして私の命を?」

ヒミコは自分の右横に座っている百九十センチ程の根岸に聞いた。

「白鳥様は近々銀河連合の総裁、いや女王に就任されるからです。その情報がテロリスト

にも流れたのです」

「冗談ですよね。私はまだ十八歳なんですよ。どうして私が?」

「ご存知の通りこの数年銀河連合は戦争が続いています。そこで銀河連合は新しい総裁を

選んで、平和を取り戻すことにしました。激論の末、戦乱の世を静めるには、カリスマ的

な女王を立てる必要があることになりました。今こそ()()(たい)(こく)卑弥呼(ひみこ)のような人が必要

なのです。それが卑弥呼の子孫でいらっしゃる白鳥様です」

「そんな。私が卑弥呼の子孫だなんて。第一、卑弥呼に子供がいたなんていう歴史書はな

いはずだと思いますが」

「白鳥様は自分の秘密をすべて日記に書かれますか?」

「すべては書きませんけど・・・・・・」

「それと同じく事実がすべて歴史書に書かれているとは限りません。ここで私がつべこべ

言うよりも、直接卑弥呼女王の霊に、白鳥様が自分の子孫であることを言って頂く方が早

いでしょう。これから卑弥呼女王の霊の下にお連れします」

「嘘よ。大昔の卑弥呼女王の霊がいるなんて」

「行けば、分かります」

根岸は厳つい顔に不適な笑いを浮かべた。ヒミコは寒気がした。卑弥呼の霊がいるなんて

嘘だ。私を騙そうとしているんだ。

 

 飛行船が大きなトンネルのような所に進入した。やがて巨大なドーム状の空間が現れた。

ドームの東西南北にあるゲートから、流線形の飛行体が離着陸している。どうやら航空基

地のようだ。飛行船が着陸した。ヒミコと大和は根岸の後に付いて行った。エレベーター

に乗り、下に降りた。地下一階から地下十三階まで行った。

 ドアが開いた。廊下は緑、壁は白、天井は半透明になっている。天井から照明の光が漏

れている。しばらく行くと、白い壁に突き当たった。根岸が右横の約三センチ四方の青い

所を右手で押した。前の壁が自動ドアのように左右に開いた。何と前方の壁面に縦約五メ

ートル、横約十メートルの大画面がある。そこには縦五列、横十一列の様々な色の電光が

点いている。

「何ですか、これ?」

ヒミコは大画面の迫力に圧倒された。

「霊コンタクトです」

根岸が緊張した面持ちで、直立姿勢になった。

「霊コンタクト?」

ヒミコは引っ繰り返った声を上げた。

「はい。このハイテク機器で霊と会話をすることができるのです」

「まさか」

「本当です。霊は電気を帯びています。接触をすれば、わずかに電圧を変化させることが

できます。この原理を応用して、銀河連合は霊コンタクトを開発したのです。あの画面を

よく見て下さい。電光が五十音表のように並んでいるでしょ。霊が画面の背後で各電光の

電圧を変化させて、音声に変換させるのです。試しに、これから卑弥呼女王に語って頂き

ましょう。卑弥呼女王、お願いします」

いきなり根岸は大画面に向かってひざまずき、お辞儀をした。ヒミコは生唾を飲んで、そ

れを見た。すると、電光の一部が連続的に強く光った。少し遅れて、清らからで厳かな

声が流れてきた。

 

 

 

