金銀花(すいかずら)は夜に咲く
火消しシリーズ

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第13回
「歩み寄る過去」



古本屋のビルに滞在中の自室として、朱雀に割り当てられた部屋は一間きりで、寝台と簡素な机と椅子、作りつけの小さなクローゼット、そしてユニットバスがあった。朱雀は灰色のビニールを張った椅子に腰掛け、傷だらけの事務机に片肘を付いて頭を支え、部屋を眺め渡した。窓のカーテンも綻びている。これでもこのビルでは最上級の部屋だと朱雀は知っていた。他の者達はもっと質素な生活を送っているのだ。

「朱雀様、よろしいでしょうか」
”外”の盾のまとめ役をしている白神の声がした。
「入れ」
朱雀が言った。扉に鍵はかけていなかった。
「失礼致します」
地味な紺色の背広を着た白神が入って来た。警備部の者は建前は会社勤めであるから、普段から背広で通している。古本屋を根城としている盾達も、戦闘に出る時以外は、周囲に怪しまれぬ様に背広姿であった。盾達は鍛え上げられたすらりとした長身で端正な顔立ちの者が多かったので、背広姿も様になっていた。盾には美しい者が多かった。苛酷な任務の中で凡庸な者は脱落していく。「強い盾ほど美しい」と言われていた。その頂点として崇められているのが竹生であった。そしてそれに次ぐ者として三峰と朱雀がいた。彼らが人でなくなっても、それは変わらなかった。

白神は頭を下げた。
「進士様から、盾の者全員に差し入れを頂戴致しまして、ありがとうございます」
「気にするな」
白神は少し困った様な顔をしていた。
「どうした?」
「ネクタイは重宝致しますが、いささか高級過ぎないかと」
白神は自分の青いネクタイに指先で触れた。上質の絹の滑らかな手触りが指に心地良かった。
「皆は喜んでいたか?」
「はい、それはもう。若い盾は、そういう類には敏感な者が多いですから」
かつて白神は和樹の護衛として常に身辺に控えていた為、朱雀とは他の盾よりは気安い間柄であった。
「進士様は凄い方で御座いますな。全員に一本ずつ頂きましたが、各自の趣味を良くここまでと思う程に理解しておられ、誰もが満足しております」
朱雀は白神に微笑してみせた。
「それは良かった」

白神は遠慮がちに聞いた。
「しかし、この様な時に何故」
「この様な時だからだよ。良い物は人の心に潤いを与える」
「しかし、今は・・」
朱雀が白神の言葉を遮った。
「頼んでおいた調べ物はどうなった?」
白神は姿勢を正した。
「失礼致しました。警備部と我等を合わせ、戦闘に役立つ強さの風の力を持つ者は、私と千条以下五名です。あとは殆ど無きに等しく、例の影響を受けた者はおりません」
「このビルの”結界”は?」
「健在です。専属の者達にも、今の所影響は出ておりません」
「では、警備体制に変化はないな」
「はい」
「磐境との連携は?」
「従来通りです」
「よろしい。ではあまり過敏にならぬ様、なるべくお前も普段通りの態度で通せ」
「はい」
「三峰が戻るまでは、私はこちらに専念する」
朱雀は白神に片目をつぶってみせた。
「社長業は休業だ」

朱雀は立ち上がった。
「さて、幸彦様にご挨拶して来るか。来た早々、お客様のお相手をしてしまったからな」
「では、幸彦様にお知らせして参ります」
一礼して出て行こうとした白神に、朱雀は声を掛けた。
「ネクタイ、似合っているじゃないか。お前は色が白いから、その色が映えるな」
「恐れ入ります」
白神は頬を少し染めた。彼も真っ直ぐな黒髪と切れ長の目が美しい青年だった。


「珈琲でいいかな?真彦も一緒だから」
「幸彦様にお手数をおかけしては・・どうかお構いなく」
「いいんだよ、僕がしたいのだから」
「では、いただきます」
幸彦はいそいそとキッチンの方へ行った。

幸彦と真彦の部屋は、強大な権力と莫大な財産を持つ佐原の家の当主親子の住居としては、あまりにも質素であった。リビングに続いたキッチン、リビングの向こうに小さな座敷がある。そして二人の寝室。それがすべてであった。あらゆる事象を感知する能力者である二人は、広い場所は返って居心地が悪いのだと言う。真彦は広大な佐原の屋敷にいる時も、屋根裏に近い小部屋を好んでいた。

