女神のコスモロジー
 
 はてさて、前回の本を手にとってみられた方は、なんじゃこりゃー、と叫ばれたかもしれませんね。前回はやや場外乱闘気味であったため、心を入れ替え、今度のこそ本物! …だと思います…たぶん。

 それでは、極私的ブックガイド第2弾です!

 ∽∽ マリヤ・ギンブタス『古ヨーロッパの神々』言叢社、1998 原著1981
 
 さあ、お待たせ、古ヨーロッパの膨大な遺跡を発掘し、「女神」の文明を掘り出した、情熱の人マリヤ・ギンブタスの登場です!

 マリア・ギンブタスは、主に南東ヨーロッパを中心とするヨーロッパ全域から、何万点にも及ぶ膨大な遺跡を発掘し、それまで考古学上は古代には辺境の地と思われていた、古代ヨーロッパの姿を新しい光の下に研究した人なのです。
 彼女によれば、ヨーロッパにおいて、紀元前9,000年前ごろから4,500年ころの間に、社会のしくみや宗教において母系的なものが尊重され、戦争を好まず平和に暮らし、貧富や階層の差が少なく、男女の協調関係が保たれている、独特の文化が形成されていたといいます。そこではすでに、農耕や芸術、冶金や製陶などのさまざまな技術が発達し、都市が形成されていました。またその芸術を見ると、戦争や暴力を賛美する文化ではなく、自然の豊かさや美しさをたたえる文化がはぐくまれていたことがわかるといいます。
 またそこでは、後の文明におけるような男性の神が崇拝されていたのではなく、自然の豊かな力をつかさどり、象徴するものとしての、女神が崇拝されていたのでした。
 彼女はこの文化を、「古ヨーロッパ文明」と名付け、そこで、独自の文化が高度に発達していたことを示したのです。
 しかし、この古いヨーロッパ文明は、紀元前4,500年ころから2,500年ごろの間に、南ロシア方面からやってきたインド=ヨーロッパ語を話す遊牧民の侵入を受け、崩壊していきます。侵入した遊牧民は、戦争と侵略を好み、軍事組織を持ち、厳格な支配階層性の下、男性優位の社会を作っていました。つまりこれは、今の家父長制の文化の基礎になるものですが、この文明がヨーロッパ全般に広がり、古ヨーロッパ文明を飲み込んで、その後の支配階層性や男女差別の厳しい社会を作り上げていったというのです。
 しかし、古ヨーロッパ文明は、完全に根絶やしになることはなく、家父長制の文化の下で、地下水脈のように生き続け、その影響力は、歴史のそこここに見ることができるといいます。

 この本は、日本で唯一訳されているギンブタスの本で、数百点にもわたる豊富な図版を眺めているだけでもワクワクします。
 ギンブタスは、考古学者なのですが、彼女は、どうも先史時代の人々を、「研究対象」とか、「未開の人々」とか、考えてなかったようです。それどころか、彼女は、一方で緻密な学究肌の人でありつつも、もう一方では、先史時代の人々のことを、「なんておもしろくて、不思議で、楽しいものを作る人たちだろう。」などと考え、まるで親しくて尊敬できる友達や先達と付き合うようなやり方で、彼らと付き合っていたようなフシがあります。「古代人がお友達?」世間では、こういう人を「変人」というのですね。しかし、結局、友達のような人こそが、相手のことをすっとよくわかるのですね。
 だからこそ、ギンブタスは、それまで先史時代の女神といえば、「豊饒女神」などとだけ考えられていたのに対し、いや、そんなもんじゃない、そこには先史時代の人々が繰り広げた、ある「宇宙観=コスモロジー」が込められているのだ、と見抜くことができたのです。
 (そして私は、古代の社会が、平和で平等な社会であったのは、単に古代に神が「女」神であったということよりも、そこに込められた、彼らのコスモロジーこそにその秘訣があったのではないか、とニラんでいるのです…。)

