| 金銀花(すいかずら)は夜に咲く | 火消しシリーズ
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| 第7回 | |
| 「孤高の購い」 | |
『奴等』の領域から、傷ついた篠牟(しのむ)を連れ戻した時、忍野(おしの)は、篠牟と、自分と共に奥へ行った須永と三隅の身を案じ、彼等の身を守る術を優先した。それ故、忍野自身が『奴等』の毒に侵された。竹生はその毒を吸出し、自らの血を分け与え、忍野の命を救ったのだ。 その時に『奴等』の毒で目を侵され、竹生は光を失った。元よりすべての感覚が人の数倍も優れていた竹生は、それを他の感覚で補い、通常の生活も戦闘ですらも、他人に目の不自由さを気づかれる事なく過ごして来たのであった。 それから十年を経た今、忍野の体内に残っていた毒が、弱った忍野の身体を、『奴等』の執念の如く再び蝕んでいた。忍野は歩きながら、「二度と来るな」と自分に申し渡した時の、竹生の哀しい顔を思い浮かべていた。 (今の自分は、村では無用の存在となり、ましてや石もて追われる身になった。毒が回り、この身が果てるまで、せめて竹生様のお側にお仕えしよう・・竹生様は村に大切な方だ。それが村の為に、私の出来る最期の事になるやもしれぬ) しばらく前の事であった。忍野は竹生の自分への思いが、思いがけず深い事に気がつき、竹生の前にひれ伏して言った。 「竹生様のお心、私には勿体無さ過ぎます。これ以上はお許しを」 洞窟の奥の部屋であった。褥に横になっていた竹生は起き上がり、ひれ伏す忍野の肩のあたりを見た。 「そうか、お前もそうか」 竹生はつぶやき、向こうを向いた。 「私は人であった時から化物であった。誰もが私を恐れ、愛される事はなかった」 「いえ、そんな事は」 (それは竹生様があまりにも強く、あまりにも美しく、それ故に誰も近寄れなかっただけなのだ・・) 忍野はそう思いながらも、それを口にする事が出来なかった。 「二度と、私の前には現れるな」 竹生は向こうをむいたまま言った。その声からはいつもの優しさが消えていた。 「私が孤独を知らないとでも言うのか?私でも孤独を感じる時はあるのだ」 竹生様はいつかそうおっしゃった事があった。私は深く考えもせずに、竹生様の好意に甘えていたのだ。身体をそこねてまで命がけで救っていただき、それにずっと気付かず。私には妻も子もいる。父との和解も、思えば竹生様のお蔭だ。竹生様は実の弟の三峰様とは遠く離れ、幸彦様は主従として心を許しあうとしても、孤独には変わりない。なのに私は竹生様を傷つけてしまった。 忍野は洞窟にたどり着いた。昼の時間であった。竹生は洞窟の奥で”人でない”者の激痛に苛まれる身を横たえていた。冷ややかな声がした。 「二度と現れるなと言ったはずだ」 忍野はその場にひれ伏した。 「私をお側に」 「何だと」 竹生は起き上がった。 「私を竹生様のお側にお置き下さい。竹生様の御目の代わりに」 竹生は冷たく言った。 「誰に聞いた」 忍野は答えなかった。 「行け、もう二度と来るな」 忍野は顔を上げた。 「竹生様」 「後悔に鬱々としているお前など、側においてたまるか」 「いえ、後悔など・・」 「負い目がある故に、私に仕えるというのか。私を愛したというならいざ知らず、決して愛する事がないと知りながら、どうしてそんな者を側に置けるというのだ」 忍野は身を硬くした。 「これ以上、私に惨めな思いを味わわせるな。すぐに立ち去れ」 悲痛な怒りの声であった。竹生がここまで感情を顕わにした姿を、忍野は初めて見た。忍野は立ち上がり、深く頭を下げ、そして出て行った。忍野の気配が洞窟から消えると、竹生はつぶやいた。 「食い下がりもせず、あっさりと出て行った。その程度の決意など、いらん」 竹生は暗闇の中に再び身を横たえた。 忍野は戻ったのではなかった。忍野は洞窟の外に出て、出入り口からやや離れた場所に座り込んだ。