主任研究員の歴史

〜〜自己分析分科会〜〜
LastUpdate 2003.01.26

 

主任研究員のうちだはどんな奴なん?→こんなあきれた奴です(^^;ゞ
※このページの内容は全て
Non Fictionです。(^^;)

1949年 広島カープ誕生
 68年 広島東洋カープに改名
 71年 うちだ、芦品郡新市町出身の父、福山市出身の母の間に東京都目黒区に誕生。
 75年 まだ赤ヘルブームがはじまる前の春先、東京・駒沢オリンピック公園での幼稚園の催し物で、周りがジャイアンツ帽の中、一人だけ赤い帽子をかぶり走り回る。
カープ、後楽園球場で初優勝。
 76年 後楽園のジャイアンツ戦を両親と2階ジャンボスタンドで観戦。ピッチャー池谷、バッター張本の場面で前方の席に居たジャイアンツファンの子供が池谷に向かって「ヘボピッチャー」と野次っているのが悔しくて、安打製造機・張本に向かって「ヘボバッター」と叫ぶ。張本みごと三振。
 77年 大分県大分市に引越
飼い始めた柴犬に山本浩二に因み「コウ」と名づける。
父親の出張ついでに、初めて広島市民球場で観戦。タクシー内にミッキーマウスの腕時計を忘れる。
 79年 福島県福島市に引越
高橋慶彦の33試合連続ヒットを「コウ」と福島大学グラウンドで聞く。
カープ「江夏の21球」で初の日本一。
 80年 高橋慶彦の育った東京都清瀬市に引越。
団地住まいで泣く泣く「コウ」を手放す。
代わりに「カープの帽子をかぶっているようだ」ということで、「丹頂」という種類の金魚を飼い始める。
カープ連続日本一。
  西武沿線のため、周りがすべてライオンズの青い帽子の中、ひとり赤い帽子で小学校時代を過ごす
 83年 神奈川県伊勢原市に引越
 84年 カープ、横浜スタジアムで優勝決定。
TVK(テレビ神奈川)で中継のためテレビ観戦。
 86年 カープ、神宮で優勝決定。決定戦TV中継ではなぜか横山やすしが無関係に出演。優勝投手・津田恒美の最後のバッターは青島健太。
ライオンズ球場での日本シリーズに両親はるばる伊勢原から観戦へ。平日昼間だったため、うちだは学校で授業中に携帯ラジオで観戦。
 88年 ソウルオリンピックのハイライト、男子マラソンがあるというのに横浜スタジアムのホエールズ戦を観戦。野村弘の初登板完封をみてしまう。
 89年 ドラフト会議後、元木大介ホークス入団拒否のニュースに納得いかず、G党の高校の政治経済担当教諭と言い争い、授業を丸1時間潰す。
 91年 浩二カープ初優勝。
優勝決定のダブルヘッダー第2試合のみ関東ではTV中継無し。
 92年 前年のドラフト会議で専大の町田公二郎を1位指名。その予兆が当たり、うちだも専大に入学。(実は小林幹英も同時入学)
入学後、ただカープの試合を見るだけのために単独市民球場に乗り込み。緒方の満塁ホームランで10連勝。
 93年 神宮球場のスワローズ戦で16−17の試合を観戦。翌.日声を嗄らす。
夏休みに市民球場のタイガース3連戦をすべて観戦。
横浜スタジアムでの最終戦(浩二監督最終戦)Wヘッダーを観戦。2試合とも零封され最下位決定。
95年 福岡ドームでカープオープン戦を観戦し、11球団11本拠地球場で観戦完了。(新ドームも完成後観戦済)
97年 ゴールデンウイークに甲子園のカープ戦を観戦。初登場のグリーンウェルにめった打ちされる。(GWにGW…(^^;))
東京世田谷・豪徳寺に一人暮らしをはじめる。
98年 カープ観戦8試合重ねるものの全敗(神宮6、ナゴヤ・横浜各1)
99年 ゴールデンウイークを目前にし、有給を取って遠路遥遥広島まで観戦旅行。金本のサイクルヒットをこの目で!
お盆休みの横浜戦、江藤の3発で19−7で快勝。今となっては、空しい思い出…。
2000年 セ・リーグ優勝を神宮球場でラジオで知る。自分にとってはそんなことより、その日の横山の復活登板に興味あり。
東京・町田市に転居。
01年 開場13年目にして初めて東京ドームGvsCを観戦。ただし1塁側ベンチ後方という最悪のポジションだったため、延長11回11−8の壮絶な打撃戦の中、声を張り上げることも出来ず。
02年 開幕戦(vsYB)を含め、週末の大阪出張を利用して都合3度来広。その他大阪ドーム、甲子園、ナゴヤ、横浜、神宮で観戦。が、東京ドームだけは無し。

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