ローマの松

オットリーノ=レスピーギ(明治12年7月9日生−昭和11年4月18日没)

Ottorino Respighi(1879.7.9〜1936.4.18)

1879年ボローニャに生まれる。地元の音楽学校に入りヴァイオリン・ヴィオラを学ぶ一方作曲も学ぶ。
1900年にペテルブルグの歌劇場のヴィオラ奏者となるが、その時にR.コルサコフの音楽に魅せられ、
2度に渡り彼のもとで管弦楽法と作曲を学ぶ。レスピーギの色彩豊かなオーケストレーションや
感覚的なハーモニーはこの影響があるといわれる。

1913年にはサンタ・チェチリア音楽院の作曲家教授に就任、1919年弟子のエルサと結婚。
1924年には音楽院の院長となるが2年後に退任する。作風としてはR.コルサコフ以外に
R.シュトラウスの作品からも何らかのインスピレーションを受けているようである。
ドビュッシーの印象主義的なものも取り入れた曲を書く一方、音楽院に保管されていた古い楽曲を研究し、
グレゴリオ旋律や教会旋法を用いた独特な作品も数多く残している。
近代イタリアの作曲家の中で最も有名になった理由に、様々な事象や印象を描き出す優れた管弦楽法と
流麗で美しく分かりやすい旋律が挙げられる。
ちなみに同時期に活躍した作曲家に、ドビュッシー(1862〜1918)、ラヴェル(1875〜1937)、
ファリャ(1876〜1946)、ストラビンスキー、ガーシュインなどがいる。

そんな彼が作曲した「ローマ三部作」のうち、「松」に限ってはそのゆかりの地を
訪ねることができた。

 

〜ボルゲーゼ荘の松〜

〜カタコンベの松〜

〜ジャニコロの松〜

〜アッピア街道の松〜

 

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