ソファに座った朱雀の正面に、真彦は絨毯の上に直接腰を下ろし、膝を抱える様にして何か言いたげな顔をして、朱雀を見ていた。朱雀は優しく真彦に語り掛けた。
「眠くありませんか?真彦様」
真彦は上目遣いに朱雀を見た。
「昼間、沢山寝てしまったから、今は眠くないよ」
昼間の騒ぎの際、村の人々の感情の影響を受けて苦しむ真彦を、幸彦が夢の力で眠らせたのであった。不意に真彦が言った。
「柚木の気配がするんだ。なのに柚木の夢が追えない。僕を拒んでる」
朱雀は真彦には隠し事は出来ないと悟った。
「柚木は哀しい事があったので、混乱しているのです。真彦様を嫌いになったわけではありませんよ」
「忍野が村人に殺されたのだね」
朱雀は笑顔を消して頷いた。幼くても真彦は佐原の家の当主である。
「三峰が真相を調べに行っております」
「僕もお父さんが死んだと思った時、とても辛かった。柚木もきっと・・」
真彦は子供ながら毅然とした態度を取ろうとしていた。
「朱雀」
「はい」
朱雀も大人に対するのと同じ返事をした。
「僕は柚木に会いたい。だけど柚木が落ち着くまで僕は待つよ。柚木が僕に会う気になってくれたら、教えて欲しい」
「はい、必ず」

幸彦が珈琲を載せた盆を持って戻って来た。真彦は急に子供に戻って甘えた声で言った。
「お父さん、僕のは?」
「ちゃんとミルクと砂糖を入れて来たよ」
そんな真彦の様子を、朱雀は微笑ましく思い、暖かく見ていた。思えば真彦も柚木も同じ日に奥座敷で生まれた時から、苛酷な将来の預言の為に、多くの子供らしさを犠牲にして来たのである。その中で寄り添い支えあって来た二人が、今は離れている事が、互いに寂しくないわけはない。
(もし、真彦様が柚木の側にいて下さったら)
朱雀は、起きてしまった悲劇は今更どうにもならないのだと知りながら、そんな事を思った。
「お前は好きにやってくれ」
幸彦は朱雀の前に珈琲と一緒にブランデーの小瓶を置いた。
「ありがとうございます」

幸彦は真彦の隣に、絨毯の上に直に座り込んだ。朱雀を客として迎えるのではなく、家族の団欒を隠そうとしない事で、朱雀を受け入れている自分達の気持ちを伝えようとしているのだと、朱雀には解った。朱雀は上着を脱いだ。
「少し、楽にさせて頂きます」
幸彦は微笑んだ。
「ああ、そうしてくれ」
ブランデーを少したらした珈琲は薫り高く美味かった。覚えのある味わいがした
「その珈琲はね、進士が持って来てくれたのだよ。そのチョコレートもね」
「これ、美味しいよ」
真彦はすでにチョコレートを幾つか平らげていた。欧州の名の知れた店が、最近こちらでも売る様になった品である。進士に指示した訳ではないが、”盾”に差し入れをする時に、幸彦達へもこの様な物を届けたのであろう。
(さすがだな、進士)
後でねぎらってやらねばと朱雀は思っていた。

古本屋の日常や外国の小説、真彦が最近探偵小説が好きな事、盾達の噂話など、たわいの無い事をしゃべりながら、夜の時間は穏やかに過ぎていった。しばらくすると、真彦が欠伸をした。幸彦は真彦を寝室に連れて行った。戻って来た幸彦は琥珀色の瓶とグラスを二つ携えていた。
「さあ、これからは大人の時間だ」
幸彦はグラスに酒を注ぎながら言った。
「こういう時は、酔って少し神経を鈍くした方が楽なのだよ。まだ昼間の名残りがあるから」
特殊な力を持つ事で、代償を払う事もある。人の負の感情を身にも心にも痛みと受け取ってしまう幸彦にとって、今日は辛い日であったのだ。
「本当は地下で宴会をしたい所だけれどね」
「やはりお気づきでしたか、幸彦様」
グラスを朱雀に渡しながら、幸彦は微笑んだ。
「僕に分からないわけはないさ、竹生もそれを知っている」
今でもこの主従は特別なのだと、朱雀は思いながら、グラスを掲げた。





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071002


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