邪馬台国軍事機密工房お試しページ
山本昌輝
緩やかな山の稜線に黄色い光が差してくる。横に広がった黒ずんだ雲の下辺にも薄くか
かった白い雲にも黄色味が帯びてくる。上空の暗闇がいつの間にか消えて、明るくなって
いる。緑豊かな風景が姿を現す。クヌギの小枝から、夜明け前からも鳴いていたセミの鳴
き声に重なって、鳥のさえずりも聞こえる。小道の両側の草が、生ぬるい風に揺れている。
遥か前方の高台から、白い煙が立ち上がり、斜めに傾いている。
邪馬台国の住人が朝餉の準備を始めたのであろうか。紅林(三十一)は生唾を飲んだ。
魏の洛陽から過酷な旅路を経て、今やっと邪馬台国の領内に入ろうとしている。倭に渡っ
た青銅器、鉄器工人の父の遺言とはいえ、一度は倭をこの目で見たいと思っていた。洛陽
から長い陸路を経て、帯方郡に着いた時、邪馬台国の女王である卑弥呼の使者の難升米
が滞在していることが分かった。面会に行ったが、無下に断られた。難升米は何の目的
で渡来したのかを調べた結果、狗奴国との争いの件で相談しにきたことが判明した。それ
ならば、こっちの訪問の目的を言えば、受け入れてくれるかもしれない。
再び難升米が逗留している所に行った。彼の部下に、通訳を介して、自分は父の遺言
で邪馬台国に技術を供与するために行く。軍事力増強につながると思う、ということを言
った。難升米が切れ長の目を輝かせて出てきた。背は低いが、肩幅が広くてがっしりと
している。自分が鉄器作りの話をすると、軍の指揮官である難升米は通訳をせかすほど
興奮してきた。最後には自分の手を両手で握って、ぜひ我が国の工人に秘伝を伝授してく
れ、と頼んだ。自分は喜んで引き受けた。こうして、難升米一行総勢十名の中に加わり、
邪馬台国を目差した。
邪馬台国の外堀が見えてきた。幅は約十メートルある。難升米によると、深さは約三
メートルあるという。堀の内側には高さ約二メートルの丸太で作られた柵が、堀を囲むよ
うに長々と続いている。柵の内側には横約五メートル、床高約六メートル、高さ約十二メ
ートルの物見をする楼観がある。楼観は各地点にあるという。屋根はカヤでふいていて、
四方に斜めに傾いている。壁はなく、六本の太い柱とその上中下に横に渡った板でできて
いる。一番上の板の上が高床になっていて、その周りには細い板製の手すりがある。
高床の上には二人の男の見張りがいる。白い布を頭に巻いている。髪を両耳の所で束ね
て結んでいる。両頬には動物の絵か何かのような入れ墨がある。難升米も最初に魏に行
った時は顔に入れ墨をしていたが、役人に笑われたので、今回は止めた、という。見張り
は肩から横幅の広い白の布をかけて、腰に回して止めた服を着ている。右側の見張りがこ
っちの方を見ている。すでに一行には気が付いているのだろう。そして、堀の外側の入口
に竹のヤリを持って立っている二人の兵士に何だかの方法で一団がきたことを伝えたので
あろう。
腰に剣を下げている二人の裸足の兵士は、ヤリを少し前に傾けて、こっちの方をにらん
でいる。敵でないことを確認したからか、彼らは背筋を伸ばし、ヤリを真っ直ぐ上に向け
た。先頭の難升米が近付くと、両手を打って鳴らし、ひざまずいてお辞儀をした。彼は
胸を張って通り、堀にかかっている三枚の板の橋を渡って行った。敵が襲ってきた時はそ
れを取り外す、という。一行は彼の後に従った。堀の内側の入口にいる二人の兵士も彼を
見ると、両手を打ち、ひざまずいてお辞儀をした。紅林は自分も偉くなったような気分で
通り過ぎた。
堀の内側には水田地帯が広がっている。稲穂が少し垂れて、風でかすかに動いている。
白い服を着た人が遠くの田んぼの畦を下向きで歩いている。砂利と土でできた小道を歩い
て行くと、左手に四方に傾いている屋根をススキで作った民家が見えてきた。入口から、
中年の女が出てきた。髪は後ろで束ねて、折り曲げて二重にしている。首と両腕の所が開
いた白い布製の服を着ている。彼女は難升米を見ると、サッと道端に退いてうずくまり、
両手を道に付けた。紅林は、もういい、と言ってやりたくなったが、黙って彼の後に従っ
た。
しばらくすると、また堀が見えてきた。今度のは幅約七メートル、深さ約三メートルあ
る、という。外堀のと同様に楼観の前には柵がある。二人の見張りの兵士が前と同じくお
辞儀をする横を通り、三枚の板の橋を渡って中に入った。畑が広がっている。麻、麦、粟、
稗、豆などが植えられている、という。桑畑もあり、蚕を育てて、糸を紡いで、それを
織って、麻布や絹織物を作る、という。紅林は赤、青、黄色の絹の織物で身を飾った卑弥
呼の姿が目に浮かんだ。早く会いたい、という思いがますます強くなった。長旅の疲れを
忘れ、足取りが軽くなった。
民家が次第に多くなってきた。屋根をカヤで葺き下ろしにしている家だけではなく、カ
ヤやススキや板で壁を作っている家も見えてきた。家は領内に七万余戸もある、という。
まだほんの一部分しか広大な邪馬台国を見ていない。これからどんな人物や物に遭遇する
のかと思うと、わくわくしてきた。人の数も多くなってきた。相変わらず彼らは難升米
を見ると、ひざまずいてお辞儀をした。難升米が知り合いの男に声をかけた時、彼は、
おお、という返事をした。目上の者にこの返事は失礼のような気もするが、これは、かし
こまりました、という意味だと知ると、頷くと同時におもしろくなった。
またしても堀が見えてきた。幅六メートル、深さ約三メートルあり、最後の堀だ、とい
う。柵の内側の楼観にいる見張りと堀の外側の入口にいる兵士が、それぞれ二人から四人
に増えて、より厳重になっている。兵士がひざまずいてお辞儀をする中、内側に入って行
った。家の密度が高くなっている。草壁よりも板壁の方が多い。高床式の倉庫も見える。
人通りも多くなっている。白の服の方が多いが、赤、青、黄の色の付いた服の割合も増え
ている。歩くに従って、邪馬台国の中心部分に近付いている実感が沸いてくる。
先がヤリのように尖った高さ約二メートルの城柵が見えてきた。城柵の内側の高さ約十
二メートルの楼観よりもさらに高い建物の屋根が見えるが、あれが卑弥呼の宮室であろう
か。黄金に染まった空を背景に威風を放っている。城柵の入口には六人もの兵士がいる。
六人の兵士は難升米を見ると、ひざまずいてお辞儀をした。しかし、そのうちの一人は
すぐ立ち上がり、板製の頑丈そうな扉の奥に消えた。入場の許可を取りに行ったに違いな
い。今までは簡単に通過することができたが、初めて足止めを食った。本当に中に入るこ
とができるのであろうか。卑弥呼はめったに人前には姿を現さない、という。そんな厳格
な女王が単なる一介の工人に会って、話を聞いてくれるだろうか。このまま追い返される
のではないのか。時間が経つに連れて、不安が高まって行った。
やっと扉が開いて、誰かが出てきた。何と難升米が手を打ってひざまずいてお辞儀を
している。今まではされるがわだったのに、誰なんだ、あの人物は?