金銀花(すいかずら)は夜に咲く
火消しシリーズ

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第4回
「到来・悪は感じる」



柚木(ゆずき)は客用の寝室に引き上げた。進士(しんじ)は食後の後片付けをしていた。皿を洗う進士の頭上から声がした。
「柚木が心を開いた。我らを再び感ずる日は近い」
進士は手を休めずに言った。
「おいででしたか、斤量(きんりょう)殿」
「閉ざしていた心に風が吹いた。柚木の力は強大だ。目覚めれば『奴等』もそれに気がつく」
進士は水切り駕籠に並べた食器を厚手の布で拭き始めた。
「おそらく朱雀様は、その為に柚木様をここへお連れになったのでしょう」
「朱雀殿なれば、さもあらん」

天井から響く低く野太い声は、進士の耳にしか聴こえなかった。
「柚木様を案じて、あちらからいらしたのですか」
「それもある」
天井の声の主は少しそわそわとした気配となった。
「この前の、あれな。”ぶるーちぇだあ”なる食い物を所望したく参った」
進士は天井を見上げて微笑んだ。
「お気に召していただけましたか」
「あれは、酒に合う」
「まだ御座いますので、ご用意致しましょう」
野太い声がうれしそうに言った。
「おお、それはかたじけない」

朱雀のマンションで暮らす様になってから、柚木は通学時間が少しかかる様になった。乗り換えも増え、満員電車に詰め込まれる毎日だった。朱雀が部下に車での送迎をさせようと言っても、柚木は断った。村から出た以上、自分は普通の子供であり、出来る限り同級生と同じ生活を送ろうと心掛けていたのである。それでなくても広い独立した部屋を与えられ、何もかも十分にある環境である事を、柚木は承知していた。

それは物質的な贅沢ではなかった。柚木は高価な装飾品も遊び道具も欲しがらなかった。フローリングの部屋にはほとんど物は置かず、鍛錬の場としていた。そこで朱雀や進士に学んだ事を繰り返すのが日課となっていた。朱雀は多忙な中でも出来る限り柚木と顔を合わせる時間を作った。進士は元は”盾”の教官でもあったので、まだ村に対するわだかまりを捨て切れない柚木が、反発を感じない程度に、様々な知識や技術を柚木に手解きした。

柚木は普通でいたい気持ちと、どこかでそれを捨て去る未来を否定しきれない思いとの間で、まだ揺れ動いていた。だが身体を動かす事は元来好きであったし、昨日出来なかった事が今日出来る喜びが、柚木を熱心にしていた。


その日・・柚木はいつもより学校を出るのが遅くなった。秋も深まり日が短くなり、外はすっかり夜になっていた。紺のブレザーに灰色のズボンの制服を身に着けた柚木は、どこにでもいる中学生に見えた。これもありふれたスポーツバッグに教科書と荷物を詰め込み、肩に下げていた。

柚木は立ち止まった。嫌な気配がした。咄嗟に柚木は身を翻した。柚木の身体をかすめ、鋭い刃物が地面に落ち、硬い音を立てた。
「これは驚いた」
柚木は身構え、声のする方を睨みつけた。住宅街を少しはずれ、人通りが少ない道である。片側は空き地になっていた。少し先に一人の男が立っていた。ひょろ長い手足の影が街灯を浴びて塀に映っていた。男は笑いを含んだ声で言った。
「ちょっと手を抜き過ぎたかな」
柚木の本能が敵だと告げていた。次の刃が飛んで来た。バッグを盾に、柚木はそれを受け流し、空き地へ飛び込んだ。

ふわりと宙を飛んだ男は、柚木の前方に降り立った。男はつまらなそうに言った。
「こんなもんか」
柚木は叫んだ。
「お前は誰だ!」
男は喉でくくっと笑った。男の目は狂気に光っていた。
「分かるだろう?」
(異人・・)
柚木は何も武器を身に着けていなかった。咄嗟に周囲を見渡したが、武器になるようなものはなかった。
「お前さ、匂うんだよ。俺達の嫌いな匂いがさ」
男は身体の両側にだらりと下げた両手に、扇の様に数本の短剣を広げて持っていた。
「匂うモノは、始末しないとな」
男が手を振った。短剣の雨が、柚木に襲い掛かった。

