群発地震研究会(Research Group of Earthquake Swarms in Japan)
日本の群発地震(Earthquake Swarms in Japan)
1965年
1965.02.15-1965.02.25 昭和40年
関東 , 東京 伊豆大島近海
34.48, 139.00, Mmax= 4.8, Imax= , N= 164, D= 11
1*1965.02.20 11:19 34.48, 139.00, 20, 4.8
◇1965.02.15-1965.02.25
伊豆大島近海に起った群発地震
有感地震48回、有感地震 116回であり、20日には有感地震39回、無感地震65回で
最も活発であった。(群発地震研究会注:原典には「有感地震 116回」とあるが
,無感地震 116回であると考えられる.)[1]
◇1965.02
1965年 2月に時々小噴火[2]
◇ 2月後半になって再び活発となり,20日には最大 M=4.8, M=4.0以上のもの 8
個を含む多数の地震がおこった。 3月にはまた静かになった。
1965年 2月20日の活動は典型的な群発型である。
2月21日夜から22日朝にかけても小噴火があったと推定される[3]
◇ 2月20日11時19分頃M4.8(34゜29'N ,139゜00'E,深さ20km), 4月 1日 8時頃
M3.7(34゜50'N ,139゜14'E,深さ 0km)の地震が発生したときは一時的にかなり
活発化した.[4]
◇伊豆大島
1965年(昭和40年)噴火: 1月噴火。 2月, 5月,11月,12月にときどき小噴火
。[5]
【文献】
1. 気象庁地震課地震予知情報室, 1978, 1978年伊豆大島近海地震について, 地
震予知連絡会会報, 20, 45-50.
2. 気象庁, 1984, 日本活火山総覧, 482pp.
3. 神沼克伊・茅野一郎・窪田 将, 1975, 1964年12月〜1965年 2月の伊豆大島
付近の群発地震−地震と噴火の関係−, 火山, 2, 20, 1, 37-47.
4. 鈴木雄次, 1985, 図説前震の記録, 自費出版, 164pp.
5. 気象庁, 1996, 日本活火山総覧(第 2版), 500pp.
------------------------------------------------------------------------
1965.03 昭和40年
東北 , 青森 青森県沖
. , . , Mmax= 6.4, Imax= , N= , D=
1*1965.03.17 , , , 6.4
◇ 2種の群発地震あるいはこれに近い地震群
最大地震の年月日 1965 3 17
震央地名 青森県沖
Mの差が 0.4以内のグループ(発震時順) 6.4 6.4
次に大きい地震の M 5.4
[1]
【文献】
1. 宇津徳治, 1970, 地震の時間的分布に関連する諸問題(その 3), −余震,
前震,群発地震の時間的性質−, 北海道大学地球物理学研究報告, 23, 49-7
1.
------------------------------------------------------------------------
1965.04 昭和40年
関東 , 茨城 茨城県南西部
. , . , Mmax= 5.5, Imax= , N= , D=
1*1965.04.06 , , , 5.5
◇ 2種の群発地震あるいはこれに近い地震群
最大地震の年月日 1965 4 6
震央地名 茨城県南西部
Mの差が 0.4以内のグループ(発震時順) 5.5 5.1
次に大きい地震の M 4.5
[1]
【文献】
1. 宇津徳治, 1970, 地震の時間的分布に関連する諸問題(その 3), −余震,
前震,群発地震の時間的性質−, 北海道大学地球物理学研究報告, 23, 49-7
1.
------------------------------------------------------------------------
1965.04.01 昭和40年
関東 , 東京 伊豆大島近海
34.83, 139.23, Mmax= 3.7, Imax= , N= 29, D= 1
1*1965.04.01 08 34.83, 139.23, 0, 3.7
◇1965.04.01
伊豆大島近海に起った群発地震
有感10回、無感地震19回。[1]
◇ 2月20日11時19分頃M4.8(34゜29'N ,139゜00'E,深さ20km), 4月 1日 8時頃
M3.7(34゜50'N ,139゜14'E,深さ 0km)の地震が発生したときは一時的にかなり
活発化した.[2]
◇伊豆大島
1965年(昭和40年)噴火: 1月噴火。 2月, 5月,11月,12月にときどき小噴火
。[3]
【文献】
1. 気象庁地震課地震予知情報室, 1978, 1978年伊豆大島近海地震について, 地
震予知連絡会会報, 20, 45-50.
2. 鈴木雄次, 1985, 図説前震の記録, 自費出版, 164pp.
3. 気象庁, 1996, 日本活火山総覧(第 2版), 500pp.
------------------------------------------------------------------------
1965.04.07- 昭和40年
中部 , 静岡 静岡県中部
34.88, 138.30, Mmax= 6.1, Imax= , N= , D=
1 1965.04.07 02:46 , , ,
2*1965.04.20 08:42 34.88, 138.30, 20, 6.1
◇1965(昭.40)年 4月20日
静岡県中部の地震
発震時:20日 8時42分,震央:北緯34゜53'N・東経138゜18'E ,震源の深さ:20km
,規模(M):6.1
先駆的地震活動
この地震の 4年前の1961(昭.36)年から1962(昭.37)年にかけて静岡県中部
の静岡市付近(34゜45'〜35゜05'N ,138゜10' 〜138゜30'E,深さ≦60km)の地震活
動がやや活発化し,M4クラスの地震が発生した.すなわち,1961(昭.36)年10
月25日18時49分頃M4.1(34゜52'N ,138゜24'E,深さ40km),1962(昭.37)年 9
月 6日11時48分頃M4.0(34゜57'N ,138゜15'E,深さ 0km)の地震がそれぞれ発生
した.その後しばらく静穏に経過したが,この地震の 8か月前の1964(昭.39)
年 8月26日 7時38分頃M4.2(34゜57'N ,138゜15'E,深さ20km)の地震が発生した
.
直前の地震活動
この地震の13日前の 4月 7日に静岡付近に有感地震が 1回( 2時46分)発生した
.[1]
◇1965.04.20
静岡市付近 34.9゜N,138.3゜E
深さ20
規模 6.1
死者 2,負傷者 4,建物一部破損 9
[2]
◇1965年 4月20日08時42分静岡付近に発生した東経 138度18分,北緯34度53分,
深さ20km,M6.1の地震の場合は,余震域である東経 138゜10'〜138゜30' ,北緯34
゜50'〜35゜05'の域内の地震活動の異常は1961年 4月23日から始まり,翌1962年12
月13日までの間に 8回の地震が発生している.そして,一旦静穏な状態に戻って
から1965年 4月20日に本震が発生した.[3]
◇1965, 4, 20
昭和40年 4月20日
(Latitude, Longitude, Depth, M , Tsunami)
34.9 , 138.3 , , 6.1,
(6.1)
静岡付近
死 2、傷 4、住家一部破損 9。清水平野北部で被害が大きかった。[4]
◇1965, 4, 20, 08:42
昭和40年 4月20日
(Latitude, Longitude, Depth, M , Tsunami)
34.88, 138.30, 20, 6.1,
静岡県中部
静岡平野・清水平野とその周辺で被害があり,特に清水平野北部に被害が多かっ
た.壁・土台の破損,柱の移動,瓦の落下など.草薙東方で鉄道線路が約 40mに
わたり波状を呈し,清水港の岸壁背後の天盤が約120mにわたって最大27cm沈下.
