| 鯉隊資料研究分科会(チケット編) |
●1986年10月21日 日本シリーズ 第3戦(ライオンズvsカープ・西武ライオンズ球場)
ペナントレースではジャイアンツとデットヒートを繰り広げ、セ・リーグ逆転Vを飾った1986(昭和61)年、カープはパ・リーグ優勝のライオンズと戦うこととなった。この年のシリーズ、カープは39歳の山本浩二現役最後(実際には引退を表明していなかったが)、そしてライオンズは高校出の怪物ルーキー19歳清原和博が両4番を務めるという対照的なチームの戦いとなった。
※山本浩二はシリーズ中に40歳を迎える。
第1戦(広島市民)は、完全なカープの負けムードだった9回裏に小早川・山本浩が東尾から連続本塁打で同点に追いつき、そのままドロー。2戦はカープが勝ち、舞台は西武ライオンズ球場に移った。
この第3戦、平日にもかかわらず当時は全てデーゲームで行われたため、学生だった私は観に行ってません(^^;)。私は授業中に学生服に携帯ラジオをしのばせ聞いてました。両親はせっかく手に入れたチケットのため会社を休んで観に行きました。
開始13時2分 試合時間3時間10分 観客31,769人
C 000 130 120|7 ○長冨(5)−川端(2)−S津田(2)
L 010 000 300|4 ×郭(42/3)−市村(0)−石井(1/3)−松沼弟(2)−渡辺(1)−川本(1)
本塁打 石毛1号(2ラン・川端/7回) 勝利打点 達川試合は達川のタイムリー、ルーキー長冨浩志の好投、最後は津田恒美が締めてカープの快勝。2連勝となった。(うちの両親が大変ご満悦だったのを覚えてます(^_^))
第4戦目も勝ってカープの3タテ。そのまま日本一になるかと思ったところ、第5戦のピッチャー工藤のサヨナラヒットから流れが代わり、ズルズル…3連敗。シリーズ史上初の第8戦まで縺れこみ、結局4連敗。(秋山のバック転が印象的だった(*_*)) 日本一はライオンズの手に渡った。(コレがライオンズ黄金時代の始まり)
なお表彰式終了後、山本浩二選手の胴上げが。負けチームの胴上げなど後にも先にもコレだけでしょうね。
●1988年 3月31日(プロ野球トーナメント カープvs.ホエールズ・東京ドーム)
日本初のドーム球場、東京ドームが開場したのは1988年。本拠地とする、ジャイアンツ・ファイターズの柿落としとなるオープン戦が行われた後、選手がドームに慣れてもらうという目的も兼ねて、公式戦開幕直前に12球団が東京ドームに結集して「サッポロビール プロ野球トーナメント」が行われた。
1回戦、カープの相手は横浜大洋ホエールズ。(第1試合) 後攻めのカープが1塁側に陣取るという公式戦ではありえない非常に珍しい形となった。正直言って、初めてのドーム球場ということで、「何しろ広い」と印象ばかりが先に来て、肝心の試合内容はほとんど覚えてない(^^;)。
ただ憶えているのは、山崎隆造のサヨナラ内野安打という非常にシブ〜い勝ち方だったことだけ(^^;)。(また山崎隆造ってのがシブ〜い)
当時、東京ドームの報道はやたら広いと言うのがやたら多かった。広い球場全盛となった今では、むしろ東京ドームは広くないイメージが多いが…。このトーナメントの商品として、ホームランの飛距離(m)×1万円というのがあったはず。しかし、このトーナメントでホームランが頻発されるので逆に「ドームは空気抵抗が少ないので、ホームランが出やすい」というイメージを植え付けることとなった。
ちなみに2回戦に進んだカープ。次はライオンズと戦ったのだが、ライオンズ・郭泰源にノーヒットノーランを喫し(*_*)、開幕直前に暗雲が立ち込めることとなった。
●1988年10月2日(ホエールズvs.カープ・横浜スタジアム)
ちょうどソウルオリンピックが行われていた1988年10月、しかも10月2日当日はオリンピックのハイライト男子マラソン(中山竹通選手などが走ってました)にもかかわらず、私は横浜スタジアムのホエールズvsカープの試合を観に行っていました(^^;)。
しかし試合は広島出身のホエールズ・野村弘(現在は弘樹)に初登板・初完封を喫してしまいました(*_*)。
余談ですがチケットのイラスト、誰だか分からないようになっていますが、たぶん投手は遠藤一彦、走者は屋鋪要の両選手なんでしょう。横浜大洋ホエールズの当時の売りの選手がわかります。
●1993年 5月19日(スワローズvs.カープ・神宮球場)
