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| No.141 | ★★★ | 2002/07/13 Sat |
ザ・ブランド ナンシー・ケーン 翔泳社 (2) 2001/11/13 |
世紀を越えた起業家たちのブランド戦略前回の書評を「総論」とすれば、今回の書評は「各論」に当たるものです。 書かれている順序で、6人の起業家についてと彼らが創業した会社がいかにして「ブランド」になりえたかについてご紹介しましょう。 (1)ジョサイア・ウェッジウッド (2)H・J・ハインツ (3)マーシャル・フィールド (4)エスティ・ローダー (5)ハワード・シュルツとスターバックス (6)マイケル・デル (1)ジョサイア・ウェッジウッド この本を読むまで、私にはウェッジウッドはロイヤル・コペンハーゲンやマイセンなどの高級陶磁器メーカーの1つという認識しかありませんでした。 ジョサイア・ウェッジウッドに、18世紀の起業家とは思えないほどの先見性を持ち合わせていたことは驚くべきことでした。マーケティングや労働力の組織化に力を入れ、生産管理や財務の重要性を認識し、いち早く実行に移していたことです。 <顧客のロイヤルティ(支持・愛用)を得て、それを維持するために、参考になる先例はほとんどなかった。そこでウェッジウッドがとった対策の1つが、自社ブランドを計画的に構築することだった> <ウェッジウッドは、清潔な環境と慎重な労働習慣を奨励するため、詳細にわたる「陶工への指導書」と「規則と規律」を作成した> <ウェッジウッドにとってもっとも重要だったのは、固定費と変動費の違いを把握できたことだった> <一部の装飾品の生産工程を長くし、市場が低迷しているときは在庫を減らし、販売・マーケティング経費の念入りなチェックも行った> こうした指摘は著者の卓見のなせる技かもしれません。 (2)H・J・ハインツ ハインツについてもキャンベルと同様な食品加工メーカー程度の認識しかありませんでした。 ハインツは一度自己破産というつらい体験をしています。その時に感じたことを書き残しています。 <私は人間の本質を知った。人間とは、友達というにはほど遠い存在であることもわかった。友達というものは、自分に迷惑がかからない限り、あるいは犠牲になるものが何もない限り、表面上は友達でいるものなんだ。私にはとても信じられなかった> ハインツも「ハインツ」ブランドを強力なツールとして活用しようとしました。 <ハインツ製品は、健康にいい、愛情がこもっている、滋養がある、品質が一定しているといった、ほとんどの人が認める自家製食品の価値と結びつけようとした> 注目すべき点は、ハインツ自らが自社商品を売り歩く<社内でもっとも腕のいい、もっとも広範囲を旅して回ったセールスマンだった>ことです。 (3)マーシャル・フィールド 米国百貨店で、私が見聞きしたことがある名前はメーシーズやウールワース、ノードストロームなどしかなく、マーシャル・フィールズ(百貨店名)についてははじめて知りました。 マーシャル・フィールド(起業家)も強いブランド(この専門用語を使ったことはなかったそうですが)を確立することが差別化に大きな力になることを認識していました。 <フィールドたちは、輸送・通信革命の需要サイドにうまく対処するには、自社の評判を慎重かつ巧みに作り上げることが不可欠であることに早くから気づいていた。効果的なブランドは、同社を中西部市場の競合他社と差異化する力になるはずだ。そうして消費者のロイヤルティを得たブランドは、会社を過剰な価格競争から守ってくれるだろう。同じく重要なのは、強いブランドというものは、取引したい潜在顧客とそうでない潜在顧客をはっきりさせ、ターゲット市場を明確化する一助になることである> フィールドが優れていた点は、現在どの業界においても重要な指標の1つである「商品回転率」(売上高/平均棚卸高で表し、何回転したかを見る。その数値が大きければ大きいほど入荷した商品がより早く売れ、不良在庫が少ないことを示す)の重要性に気づいていたことです。 <在庫の回転が早まれば早まるほど、会社は金融資本を効率よく使っていることになる、とフィールドは気づいたのだ。