| 金銀花(すいかずら)は夜に咲く | 火消しシリーズ
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| 第10回 | |
| 「失われた楽園 II」 | |
雨はやんだものの、どんよりと淀んだ灰色の空の下を、うちひしがれた村人達はとぼとぼと歩いていた。人々を佐原の屋敷の前で出迎えたのは鵲(かささぎ)だった。臥雲(がうん)長老は可愛い曾孫にすがりつき涙ながらに言った。 「ワシらはすべてを失ってしまった・・」 今年十三になった少年は澄んだまなざしで臥雲を見た。 「何をおっしゃいます、ひいお爺様、”疾風(はやて)の臥雲”様」 そのまなざしと同じく凛と澄み切った声が言った。 「雲の切れ間から太陽が見えて来ましたよ。田畑には坂の家の者達が丹精した実りがあります。風の力はなくとも、我ら”盾”には鍛えあげた剣の技があるではありませんか」 臥雲は目を見開いて鵲を見た。人々の視線が少年に注がれた。 「我らはすべてを失ったわけではないのです。幸彦様と真彦様の夢の力は健在です」 臥雲は呻いた。 「何と、お二人はご無事か」 村にはまだ”夢の加護”が残されている。一同に安堵の気配が広がった。 「幸彦様が夢で語りかけて下さいました。皆が心を強く持つようにと。我が父の三峰の風の力も健在です。父は只今こちらに向かっております」 歓声が沸き起こった。人でない者になろうとも、三峰の温厚で優れた人柄は今でも人々の尊敬を失ってはいなかった。臥雲は曾孫に勇気付けられ、腰を伸ばし一同を振り返り、声を張り上げた。 「皆の者、くよくよしても始まらん、持ち場へ戻れ!日々の営みに励め!いつか土地の許しを得ようぞ」 霜月も声をあげた。 「今一度、我らの務めを思い出すのだ。我らの誇りを忘れるな!」 和する声がそこかしこから上がった。 村人達は、先程までとは打って変わった力強い足取りで、めいめいの持ち場へ散って行った。臥雲は頼もしげに曾孫を見た。 「鵲よ、お前は人々に希望の星を渡す掛け橋となると、幸彦様がその名をお与え下さった。その様に育ったな」 鵲は控え目に首を振った。 「それはひいお爺様や皆様のお蔭です。そして母の・・」 「お前は母の許に行き、三峰が戻る事を知らせてやりなさい」 鵲は笑顔になった。母の保名(やすな)が、夫の三峰の帰りをいつも待ちわびているのを知っているからである。 「はい、そう致します」 鵲は一礼し、軽やかに雨上がりの道を駆けて行った。劉生と霜月が二人を温かく見守っていた。霜月が言った。 「鵲様は、ますますお父上に似て来られましたな。将来が楽しみですな」 臥雲は胸を張った。 「当たり前じゃ、ワシの血を引く子、風の家の長になる子じゃ」 二人の家の長は長老の溺愛ぶりを微笑ましく思った。 「劉生殿」 霜月があらたまった声で語りかけた。 「忍野様の事は諦めなさるな。私にはどうも亡くなられたとは信じがたい」 臥雲も言った。 「身体が見つからんとは妙だ。何か最後のご加護が忍野にはあったように思える」 劉生は二人に頭を下げた。 「お二人共ありがとうございます。私もまだどこかで忍野は生きていると思っております」 霜月は劉生にいたわりをこめて言った。 「どうか後始末は我らにまかせ、露の家のお屋敷へお戻り下さい。麻里子様がお待ちでしょうから」 「はい、では、そうさせていただきます」 劉生は二人に頭を下げると歩き始めた。 その後姿を見送りながら、霜月は臥雲にささやいた。 「すべての加護が消えたわけではないと、臥雲様もお気づきだったのでしょう」 臥雲はにやりとした。 「お前もな」 「おそらく、劉生殿も」 「どうやら我ら老人はお目こぼしにあずかった様じゃ」 「ですが、今は」 「ああ、一度はやり直さねばならん。潮時かも知れぬな」 「いつまでも同じではいられませぬな。変わるものは変わる」 「それでも我らは、守れるものは守る」 「佐原の当主様がご無事な限り、我らのお役目は終わりませぬぞ」 「霜月よ」 「はい」 臥雲はじろりと劉生を見た 「老いたりと言えども、この臥雲、今も”盾”じゃ」 霜月は破顔した。 「この霜月も、同じで御座います」 二人は頷きあい、屋敷の門の中へ消えていった。 三峰からの電話を切ると、朱雀は書斎机の上のベルを鳴らした。すぐに軽く扉を叩く音がした。 「入れ」 進士が扉を開け、頭を下げた。 「しばらく古本屋に寝泊りだ。三峰の代わりに、幸彦様と真彦様をお守りする」 「では、お着替え等を、後程お届け致します」 「ああ、頼む」 進士は頭を下げた。何故と進士は問わなかった。自分に伝えるべき事は必ず朱雀が口にすると心得ているからである。そして朱雀は言った。 「佐原の村が加護を失った。風の力も結界も、すべて消え失せたそうだ」 「そんな馬鹿な!」 いつも冷静な進士も思わず声を上げた。佐原の土地の加護は、すべての力の源である。 「一体、何があったと言うのですか」 朱雀はちらりと卓上の写真立てに目をやった。