" はめころし "のガラスの破損が注目された.死 2,住家は一部破損 9.
【1965年静岡地震】[5]
【文献】
1. 鈴木雄次, 1985, 図説前震の記録, 自費出版, 164pp.
2. 気象庁地震課・静岡地方気象台・石廊崎測候所, 1975, 1974年伊豆半島沖地
震調査報告, 験震時報, 39, 89-120.
3. 関谷 溥, 1976, 地震発生前の地震活動と地震予知, 地震, 2, 29, 299-311
.
4. 国立天文台, 1993, 日本付近のおもな被害地震年代表, 理科年表, 丸善, 82
2-852.
5. 茅野一郎・宇津徳治, 1987, 日本の主な地震の表, 地震の事典, 朝倉書店,
467-552.
------------------------------------------------------------------------
1965.04.18 昭和40年
九州 , 長崎 雲仙岳付近
32.75, 130.30, Mmax= , Imax= , N= 0*, D= 1
◇1965.04.18 13:22-1965.04.18 14:12
継続日,時分 1時間
有感回数 0
P〜S 0.5-1.0
短時間内に無感続く
有感地震が日間に 2回以上発生した時を群発地震発生年月記録として記す
N32.75 E130.30(頂上付近の三角点の位置)[1]
【文献】
1. 吉武俊太, 1970, 雲仙岳の地震記象からみた島原半島およびその周辺の地震
について, 九州および山口県の地震・津波, 福岡管区気象台要報, 25, 144-
148.
------------------------------------------------------------------------
1965.05 昭和40年
北海道, 北海道 根室東方沖
. , . , Mmax= 5.5, Imax= , N= , D=
1*1965.05.19 , , , 5.5
◇ 2種の群発地震あるいはこれに近い地震群
最大地震の年月日 1965 5 19
震央地名 根室東方沖
Mの差が 0.4以内のグループ(発震時順) 5.1 5.5 5.1
[1]
【文献】
1. 宇津徳治, 1970, 地震の時間的分布に関連する諸問題(その 3), −余震,
前震,群発地震の時間的性質−, 北海道大学地球物理学研究報告, 23, 49-7
1.
------------------------------------------------------------------------
1965.05 - 昭和40年
関東 , 群馬・長野 浅間山
36.40, 138.52, Mmax= , Imax= , N= , D=(1500)
◇浅間山
1965年(昭和40年)噴火: 5月に弱い噴火,黒煙のみ確認。その後,約 4年間地
震活動が活発な状態続く。
N36.40 E138.52(頂上付近の三角点の位置)[1]
【文献】
1. 気象庁, 1996, 日本活火山総覧(第 2版), 500pp.
------------------------------------------------------------------------
1965.07 -1965.08 昭和40年
関東 , 東京 神津島・新島近海
34.27, 139.30, Mmax= 5.0, Imax= , N= , D=( 60)
1*1965.08.03 17:30 34.27, 139.30, 0, 5.0
◇1965.08-
やや小康状態が続いたが1965年にはM5クラスを含む群発地震が 8月頃から発生し
始め,活発化した。
1965.08.03 17:30 Dep.2km M5.0
新島、式根島で崖崩れ・落石などの軽い被害。[1]
◇1965.07-1965.08
新島,式根島,神津島付近
1ヶ月の地震発生数が平均値を上まわった時の地震を群発地震扱いとする[2]
◇1965.07-1966.08
神津島で地震群発[3]
◇1965.08.03-1965.08.09
M 5.0 1965.08.03 17:30 N34.27 E139.30
新島付近
3〜 9日にかけての群発地震。新島・式根島で崖崩れ・落石などの軽い被害。
[4]
◇ 7月頃から再び地震が続いて発生するようになり, 8月 3日17時30分頃M5.0(
34゜16'N ,139゜18'E,深さ 0km)の地震が発生し,一時的に地震活動が活発化し
た.[5]
◇1965.08.03-1965.08.09
新島式根島 34.3゜N,139.3゜E
(群発地震)
深さ 0
規模 5.0
崖くずれ[6]
◇1965.07-1965.08
新島,式根島,神津島付近
1ヶ月の地震発生数が平均値を上まわった時の地震を群発地震扱いとする[7]
◇1965年(昭和40年) 8月頃から神津島附近に有感地震が群発し,相当長期間続
いた.
天上山山体あるいはその直下,比較的浅い所に地震が発生しておらず,火山の表
面活動あるいは噴火は起きないであろうと推論された.
地震活動が活溌であった時期は,1965年10月−11月,1966年 9月,1967年 4月お
よび 6月である.
この一連の地震活動が始まったのが1965年 8月であるが,これは丁度,松代群発
地震が起りはじめた時期と同じであり,富士火山帯の南北でたまたま,群発地震
が時を同じくして起きたことは誠に興味深い.ただ,神津島附近の地震の消長と
,松代地震群の消長との間には,時間的相関は全く見られない.[8]
◇1965, 8, 3, 17:30
昭和40年 8月 3日
(Latitude, Longitude, Depth, M , Tsunami)
34.27, 139.30, 0, 5.0,
新島付近
[9]
◇神津島
1965年 7月〜1966年 8月(昭和40年〜昭和41年)地震群発(南方沖,最大M5.6)
。[10]
【文献】
1. 気象庁地震予知情報課, 1993, 神津島・新島近海の地震活動(1963年〜1968
年), 地震予知連絡会会報, 49, 264-268.
2. 田中康裕, 1984, 三宅島噴火と周辺の地震活動, 月刊地球, 6, 12, 732-737
.
3. 気象庁, 1984, 日本活火山総覧, 482pp.
4. 宇佐美龍夫, 1987, 新編日本被害地震総覧, 東京大学出版会, 435pp.
5. 鈴木雄次, 1985, 図説前震の記録, 自費出版, 164pp.
6. 気象庁地震課・静岡地方気象台・石廊崎測候所, 1975, 1974年伊豆半島沖地
震調査報告, 験震時報, 39, 89-120.
7. 気象庁地震火山部・三宅島測候所・気象研究所, 1984, 昭和58年(1983年)
三宅島噴火調査報告, 験震時報, 49, 1-47.
8. 下鶴大輔・堀米和夫・長田 昇, 1967, 1967年(昭和42年) 4月 6日の式根
島,神津島附近の地震, 地震研究所彙報, 45, 1313-1326.
9. 茅野一郎・宇津徳治, 1987, 日本の主な地震の表, 地震の事典, 朝倉書店,
467-552.
