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そしてローマ郊外へ 信号が青になり、いよいよ市街地を外れる。道の両側には木が生い茂り、片側1車線の舗装の悪い狭い道を進む。旧アッピア街道の起点であるサン・セバスティアーノ門をくぐり、少しいくとドミネ・クオ・ヴァディス協会である。シェンキビッチの「クオ・ヴァディス」を読みなさいと薦めてくれた高校の世界史の湯原先生をふと思い出す。顔は濃いけど顔色は悪い、たしか口癖は「はいどうも」だったな、などといらぬことに限って覚えてるものだ。旧アッピア街道沿いにはカタコンベが多く存在し、そのうちのひとつに足を止める。
そしてチェチリア・メテッラの墓付近で車を止める。マクセンティウスの競技場の跡も残っており、しばらく散策することにする。チェチリア・メテッラは一回三頭政治(前60年、カエサル、ポンペイウス、クラックスによる)のひとり、クラックスの息子の妻である奥さんだったそうで、建物としても非常にきれいであったことは想像に難くない。外壁アッピア街道の標識があったので証拠に写真をとったり、外国人旅行客らしき女の人から写真をたのまれてとってあげたりして旅行者気分を満喫する。そのまま南下するも、道は地図のとおりではなく途中で行き止まりとなってしまう。やむを得ず新アッピア街道へと迂回し、一路高速道路GRA
(Grande Raccordo Anulare)を目指す。新アッピア街道は片側一車線ではあるものの路面も整備されていて、右側通行であることを除けば日本の道とそう変わらないほど快適である。周りの景色も田舎のそれであって、市街地から30分もたっていないのにこの環境というのはとてもうらやましい。
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