佐渡の泥人形達
近代の頃民衆のなかで
飾り雛と云えば土雛の事で、祝い事の時には泥人形が飾られた。
金襴の着物を纏った雛などは、この土地に無縁なものであったと思われる。
佐渡では八幡町の泥人形が有名であった。

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 小木の土産物屋に飾られた新作の泥人形達

一時は途絶えた泥人形も、最近に作りだす人もいて、土産物屋の店先に並べられたりしている。
泥人形などという玩具、土産物といえども永い間作法が継承されていけば伝統工芸などと云われ、皆の鑑賞に堪えるものになっていく。
写真のショーウィンドウにある人形達は、一度途絶えた後、新たな作り手が手探りで作り出した現代の人形達。
最初のサブ・ブロックに写真のある「宿根木」の博物館には、近世から近代の頃の古い泥人形達が沢山収蔵されているが、これら古い泥人形達の持つ「自信」の様なものは、民衆の生活に根ざして存在出来た事への誇りのようなものだろうか。


 長木の泥人形、福助

佐渡で古来から泥人形を作っていたのは八幡町という場所である。八幡は真野町と河原田町の中間にある、海に沿い小木街道に面した集落である。
全国的に見て泥人形は屋根瓦の副産物として作られる場合が多いが八幡も同様である。

写真は最近風間が佐渡から持ち帰った河原田町、長木の泥人形の「福助」、長木は八幡の隣村、この邪気に満ちた顔はだれが描いたものであろうか。
泥人形についての文献「佐渡の郷土玩具」で著者、山本修之助が長木人形について書いた一節、
「長木の泥人形は大抵、完成後にエナメル(透明ラッカーの事か?)が塗られていて、作者は塗った方が、汚れが付かず拭けばきれいになると云うが、個人的には閉口してしまう。」
この福助もラッカーが塗られ光っている、骨董屋に八幡人形より長木の人形が多く現存しているのは、このラッカーのせいかもしれない。


 長木人形のアンチャン、と八幡人形の花魁

写真は、長木泥人形の「あんちゃん」と、八幡人形の「花魁」である。
佐渡では昔、若者の事をあん(兄)ちゃんと読んだらしい。この呼び名には、出世前、前途は計りしれないと云う願望が強く込められていた様に思う。
この泥人形のあんちゃんは、紋付きを着、大きな花束を持ち、近代の結婚式に於ける花婿の姿でもあろうか?
嫁さん然として横に居るのは、嫁さんではなく花魁、なぜか佐渡の骨董店でも、個人宅の所有でも、あんちやんにはこの花魁がセットになっている。
アンチャンとセットになってアネサンという長木人形もあるのだが見かけない。
長木は河原田町の字の地名である。

この島で生まれた北一輝も子供の頃は、両津の取り巻きから「酒屋のあんちゃん」と呼ばれていた。


 佐渡からお鄙さまが来た

>猿八村で大きな内裏様も一対注文して来たから、来春のお節句の頃には出来るかもしれない。(注文生産である)

と書いていた、お雛様が我が家に来た。
春にこの泥人形を受け取るために佐渡に行くつもりであったが、向こうから来てしまった。
雪に埋もれた小佐渡、山懐の猿八村からこのような雅がやって来る。
関東は佐渡より、余程辺境かもしれない。


 おまけに福助も来た。

>佐渡の泥人形達のついでに、風間の福助さんコレクションを紹介する。大したモノはないが、全国の泥人形や瀬戸物の福助を集めてみたら面白いだろう。

と我が家の福助達を紹介していたら、新しい福助さんが佐渡から来た。
何か知略を秘めて深刻そうな苦笑い?の福助、
函に名前が書いてあった、

その名は 「叶 福助」



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