10. 気象庁, 1996, 日本活火山総覧(第 2版), 500pp.
------------------------------------------------------------------------
1965.07 -1966.12 昭和40年
東北 , 福島 会津盆地付近
37.6 , 139.9 , Mmax= , Imax= , N= , D=( 550)
◇1965年 7月から1966年12月までの少なくとも 1年 6カ月間にわたり発生
地震群の震源がどこにあるかは不明である。
会津盆地付近にある可能性は高い。
N37.6 E139.9 (記述より推定)[1]
【文献】
1. 竹中 潤, 1992, 震動データから見た磐梯山周辺の地震活動, 験震時報, 55
, 127-137.
------------------------------------------------------------------------
1965.08.03- 昭和40年
中部 , 長野 松代
36.58, 138.32, Mmax= 5.4, Imax= 5, N=721645, D=
1*1966.04.05 17:51 36.58, 138.32, , 5.4
【松代群発地震】
◇震源域全体にわたって湧水,温泉の変化が著しい[1]
◇長野県若穂付近および四阿屋山付近で定常的な群発活動[14]
◇震源域の成長・拡大が地下流体に関連したものである可能性[17]
◇地下水は地下深部に起源を持つと考えられる
群発地震を誘発させつつ地表に達した
大量の地下水が湧出 松代町内で約1000万t
崩壊性地滑り[18]
◇1965.08.03-
松代付近
この日に松代皆神山付近に始まり、少しずつ活動域を広げていった。ほとんど終
息した1970年末までに松代で有感地震 62821回、うち震度 5、 4はそれぞれ 9回
、50回だった。被害を伴った地震は51回、全体で傷15、住家全壊10、半壊 4、山
崖崩れ60。
最も規模の大きかった地震はM5.4で、総エネルギ―は、M6.4の地震 1個に相当す
る。この間に皆神山が1m隆起した。[20]
◇松代における毎日の有感地震回数の変化は、1966年に 2回の活動期があり、そ
の後は徐々に沈静し、1970年末には、ほとんど終熄した。
1970年末までに震度I=57627回、II= 4706回、III=429回、IV= 50回、V=9回、有
感地震総計 62821回、全地震数711341回である。 1つの地震の規模で最も大きい
のは M=5.4で、地震の全エネルギーは、規模 6.4の地震 1つに相当する。
岩の中に注水すると地震が生じやすくなるという、いくつかの事例を検証するた
めにわが国ではじめての試錐が1969年から国民宿舎松代荘ではじまり、1933m(深
さ1800m)掘って、1970年 1月15日〜18日、 1月31日〜 2月13日の 2回にわたり計
2883立方メートルの水を注入した。
その結果注入地点の 3km北で、 1月25日02時ころから急に地震がふえ、この 1日
で54回に達した。地震活動は注水中続き、注水後徐々におさまった。この地点で
の地震活動は注水前は 1日 2回くらいだった。[21]
◇M 5.4 1966.04.05 17:51 N36.58 E138.32
長野県北部
【松代群発地震】上の地震は松代群発地震中最大のM5.4の地震 2回のうち早く起
こった方である.1965年 8月 3日から,松代町<長野市東部>皆神山付近で小さ
い地震が頻繁に起こり始めた.日を追って地震回数が増え,追々大きい地震も起
こるようになった.11〜12月頃は,有感地震が 1日 100回を超える日もあり,11
月22日には 229回に達した.その後, 1月23日 252回という日もあったが, 2月
末まで徐々に減少していった(ここまで第 1期). 3月に入ると,再び増加の傾
向を見せ,10日過ぎから急激に増えはじめ, 3月下旬からは連日 300回を超え,
4月 1日, 5日,17日には 600回を超えた.その後著しい増減を繰返しながら,
減少していった(以上第 2期)が, 8月上旬三度び増加に転じ, 8月28日には 1
日 540回に達した.その後 9月下旬まで急速に減少し,以後は徐々に減少してい
る(1966年12月まで第 3期,1967年 5月まで第 4期,以後第 5期).1970年末に
は 1か月当たり12回程度になったが,それでも1965年 7月以前に比べるとまだ多
い.1970年末までの有感地震総数は 62826回,そのうち震度 5は 9回, 4は50回
Mは最大の 5.4が 2回, 5.0以上は合計20回.地震エネルギ―の総計はM6.4の地
震 1回に相当する.被害を生じた地震は1971年末までに47回,被害は主として家
屋の傾斜・基礎・壁・瓦の破損・山(崖)崩れ・道路の損壊などで,個々の地震
による被害は大きくないが,被害の合計は住家の全壊10棟,半壊 4棟,一部破損
12386件7857棟.直接的な物的被害そのものは大きくないが,多い日は有感地震
が 1日 600回を超え,長期間続く地震が住民に与えた間接的,心理的被害ははか
りしれない.
震央域は,第 1期は,皆神山を中心とする半径 5kmの範囲内にあった.第 2期か
ら第 4期にかけて,徐々に広がっていき,第 3期以降は第 1期に活発であった中
心部の活動は減少した.最大長径約30km,短径12〜13km,震源の深さは10kmより
浅く,大部分は 2〜7km.
皆神山を中心とする約10× 8km^2の地域に,最大90cmの隆起を生じた.第 1期に
始まり,第 2期に加速,第 3期に最も急になり,1966年 9月最大に達し,その後
若干元に戻った.光波測量・傾斜観測なども行われ,顕著な地殻変動が観測され
た.皆神山の北東麓を北西−南東に走る長さ約 4kmのエシェロン状の地割れ帯を
生じた.この地下に,長さ約 7km,幅(深さ) 3km,右横ずれ2mの断層ができた
と推定される.
第 2期に皆神山付近の隆起地帯に始まった湧水は,第 3期に入ると盛んになり,
畑に水が溢れた.総湧出量 1千万m^3 と推定される.特に皆神山北東麓の多量の
湧水はカルシウム・塩素イオンに富み,炭酸ガスで飽和した特異なものであった
.多方,水枯れを生じた地域もあった.湧水により,1966年 9月17日に牧内地区
で地すべりが発生,民家が押し潰されたが,予測されたため,死傷者はなかった
.この他にもいくつかの地すべりがあった.付近の温泉の湧出量や温度に著しい
変化があった.
発光現象が度々観察され,カラ―写真に撮影されたが,地震との前後関係などは
明らかでない.当時は地殻の中に水を圧入すると,地震が起こるという現象が注
目を集め始めていた時期であり,1969年から加賀井で 1933m(深さ 1800m)のボ
―リングが行われ,1970年 1月15〜18日と 1月31日〜 2月13日に合計2883m^3 の
水が注入された.その結果注入地点の約 3km北で, 1月25日 2時頃から急に地震
が増え,この 1日で54回に達した.地震は注水中続き,注水停止後徐々に収まっ
た.これらの地震は,北東方向に深くなる平面に沿って,流れ下るように広がっ
た.潜在断層面に沿って水が運ばれたと考えられる.
