金銀花(すいかずら)は夜に咲く
火消しシリーズ

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第2回
「二人の父親」



柚木を自分のマンションに連れて行くと、朱雀は和樹に電話で告げた。
「今夜は、私の所に泊める」
和樹は、ややためらうように押し黙り、それから言った。
「僕が柚木を邪魔だと思ったわけではないよ」
朱雀は解っているという響きを籠めて言った。
「私にも、あの子を可愛がる機会をくれたのだろう?」
和樹の声が和らいだ。
「僕がお父さんと初めて逢ったのは、ちょうど今の柚木位の時だった」
「ああ、そうだったな」
「柚木も僕も、本当の父親に逢った事がないんだ」
朱雀が何かを言う前に、和樹は言った。
「でもお父さんと逢えて、とても良かったと思っている」
そう言うと、和樹は電話を切った。

柚木を乗せた朱雀の愛車が、マンションの地下の駐車場に滑り込んだ。何重ものセキュリティを経て、エレベータは最上階まで静かに登って行った。濃い臙脂色の絨毯を踏み、廊下の突き当たりの重厚な木製の扉の前にたどり着くと、それはひとりでに開いた。
「お帰りなさいませ、朱雀様」
進士(しんじ)が二人を出迎えた。
「いらっしゃいませ、柚木様」
落ち着いた痩躯の老紳士といった体の進士は、朱雀の”執事”である。かつては勇猛な”盾”として鳴らした人物であった。
「今日は柚木を泊まらせる。部屋の用意を頼む」
「かしこまりました」
進士は頭を下げた。

二人は大きな窓のある居間に入った。そこはベランダに続いていた。朱雀は柚木の肩を抱き、広々としたベランダへ出た。ビルの向こうに山の端が見え、その上には夕暮れの名残が赤く燃えていた。風が二人の髪を掻き乱した。柚木は風の中に”想い”を感じた。それは村を出てから感じる事を避けて来たものだった。柚木の頬に自分の頬を寄せ、朱雀はささやいた。
「感じているのだろう?風の呼び声を」
柚木は認めたくなかった。朱雀はそんな柚木の心を見透かすかの如く言った。
「お前は、村人を嫌っても、あの土地を嫌ったわけではないだろう。あの土地はお前を愛している。だからお前には今でも風の力がある」
柚木は黙っていた。久しぶりに聴く風の声は、柚木の中に柔らかく心地良い波紋を残し、胸の底まで染み透った。
「強くなれ、柚木。お前には力がある。救えなかった命を悔やむなら、強くなれ。今度は救えるように」
風と共に柚木の中に流れ込むものがあった。それは朱雀の熱さであった。
(強くなる・・)
柚木は眼鏡の蔓に手をやった。考え事をする時の柚木の癖だった。同じ癖が柚木の父の篠牟(しのむ)にもあった。だが今の柚木が思うのは、育ての親の忍野(おしの)の事であった。

どしゃぶりの雨の中、病に侵され倒れていたお父さん・・あの時、お父さんを抱いて飛べる力が僕にあれば、お父さんはもう少し生き延びられて、皆の謝罪を聞く事が出来たかもしれない。失意のうちにたった一人で死なずにすんだかもしれない・・

考え込む柚木の耳に、朱雀の良く通る声が聞こえた。
「強さとは戦う為の力だけではないのだ。心も強くなれ、お前の友、お前の家族の為に」
「家族・・」
柚木の脳裏に母の麻里子の顔が浮かんだ。柚木の胸に痛みが走った。一番父を信じて欲しかった母が、父を信じなかった。その事が柚木の中で深い傷になっていた。柚木の麻里子に対する感情を、朱雀も知っていた。それが誤解だとしても、今の柚木は理解しようとしない事も。

「お前は、桐生(きりゅう)も憎むのか?」
桐生は忍野と麻里子の間に生まれた、柚木の父親違いの弟である。柚木(ゆずき)は首を左右に振った。
「僕は桐生に逢いたい。桐生は僕を忘れてしまったかもしれないけれど」
柚木が村を出た時、桐生はまだ赤ん坊だった。朱雀は柚木の肩を叩いた。
「逢いに行けば良いさ」
柚木は身を堅くした。
「村には、戻らない」