探偵大学SP@ 美人教官に夢中運転お試しページ

                               山本昌輝

 ドアのノブがカチリと鳴る。待ち望んだ音に生唾を飲む。ドアがゆっくりと開く。その

陰から、ショートヘアで端正な横顔が覗くと、教室の中がパッと明るくなった。 紺のス

カートをふっくらと盛り上げているお尻を向けて、ドアを閉める。ストッキングの下の引

き締まった長い足が、教壇へと向かって行く。白い長袖のシャツの上に青いベストを着て

いる。左胸の白い名札が、柔らかい膨らみに付いている。その名札には、東和自動車教習

所、鈴木麗子、と書かれている。

 鈴木教官(二十五)が教壇の上に上がった。写真付きの教習原簿を見ながら、しっかり

とした声で十名の生徒の出席を取り始めた。

「野村さん」

俺は六番目に呼ばれた。でも、廊下側の一番後ろの席でうつむいて座ったまま、わざと返

事をしなかった。前回の四回目の学科教習で、鈴木教官は一回で返事をしなかった場合、

二回目はフルネームで呼ぶことを知ったからだ。

「野村勇次さん」

「はい」

俺は満足して顔を上げた。鈴木教官が少し厳しい目で俺と写真を見比べている。やがて、

目元を緩ませて、軽く頷く。他の誰よりも俺を見ている時間が長いような気がする。俺が

出席していることを、喜んでいるようにも見える。

 しかし、鈴木教官はみんなにそうしている。俺はちょっと落胆したが、そんな鈴木教官

がますます眩しく見える。薄い唇の下の歯並びのいい白い歯、鼻筋の通った鼻、淡く書い

た眉の下の利発そうな目、前髪のかかっていない広い額。

 もっと前に座れば、さらに鮮明に顔が分かるのだが、後ろの席の方が比較的目が合う回

数が多いので、ここに座っている。鈴木教官は一人に視線が集中することを避けるためか、

後ろのボードの方を見ている場合が多い。その時、自然と目が合うことがあるのである。

途端に恥ずかしくなりながらも、ヤッター、という気持ちになる。

 しかし、鈴木教官は普通通りの冷静な表情で授業を続ける。でも、大学までの先生とは

少し違うような気がする。知性に加えて、体育会系の活力に満ちているような気がする。

それは俺が鈴木教官をひいき目に見ているからかもしれない。あるいは教室が今までのよ

りも狭いので、陽光が満ち溢れ、鈴木教官の顔を輝かせているからかもしれない。

 いずれにしろ、俺は鈴木教官に引かれている。鈴木教官は俺のことをどう思っているん

だろうか。単なる生徒の一人としか見ていないんだろうか。西都大学社会学部二年の二十

歳の学生としか見ていないんだろうか。それとも、他のおやじよりは格好いいと思ってい

るんだろうか。俺は回りを見回して、ニヤッとした。

「野村さん、聞いてるの? 信号待ちしている時の心構えは」

俺は鈴木教官の軽い言葉の鞭に快感を覚えつつ立ち上がった。

「はい。正面の信号、前方や後方の車、自転車、歩行者などの動きを観察しながら、次の

行動を組み立てます」

「そうね。よそ見して、ニタッとしてちゃ、ダメよ」

「はい」

回りから笑いが起きた。俺は頭をかきながら座った。俺を斜めにらんだ鈴木教官のかわい

らしい顔が、頭の中に残る。これで鈴木教官も俺のことが印象に残っただろうか。次回の

授業の時は、写真と簡単に照らし合わせるだけで分かってくれるだろうか。学科教習は二

時限、技能教習は一時限しか鈴木教官の授業には出ていないから、まだそれは無理かもし

れない。でも、これから徐々に知り合いになりたい。

 

 授業が終わった。鈴木教官が澄ました顔で教室から出て行った。俺も廊下に出た。鈴木

教官が二階から一階の事務室へ向かっている。俺も下に用事があったので、後を追う形と

なった。回りにも人はいたが、百六十五センチ程の鈴木教官の後ろ姿だけが鮮明に見える。

用事があるのは言い訳で、単に後を付けているだけなのかもしれない。

 階段の途中、鈴木教官が授業中に手を拭くのに一回だけ使った白いハンカチが、ベスト

のポケットから落ちた。俺は階段を降りて、踊り場でそれを拾った。すぐに渡そうと駆け

降りたが、鈴木教官の引き締まった腰の動きを見ているうちに、歩くスピードが遅くなっ

た。声をかければ渡せたが、それをしないまま、事務室に入るのを見送った。

 慌てる必要はない。帰りまでに渡せばいいのだ。その後も渡す機会は何度もあったが、

ついに今日の鈴木教官の退勤時間まで、あちこちで時間を潰して待つことになった。

 