金属同士がぶつかり合う、激しい音が響いた。柚木を狙った短剣は悉く弾き飛ばされ、空き地に散らばり落ちた。柚木の前に、刀をかまえた大柄な男が立ちはだかっていた。柚木はその背中に見覚えがあった。
「ぐわっ!」
異人が叫んだ。異人の身体に細鎖が巻き付いていた。
「ご無事ですか、柚木様!」
ぎりぎりと鎖を引き絞りながら叫んだ男の声にも、柚木は聞き覚えがあった。
「邪魔が入ったな」
異人は悔しげに言うと、鎖を引き千切った。そして大きく宙へ飛び上がり、そのまま屋根伝いに逃げ去った。

男は刀を下ろし、柚木の方に向き直り、黙って頭を下げた。
「須永・・」
柚木はその男の名をつぶやいた。もう一人の男も駆け寄って来た。
「三隅・・」
呆然として、柚木は二人の”盾”を見た。細鎖を使っていた三隅と呼ばれた方の男がにこやかな顔で言った。
「お久しぶりで御座います。柚木様」

二人は柚木の義父の忍野の直属の部下であった。自宅にも良く出入りしていたので、幼い頃から柚木は二人に慣れ親しんでいた。もちろん、村を出てから顔を合わせるのは初めてであった。
「どうして・・”外”に?」
須永と三隅は、ちらりと眼を合わせ、頷きあった。柚木の身体が微かに震えていた。それに柚木本人は気づいていなかった。三隅は笑顔のまま言った。
「今日は我らの車でお送り致します。話は車の中で致しましょう」
柚木は素直に従った。

黒塗りのありふれたセダンだった。大柄で寡黙な須永が運転席に乗り込み、三隅は後部座席のドアを開け、柚木を乗せると、自分は助手席に座った。須永が車をスタートさせると、少し離れて二台の車がついて来るのに、柚木は気がついた。”盾”は一人では行動しない。必ず”組”と呼ばれる三人一組で行動する。須永と三隅の部下の車だと柚木は思った。

「背が高くおなりですね、柚木様」
温和な風貌の三隅は、昔と変わらぬ親しみをこめて言った。柚木は何と答えて良いのか分からなかった。柚木は無意識に眼鏡の蔓を片手で押さえた。それは亡き柚木の実父、篠牟(しのむ)と同じくせだった。顔も知らぬはずの父と同じ仕草をした柚木を、三隅はバックミラー越しに見て、深い感慨を覚えた。
(何と篠牟様に似て来られた事か)
須永も同じ様に感じているのが、三隅には解った。

忍野に仕える前は、三隅も須永も篠牟付きの盾であった。いつも身近に篠牟を見ていたのだ。その篠牟が『奴等』との戦いで命を落としてから十五年、忍野を失ってから五年の月日が流れたのだと、三隅は思い、その感傷を振り払うかの如く、明るく言った。
「我らは、しばらく前に朱雀様の配下となったのです」
「警備部?」
「はい」
三隅は答えた。

”盾”は現在三箇所に配置されている。村にいる盾と、『火消し』の留守を預かる幸彦と真彦の親子を守る古本屋のビルを拠点とする盾、そして朱雀の会社の警備部である。長く残る者もいるが、盾達にあらゆる経験を積ませる意味で、人員を定期的に入れ替えるのである。その中で警備部は”外のお役目”と呼ばれる特殊な任務に関る事が多い為、危険も多く伴う。だから志願者を募るのが常である。その位の事情は、かつて”盾”の見習いであった柚木も知っている。柚木は不意に気がついた。
「二人とも、僕の事を守っていてくれたの?ずっと・・」
三隅は振り返り、にっこりと笑ってみせた。

「まったく、せっかく嫌な匂いを退治しようと思ったのに」
異人はぼやきながら、ビルの屋上伝いに飛び跳ね、移動していた。
「今度会ったら、絶対退治してやる」
「退治されるのは、お前の方だ」
夜の闇を渡り、冴えた月光よりも涼しげな声が聞えた。異人は立ち止まり、声の方を見た。屋上のフェンスの上に、黒い外套を纏った人影が優雅に立っていた。白く長い髪が風になびき、神の美貌が異人を見下ろしていた。異人は吼えた。
「何だ、お前は!!」
薄紅の唇の端が少し上がり、天使の微笑を形作った。魔性の瞳が青く輝いた。
「分かるであろう?」
ふわりと美影が満月を背に夜空に舞った。次の瞬間、異人は真っ二つに一刀両断にされていた。音もなく屋上に降り立った者のしなやかな手には、青白く光る刀が握られていた。
「お前達を狩る者だ」

満月の夜空を、もう一人の魔性の者が風と共に翔けていた。
「竹生様は、もう最初の獲物を仕留められたか。いつもながら見事なお手並み」
肩までの白い髪をなびかせ、純白のマントを翻し、黒衣の者と良く似た美貌が微笑んだ。





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070824


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