金銀花(すいかずら)は夜に咲く
火消しシリーズ

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第5回
「強く優しき面影に」



「僕、臭い?何か匂う?」
百合枝は驚いた顔をした。そして柚木に身を寄せ、短く鼻で息を吸うと、柚木を見上げてにっこりと微笑んだ。中学生にしては背の高い柚木は、百合枝より頭ひとつ大きかった。
「青く甘い香り、朱雀と似ている」
「そうなの?」
「ええ、朱雀はね、自分達の一族の特徴だと言っていたわ。良い香りよ」
柚木は百合枝の笑顔を見ると、強張ったままだった身体が解れていく気がした。
「良かった」
柚木も笑顔を返した。

今日は百合枝に仏蘭西語を習う日だった。帰宅するとすぐに、柚木はマンションの同じ階にある百合枝の部屋を訪ねた。伯父の朱雀が連れて来た、この儚げで美しい人を、柚木は好ましく思っていた。彼女が特別な力を持ち、異人に狙われている事は、朱雀に聞かされていた。その為に朱雀が保護した事、そして百合枝自身はまだ『奴等』との戦いについて多くを知らない事も。
「遅くなって疲れているでしょう?お勉強は明日にしましょうか」
「でも・・」
真面目な柚木は躊躇った。百合枝は微笑み、そして言った。
「たまにはのんびりなさい。明日はみっちりお勉強させてあげるから」
朱雀が何故この人を大事にするか、柚木は朧気に解った様な気がした。柚木は元気良く返事をした。
「はい」

柚木(ゆずき)が異人に襲撃を受けた事は、すぐに朱雀にも進士にも知らせが行った。須永と三隅に伴われて帰宅した柚木を、進士は普段と変わらぬ態度で出迎えた。このような時はその方が良いと心得ていたからである。
「お帰りなさいませ、柚木様」
三隅は言った。
「では、我らはこれで失礼致します」
振り向いた柚木の不安げな顔を見て、三隅は安心させる様に穏やかな笑顔で柚木に言った。
「まだ勤務中ですので」
須永と三隅は、進士と目を合わせ、軽く会釈をした。去ろうとした二人に、思い切った様に柚木が声を掛けた。
「あの・・」
二人は立ち止まり、柚木を暖かく見た。
「今日はありがとう」
二人は黙って頭を下げた。柚木は急いで付け加えた。
「また、二人に逢いたい。今度、遊びに来て。昔みたいに・・話したい」

進士の顔に驚きの色が走った。柚木は佐原の村を出て以来、村人に逢おうとはしなかった。”外”にいる盾とも顔を合わせるのを避け続けて来たのだ。須永も三隅もそれを知っていた。だからこそ今日まで二人も柚木の前には姿を現さなかったのである。三隅はうれしそうに言った。
「では、非番の時にお邪魔させて頂きます」
進士も口を挟んだ。
「何かご馳走を用意しておきますぞ」
三隅は更にうれしそうな顔をして進士に言った。
「ありがとうございます。普段は自炊なので、碌な物を食っていないのですよ」
寡黙で大柄な須永の顔も綻んでいた。

帰宅した朱雀は、玄関でその話を進士に聞いた。
「そうか、柚木がそんな事を」
朱雀のコートを受け取りながら、進士は言った。
「柚木様は、ようやっとお心を開かれた様で」
「まだほんの少しではあるがね」
朱雀は栗茶色のマフラーをはずし、進士に渡した。
「それには、良い事も悪い事も伴う」
朱雀の言葉には苦さがあった。
「はい」
朱雀は奥に向かって歩き出したが、突然立ち止まって振り向いた。そして進士ににやりと笑ってみせた。
「これからがお前の腕の見せ所だ。よろしく頼むよ」
進士は黙って頭を下げた。

「そろそろ、寝ようと思っていたの」
「キミに、おやすみの挨拶を言いたくてね。間に合って良かったよ」
朱雀は部屋着に着替えると、百合枝の部屋へ行った。百合枝はすでに寝巻を着ていた。百合枝は深夜の朱雀の来訪に、迷惑そうな様子は見せなかった。居間のソファに二人は並んで腰を下ろした。朱雀は百合枝からも柚木の話を聞かされた。
「匂い?」
「ええ、誰かに何か言われたのかしら」
「そうかも知れんな」
「学校で、何かあったのかしら」
「あの子はそんなに弱くない」
「でも、優しい子だわ」
「そうだな、私と同じ位に」
朱雀はいつもの魅力的な笑顔で、隣に座る百合枝を見た。

勉強机に向かっていた柚木は”風”を感じた。それは覚えのある風だった。強大な風の力・・朱雀のものではない。柚木はその感覚を意識の隅へ追いやった。佐原の村を思い出すものには近付きたくない気持ちが、柚木の中にまだ残っていた。

竹生が百合枝の屋敷を買い取り、そこに移り住んだ事は知っていた。その為に竹生や三峰が、以前よりも頻繁に朱雀のマンションに訪れる様になった事も、竹生が百合枝を気に入ったらしい事も、柚木は朱雀から聞いていた。朱雀は冗談混じりに柚木に言った。
「女性には、いつでも敬意を持って接するのだよ。それが真に優れた女性であれば、竹生様ですら情をお示しになるのだからな」
柚木が竹生や三峰と顔を合わせる事はなかった。それは朱雀の配慮でもあり、何よりも”人でない”者達の活動は深夜が主であったからである。

(あの風は、竹生様だ・・)
躊躇ってはいても、感じる。その強き力を。一度開いてしまった扉を閉ざすのは難しい。柚木は教科書とノートを閉じ、ベッドに潜り込んだ。”外”に出るまで柚木は布団で寝ていた。寂しい時は、母と弟の桐生(きりゅう)の部屋まで布団を引っ張って行き、そこで眠る事もあった。父が家にいる時は父の部屋へ行く事もあった。父は笑って自分の布団を少し脇に寄せ、柚木の布団を並べて敷いてくれた。血の繋がらない父であっても、柚木には本当の父親以上の人だった。強く優しく美しい人だった。

何故あの優しい人が、あの様な形で死なねばならなかったのだろう。愛し信じて来た者達に裏切られ、失意の中で惨めに。思い出すと、暗い中で見開いた柚木の目から涙があふれ、目尻から耳に伝わり流れ込んだ。
「お父さん・・」
暗闇に笑顔の面影が浮かんだ。切れ長の目に特徴のある顔。幼い弟は父親似だと大人達に言われていた。今はもっと似ているかもしれない。久しぶりに思い出した故郷の家族。だが柚木は母の顔は思い出すまいとした。父を裏切った母の事を。母の記憶を打ち消す為に、柚木はもう一度そっと呼んでみた。
「お父さん・・」
ベランダに降り立った、竹生の”人でない”耳に、その声は届いた。それを聴き、竹生が複雑な顔をしたのを、柚木は知るよしもなかった。

柚木の涙は止まらなかった。
様々な想いが流れる夜の中で、柚木の想いも又過去へ流れて行った。
(お父さん、どうして・・)

それは五年前、十歳だった柚木。
村を出たのは、雨の日だった。





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070824


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