 午後五時、鈴木教官が白いコートを着て、玄関から出てきた。三月の冷たい風に一瞬肩

をすぼめて、足早に愛車へと向かって行く。俺はスクーターに跨がり、スモークのシール

ドのヘルメットを被った。

 これからやろうとすることは、ストーカーではない。鈴木教官の自宅までハンカチを届

けに行く親切行為だ。俺が所属する大学のミステリークラブでもまだ実行したことのない

追跡行為の練習だ。

 しかし、これはどう弁明しても、ストーカーには違いない。けれど、何日もしつこく付

け回したり、危害を加えたりするつもりはない。ちょっとだけ、制服を脱いだ鈴木教官の

日常生活を覗いて見たいだけなのだ。

 鈴木教官が白のセダンを発車させた。俺もスクーターのスタートボタンを押した。車は

西東京から、富士街道を直進して行った。しばらくしてから右折し、練馬の石神井台の

アパートの前で停まった。午後五時十五分だ。

 鈴木教官が車から降りて、新築の八人入りのアパートの階段を登り、202号室に入っ

て行った。路上駐車したままなので、また出て来る可能性が高い。着替えをして、友達の

家へでも行くんではないだろうか。ひょっとしたら、デートをしに行くかもしれない。俺

はわくわくしながら、電柱の陰から、階段を見張った。

 午後五時二十四分、鈴木教官が黒のハンドバッグを右手に持って、階段を降りてきた。

さっきまでの白いコートの代わりに、襟元に黒い毛の付いたファー襟の黒のコートを着て

いる。コゲ茶のロングのスカートから、黒のパンツに変えている。化粧は変えていないが、

モノトーンの服装からか、ずいぶんと大人っぽく見える。明らかに教習所での鈴木教官と

は違う。これは何かある。俺はますますこの先を探ってみたくなった。

 鈴木教官が再び車に乗り込んで出発した。俺もスクーターで追いかけた。車は西武池袋

線の大泉学園駅の方へ向かっている。踏切を乗り越えて、午後五時三十五分、東大泉の車

場で停止した。

 鈴木教官がハンドバッグを持って、車から出て行った。俺もスクーターを駐車場に止め、

ヘルメットを座席の下に仕舞ってから、後を付けて行った。日が沈んで、辺りが薄暗くな

っている。それに反して、街角は街灯や店先から漏れる光で映えている。その夕闇の繁華

街に鈴木教官の姿が溶け込んでいる。何か夜の女という感じだ。俺は嫌な予感がしつつ後

に続いた。

 その予感が的中した。午後五時三十八分、鈴木教官はクラブの裏の通用口から入って行

った。俺は後頭部を鈍器で殴られたぐらいのショックを受けた。鈴木教官はそこでホステ

スをしているかもしれない。何もホステスが悪いと言っているのではない。副業をしてい

れば、それがまずいと言っているのである。教習所の指導員はサイドビジネスは禁止され

ているはずである。それがばれれば、首になるに違いない。

 しかし、クラブに入ったからといって、ホステスをやっているとは限らない。友達に会

いに行っただけかもしれない。それにしても、もう十分も経過している。着替えや化粧を

しているんではないだろうか。早々とそれを終えて、妖艶な姿で接客をしているかもしれ

ない。耳がカーと熱くなった。

 午後六時、まだ鈴木教官は出てこない。俺はもうじっとしていられなくなった。思い切

って中に入り、確かめてみよう。午前中に親からの仕送りの十二万円を下ろしたばかりだ

から、金銭的には問題はない。服装的にも、紺のジャンパーを脱げば、問題はない。エン

ジのセーターにグレーのジャケット、グレーのズボンに黒の革靴という出で立ちだ。後は

容姿だ。髪は短く七、三に分け、細長い顔をしている。百八十センチの長身が店内に入れ

ば、意外と大人の雰囲気を醸し出すかもしれない。

 