震央域のほぼ中央に,気象庁唯一の地震専門の観測所である(松代)地震観測所
があり,地震活動の経過が逐一詳細に調べられた.また,地震予知計画の最初期
にあたり,当時考えられるほとんどあらゆる種類の観測・調査が行われた.長期
にわたり,大粒の地震も多数あり,それぞれの場合について,地震活動の経過や
,前兆と見なされる各種の現象が観測されるなど,地震予知の研究のために豊富
なデ―タを提供した.この地震は長期化したため,社会的にいろいろな問題を投
げかけた.将来の見通しについて的確な情報を提供し,徒らな不安や混乱を避け
るため,情報の発表は長野気象台に一本化された.また,各機関の観測陣間の情
報を交換し,デ―タを検討し,統一見解を打ち出すために,北信地域地殻活動情
報連絡会が1966年 4月25日に誕生した.
被害を生じた地震は以下のとおり.
1965(昭和40年) | 6 26 16 34 5.0 | 2 8 18 49 4.8
11 22 21 9 4.5 | 7 10 15 43 4.7 | 2 12 9 12 4.5
11 22 22 30 4.7 | 8 3 3 48 5.3 | 3 2 3 39 5.1
11 23 2 57 5.0 | 8 8 9 37 5.1 | 5 5 8 25 5.2
| 8 16 18 42 4.2 | 5 23 7 49 4.5
1966(昭和41年) | 8 20 19 50 4.9 | 5 30 16 3 4.1
1 8 22 34 4.7 | 8 28 13 9 5.3 | 6 24 1 31 4.9
1 23 20 15 5.1 | 8 29 0 36 5.1 | 9 14 19 38 5.1
2 7 4 5 4.9 | 8 29 10 36 4.1 |10 14 4 48 5.3
3 10 7 3 4.5 | 9 6 3 37 4.8 |
4 1 5 25 4.6 | 9 14 6 26 4.7 |1968(昭和43年)
4 5 17 51 5.4 | 9 14 10 14 5.0 | 1 26 16 55 5.3
4 11 6 6 4.7 | 9 27 4 3 4.9 | 4 4 19 54 5.1
4 17 10 21 4.7 |10 13 6 1 4.8 |
4 17 20 28 4.7 |10 26 3 4 5.3 |1970(昭和45年)
5 6 19 8 5.0 | | 4 9 1 43 5.0
5 20 9 30 4.9 |1967(昭和42年) |
5 28 14 21 5.3 | 1 16 12 31 4.8 |1971(昭和46年)
6 11 12 5 4.7 | 1 16 12 32 5.2 |11 10 17 37 4.5
6 21 22 5 4.8 | 2 3 17 17 5.4 |
[22]
◇長期的時系列特性[23]
◇1965年から数年にわたって長野県北部一帯を揺がした
地震活動が最高潮に達した1966年 4月には,最高 1日当り 661回もの地震を感じ
,67年末までに有感地震総数61,494回にのぼった。
皆神山の北東麓を中心とするドーム状の地盤隆起
隆起から沈降に転じたまさにその時期に,皆神山の北東麓を中心とする大規模な
湧水が始まった。このため,1966年 9月17日には松代町牧内地区に地辷りが発生
し,住家全壊 5棟の被害をもたらした。余談になるが,この地辷りで犠牲者を出
さずに済んだのは,東京大学地震研究所の中村一明教授らの警告に基づき,住民
の事前退避が行われていたためである。[24]
◇松代 1964 M3.3 36゜N 138゜E 前震の先行時間 0.17日
松代(坂井村) 1967 M5 36゜N 138゜E 前震の先行時間180日
松代(東村) 1967 M5 36゜N 138゜E 前震の先行時間210日
松代(更埴市) 1967 M5 36゜N 138゜E 前震の先行時間120日
松代(戸倉町) 1967 M5 36゜N 138゜E 前震の先行時間120日
松代(上山田町) 1967 M5 36゜N 138゜E 前震の先行時間120日
松代(真田町) 1967 M5 36゜N 138゜E 前震の先行時間150日[25]
◇1966(昭.41)年 4月 5日
松代付近の地震(松代群発地震)
発震時: 5日17時51分,震央:北緯36゜35'N・東経138゜19'E ,震源の深さ: 0km
,規模(M):5.4
先駆的地震活動
この地震の 8か月前の1965(昭.40)年 8月 3日に長野県北部の松代地震観測所
の10万倍の国際標準地震計が微少な無感地震を 3回記録した.これが松代群発地
震の始まりといわれている.以後 8月 4日に 5回, 5日に20回, 6日に初めて有
感 1回,無感59回と増加した.そして無感地震が 8月 9日には 100回以上, 9月
28日には 500回以上と急増し,11月22日に無感が 2,000回以上で有感 229回を数
えるに至った.そして翌23日 2時57分頃松代付近(36゜31'N ,138゜14'E,深さ 0
km)にM5.0の地震が発生した.その後地震活動は横ばいで小康状態を保ったが,
1966(昭.41)年 1月23日20時15分頃M5.1(36゜31'N ,138゜13'E,深さ 0km)の
地震が発生してから地震活動がいくぶん下降気味となり,そのまま沈静化するも
のと思われた.
直前の地震活動
それまで日に 600回程度だった松代群発地震が 3月 9日から10日にかけて倍増し
たが,16日からは連日 1,000回を突破するようになった.そして特に,この地震
の11日前の 3月25日頃から急増し始め,28日からは 3,000回を突破した.そして
3月30日14時35分頃M4.3(36゜31'N ,138゜14'E,深さ 0km), 4月 1日 5時25分
頃M4.6(36゜33'N ,138゜17'E,深さ 0km)の地震が発生するなど松代群発地震は
最高潮に達した.そして 4月 1日の地震回数は 6,596回(うち有感 641回)を記
録したが,その 4日後にこの地震が発生した.[26]
◇最初微小地震が急激に増加した期間があり( 8月11日〜16日),その後減少し
て定常状態となり,地震発生 3日前の 9月29日から急に増加を始めて10月 1日に
M4.3の地震が発生した.[27]
◇福島・茨城県沖では,1930年 6月 1日,茨城県の太平洋沿岸,那珂川下流域を
震源とするM6.5の被害地震が発生し,その後1938年福島県沖地震(M7.5)の発生
につながった。この地震活動をきっかけとして,内陸部で地震活動が活発化した
。すなわち火山フロント付近で1943年田島地震(M6.2)および1949年,今市地震
(M6.2,M6.4)が発生し,さらにこの活動は西方に移動し,1965年松代群発地震
につながった。この地震活動の西方移動の速度は約4.6km/年である。[28]
◇松代群発地震は,1965年 8月に発生発震以来1974年12月末までに,有感地震を
実に, 1万 3千有余回観測している.
最も地震活動が活発だった1966年 4月の月間総回数は約12万回で,うち松代の有
感回数は 1万 2千余回にも達した.
