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生き直し

 

山本昌輝

 

藤原秀造の一周忌が藤原家の十畳の客間で行われている。秀造は一年前の八月十四日、

胃ガンのため、病院のベッドで永眠した。享年七十であった。初老の僧が仏壇の上の遺影

の前に対座している。秀造の親族十二名が僧の背後に二列になって座っている。

仏壇にはキキョウやオミナエシなどの精霊花が飾っている。そうめん、団子、果物、野

菜なども供えている。その中にはキュウリやナスビに割り箸の足を付け、トウモロコシの

毛を尾に見立てて後ろに付けたりして、牛や馬の形を作っている物もある。そうするのは

盆には精霊は馬に乗り、牛に荷物を背負わせて現世に帰って来る、と伝えられているから

である。

秀造の妻佳代は僧の右後方に座っている。正座している足の上に両手を重ねて載せて、

冷たくなってしまいそうな自分の手を平常に保たせるために、時々それを擦り合わせた。

六十五歳になる佳代のひからびた両手の摩擦音が、物悲しげに聞こえる。やがてそれは読

経の中に静かに消えていく。

佳代は首を少し曲げ、大きな目を半開きにして、線香の煙を見ている。煙は初めは濃い

尾を引いてスーと上昇していくが、途中でよじれる。そして、次第に透明度を増し、いつ

の間にかはかなく空中に霧散していく。佳代はそれが火葬場の煙に見えて、目頭が熱くな

った。目前の秀造の遺影までもが火炎に包まれている幻覚を見て、慌てて目を擦り、在り

し日の姿を凝視した。

それは秀造がまだ四十代前半の時に撮った写真だった。黒々とした髪は光を照からせて、

オールバックにしている。細面の精悍な顔をさらに引き締めている太い眉の下の意志の強

そうな目が優しく微笑んでいる。

佳代はそれを見ているうちに、秀造の生前を思い出した。秀造は自分勝手な人だった。

何でも自分の言っていることが正しいと思い込み、佳代の意見を聞こうともしなかった。

佳代は自分が秀造のために、炊事、洗濯、掃除だけをしている家政婦に思うことがしばし

ばあった。秀造が死んだら、さぞかしせいせいして、羽を伸ばせるだろうと思った。

現に秀造と同じような夫を持った隣のおばあさんは、夫の死後、青春を取り戻すんだと

言って、ゲートボールで知り合ったおじいさんと残り少ない人生を、旅行などして気まま

に楽しんでいる。佳代もその日を密かに待ち望んだ。

しかし、秀造の死後、佳代はそんな気持ちにはなれなかった。日増しに寂しさが募り、

秀造の存在の大きさをかみしめた。虐げられた生活の苦しみが甘美な思い出となり、懐か

しくなる。もう一度秀造が自分の前に現れて、怒鳴り声を上げる姿を夢見る。くそジジィ、

と悪態を付きながらも、命令に従っている自分を取り戻したくなる。

けれど、最近はそれを空想する場さえも破壊されつつある。秀造没後、家の中の雰囲気

が微妙に崩れ、透明な断層ができたからである。同居している嫁の態度が大きくなったよ

うに思われる。家族が自分の生活空間を侵食し、最後には自分を家から排除しようと企ん

でいるのではないかと疑う。

佳代は単調なお経を聞いているうちに、意思が遠くなった。今ここにいながらここにい

ないような、まるで現世から他界に足を踏み入れている気分になった。そのためか、佳代

は窓にかかっているレースのカーテンから差し込んでくる陽光を、感じることができなか

った。ただ佳代の目の前には、棺の中の暗闇が無限に広がっているだけだった。

次第に佳代はお経の音響が、死の世界ですすり泣いている秀造の声に聞こえてきた。また、

秀造がその世界に自分を誘惑しているささやきにも思えた。佳代はお経の音律を秀造の声

と重複させていたので、久し振りに夫の声を聞いている気になり、恍惚の状態になった。

突然、佳代は魂が略奪されたかのようにふわりと倒れた。親族は驚愕して佳代に近付いた。

佳代は安らかな顔して、仰向けになっている。佳代の次男の茂男(四十五)が佳代を揺すっ

たが、何の反応もない。慌てて救急車を呼んだ。この時、すでに佳代の魂は次のような超

現実的な世界を彷徨していた。

 

あたりは夕暮れのような薄暗さである。白い螺旋階段が天上に向かって伸びている。霧

が階段をはうようにして、ゆっくりと上へ流れている。佳代は霧に後押しされながら、恐

る恐る階段を上って行った。

ふと佳代は下界を見下ろした。僧の後方には親族が座り、秀造の一周忌が行っているの

が見えた。親族を見た時、背筋にゾクッと悪寒が走った。なぜなら、彼らの目はみんな頭

の後ろに付いていたからである。誰一人として目前の秀造の遺影を見ている者はいない。

佳代はなぜそういう現象が発生したのか分からなかったが、とにかく彼らを嫌悪した。そ

して、もう自分が住む場所は天界しかない、と思い込んで、自発的に螺旋階段を登った。

もし、これが天国への階段なら、こんなに嬉しいことはない。秀造にも会えるし、長男

の徹にも会える。徹は六歳の時、遊んでいる途中、川に溺れて死んだ。どうして側にいて

やらなかったのか、悔やんでも悔やみ切れない。徹に会えるなら、あの世でもどこでも構

わない。

頂上に着くと、そこには黒色の厳かな扉があった。佳代は二人に会えることを期待しな

がら、それを静かに少しだけ開けた。すると、あっという間に白煙がその隙間から流れて

きて、佳代の足元を取り巻いた。佳代は慌てて扉を閉めたが、またわずかに開けて、中の

様子を伺った。