また回転率は、自社が消費者の需要をどれだけ正確に予想し、効果を与えられたか(特に広告された商品の場合)を測る尺度になることもわかっていた> マーシャル・フィールズに関して特筆すべきことは、CS(=customer satisfaction、顧客満足度)を重要なサービス基準としていたことです。 <「満足しなかった場合には、購入した商品は当社の送料負担で返金できる」ことを顧客に約束したのである。満足しなかった顧客は、即座に代金を払い戻されるだけでなく、商品を買ったときと同じように丁重に扱われた> <顧客は気に入らなかった商品をいつでも返品できることから、同店の販売員は押しの強い売り方をしなかった。これはフィールズの丁重なサービスという評判をいっそう高める結果になった> (4)エスティ・ローダー エスティ・ローダーに関しては化粧品メーカーの1つ程度の認識しかありませんでした。 著者はエスティ・ローダーという個人名自体が作られたものであることを述べています。 <エスティ・ローダーが命名したのは、香水だけではなかった。彼女はなんと、自分自身にも名前をつけている。ヨーロッパ的な響きの「エスティ(Estee)」は、以前使っていた「エステル(Esther)」「エスティ(Esty)」といった一連の名前から進化したものである。ローダー(Lauder)」は結婚後の姓だが、本来は「ラウター(Lauter)」だった> 著者は化粧品の歴史に触れています。 <化粧品の歴史は古く、その起源は少なくとも5000年以上も昔にさかのぼる。古代エジプトでは、男女とも目に化粧をし、香油をつけ、肌に軟膏を塗っていたことが、考古学の調査で明らかになっている> エスティ・ローダーは、自分の貧しい子ども時代が明らかにならないように気を使いました。その理由は、商品のイメージを損なわせないためでした。 <自分のビジネスと名声が広がるにつれ、彼女は貧乏な子ども時代のことがばれないよう気をつかった。(中略)アーデン(エリザベス・アーデン)と同じくルビンスタイン(ヘレナ・ルビンスタイン)も、ヨーロッパの裕福な家庭の生まれだと言っては、自分の生い立ちを隠した> エスティ・ローダーは先進性も持ち合わせていました。出店先を高級百貨店に的を絞ったり、男性化粧品市場に参入しています。 <エスティは、ターゲットをサックス・フィフス・アベニュー、ニーマン・マーカス、ブルーミングデール、マーシャルフィールズなど、商品をクレジットで販売する少数の高級百貨店に絞ったのである> <洗練された広告キャンペーンや広範なプロモーションの支援によって、消費者の関心を集め、男性用高級トイレタリー市場拡大への道を切り開いた> (5)ハワード・シュルツとスターバックス この項だけが、起業家(正確にはシュルツはスターバックスの創業者ではありませんが、スターバックスをまったく新しい会社に作り変えたという意味で起業家です)とブランド名が一致しません。 以前に2回にわたって書評を掲載しましたのでもう一度ご覧ください。 No.119 No.120 (「スターバックス成功物語」(1)(2) ) ここでは「スターバックス成功物語」には書かれていないことに絞って内容をご紹介します。 歴史家として、著者はコーヒーの歴史に触れています。 <コーヒーは、1600年代はじめにオランダとベニスの商人によってヨーロッパに伝えられ、一躍人気が高まった。(中略)18世紀になると、イタリア、英国、オーストリア、フランスでコーヒーハウスが繁盛し、政治や文学を論じ合う場として人気を集めた。(中略)18世紀の北米の人々は、コーヒーも紅茶もよく飲んでいた。当時は紅茶の方が好まれていたようだ> どのようなものだったかすっかり忘れていた「ボストン茶会事件」についても述べています。 <植民地ボストンの市民が英国政府の経済政策に抗議して、停泊していた英国船を襲撃し、積み荷の紅茶を海に投げ捨てた事件を境に、コーヒーの人気が一躍高まったという。この1773年に起きた「ボストン茶会事件」以降、愛国心にかられた多くのアメリカ人が紅茶を飲むのをやめた> ハワード・シュルツが秀でている点は、次のようなことです。 <彼(ハワード・シュルツ)もまた、スペシャルティコーヒーは「コーヒーがわかる通の飲み物というイメージを改め、一般の人がもっと気軽に飲めるようにしなければならない」と思っていたからである> <彼(ハワード・シュルツ)は、客や従業員の意見を聞き入れ、そして店の運営方針の多くを変更した。(中略)しかし、一部の要求は頑として受け入れなかった。たとえば、当時、バニラ、ヘーゼルナッツなどの風味を加えたコーヒー豆の市場が急成長していたが、同社はそれらの豆で入れたコーヒーを売ることは頑として拒んだ。そんなことをすれば、質の高い本物を販売するという同社の方針が崩れ、結果的に、育ちつつあるブランドのイメージを傷つけることになるからだ> <1996年の終わり頃には、スターバックスは米国で最も有名なスペシャルティコーヒー・ブランドになった>が、シュルツは満足していません。 <「世界中の大人たちが、毎日およそ2杯のコーヒーを飲んでいる。そのほとんどはあまり品質がよくない。スターバックスが不朽の世界ブランドを確立するチャンスは、信じられないほど大きい」とシュルツは言う> シュルツの次の言葉はじっくりと考える機会を与えてくれました。 <ロマンも夢もない会社には魂も精神もなく、社員に何か偉大なことを成し遂げようという気にさせることなどできない。しかし、会社の成功はアイディアだけでは長続きしない。起業に夢を賭けた人の多くは指導者になれずに失敗した。経営のかじ取りができなかったからだ。創造的なアイディアを実行に移し、起業家が描いたビジョンを実現するには、事業戦略、システム、規律と能率の基盤を固めておかねばならないのだ> (6)マイケル・デル デルについても以前に書評を掲載しましたので、合わせてご覧ください(デルの革命)。 マイケル・デルには子どもの頃からパソコン(PC)に慣れ親しんでいたという素地がありました。 PCを分解し、組み立て直すことによってPCの構造を深く理解していました。テキサス大学に入学すると、PCが今後主流になることを予感し、人よりも早く事業を立ち上げることがPC業界で成功するための絶対条件であると確信するに至りました。そのため両親の反対を押し切り大学を中退し、PCのダイレクトマーケティングに手を染めました。 その後のデルの快進撃とPC業界で確固たる地位を築いたことはご存知のとおりです。 デルもすべてががうまくいったわけではありません。しかし、失敗から学び、二度と同じ失敗をしないように解決策を考え、すばやく実行してきたことがその後の成功を導きました。 過剰在庫に頭を悩ませ、在庫処分に苦心した経験から「ダイレクト・モデル」を構築しました。今では当たり前になったインターネットによる直接販売を開始したのです。 <第三者に頼らずに顧客層を広げる新たな方法も模索した。その1つが、「インターネット」を利用して製品をエンドユーザーに直接販売する方法だった> <21世紀はじめまでに、同社のオンラインでの売上げは、1日平均4000万ドルを越えるまでに成長した> <いまもなお続くダイレクト・モデルの成功には、マイケル・デルたち経営陣の、失敗の原因を理解し、それを修正し、そこから学んだことを社内で新たに実戦する能力が不可欠だったからである> デルの成功には、マイケル・デルにはPCがこれから主流になるという先見性と顧客から情報を得て、新たな情報を顧客にフィードバックするという姿勢が常にありました。 <ビジネスで業績を上げ、それを維持するためには、需要サイドの動向を把握する高い能力が必要である。(中略)そして、理解したことを、消費者との強いつながり、強力なブランドとビジネスモデル、それらのきわめて重要な資源を支える組織の強化に生かしたのである> 今回は異例な長さの書評になりました。 <まとめ> この本は「歴史」の重要性を再認識させてくれる本であり、「ビジネス書」は面白い本であるという典型例です。 私が探求している「『本当に役に立つ』ビジネス書をご紹介します!」というテーマにぴたり当てはまる本です。 ぜひ、お読みください。 |
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