松代地震の初期の頃は皆神山を中心としたその周辺に震央が集中していたが,19
66年 3月頃より発生域が若穂町方面に拡がり, 4月には地震活動が最も盛んにな
った.そして同年 8月頃より,さらに発生域が拡大し始め,1967年 2月頃には皆
神山を中心にNE -SW方向で約34km,NW- SE方向で約18kmの長円形の地域内で発生
するようになった
松代地震は1966年に地震活動のピークに達し,以後は次第に減衰し,1974年末で
は松代の有感地震回数は月平均約 3回位になっている.
地震は従来の発生域の全域で散発したが,特に松代地震域の南西部の方で活発で
あった.
減衰期における地震の発震機構も活発な活動期におけるものと変わっていない.
松代地震が始まってから1974年末までの放出エネルギーの積算値は,マグニチュ
ード 6.4の地震 1個のそれに相当
群発地震を構成するそれぞれの地震の起り方からみると松代地震は,その中の規
模の大きな地震を主震とした前震・主震・余震の集りからなる地震群のように思
われる.
前震は余震に比べ,数も少なく,規則性に乏しいが,余震の数は主震のマグニチ
ュードの大きさと,規則的な関係がみられる.[29]
◇松代群発地震は1965年に始まり1966年には M=5.4を含む地震が発生し最盛期を
迎えたが,その後活動は減衰し続け現在に至っている.1978年 5月までの MATで
の有感地震回数63,129回,地震計(WWSS短周期10万倍)に記録されたものは 721
,645回に達している.
震源は松代町,若穂町を中心とした北東,南西に長い長円の中に分布
発震機構は,東西方向を最大主圧力とする strike-slipのものが大部分を占める
最盛期の群発地震活動と潮汐の関係については,気象庁(1968), Klein(1976
)により否定的な結論が得られている.
少くとも潮汐による剪断歪eNS-eEWと地震発生の関係は否定できない[30]
◇松代群発地震は1965年の 8月から始まり1966年に活動の最盛期を迎え,その後
活動は衰えたが,微小地震活動は現在まで続き有感地震もときおり発生する.
震央の広がりは東北東から東西方向に近いことを示した.
南西の冠着山付近の活動や須坂市付近の地震を松代地震に誘発された付随的な地
震活動と考えることは可能である.特に冠着山付近の活動は少なくともマグニチ
ュード 4クラス異常の地震に関する限り,松代付近の活動とは分離している.こ
れらのことを考慮すると,群発地震活動が中央隆起帯に沿って北東,南西方向に
広がったという従来の一般的な解釈は再考の余地がある.今回の震央分布を基に
すれば,当初松代町直下に発生した群発地震の震源域は,この地域にかかる主圧
力の方向すなわち東西方向に広がったというべきである.
断層活動が,地表から内部へ浸透するように地震が発生している[31]
◇地震活動は 地震回数の少ない時期と多い時期 回数の増大期と減少期が混在
している.[32]
◇現在も地震活動は続いている
松代地震の起震応力場は東西圧縮であり,発震機構はほとんどがストライクスリ
ップである.しかし詳細にみれば個々の活動は一様ではないことがわかった.
[33]
◇ドーンという地鳴りが松代の山間にひびいた昭和40年 8月 3日−これが後に世
界に名をとどろかせる松代群発地震の開始の合図だった.
松代の土地は東西に短縮し南北には伸張しつつある
皆神山の北東部では1m近くの隆起
地割れにそって多量の地下水が湧き出し,あたり一面水びたしとなってしまった
のだ.
この水を口に含んでみると塩味とともにしぶ味が強く,またサイダーのようなし
げきも感じる.
松代のシンボルである皆神山は火山だから地下でマグマが活動して地震を起こし
ているのだろう
皆神山は35万年も昔の火山であってすでに死んでいると考えた方がよい.地磁気
の観測結果もマグマの存在に対して否定的であった.
断層が出現したこと,地震波の研究から震源で岩石が割れていく様子がわかった
ことなどから中部日本一帯の地殻に働いている応力にしたがって松代地震が起っ
ているのだという考え
地下には石灰石があるのかも知れない.そこへ,たまたま塩酸が流れてきた反応
が起ったとしたらどうだろう.高まった地下水の圧力は,地面を盛りあげ,また
地震をおこす.ついに断層から地表へ地下水がぬけだせば,圧力は元にもどり,
地震もやむ.しかし,これはあくまでも仮定である.[34]
◇群発地震の例
1965年から現在に及んでいる松代群発地震は複雑であるが,やはり 2-C型とみな
せよう。[35]
◇著明な群発地震は1965年 8月 3日から始まった松代群発地震である。最盛期は
1967年までの 3年間であり,この間松代での有感地震の総数は約70,000回で,こ
の中には震度 Vの強震が 9回,震度IVの中震が48回含まれている。[36]
【文献】
1. 平賀士郎, 1980, 地下熱水活動と群発地震との相関, 自然災害資料解析, 7,
126-138.
2. 気象庁, 1970, 松代−北信の地震活動について, 地震予知連絡会会報, 2, 4
1.
3. 竹花峰夫, 1970, 松代群発地震の経過, 地震予知連絡会会報, 3, 38.
4. 長野地方気象台, 1970, 長野の地震観測値よりみた松代群発地震の活動につ
いて, 地震予知連絡会会報, 3, 39.
5. 気象庁地震観測所, 1972, 松代群発地震の近況, 地震予知連絡会会報, 7, 3
8-40.
6. 気象庁地震観測所, 1976, 松代群発地震の近年における活動状況, 地震予知
連絡会会報, 16, 113-117.
7. 東京大学地震研究所北信微小地震地殻変動観測所, 1979, 信越地域の地震活
動, 地震予知連絡会会報, 22, 140-143.
8. 東京大学地震研究所北信微小地震地殻変動観測所, 1980, 信越地域の地震活
動(1979年 1月−10月), 地震予知連絡会会報, 23, 73-76.
9. 東京大学地震研究所北信微小地震地殻変動観測所, 1980, 信越地域の地震活
動(1979年11月−1980年 3月), 地震予知連絡会会報, 24, 137-138.
10. 東京大学地震研究所北信微小地震地殻変動観測所, 1981, 信越地域の地震活
動(1980年10月〜1981年 3月), 地震予知連絡会会報, 26, 77-80.
11. 東京大学地震研究所北信微小地震地殻変動観測所, 1982, 信越地域の地震活
動(1981年 4月− 9月), 地震予知連絡会会報, 27, 94-99.
12. 東京大学地震研究所北信微小地震地殻変動観測所, 1983, 信越地域の地震活
動(1982年10月〜1983年 3月), 地震予知連絡会会報, 30, 49-52.
13. 東京大学地震研究所地震予知観測室・北信微小地震地殻変動観測所・地震予
知移動観測室(地震移動班), 1984, 関東甲信越地方の地震活動(1982年11
月〜1983年 4月), 地震予知連絡会会報, 31, 111-128.