そこには朱雀と和樹が写っていた。まだ朱雀が人間だった頃、中学生だったと和樹と一緒に撮った写真だった。マンションのベランダで、撮ったのは加奈子だった。ひとつの戦いが終わり、家族三人でつかの間の幸せを味わっていた頃であった。朱雀はつぶやく様に言った。 「忍野が死んだ。異人に扇動された村人に殺されたらしい」 「そんな・・佐原の村人が・・」 にわかには信じられぬといった口調で進士は言った。 「何が起きたのか、それを調べに三峰は村へ戻るのだ」 ふと進士は気がついた。 「力が消えたとおっしゃいましたが」 朱雀は進士の方を振り返ると、片手を軽く振った。進士のネクタイが翻った。 「三峰の力も、私の力も消えていない。幸彦様と真彦様の夢の力も」 進士はひそめていた眉を開いた。 「それは、せめてもの幸いで御座いますな」 朱雀は立ち上がった。 「幸彦様の所へ向かう前に、和樹の所へ寄って来る。何か土産を持って行くかな」 「和樹様にで御座いますか?」 「いや、柚木にだ」 「柚木様?何時、麻里子様とご一緒に”外”へ?」 「それが、柚木だけなのだ・・」 朱雀は、先程和樹から連絡があった内容のあらましを、進士に伝えた・・・ 和樹のマンションの呼び鈴が鳴った。 和樹がドアを開けると、柚木が怯えた顔で一人ぽつんと立っていた。 「柚木じゃないか」 蒼白の顔色を見て、和樹は柚木を急いで部屋の中に入れた。柚木の身体はずぶ濡れで冷え切っていた。柚木の髪からぽたぽたと落ちる雫を見ながら、和樹は思った。 (今日は、雨は降っていなかったはずだ) 大学の授業が休講になったので、和樹は早めに帰宅した所だった。 和樹は風呂場で柚木の濡れた服を脱がせ、熱いシャワーを浴びせてやった。柚木はされるがままになっていた。和樹は自分が濡れるのもかまわず、柚木を洗ってやった。子供の体は華奢で、大人の中で育ち、兄弟のいなかった和樹は、何かに打ちひしがれて怯えている柚木を、たまらなく哀れに思うと同時に、愛しく思った。 「自分で拭けるだろ?」 わざと明るく言い、和樹は厚手のバスタオルを柚木に渡した。柚木はのろのろと身体を拭き始めた。和樹は自分のトレーナーとジャージを持って来ると、柚木に着る様に言った。柚木がそれを身に着けている間に、和樹は新しいタオルで柚木の眼鏡の水気を丁寧に拭った。 (何があったのだろう、こんなに怯えているなんて) 和樹の知る柚木は活発で明るい子供だった。盾の家の子らしく、ちょっとした事では動じない強さを持っていた。和樹は眼鏡を柚木に差し出した。柚木は微かに頭を下げ、それを受け取った。 和樹は柚木をリビングに連れて行き、ソファに腰掛けさせた。そして毛布で柚木の身体を包んでやると、和樹は柚木に言った。 「ちょっと待ってて」 和樹は鍋でミルクをあたため、マグカップに入れて持って来た。柚木の隣に腰を下ろすと、柚木の手を支える様にしてカップを渡した。 「飲めるかい?熱いから気をつけて」 柚木はカップを受け取ると、目顔で礼をいい、それから少しずつ啜った。和樹は黙ってそれを見守っていた。何故か和樹は、子供の頃に大好きだった朱雀の暖かいまなざしを思い出した。 (今の僕も、少しはお父さんと似た目をしているのだろうか) 身体が温まると気持ちも和らいだのか、柚木は初めて笑顔を見せた。 「ありがとうございます、和樹様」 和樹は優しく尋ねた。 「一人で来たのかい?」 柚木は和樹を見て口を開いたが、唇を震わせただけで言葉が出て来なかった。柚木は混乱している様だった。和樹はいたわりをこめて言った。 「ゆっくりでいいよ、あせらなくていい」 やがて柚木はぽつりぽつりと語り始めた。村であった忍野に関する出来事、強風にさらわれ、気が付いたらこの近くにいた事などを話した。和樹は柚木の背を軽くさすってやりながら、黙って話を聞いていた。柚木が話し終えると、和樹は苦々しげに言った。 「すべては『奴等』の策略か」 柚木は顔をこわばらせた。 「でも、みんながお父さんを殺したんだ」 柚木は激しい言葉を吐いた。 「お父さんは病気だったのに、村を追い出されて、雨の中ですっかり身体が冷えて・・そして、そして僕が見つけた時には・・」 柚木は両手で顔を覆って泣き出した。 「僕は村に帰りたくない、お父さんを殺したみんなのいる村に」 無断で佐原の村人が村を出る事は禁止されている。禁を破れば厳罰に処せられる。 「しばらく、ここにいるといいよ」 泣き続ける柚木を和樹は抱きしめた。かつて朱雀がしてくれたように。 「お父さんや幸彦さんに相談してみよう。柚木が”外”にいたいなら、そう出来るように」 柚木は泣きながら頷いた。 目次 |
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| 070904 |
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