| 金銀花(すいかずら)は夜に咲く | 火消しシリーズ
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| 第6回 | |
| 「咎なき罪人(つみびと)」 | |
どしゃぶりの雨が降り続いていた。まもなく十歳になる柚木は、傘も差さずに山道を懸命に走っていた。柚木の後を、村の長や長老、そして村の主だった大人達が、同じく雨に打たれながら追っていた。 一同が、山の途中の大木の下にたどり着いた時には、倒れ伏した忍野(おしの)はすでに息をしていなかった。忍野のうちひしがれた心は、もう哀しむ事はなくなっていた。泥だらけの薄い寝巻は濡れそぼち、黒ずんだ帯がかろうじて痩せた身体に着物を留めていた。 柚木は忍野の傍らに膝を着き、忍野の顔についた泥を小さな手で拭った。 「お父さん・・」 堅く目を閉ざした顔は、やつれていても、子供の目にも美しかった。 村人は、柚木の全身から膨れ上がる怒りに押され、誰も二人の側へは行けなかった。二人の周囲を荒れ狂う風が取り巻いていた。小さな背中が震えていた。柚木の声がした。 「僕は・・僕は許さない」 柚木は振り返ると、村人達を睨みつけた。柚木の叫びが、雨の音を制してあたりに響き渡った。 「僕は許さない!!お父さんを殺したのは、お前達だ!!僕は、絶対に許さない!!」 それは五年前の、佐原の村での出来事であった・・ 「篠牟(しのむ)殺し」の悪い噂が、いつからともなく村人の間でささやかれる様になった。最初は誰もが笑い飛ばした。しかし噂は執拗に繰り返し蒸し返され、やがてささやきは段々と大きくなり、村の長の高遠(たかとお)の耳にまで届く様になった。 不快な内容に、高遠は眉をひそめたが、部下の滋野(しげの)の言うには、かなりに広まっているとの事であった。 「風の家の顔役が、真相を調査せよと言い出しているとか」 「顔役の方達にも困りものだな」 高遠は、風の家の長である自分が、ないがしろにされている事より、顔役達の権力への固執の方が不愉快だった。何かと自分達の存在を知らしめたい行動ばかりが先走る。 「露の家の劉生(りゅうせい)様も、お心を痛めておられような」 忍野は劉生の嫡男であった。 「はい、麻里子様もお悩みのご様子です」 十年前に大きな戦いがあった。 現在の幼き佐原の当主真彦の母、舞矢(まいや)が異人に連れ去られた。舞矢を取り戻すべく、盾達は『奴等』と配下の異人の領域へ行った。舞矢奪還には成功したものの、当時の盾の長だった篠牟は重傷を負い、数日後に世を去った。 『篠牟の婚約者の麻里子に横恋慕していた忍野が、戦いに乗じて篠牟を殺した。その証拠に、その後、忍野は麻里子と結婚し、篠牟の後の盾の長となった』・・それが噂の主なる内容である。 しばらく安穏とした平和が続き、”外”の世界から隔離された村では、人々の退屈に倦んだ心に、このような噂が絶好の餌になったのかもしれない。 劉生の鍛えられた感覚が、村に広がる違和感を感じた。 (妙な悪意が感じられる・・何だ、これは) 霧の家は代々”結界”を司る家である。”結界”はこの特殊な村と異界の境界を守るものである。それゆえに他の者よりも、村の中の気配に敏感なのであった。 (忍野の悪い噂も、これが原因なのであろうか) 劉生は無論それを信じてはいない。息子の忍野の無実を信じている。だが村の名家のひとつである露の家の長として、うかつな行動は出来ず、静観しているしかなかった。 村人達の異様な疑惑への盛り上がりは、遂に忍野に直接向けられた。『奴等』の毒に倒れた忍野は、医療の建物の一室で養生をしていた。忍野は庭続きの屋敷の大広間に呼び出された。そこには風の家の顔役始め、集まれるだけの村人がいた。その中には何も知らされずに呼ばれた麻里子の姿もあった。忍野は詰問された。もちろん否定したが、忍野が認めるまで、人々は忍野を責める事をやめそうになかった。 忍野は人々の疑惑よりも、その場に麻里子がいた事に傷ついていた。事情を知らない忍野から見れば、麻里子も彼等と同じ目で自分を見ていると思われたからである。憎悪がそこには渦巻いていた。誰もがそれを忍野に向けていた。 村の長の高遠が事態に気がつき、急ぎやって来た時には、いきり立つ人々は忍野を袋叩き同然の目に合わせていた。誰も忍野をかばう者はいなかった。忍野は抵抗しなかった。病の身とはいえ、盾の長である忍野が手を出せば、村人に怪我をさせてしまう事が解っていたからである。高遠と共に駆けつけた霜月が大声で一喝した。長老に次ぐ立場である霜月の叱声に、村人達はさすがに手を止めた。 「お前達は何をしているか、解っているか」 霜月は床に倒れ伏した忍野の前に立ちはだかり、一同を睨んだ。 「これが、佐原の村人のする事か」 集団の中から声がした。女の声だった。 「死ねばいいのよ、そんな男は」 それに続いて、男の声がした。 「そうだ!死んで償え!」 和する声が広がった。高遠はたまりかねて叫んだ。 「真相は私の責任で調べる。これ以上、不確かな事で騒ぎ立てるな!」 高遠は怒りに震えていた。醜い顔が広間に満ち溢れていた。それは高遠が長年戦って来た悪鬼達と良く似た顔だった。霜月も叫んだ。 「当主様のお屋敷で、これ以上騒ぐ事は許さぬ。一刻も早く立ち去れ!」 人々は不承々々、その場を去って行った。 高遠は忍野を助け起こした。 「馬鹿げた事だ・・気に病むな。すまん、私の目が行き届かずに」 「いえ、高遠様のせいではありません」 忍野は麻里子がそこにいない事が答えだと感じていた。彼等と一緒に去っていった事が。それは皆が手を引っ張り背を押して、連れて行ったとしても。 「私は篠牟様をお守り出来なかった・・それが、私の罪です」 霜月は老いたとはいえ、まだまだ力強い大きな手で、忍野の背を励ますようにさすった。 「篠牟様をお救い出来なかったのは、我ら皆の責任だ。お前だけの罪ではない」 忍野は感謝する様に高遠と霜月に頭を下げた。 忍野は一人歩いていた。禁忌の山の麓の洞窟へ行くつもりだった。病室を抜け出したままの身なりであったから、灰色の寝巻しか身にまとっていなかった。頬は病にやつれ、髪もとかしていなかったが、忍野は美しかった。行き先の洞窟には竹生がいるはずだった。幸彦と真彦が”外”で暮らす為に村を出てから、めったに人前に姿を見せなくなった竹生がそこにいる事は、三峰と忍野しか知らなかった。 幸彦達が村を出る時に同行した三峰は、出立の間際に忍野に打ち明けた。 「竹生様は、目があまり良くお見えにならないのだ」 「え・・」 「十年前のあの日、お前の毒を我が身に引き受けられたのだ」 「そんな、私は何も知らずに」 「そこまでして、竹生様がお助けになった命だ。大事にせよ」 「私なぞに、そんな価値はありはしないのに。篠牟様ならいざ知らず」 忍野は驚きに身を震わせた。三峰は忍野を見ながら言った。 「誰が誰より価値がないなどと、言うな。竹生様にとってお前はそれ程に大切なのだ。おそらくお前を”外”へ連れて行こうとしたのも、本心からであろう」 その時すでに忍野は、竹生に二度と顔を見せるなと申し渡された後であった。 目次 |
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| 070904 |
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