朱雀は力強く温かい掌で、柚木の両肩を優しく包み込むようにした。
「では、村の外で逢えば良いさ。私が連れて来てやる」
柚木は顔を輝かせて朱雀を見上げた。
「本当?」
「私は、お前に嘘を言った事があるかね?」
「ないよ、朱雀おじさん。でも・・」
「三峰(みつみね)と一緒に行こう。何、三峰ならどうにかしてくれるさ」
元の村の長だった三峰は、村を守る為に”人でない者”となってしまった。その為に村を離れたが、温厚で律儀な彼の人柄を、今でも慕う村人は多かった。現在の村の長の高遠も、その一人であった。
「うん」
柚木は素直に頷いた。

柚木は「朱雀に逢いたい」と和樹に言って良かったと思った。特に和樹との生活に不満があったわけではない。だが、和樹には和樹の人生がある。あの雨の日、村を飛び出して以来、和樹の許に身を寄せながら、本当の意味で自分を守ってくれていたのは朱雀なのだと、柚木には分かっていた。

「お前は、もっと強くなりたいのだろう?」
朱雀はベランダの真ん中に進んだ。そして伸びやかに両手を天に差し伸べた。
「これから少しずつ、鍛錬の方法を教えてやろう。基本的な身体の動かし方、筋の伸ばし方、整え方・・こういう地味な事が、大きな力に結びつくのだ」
柚木の目が熱を帯びて、朱雀の動きを見た。美しくよどみのない動き。一見何でもない動きの様だが、自分には出来ない事が、柚木には即座に解った。
「お前はこれからも成長する。身体が変われば、鍛錬の方法も変化する。自分の身体と良く話し合うのだ。忍野(おしの)はこういう事が得意だった」

朱雀がその名を口にするのを、柚木は”外”で初めて聞いた。
「お父さんが?」
朱雀は再び柚木の隣に戻って来た。
「篠牟(しのむ)の事も、忍野の事も、私の知る限りの事を、お前に話してやろう。お前にとって、二人とも父親なのだからな。まあ、私が言うのも何だが、二人とも女の子にとてもモテたぞ」
朱雀はにやりとして見せた。柚木も笑った。柚木も女の子の視線を感じないわけではない。けれども今の柚木は、まだそれほど興味を持てないでいるのだ。もっと大切な事がある気がして。

朱雀は真面目な顔に戻った。
「お前の本当の名前は、二人の父親の名前を継いでいるのだ」
「朱雀おじさんは、僕の本当の名前を知っているの?」
”盾”は普段は呼び名を使う。本当の名前はめったに人には教えない。
「当たり前だ、私が付けたのだからな」
柚木は驚いて、眼鏡の奥の目を見張った。
「知らなかった」
朱雀はベランダの手すりに寄りかかった。柚木も隣に同じ様にして並んだ。
「私はお前の母の兄代わりであり、後見人だった。だから自分にも兄同然だと、忍野は自分の本当の名前を私に明かし、お前の名付け親になって欲しいと言ったのだ」
「お父さんが?」
「そうだ。忍野は篠牟をとても尊敬していた。その篠牟の子であるお前に、出来る限りの庇護をと思ったのだろう」
柚木は忍野の事を思い浮かべていた。父と言うより兄の様に若々しく美しい人だった。子供達には優しいが、盾の長である時は堂々として威厳があり、それが柚木には誇らしかった。

「道也(みちや)」
朱雀が柚木の本当の名前を呼んだ。
「はい」
柚木は引き締まった表情で答えた。
「お前の父親達がお前にしてやりたかった事、その幾らかでも、私はお前にしてやろう」
「ありがとう、朱雀おじさん」
朱雀は頷いた。
「ああ、それでいい。戸籍上はどうであれ、私を無理に父と呼ばなくてもいい」
朱雀は柚木に微笑んだ。柚木はその微笑の中に、二人の父親の微笑をも見た気がした。
「どう呼ばれようと、この高明は、お前が大人になるまで守る者だ」
「たかあき・・それが、おじさんの?」
「そうだ、覚えておけ。亡き弟、篠牟の代わりに、お前が」
本当の名前は、余程近しい家族か、真に心が通じ合った者にしか教えないのだ。柚木は朱雀の自分への深い思いを感じた。
「はい、覚えておきます」
柚木は、再び自分を慈しむ大きな手を見つけた。





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070816


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