金銀花(すいかずら)は夜に咲く
火消しシリーズ

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第3回
「目覚めし風」



「今夜はここで寝るのだ」
そこはクリーム色の壁に囲まれた落ち着いた部屋であった。ホテルの一室の様にベッドと最低限の家具があり、入り口とは別の扉の向こうに、小さなバスルームもあった。
「お前の住む部屋は、これから用意してやる」
「ここは?朱雀おじさん」
朱雀はいつもの何かを面白がる顔をして、柚木を見た。
「ここは客用の寝室だ。家族の住む為の場所ではないのだよ」
朱雀は柚木を連れて廊下へ出た。マンションと言っても、生半可な一軒家よりも広い造りになっていた。キッチンの横を通り過ぎる時、良い匂いがして、柚木は空腹を覚えた。このあたりは朱雀の普段の生活空間にあたる場所で、キッチンの傍には進士の私室があり、その奥には朱雀の書斎や寝室があった。

廊下の途中の扉を開けると、更に廊下があり、幾つかの扉が並んでいた。朱雀はひとつの扉の前で立ち止まると鍵を開けた。そして柚木の背中を押し、一緒に中へ入った。中は暗かった。柚木が立ち止まっていると、いきなり明るくなった。フローリングの広い空間がそこにあった。隅には棚で区切られた簡単なキッチンがあった。

「どうだね?」
「ここを、僕に?」
「この位の広さがあれば充分だろう」
「和樹さんのアパート全部より広いよ」
朱雀は苦笑した。
「和樹は慎ましい奴だからな。もっと広い場所に幾らでも住めるのに」
「僕がいなくなれば、少しは広くなるよ」
柚木は何故か和樹をかばいたい気持ちになって言った。朱雀は柚木の気持ちを感じ、微笑ましく思った。
「要は、広さより居心地が問題だからな」
「和樹さんも同じ事を言ってたよ」
朱雀は片方の眉を上げ、柚木を見た。
「和樹が?」
「やっぱり親子だね」

柚木は社長室で逢った時よりも、朱雀に打ち解けた態度で話をした。朱雀は自分との距離をたちまちに縮めた柚木の、それまでの心細さを思いやった。まだまだ頼れる大人が欲しい年頃なのだ。和樹は大人だが、まだ若い。柚木に心を砕いてはいるが、自分の事だけでも精一杯だったはずである。あえてそれを見守って来たのは、一人っ子だった和樹が、弟を得た様な喜びで柚木の世話をしていたのと、柚木の”佐原の村”に対する気持ちに整理がつくのを待っていた為であった。

朱雀は部屋の奥の扉を開けた。
「ここを寝室にするといい」
「まだ部屋があったの」
柚木は驚いて言った。朱雀はもうひとつの扉を開けた。
「ここが風呂場だ」
「凄いな、僕だけの風呂なんて」
「掃除と洗濯も、自分でやるのだ」
「大丈夫だよ、今までもやってたし」
「進士にもっと鍛えてもらえ。紳士たるもの、何でも自分で出来る方が良いからな」
「朱雀おじさんは?」
「能ある鷹は爪を隠す、さ」
両親を早く亡くした朱雀は苦労をしたので、家事一般何でもこなせた。最も”盾”は、生存の為に必要な事はすべて叩き込まれる。だから盾達は男であっても、一人暮らしに不自由する者はいない。そして何時倒れるとも知れぬ彼等は、身辺を常に整頓して置く事は習慣になっていた。”盾”という言葉に抵抗を持つ柚木の気持ちは知っていた。だが”盾”として必要な事は、柚木の身に付けさせようと朱雀は思っていた。

「家具や引越しの日取りに関しては、進士と相談して決めなさい」
「はい」
朱雀は長身を折り曲げ、柚木の顔を覗き込んだ。
「気に入ってくれたか?」
柚木は笑った。
「気に入ったよ。この部屋も、この家も、朱雀おじさんも、全部」
「そうか」
「うん」
朱雀は背筋を伸ばすと、右手を差し出した。
「まあ、仲良くやろう」
「はい」
柚木はその手を握った。温かくて大きい手。不意に鼻の奥がつんとして、柚木は慌ててその手を離し、窓の方へ駆け寄った。硝子には細い雨の筋が幾つか流れていた。柚木はわざと陽気な声で言った。
「雨が降って来たよ、おじさん」
朱雀は柚木の涙を見逃さなかった。朱雀は柚木の背中に優しく言った。
「さあ、向こうへ戻ろう。そろそろ晩飯だ」


しばらくすると、朱雀は夜の街へ出かけていった。
朱雀の外出の理由を尋ねる程、柚木は愚かではなかった。

表は雨が激しくなっていた。柚木は雨の日が苦手だった。失ったものを思い出すから。普段なら和樹の帰りを待つ間、見たくも無いTVを大きな音でかけて、気を紛らわせていただろう。だが今は不思議と穏やかな気持ちで、ベランダに続く居間の窓から、雨にけぶる街の灯を見ていた。

進士が呼びに来た。
「お食事で御座います」

キッチンに置かれたテーブルで、柚木は夕食をしたためた。こんがりと焼けたラムチョップは美味かった。ポロ葱とポテトのスープも気に入った。未成年の柚木に、進士は大きなグラスに並々と冷たい水を注いでくれた。柚木は御飯をお替りした。進士はその様子をうれしそうに見ていた。
「若い方の召し上がるのを見るのは、気持ちの良いものですな」
柚木はちょっと恥ずかしくなった。
「僕、とてもお腹がすいていたみたいだ」
進士は微笑み、柚木のスープ皿を取り上げると中身を注ぎ足した。
「これだけ食べていただけると、作る方も張り合いがあります」

「進士さんは、いつも一人で食べるの?」
「はい」
朱雀は家で食事をする事はないのだ。
「僕がここに来たら、一緒に食べようよ」
進士は礼儀正しく微笑んだ。
「いえ、私は・・」
「美味しいものは、一緒に食べた方がもっと美味しくなるよ」
料理を褒められたうれしさを顔に浮かべ、進士は頷いた。
「解りました。そうさせていただきます」

進士は真面目な顔になった。
「柚木様、それでは私のお願いもひとつ、よろしいですか」
柚木は匙でスープをすくいながら言った。
「何かな」
「私の事は”進士”とお呼び下さい。”さん”はいりません」
それが進士の職業に対しての矜持であった。柚木は皿から顔を上げ、少しあらたまった声を出した。
「じゃあ、これからよろしく、進士」
進士も軽く頭を下げ、柚木の言葉を受け取った。
「柚木様の好物も、これから覚えないといけませんな」
「進士の作るものなら、何でも好きになりそうだよ」
進士はますますうれしそうな顔をして言った。
「もう少し、ラムもいかがですか」

温かいスープと温厚な笑顔が側にある事が、柚木の心の痛みを和らげていた。食べている間にも雨は激しさを増した。その雨の中を、しぶきに跳ね返る灯の煌きを更に蹴散らす様に、朱雀の車は夜道を疾走して行った。





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070818


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