映画にせよ、音楽コンサートにせよ、代金を払って観に行くというのは、それなりの感動がある程度予測できるからこそ対価を払うというハードルを越えて観に行くという行動が起こせるものです。しかしこれはスポーツ観戦には当てはまらない。もちろんプロ野球でもオールスターゲームや日本シリーズというようなビッグイベントならば、多少それも当てはまる。しかしビッグイベントであっても単調でつまらない試合だったり、逆に消化試合でつまらないだろうと思って観に行った試合が実は非常に面白かったということは往々にしてあります。スポーツ観戦に関しては、代金を払うのはある意味賭けです。2000円の料金が、行って観たら10000円払っても良かった、逆に1000円にもならないよ。なんていうのはザラです。この試合は前者の最たる例でした。
何気なく友人を誘って観に行った試合。友人もホエールズファンで、プロ野球は興味あるがスワローズとカープの試合なんて…という感じ。なんとなく…という感じでこの試合レフトスタンドに陣取って観ておりました。
ところが、始まってみたら凄い凄い!!両軍合わせて10本塁打、42安打、33得点。出てくる投手皆メッタ打ち。本当にパチンコのフィーバー状態。3回を終わって、5−13。既に8時を過ぎてました(^^;)。3回の池山の満塁ホームランが私たちの頭上を越えていくのを見て、友人が「もう帰ろうよ」といっていたのですが、これは何かがあると思いそれを振り切りずっと観戦。案の定奇跡的にカープが追いつき同点。その時には初めはイヤイヤ来ていた友人とも抱き合って喜んでしまいました。
しかし同点に追いついてからは今までの打撃戦がウソのようにカープ佐々岡真司、スワローズ山田勉の投手戦となりました。延長11回の頃には11時過ぎ。さすがに私たちも帰りの電車が気になり家路についてしまいました。結局最終的には延長14回にミミズ男・ハドラーのサヨナラヒットでカープは負けたのですが、16−17。1点差ゲームでは最多得点で日本記録。本当にすさまじい試合でした。
我が家にその試合のスコアテーブルがありましたので、それを載せます。(別ウインドウで開きます)
翌日はあまりの興奮で声を嗄らしてしまい、そのまま学校に行った記憶があります。ちなみに神宮球場の隣の国立競技場ではその年開幕したJリーグの第2戦が行われていました。(第1戦5月15日に国立競技場で行われたヴェルディvs.マリノスは有名です) 翌日の日刊スポーツは国立と神宮の両方を空から写した写真が1面を飾り、プロ野球とJリーグの共存が始まる瞬間の象徴の写真となりました。(本当はこのすさまじい試合の様子を新聞に載せたかったのだろうが、何せ試合が終わったのが日付が変わってた(^^;)。締め切りに間に合わなかったと言うのがホントのところだろう)
●1999年4月24日・25日(カープvs.ドラゴンズ・広島市民球場)
試合の内容等、詳しくは「鯉隊研究分科会」の「3.大満足の広島紀行(平成11年4月24〜26日)」をご覧下さい。
4月24日は金本知憲選手のサイクルヒット!達成の試合でした。
![]()
●2000年3月26日(ベイスターズvs.マリーンズ オープン戦・川崎球場)
試合の内容等、詳しくは「鯉隊研究分科会」の「番外1.「川崎劇場」最後の日」をご覧下さい。
●2001年6月7日(ベイスターズvs.カープ・相模原球場)
この試合は中止となりました。
収集の経緯等、詳しくは「鯉隊資料研究分科会」の「その他/グッズ編」をご覧下さい。
●2004年 9月18日(ベイスターズvs.カープ・横浜スタジアム)
NPB(日本プロ野球機構)とプロ野球選手会の間で行われた労使交渉が決裂し、9月18・19日(土・日)の試合がストライクのため中止となりました。
このチケットはその時のオーナーズチケット(ベンチ裏と言う最高の位置、のはずでした)です。年間指定席のため払い戻しも出来ず、半券も付いたままとなっています。
私も球場内に入れないものと分かっているものの、その日の午前中にスタジアムに向かいました。人影もまばらの中、目立ったのはテレビクルー。私が確認できただけでも、NHK・TBS・RCC…。球場を訪れた人にストに対するインタビューしており、自分も受ける状況にもなりえたのですが…。
午後には、ベイスターズ・カープの各選手が球場外でサイン会を行い、大盛況となりました。サイン会のことを知っていれば自分も行っていたでしょうね。