佐渡の研究書
佐渡を研究するための文献を紹介する

HOME佐渡の風景佐渡の泥人形達佐渡の零細鉱山を巡る−大須佐渡の零細鉱山を巡る−大立/田切須佐渡の零細鉱山を巡る−外海府の高千鉱山の周辺佐渡、相川の鉱山と鶴子鉱山など佐渡の研究書佐渡鉄道


 佐渡と鉱山の研究書

基本的な佐渡と鉱山についての研究書を紹介してみる。

佐渡金銀山史話

右側の「佐渡金銀山史話」、三菱鉱山に勤めていた麓三郎と云う人が書いた本だが、相川鉱山についてまとめた本の中では頂点と考えられる。
しかし、この本の巻末は三菱が競売によって相川や他の鉱山を手に入れたところで終わっている。
相川の鉱山が三菱という民間資本に移ってからの鉱山運営の歴史は、それ以前より明らかではない。
相川鉱山の三菱会社への払い下げの理由は、かなりダーティな要素を孕んでいる。
三菱への払い下げに至る官営の時代に鉱山内部の鉱物搾取などがかなりあった。
明治二十八年、独逸に留学していた神田技師は帰朝し佐渡に帰るがすぐに退職してしまう。
財務検査で鉱物搾取が発覚、何人かの職員が収監される。二十九年、分析課長木川が自殺する。

佐渡國誌

大正十一年に佐渡郡役所が出版した佐渡の島史である。
官営の時代に鉱山内部の鉱物搾取をこの「佐渡國誌」では
「当時支庁長は大抵在京、神田技師は洋行、事務事業は大いに擾乱し、各課弊害百出す、庶務会計課長最も著しく二三清廉の士あるも傍観するのみ・・」
分析課長木川は鉱山の内情を暴露しようとして逆に自殺に追い込まれてしまった、と述べている。
最後は「ついに払い下げを決行してこれを解決すという」と、不正は闇に葬られた・・と書いている。
当時の島の新聞などではなく、郡役所が出版した国史にこの様な国家事業の裏の部分を記述することは普通ではない。離島の国営事業体のスキャンダルを、地元行政機関はどうしても書きとめて置きたかったのであろう。

この佐渡國誌は佐渡郡役所が佐渡の郷土史家岩木氏に依頼してまとめたものであるが、この本をまとめるために集めた資料や原稿は佐渡金井町の図書館に岩木文庫として保存閲覧が出来る。佐渡にはこのような文庫が多いが、例えば佐渡高校にある船崎文庫などは佐渡相川鉱山資料が豊富なことで有名である。

佐渡金銀山の史的研究

佐渡とその鉱山についての史家として著名な田中圭一氏が書いた鉱山史の本である。
やはり田中氏が著いて雄山閣から出版された「佐渡金銀山文書の読み方」という本があるが、この中で氏は
「最近の学生は書物からの知識ばかりで困る、鶴子の廃坑口に立ってものを考えて貰いたい」
と、現場主義の大切さについて述べている。

佐渡風土記

佐渡風土記を読んでいると、小比叡の乱についても沢山の行を費やしているが、その前後に小比叡山寺領から砂金が出ていることが報告されている。
小比叡の乱は、承応の頃、佐渡奉行所の役人が島の役人社会でスポイルされた挙げ句、山の中の寺、小比叡山蓮華峯寺に立てこもり、この寺の住職と共に奉行所の軍勢と戦った乱である。
これまでの解説書では、この辻藤という役人がまじめ過ぎて慣習に逆らうことから小木の番所に左遷され、相川に帰る時に知己の寺に立ち寄ったのを立てこもりと誤解された・・などとなっているが、寺領からの砂金発見は乱と無関係の事とは思えまない。

河崎村史料編年志上巻

この本は橘正隆という人が村からの委託でまとめたもの。
佐渡畑野の「佐渡総合高等学校」に橘鶴文庫という文庫がある。この文庫は、東京の人で関東大震災で家族を亡くしたことがきっかけで佐渡に渡り、日蓮の生涯を始めとして「言い伝え」でない史実に基づいた歴史を探ることに一生を費やした橘正隆という人が集めた蔵書と史料である。
橘鶴文庫も佐渡が永久に残すべき文庫のひとつと思われる。


 風間の研究対象、齋藤長三文書

佐渡の佐和田町二宮(にくう)というところに、明治、大正、昭和の佐渡地方政治に関わり、昭和19年に佐渡政友会長老として死去した齋藤長三という人が居た。
長三は佐渡鉄道の発起、請願などでも活躍している
この人は最晩年に「佐渡政党史」という著作を著しているが、この稿本は新潟県立図書館にあるだけとなっている。風間はこの稿本などを元に、佐渡の明治から昭和十年代までの政治史を研究している。
やはり、現存する長三の日記「履歴書」は五冊から成り、政治のことも、子供のことも織り交ぜて書かれている。
「履歴書」を読んでいると、彼と佐渡の政友会の盟友で北一輝の叔父本間一松は、明治四十五年にふたりして横浜に長期滞在し、一松が保有していた金山の採掘権を外国人に売り渡す交渉をしているが、結局話はまとまらず島に帰っている。
一松は佐渡新穂村に家があったから、鉱区は新穂金山と推測される。この頃は、佐渡の零細金山の採掘権が売買の対象となる時期だった。
写真は風間が複刻した齋藤長三、幻の名著「佐渡政党史稿」。


 佐渡高校郷土部編、「景観が語る新穂銀山史」

佐渡高校の郷土部の皆さんが編んだ新穂銀山に関する研究書、16ページの冊子だが、新穂銀山に関してこんなに突っ込んだ史料はない。
また、編集子の郷土に対する愛情が伝わる名著、私は新穂民族資料館の受付で500円で購入した。


 相川町調査編纂「佐渡金銀山 」

佐渡郡相川町教育委員会が調査・編纂した、相川町地内の廃坑跡の調査資料である。
相川町地内に廃坑口、露頭、敷設物跡などは256カ所に及ぶ。これらをひとつづつ地区の案内人を求めて調査している。
相川町地内とは、本命である相川鉱山とその北の外海府に点在する零細鉱山すべてである。
写真は個々の廃坑の調査項目を示している。
この資料では、廃坑に調査番号をつけ、鉱山名、所在地、5万図の番号、土地所有者、採掘時期、規模、間歩名、GPS座標、現状を記述、写真と見取り図を添えている。
相川町では、相川地内以外にも、沢根町の鶴子鉱山、真野町の諸零細鉱山についても調査済みらしいが資料の出版はされていない。


 佐渡の人形についての研究書

佐渡民俗研究で有名な、山本修之助が著した「佐渡の郷土玩具」と「佐渡の人形芝居」という本、「郷土玩具」の挿絵には、沢山の泥人形の写真が掲載されている。
また、序を絵本作家で玩具収集家でもあった武井武雄が書いている。

この本のお陰で、このホームページに掲載した人形の産地の間違いに気づいた。
佐渡と云えば八幡人形・・と云う先入観も間違いで、沢山の産地があった。
この辺りのことは、地元の人でももう知らないかも知れない



HOME佐渡の風景佐渡の泥人形達佐渡の零細鉱山を巡る−大須佐渡の零細鉱山を巡る−大立/田切須佐渡の零細鉱山を巡る−外海府の高千鉱山の周辺佐渡、相川の鉱山と鶴子鉱山など佐渡の研究書佐渡鉄道

トップページへ