初めて俺はクラブに入った。ドアを開けたのはいいが、ほの暗い店内のどこを行けばい

いのか分からず、たじろいでしまった。そこへ白いワイシャツの上に黒のベストを着たボ

ーイが寄ってきて、案内してくれた。

俺は白い壁際の半四角形に並べられたゴゲ茶のソファーに着いた。すると、早速愛嬌の

ある二人の若いホステスが、馴れ馴れしく両脇に座った。ホステスは気軽に話しかけなが

ら、透明なテーブルの上で水割りを作ってくれた。

 俺は電車の中であった出来事を話して、ホステスを笑わせた。時々回りを見回して、鈴

木教官がいないかどうかを確かめた。いないと分かって安心した途端、奥の方から、天井

の回転したスポットライトに当たりながら、鈴木教官が笑顔で歩いてきた。俺は水割りの

氷を背中に入れられたようにゾクッとした。

 鈴木教官は右斜めの席に座った。僕は咄嗟に体を左側にずらした。それでも、様子を見

たいので、横目で鈴木教官を伺った。鈴木教官はベージュのセーターの上にピンクのジャ

ケット、膝が少し出るぐらいのピンクのスカートを着ている。金のイヤリングとネックレ

スをしている。赤い口紅や青のアイシャドーなどをして、厚化粧をしている。教習所では

見せたことのないような色っぽい仕種で客と談笑している。赤いハイヒールから斜めにす

らりと伸びた足の膝の上には、パンティー隠しの白いハンカチが置かれている。

 俺は生唾を飲んで、ズボンのポケットの中に仕舞っていた鈴木教官の白いハンカチに手

を忍ばせた。もしかしたら、このハンカチもパンティー隠しのハンカチかもしれない。手

の平からはみ出さないようにハンカチを丸めて、唇を拭く真似をしながら、そっと匂いを

嗅いでみた。チョークの匂いがした。

 突如、誰かが後ろから、俺の右肩を軽く叩いた。振り返ると、鈴木教官が立っていた。

ビクッと体が震えた。心臓が止まるかと思った。

「ちょっと、こちらへ」

鈴木教官が手招きをした。俺は言われるままに立ち上がった。ここまで付け回してきたこ

とに対して、説教されるかもしれない。口止めされてから、追い出されるかもしれない。

ドキドキしながら、付いて行く。いい香りの香水の匂いに包まれる。やはり教習所での鈴

木教官とは違う。そこでの鈴木教官は生徒に匂いが付くのを配慮して、香水は付けていな

い。今はホステスに成り切っている。観葉植物の前で止まった。

「ごめんなさい。俺、誰にも言いませんから。秘密にしますから」

俺は鈴木教官の前で頭を下げた。鈴木教官は右手の人指し指を立てて唇に当てた。俺はそ

のシーという合図を上目使いで見て頷いた。

「事情を話すから、裏口で待っていてくれる?」

鈴木教官が俺の耳元でささやいた。

「はい」

鈴木教官が左目でウインクした。ライトで輝いている左頬が、つまみたくなるぐらいかわ

いらしくキュッと上に上がった。俺は、何でも言うことを聞きます、という気持ちになっ

た。クラブを出て、裏口近くの物陰で鈴木教官が出て来るのを待った。

 

 午後六時二十分、鈴木教官が裏口から出てきた。突然、黒のセダンが近付いてきて、助

手席のドアが開いた。

「キャー、助けて!」

鈴木教官が無理矢理引き込まれた。黒のセダンが急発進した。

「待て、この野郎!」

俺は怒鳴って追いかけた。誰だ、あいつは。どうしてあんなことをするんだ。鈴木教官が

何をしたっていうんだ。疑問が激しく渦を巻く中、必死に走り、駐車場に停めて置いたス

クーターに乗って追跡した。

 

 

 

 

 

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覆面探偵] 2美術教師殺人事件

                              山本昌輝

 

「火事だー!」

光栄高校グランドの右側にある物置小屋が炎を上げている。体育館でバスケットボールの

授業を受けていた東馬たちも、運動靴のまま外に出た。教師や生徒たちが懸命に消化器で

火を消そうとしている。しかし、火炎は衰えることはなく、壁や柱や屋根を焼き落として

行った。

 六分後の午後一時五十分、消防車やパトカーが到着したが、すでに物置小屋は黒こげの

残骸となっていた。まだ白い煙が立ち昇る中を、警察の現場検証が開始された。

「死体です!」

鑑識係の一人が叫んだ。周りがどよめき、緊張感が一気に広がった。黒く焼け崩れた死体

が、真ん中程にあった。外見上からは身元は判別できない。斉藤警部補は死体の側から、

ベルトの金具のような物を拾い上げた。

「誰かこれに見覚えのある人はいませんか?」

斉藤警部補はそれを上げて、見せて回った。

「ああ、それは前川先生の物です」

「あなたのお名前は?」

斉藤警部補は首から笛をぶら下げたジャージ姿の男を見た。

「体育教師の木村哲也です。それは美術教師の前川純一先生のベルトの金具です」

「ずいぶんと詳しいんですね。どうしてそれを?」

「一度自慢気に見せられたことがあったんです。恋人にもらったとかで」

木村(四十三)はベルトの金具をチラッと見てから、悲し気に目を伏せた。

「そうですか。今日、前川先生は出勤されてますか?」

「いいえ」

「どうやら死体は前川先生と見ていいようですね」

「はあ」

木村は頭を垂れた。生徒の中から、どうして前川先生が、といような驚きの声があちこち

から上がった。東馬は焼け跡の奥の方にある黒く盛り上がった物を見て、こう疑問に思っ

た。

(おかしい。どうしてあれがあんな所に。これは何か裏があるかもしれない。調べなきゃ)

放課後、東馬はあることについて生徒に聞き回った。