14. 東京大学地震研究所地震予知観測室・信越地震観測所, 1986, 関東甲信越地
方の地震活動(1985年 5月〜10月), 地震予知連絡会会報, 35, 83-106.
15. 神沼克伊・岩田孝行・茅野一郎・大竹政和, 1973, 図説日本の地震 1872年
−1972年, 東京大学地震研究所研究速報, 9, 136pp.
16. 気象庁, 1968, 松代群発地震調査報告, 気象庁技術報告, 62.
17. 田中和夫, 1990, 群発地震の震源域の拡大・成長, 月刊地球, 12, 6, 331-3
35.
18. 高橋 博, 1987, 地震による地すべり・山崩れ, 月刊地球, 9, 2, 90-93.
19. 久保寺 章, 1973, 火山の科学, NHK ブックス, 232pp.
20. 国立天文台, 1993, 日本付近のおもな被害地震年代表, 理科年表, 丸善, 82
2-852.
21. 宇佐美龍夫, 1987, 新編日本被害地震総覧, 東京大学出版会, 435pp.
22. 茅野一郎・宇津徳治, 1987, 日本の主な地震の表, 地震の事典, 朝倉書店,
467-552.
23. 佃 為成, 1991, 群発地震, 月刊地球, 13, 10, 673-678.
24. 大竹政和, 1986, 地震発生における間隙流体圧の役割, 地学雑誌, 95, 3, 1
68-185.
25. 力武常次, 1986, 地震前兆現象 予知のためのデータ・ベース, 東京大学出
版会, 232pp.
26. 鈴木雄次, 1985, 図説前震の記録, 自費出版, 164pp.
27. 関谷 溥, 1976, 地震発生前の地震活動と地震予知, 地震, 2, 29, 299-311
.
28. 東京大学地震研究所, 1994, 太平洋沿岸から日本海東縁部にいたる地震活動
の西方移動について, 地震予知連絡会会報, 52, 56-58.
29. 涌井仙一郎, 1976, その後の松代群発地震の活動について−1968〜1974年の
活動状況−, 験震時報, 41, 21-30.
30. 浜田信生, 1978, 地球潮汐歪と松代地震発生の関係について, 験震時報, 43
, 1-10.
31. 浜田信生・吉田明夫・橋本春次, 1983, 気象庁震源計算プログラムの改良,
験震時報, 48, 35-55.
32. 干場充之・伊藤秀美・横田 崇, 1989, 地震回数の予測の試み, 験震時報,
52, 69-80.
33. 柿下 毅・森田裕一・西脇 誠・流 精樹・長田芳一, 1990, 最近の松代地
震の震源過程−松代アレイと臨時観測データの解析−, 験震時報, 53, 31-4
4.
34. 恒石幸正, 1970, 松代地震, 地球の科学, 9, 1, 27-29.
35. 宇津徳治, 1970, 地震の時間的分布に関連する諸問題(その 3), −余震,
前震,群発地震の時間的性質−, 北海道大学地球物理学研究報告, 23, 49-7
1.
36. 久保寺 章・内池浩生・本谷義信・植木貞人・茅野一郎, 1980, 群発地震に
関する資料収集解析(第2報), 自然災害資料解析, 7, 67-78.
------------------------------------------------------------------------
1965.08.31-1965.09.18 昭和40年
北海道, 北海道 弟子屈町
43.48, 144.43, Mmax= 5.1, Imax= 5, N= 50*, D= 19
1*1965.08.31 16:49 43.48, 144.43, 0, 5.1
2 1965.08.31 17:04 43.45, 144.43, 0, 5.0
3 1965.09.09 13:39 43.47, 144.30, 0, 5.1
◇1965.08-1965.09
道東部弟子屈町
有感地震 50
最大震度 IV
被害軽微
『双子(M5.1,5.0)変形群発』[1]
◇1965.08-1965.09
屈斜路
火山噴火とは直接関係がない群発地震活動[2]
◇M 5.1 1965.08.31 16:49 N43.48 E144.43
弟子屈付近
17時04分(43.45, 144.43, h 0km, M5.0)にも地震あり。札友内で集合煙突の小被
害 9基。びるわ地区でブロック家 2戸使用不能になる。そのほかサイロの亀裂 4
、壁の亀裂などがあった。地鳴りがあった。[3]
◇1965.08-1965.09
Near Teshikaga-L.Kutcharo
1965 Aug.31 M5.1,5.0
1965 Sep. 9 M5.1
[4]
◇1965(昭.40)年 8月31日16時49分頃北海道東部弟子屈付近(43゜29'N ,144゜
26'E,深さ 0km)にM5.1の地震が発生し,続いて17時 4分頃同地域(43゜27'N ,
144゜26'E,深さ 0km)にM5.0の地震が発生した.以後地震活動が活発化し, 9月
9日13時39分頃M5.1(43゜28'N ,144゜18'E,深さ 0km)の地震が発生したが, 9
月18日頃にはほぼ沈静化した.[5]
◇昭和40年 8月31日16h49m及び17h04mにほとんど同程度の強さの地震が,釧路支
庁管内弟子屈町に起こり,震央付近では被害を生じた.
今回の地震の最大震度は礼友内。びるわ開拓地で震度Xで16h49mの地震が起こっ
ており,17h04mの地震ではこの地域では震度W〜Xとなっている.しかし17h04m
の地震が16h19mの地震より大きく感じたところもあった.
日別回数をみると双曲線公式型の減衰を示している.また 9月 9日にはやや活発
な地震活動がみられる.
井戸水・川水の変化
31日16h49mの地震に伴う地鳴り
余震域が西に移動した[6]
◇ 8月31日16時49分ごろおよび17時04分ごろ最大震度 4〜 5の地震が発生し軽微
な被害があった.震央,深さおよび規模はそれぞれ,43゜29'N ,144゜26'E,h=0k
m ,M=5.1および43゜27'N ,144゜26'E,h=0km ,M=5.0(地震月報による)であっ
た。[7]
◇北海道東部に位置する弟子屈地域では,1938年,1959年,1965年,1967年にM6
クラスの直下型地震が発生している。海溝に発生する巨大地震の 1サイクルの間
に,この地域の地震活動が活発化するものと考えられている。[8]
◇ 2種の群発地震あるいはこれに近い地震群
最大地震の年月日 1965 8 31
震央地名 弟子屈付近
Mの差が 0.4以内のグループ(発震時順) 5.1 5.0 5.1
[9]
◇1965, 8, 31, 16:48
昭和40年 8月31日
(Latitude, Longitude, Depth, M , Tsunami)
43.48, 144.43, 0, 5.1,
釧路支庁北部
1965, 8, 31, 17:04
昭和40年 8月31日
(Latitude, Longitude, Depth, M , Tsunami)
43.45, 144.43, 40, 5.0,
釧路支庁北部
[10]
◇1965年 8月31日弟子屈地震
弟子屈周辺の各温泉には変化はなかったが,井戸水および川水には混濁,増減水
などの変化が見出されている[11]
【文献】
1. 久保寺 章・内池浩生・本谷義信・植木貞人・茅野一郎, 1980, 群発地震に
関する資料収集解析(第2報), 自然災害資料解析, 7, 67-78.