竹生の鋭敏な感覚はすぐにそれに気がついたが、あえて無視をしていた。夜の狩から戻り、その前を通っても、声をかける事すらしなかった。それでも忍野は座り続けた。 忍野の失踪に最初に気がついたのは老医師だった。冷静な老人は即座に高遠に知らせ、この事は厳重に秘された。高遠は忍野を心から慕う三隅に、忍野を密かに探させた。三隅は一人、村中を捜したが、忍野を見つける事は出来なかった。忍野の周囲には、まるで忍野をかばうかの如くに、不思議な力が働いていた。それは土地の力だった。だから竹生以外の者は、忍野の存在を知る事が出来なかったのだ。露の家の遠見の術でも見る事は出来なかった。 麻里子は周囲に監視されているのも同然な境遇になっていた。忍野の病室に行く事すら出来なかった。殺気だった人々が、忍野の子である桐生にも憎悪を向ける事があった。麻里子は桐生(きりゅう)の身を案じて、動く事が出来なかったのである。忍野がいなくなれば家督が継げる弟の蔵野(くらの)は、劉生以外の一族を味方につけていた。わずかに末の弟の栗野(くりの)だけが、兄の忍野と麻里子を思いやり、うかつには動けぬ劉生と諮り、何かと気を配ってはいた。だがそれも蔵野の目を盗んでの事であった。 秘していても、忍野のいない事に気がついた者がいた。柚木であった。村人達は異様な雰囲気の中にあったが、柚木に危害を加えようとする者はなかった。柚木は篠牟の子である。篠牟を慕う気持ちから出た怒りという大義が、柚木の身を安全にしていた。柚木には母親の行動が不可解であった。直接は忍野の罪を口にはしないが、人前で否定もしない。細かい事情が子供の柚木には分からぬから、柚木は母に次第に怒りを覚え始めていた。 忍んで行った病室に忍野はいなかった。忍野がそこを出てから五日経っていた。昨夜から激しい雨が降っていた。柚木の不安は高まった。 (お父さん・・どこに行ったの?) 真彦がいてくれたらと柚木は思った。真彦なら夢の力で忍野の居場所を探ってくれる。真彦は今は”外”で父親の幸彦と暮らしているのだ。成人して晴れて正式の当主となる日まで許された、つかの間の自由な時間であった。柚木は全身で風の声を聴いた。どこかに忍野の手掛かりはないかと。雨に邪魔はされても、柚木の必死の思いに”土地の力”は感応した。柚木は微かな気配を感じた。何かを土地が守っている。その気配を。 (禁忌の山の方だ・・) 雨の中、柚木は表に飛び出した。 どしゃぶりの雨の中で身体が凍えた。それでも忍野は動かなかった。病の上に飲まず食わずで、起きている事すら出来ぬ程に弱りきった身体を、忍野は泥に横たえていた。 (篠牟様をお守り出来なかった・・それが私の罪。麻里子様を幸せになどと思い上がったのも・・罪か。だとすれば、これがその罰なのか) 誰かが、忍野の身体をゆさぶった。 「お父さん、お父さん!!」 柚木だった。ずぶぬれの柚木は、必死で忍野の身体を抱き起こそうとしていた。 「お父さんが、悪い事をするわけないよ!」 泣きながら柚木が言った。忍野はようやく出たか細い声で言った。 「お前は・・私を信じてくれるのか・・」 「当たり前じゃないか」 うっすらと忍野は微笑んだ。 「ありが・・と・・」 柚木の腕の中で、忍野の身体が重くなった。 「お父さん、お父さん!しっかりして!」 柚木は渾身の力を篭めて、少しは雨のしのげる大木の根元まで忍野を引きずっていった。 「待ってて、誰か呼んで来るから」 柚木は風を呼び、猛烈な速さで翔けて行った。 (誰も来ないだろう・・お前だけが私を信じてくれた。それだけでいい・・) 忍野の目は、柚木の後姿を見る事も、もはや出来なかった。 目次 |
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| 070904 |
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