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 杏里

杏里の曲を初めて聞いたのは、19歳位の頃だったかな。多分20歳にはなっていなかったのではないかと思う。もうすでに、ん年以上前の話だ。その後特別お気に入りになるわけでもなく、また嫌いになるでもなく、まあ、付かず離れずだった。存在は知っていたけれど、って程度だ。それがある日突然、頭にがあーんといったような感じで衝撃を受けた曲があった。 ちょうど1984、5年だったような気がする。
その頃おれはスキーにのめり込んでいて、スキーシーズンになると毎週のように週末にはスキー場へ足を運んでいた。ま、お金もそれほど持っていない頃でもあったので、毎週というのは少しオーバーな表現ではあるけれど、とにかくスキーを滑ることが楽しくて楽しくて仕方のない時期であった。スキーというスポーツはなんともお金のかかるスポーツで、道具やウェアや、実際にスキー場へ行くための交通費などを考えたら、貧乏リーマンの身には結構辛いものだった。初心者であればまだしも、少しその道に慣れて腕が上がってくるとそれなりに道具の価格も上がり、スキーを初めて4年も経った頃には、道具に16万円ほどのお金をかけた。さらにスキーウェアとストックとグローブに、、、。そして、少しでもうまくなりたいうまく滑りたい、という欲望のかたまりでもあった。
その頃、11月を迎えると、さあスキーシーズンだぞもう雪が積もりはじめているぞ、などとやけにスキー好きのおれたちの心を刺激するテレビ番組があった。「スキーNOW」。東京12チャンネル、今のテレビ東京で、確か金曜日の午前0時頃位から始まる30分枠の番組だった。まさにその頃のおれの心を捉えて放さない、ちょっとしゃれていてカッコ良くて、でもちゃんとデモンストレーターが「基礎スキー」を教えてくれるという人生の中で非常にインパクトの大きなテレビ番組だった。人生に大きなインパクトを与えるようなテレビ番組なんて、そうあるもんじゃないでしょう? 毎週のようにビデオに録画して、今でも数年分のストックが保管してあるのには自分ながらびっくりだけど。
まあ、とにかくその「スキーNOW」の番組の始まりの曲が杏里の「INNOCENT TIME」だった。あの軽やかで跳ねるような曲のバックには、ニュージーランドの雪山の雄大な景色の新雪の上を、海和俊宏(この人を知っているだろうか? 相当にインパクトのあるスキー選手でした!)がこれまた雄大な滑りを見せてくれていて、その曲と画像を見ているだけでボー然とするほど格好よかったのだ。毎回ボー然としていたわけではないけれど、とにかくその導入部分はものすごい衝撃を持って心に焼きつけられたといっても過言ではない。そしてさらにエンディングの曲は「OVERSEA CALL」。一転して静かで落ちついていて甘いイメージの曲。どちらも歌詞がなんともすばらしく、とにかくこの番組をもって、おれの杏里への傾倒が始まったのであった。