 最初に登場するのは、「水」の女神たちです。この水とは何ぞや? それは、宇宙の根源にあり、宇宙を生成する始源の水なのですね。そこから宇宙蛇とか宇宙卵なんていうのが生まれ、さらに世界が生成されるのです。これはまた、生き物や人々の生命を生み出しはぐくむ「生命の水」でもありますね。そう、彼らのコスモロジーの始まりは、<生成>するものとしての世界、<生命>の世界です。
 そして、この世界の果てには始源の水域があり、生命はそこから生み出されては、そこに帰っていきます。この「水」は、これから生まれようとするものと、既に生まれたもの、そして消え去ったものを貫いて流れる水なのです。ここには早くも、いまだ生成せざるものと、既に生成したもの、または、存在と非存在、生と死の統合というテーマが現れています。
 おお、のっけから何か深い話ですね。(あっ、ちなみにあの「聖杯」とは、この「水」をいれる器らしいのでした。)

 次に現れるのは、「時」です。しかし、この時代、時はまだまっすぐ進みませんで、ぐるぐると円環を描くのですね。そこで、四季の循環をつかさどる女神たち、誕生と生と死、再生の循環を司る女神たちが現れます。彼女たちは、自然と人の豊かな生命の移り変わりを促し、さらなる再生を約束してくれます。
 ここに出てくるのは、自然と人を<生命の循環>から見る見方なのですね。
 そしてさらに、農耕の時代になると、大地の豊饒を約束する、<豊饒>女神たちが現れます。ここでは、自然は資源に乏しく、かつ人間に敵対してくるものではなく、豊かな恵みと生活を支えてくれるものとして現れています。
 あっ、それから、忘れてはいけない大切な神たち、それは女神と結びつく男性の神々ですね。彼らは女神と結び付いて、さらに豊かな命を生み出すのです。ここでは、聖なる結婚や、性と生殖の豊饒、というシンボルのみならず、例えば両性具有の神たち、人と動物が結びついた神なんていう面白いのも出てきます。つまり、ここに出てくるのは、女性と男性、人と人、人と自然などの、異なるものの<結びつき>による豊かさという考え方ですね。

 うーむ、こうざっと見ただけでも、魅力的な世界観のアイテムが次々に現れています。例えば、自然の世界を循環から見る見方は、今日の生態学などではもうお馴染みですけども、でもこの社会の主流の考え方は、それを中心に据えて自然を「見て」はいないのですね。だからこそ、産業に有用な「資源」だけを切り取って、自然にはゴミだけ捨てて平気なのですね。
 (さらに、この社会では、人間は労働力としての「資源」ですから、生命を受けて、育てられ、生命体として生きる部分は、不要なのですね。それで、その部分は、誰かにタダ働きで世話をさせ、人的資源だけを手に入れたい、ということで、女性たちの家事育児労働が必要とされている、ということらしいのです。しかし一方で、女性たちには、それに見合った経済力や権力を与えたくない、そのためには、女性たちを、なんらかの「力で支配」しなければなりません。)

 でも、こうした古代の人々の世界観は、実は、先住民の社会とか、近代産業社会でない社会では、割合に広く見られるもののようですね。つまり、私たちの精神の基層には、こういう世界観が厚く養われていて、近代的なものの見方というのは、実はその上にひょいと浮いた、浮き草のようなものかもしれないな、とも思うのです。(でも今までは、それが「東洋」とか、「未開社会」とかにあると言われていたんですが、それがなんと、ヨーロッパにあったということが、全く面白いですよね。)
 さて、私たちが、このような世界観を「持っていない」ことが、どうして暴力と、ヒエラルキーの社会を生むのか? それこそが、まっこと面白いテーマです! しかし、長くなりすぎるので、またの機会にいたしましょう。

 と、いうわけで、この本は、アイスラーの構想が生み出されたもとネタを明らかにしてくれるので、とても面白い本なのです。ここに書いたのは、私の独断的な読みですが、たぶんもっといろいろなふうに読めることでしょう。
 ただし、ギンブタスは、情熱の人なので、考古学の説明も詳しく、隅々まで読もうとすると、ギンブタス風の情熱が必要です。そこで、とりあえず、要点だけを紹介したものを見てみたいという方には、次のホームページをどうぞ。http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/old_europe.html 
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 おお、今回はややまじめな取り組みでしたねぇ。(しかしこの本を開けてみると、そんなこと書いてないぞ…という声がするかも。ははは。)
 それでは皆様、またまたお会いしましょう。

  (2000/5/22)
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