2. 久保寺 章, 1984, 火山活動に関連する地震活動, 月刊地球, 6, 12, 710-7
15.
3. 宇佐美龍夫, 1987, 新編日本被害地震総覧, 東京大学出版会, 435pp.
4. 鈴木雄次, 1976, 北海道内陸部の浅発地震活動について, 地震予知連絡会会
報, 16, 11-15.
5. 鈴木雄次, 1985, 図説前震の記録, 自費出版, 164pp.
6. 釧路地方気象台, 1965, 昭和40年 8月31日弟子屈付近に起こった地震につい
て, 験震時報, 32, 51-59.
7. 釧路地方気象台, 1968, 昭和42年11月 4日の弟子屈付近地震現地調査報告,
験震時報, 33, 31-33.
8. 北海道大学理学部, 1995, 北海道東部〜弟子屈地域の微小地震活動, 地震予
知連絡会会報, 53, 22-25.
9. 宇津徳治, 1970, 地震の時間的分布に関連する諸問題(その 3), −余震,
前震,群発地震の時間的性質−, 北海道大学地球物理学研究報告, 23, 49-7
1.
10. 茅野一郎・宇津徳治, 1987, 日本の主な地震の表, 地震の事典, 朝倉書店,
467-552.
11. 本谷義信, 1981, 弟子屈地方の温泉変化と地震, 北海道大学地球物理学研究
報告, 39, 71-80.
------------------------------------------------------------------------
1965.09 昭和40年
東北 , 岩手 三陸沖
. , . , Mmax= 5.6, Imax= , N= , D=
1*1965.09.25 , , , 5.6
◇ 2種の群発地震あるいはこれに近い地震群
最大地震の年月日 1965 9 17
震央地名 鹿島灘
Mの差が 0.4以内のグループ(発震時順) 5.5 5.6 5.7 6.7 6.2
次に大きい地震の M 5.5
[1]
【文献】
1. 宇津徳治, 1970, 地震の時間的分布に関連する諸問題(その 3), −余震,
前震,群発地震の時間的性質−, 北海道大学地球物理学研究報告, 23, 49-7
1.
------------------------------------------------------------------------
1965.09.17- 昭和40年
関東 , 茨城 茨城県沖
36.32, 141.47, Mmax= 6.7, Imax= , N= , D=
1 1965.09.17 21:08 36.30, 141.52, 20, 4.6
2 1965.09.17 21:59 36.27, 141.60, 20, 5.5
3 1965.09.17 22:21 36.28, 141.52, 0, 5.6
4 1965.09.17 23:22 36.22, 141.52, 40, 5.5
5 1965.09.18 00:18 36.23, 141.52, 40, 5.7
6*1965.09.18 01:21 36.32, 141.47, 40, 6.7
◇1965
茨城沖では、1961年や1965年の顕著な群発活動[1]
◇1965(昭.40)年 9月18日
茨城県沖の地震
発震時:18日 1時21分,震央:北緯36゜19'N・東経141゜28'E ,震源の深さ:40km
,規模(M):6.7
直前の地震活動
この地震の約 4時間前の 9月17日21時 8分頃茨城県沖(36゜18'N ,141゜31'E,深
さ20km)にM4.6の地震が発生した.以後同日21時59分頃のM5.5(36゜16'N ,141゜
36'E,深さ20km),22時21分頃M5.6(36゜17'N ,141゜31'E,深さ 0km),23時22
分頃M5.5(36゜13'N ,141゜31'E,深さ40km)と地震が続発し,さらに翌18日 0時
18分頃M5.7(36゜14'N ,141゜31'E,深さ40km)の地震が発生し,その約 1時間後
にこの地震が発生した.[2]
◇ 2種の群発地震あるいはこれに近い地震群
最大地震の年月日 1965 9 17
震央地名 鹿島灘
Mの差が 0.4以内のグループ(発震時順) 5.5 5.6 5.7 6.7 6.2
次に大きい地震の M 5.5
[3]
◇1965, 9, 18, 01:21
昭和40年 9月18日
(Latitude, Longitude, Depth, M , Tsunami)
36.32, 141.47, 40, 6.7,
茨城県沖
[4]
【文献】
1. 国立防災科学技術センター, 1983, 茨城県沖とその周辺の低周波・高周波地
震の時間変化, 地震予知連絡会会報, 29, 64-68.
2. 鈴木雄次, 1985, 図説前震の記録, 自費出版, 164pp.
3. 宇津徳治, 1970, 地震の時間的分布に関連する諸問題(その 3), −余震,
前震,群発地震の時間的性質−, 北海道大学地球物理学研究報告, 23, 49-7
1.
4. 茅野一郎・宇津徳治, 1987, 日本の主な地震の表, 地震の事典, 朝倉書店,
467-552.
------------------------------------------------------------------------
1965.10 昭和40年
関東 , 東京 新島,式根島,神津島付近
34.25, 139.05, Mmax= 4.5, Imax= , N= , D=( 15)
1*1965.10.14 17:02 34.25, 139.05, 0, 4.9
2 1965.10.18 02:48 34.27, 139.15, 0, 4.5
◇1965.10
1ヶ月の地震発生数が平均値を上まわった時の地震を群発地震扱いとする
N34.15 E139.14(震央分布図から読み取り)[1]
◇10月14日17時 2分頃神津島付近(34゜15'N ,139゜03'E,深さ 0km)にM4.9の地
震が発生してから同海域の地震活動がやや活発化し,10月18日 2時48分頃M4.5(
34゜16'N ,139゜09'E,深さ 0km)の地震が発生したが,10月30日以後静穏化した
.[2]
◇1965.10
1ヶ月の地震発生数が平均値を上まわった時の地震を群発地震扱いとする[3]
◇地震活動が活溌であった時期は,1965年10月−11月,1966年 9月,1967年 4月
および 6月である.[4]
【文献】
1. 田中康裕, 1984, 三宅島噴火と周辺の地震活動, 月刊地球, 6, 12, 732-737
.
2. 鈴木雄次, 1985, 図説前震の記録, 自費出版, 164pp.
3. 気象庁地震火山部・三宅島測候所・気象研究所, 1984, 昭和58年(1983年)
三宅島噴火調査報告, 験震時報, 49, 1-47.
4. 下鶴大輔・堀米和夫・長田 昇, 1967, 1967年(昭和42年) 4月 6日の式根
島,神津島附近の地震, 地震研究所彙報, 45, 1313-1326.
------------------------------------------------------------------------
1965.10.13 昭和40年
東北 , 秋田 皆瀬
38.93, 140.65, Mmax= , Imax= , N= , D= 1
◇1965.10.13
皆瀬の地鳴り
N38.93 E140.65(分布図から読み取り)[1]
【文献】
1. 気象庁地震活動検測センター, 1973, 青森県岩木山麓の群発地震について,
地震予知連絡会会報, 9, 15-17.
------------------------------------------------------------------------
1965.10.26 昭和40年
北海道, 北海道 国後島南岸
43.73, 145.52, Mmax= 7.1, Imax= , N= , D=
◇1965, 10, 26, 07:34
昭和40年10月26日
(Latitude, Longitude, Depth, M , Tsunami)
43.73, 145.52, 160, 7.1,
国後島南岸
[1]
◇1965, 10, 26, 07:34
昭和40年10月26日
(Latitude, Longitude, Depth, M , Tsunami)
43.73, 145.52, 160, 7.1,
クナシリ沖
釧路市・浜中町・白糠町で器物破損。霧多布で学校の集合煙突倒壊。[2]
【文献】
1. 茅野一郎・宇津徳治, 1987, 日本の主な地震の表, 地震の事典, 朝倉書店,
467-552.
2. 宇佐美龍夫, 1987, 新編日本被害地震総覧, 東京大学出版会, 435pp.
------------------------------------------------------------------------
1965.11.06- 昭和40年
関東 , 東京 神津島
34.05, 139.02, Mmax= 5.6, Imax= , N= 16*, D=( 20)
1 1965.11.06 07:02 34.13, 139.03, 0, 5.2
2*1965.11.06 17:57 34.05, 139.02, 20, 5.6
◇M 5.2 1965.11.06 07:02 N34.13 E139.03
地震頻発。同日17時57分(34.05, 139.02, h20km, M5.6)に続震。神津島で石垣・
崖崩れあり。有感地震回数は、 6日 6回、11日 1回、15日 7回、17日 1回、25日
1回。[1]
◇1965.11.06 07:02 Dep.2km M5.2
1965.11.06 17:57 Dep.4km M5.6
神津島で石垣・崖崩れ[2]
◇1965(昭.40)年11月 6日
神津島付近の地震
発震時: 6日17時57分,震央:北緯34゜03'N・東経139゜01'E ,震源の深さ:20km
,規模(M):5.6
先駆的地震活動
この地震の前年1964(昭.39)年10月23日頃から神津島付近の海域に時々地震が
発生するようになり,次第に活発化し,12月19日から30日にかけて頻発傾向とな
った.しかし,1965(昭.40)年に入ってからは散発的に地震が発生する程度と
なり, 4月下旬頃やや活発化した以外 6月頃まで比較的静穏に経過した.ところ
が 7月頃から再び地震が続いて発生するようになり, 8月 3日17時30分頃M5.0(
34゜16'N ,139゜18'E,深さ 0km)の地震が発生し,一時的に地震活動が活発化し
た.
直前の地震活動
この地震の23日前の10月14日17時 2分頃神津島付近(34゜15'N ,139゜03'E,深さ
0km)にM4.9の地震が発生してから同海域の地震活動がやや活発化し,10月18日
2時48分頃M4.5(34゜16'N ,139゜09'E,深さ 0km)の地震が発生したが,10月30
日以後静穏化した.ところが,11月 6日 7時 2分頃M5.2(34゜08'N ,139゜02'E,
深さ 0km)の地震が発生してから頻発傾向となり,その約11時間後にこの地震が
発生した.[3]
◇地震活動が活溌であった時期は,1965年10月−11月,1966年 9月,1967年 4月
および 6月である.
1965.11 最高日別回数76(グラフより読み取り)[4]
◇1965, 11, 6, 07:02
昭和40年11月 6日
(Latitude, Longitude, Depth, M , Tsunami)
34.13, 139.03, 0, 5.2,
神津島付近
1965, 11, 6, 17:57
昭和40年11月 6日
(Latitude, Longitude, Depth, M , Tsunami)
34.05, 139.02, 20, 5.6,
神津島付近
[5]
【文献】
1. 宇佐美龍夫, 1987, 新編日本被害地震総覧, 東京大学出版会, 435pp.
2. 気象庁地震予知情報課, 1993, 神津島・新島近海の地震活動(1963年〜1968
年), 地震予知連絡会会報, 49, 264-268.
3. 鈴木雄次, 1985, 図説前震の記録, 自費出版, 164pp.
4. 下鶴大輔・堀米和夫・長田 昇, 1967, 1967年(昭和42年) 4月 6日の式根
島,神津島附近の地震, 地震研究所彙報, 45, 1313-1326.
5. 茅野一郎・宇津徳治, 1987, 日本の主な地震の表, 地震の事典, 朝倉書店,
467-552.
------------------------------------------------------------------------
1965.11.13- 昭和40年
関東 , 東京 伊豆鳥島
30.57, 140.60, Mmax= 6.5, Imax= , N= , D=
1 1965.10.22 11:03 , , ,
2 1965.11.13 02:14 30.28, 140.43, 40, 5.4
3*1965.11.13 02:52 30.57, 140.60, 0, 6.5
◇1965.11
地震群発
1965年11月16日気象観測所閉鎖,全員撤退。
無人島となる。
N30.48 E140.30(頂上付近の三角点の位置)[1]
◇1965(昭.40)年11月13日
鳥島近海の地震
発震時:13日 2時52分,震央:北緯30゜34'N・東経140゜36'E ,震源の深さ: 0km
,規模(M):6.5
直前の地震活動
この地震の22日前の10月22日頃鳥島で地震を 1回(11時 3分)感じた.その後静
穏に経過したが,11月13日 2時13分頃から有感地震が頻発し始め, 2時14分頃鳥
島付近(30゜17'N ,140゜26'E,深さ40km)にM5.4の地震が発生するなどさらに激
しさを増し,ついにこの地震が発生した.
なお,鳥島で火山爆発の危険が生じたため,鳥島観測所は11月15日で観測業務を
打ち切り引き揚げた.[2]
◇1965, 11, 13, 02:52
昭和40年11月13日
(Latitude, Longitude, Depth, M , Tsunami)
30.68, 140.22, 50, 6.5,
鳥島付近
[3]
◇伊豆鳥島
1965年11月(昭和40年)地震群発:11月16日気象観測所閉鎖,全員撤退。以降無
人島となる。[4]
◇1965年に群発地震や火山性微動が観測されたことから,観測所は閉鎖され現在
に至っている。[5]
【文献】
1. 気象庁, 1984, 日本活火山総覧, 482pp.
2. 鈴木雄次, 1985, 図説前震の記録, 自費出版, 164pp.
3. 茅野一郎・宇津徳治, 1987, 日本の主な地震の表, 地震の事典, 朝倉書店,
467-552.
4. 気象庁, 1996, 日本活火山総覧(第 2版), 500pp.
5. 海上保安庁水路部, 1995, 鳥島周辺の海底地形, 火山噴火予知連絡会会報,
62, 67.
------------------------------------------------------------------------
Top page