 高中

大学4年の頃、友人が高中正義の音楽 CD を買っているのを見た。もちろん高中は知ってはいたけれど、レコードや CD は持っていなかった。音楽用 CD が出始めた頃でこれからはやっぱ CD だねえって感じの時代だった。 高中正義は、ラジオなんかで聞いたこともあったし、気になる存在ではあったのだけど、友人が CD を買っていたのを目の当たりにして、おれも買ってみようかという気になったのだった。その頃おれはカシオペアというグループが気に入なり始めていて、まあ、カシオペアに代表されるのだけれど、フュージョンという系統が好きだったのだ。もともと歌謡曲には興味がなかったし、背伸びしたとしてもジャズまでは自分にゃ難しいなという自覚があった。おれが高校時代には荒井由実が「ひこうき雲」を出していたし、それを学校で初めて聞いたときには、こりゃいいねえって感じたもんだ。フォークソングからニューミュージックへと流れていった時代なのであった。 そんな流れの中でのカシオペアやら高中である。そしてすぐに SQUARE (今の T-SQUARE)であり、山下達郎であった。(ちょっと違うか...)カシオペアといえば「ASAYAKE」だろうし、SQUARE といえば「HAWAI E IKITAI」、そして高中と言えば、やはり「BLUE LAGOON」だろうね。ずいぶん独断的に、あっさり言ってしまうけれど、結局のところ、いろいろ聞いているとこれもいいあれもいいで決められないというのが本音ではあります。
会社へ入ると週末にはよく湘南へドライブへ行った。もちろん友人と。時には男ふたり、そして時には数台の車を連ねて、金曜日や土曜日の夜に江ノ島を目指すのであった。それほど多くはないけれど、一人で走りに行くこともあった。住んでいる場所からは、環八から第三京浜、横浜新道を通り、藤沢から江ノ島へ向かうルート。中でも横浜新道は好きだった。まさにワインディングロードって感じで、流れに乗って飛ばすとフュージョン系の音楽が似合うのだ。最近はもう何年もこのルートを走ったことがないけれど、あの頃に比べるとずいぶんと道路が混んでいるような感じだ。特に環八なんかは、昼間は渋滞でまともに走れたものじゃないようだ。夜はどうなのかはわからない。週末の夜に走っていると、時には暴走族に出くわすこともあるけどね。まあとにかく、深夜の車の少なくなった横浜新道を、高中正義やカシオペアや SQUARE を聞きながら車飛ばしていると、もう何も言うことなかったね。心の高揚感と充足感とアドレナリンが見事にないまぜになって体の中を駆け巡っていた。
そんな生活が数年は続いたろうか。いつの頃からか車を飛ばすことが少なくなって、今じゃこのザマ。高中もあまり聞くこともなくなったけれど、でも久しぶりに聞くとやっぱりいいものはいいね。それも古く感じないのはどうしてだろう。久しぶりに聞くと、懐かしいという感情はゼロではないけれど、それよりも「ああこんな曲があった」とか「そうこれこれ」っていうように心が乗ってくるというほうが大きいね。そしておれは先日、「hunpluged」という高中正義の CD を本当に久しぶりに(十数年ぶりかもしれない)購入したのだ。
で、先日もう1枚のCDを購入。ベスト版ではあるが、買ってしまった。
「ALONE」だ。これが昔からとっても気に入っていた。今でもいい。高中のギターが泣いている。「JUMPING TAKE OFF」や「READY TO FLY」もいいのだけど、「ALONE」の悲しい響きは、もうどうにでもして、というくらいに痺れるね。


 OFF COURSE

そういえば、オフコースがいたよね。ただしおれは、あのブレイクしまくった5人組のオフコースよりはその前の2人組のオフコースのほうがどうしてもしっくりくる。オフコースときたらやっぱり「ワインの匂い」だろう。その中から特に「眠れぬ夜」「ワインの匂い」「愛の唄」は、もう、泣く子も黙るって感じ。あの頃の、もう完全にフォーク全盛のころのオフコースは周りのフォーク系統のグループとはちょっと違っていて、なんか育ちの良さみたいな雰囲気がただよっていたなあ。あとでわかったのだけれど、彼らは理系の学校を卒業していたもんで、その頃受験時代だったおれは「おーし、頑張らねば」と思ったものだ。
今でも憶えているんだけど、毎週土曜日の夜9時から、TBSラジオで桂三枝が司会をしていた公開番組があった。うーん、番組の名前が出てこないけれど、どこかの公会堂のようなところでやっていたラジオ番組で、その中の10分ほどのコーナーにオフコースが出ていた。ジローズというグループがいて「戦争を知らない子供たち」というヒット曲で有名だったんだけど、その前座をオフコースがやっていた。小田和正の軽い喋りと2、3曲の唄を歌っていた。ぼくが中学生の頃の、もう遥か昔のことだ。
だから、あの女がキャーキャー騒いでいたオフコースは嫌いではないけれど、ぼくの感覚からはなんだかやっぱりちょっと違うんだよなー。その頃にヒットしたような曲はどうしても飽きてしまう。いつまでもいいなあってのはヒットした曲よりも、その陰に隠れていることの方が多いと思わない? そんな5人組のオフコースの曲で、結構気に入っていたのが「愛あるところへ」だった。曲の持っている、あの力強さに元気づけられたんだよね。音楽っていうのは、その曲を印象深く聞いた時の心の有り様を鋭く反映していると思う。きっとどんな人でもあるだろうけれど、おれの場合もやっぱり恋愛だろう。どうせ良い想い出ではないので、力づけられるようなものだったり、全くその逆で心にぐっと突き刺さるようなものだったり、そのどちらかだけど。この時期、高校3年からの数年間は、おれの成長や人生に欠かせないほど大きな影響を与えたひとりの女の子に絡んだ曲がどうしても多い。双璧はチューリップと井上陽水だった。
直接その彼女が好きだったとか聴いていたということではないんだけれど、オフコースはやはり心に響いたよね。なんだかんだ言っても、結局小田和正の詩には泣かされたんだ。そんな年代のあんな状況においては、もうイチコロって感じだったよね。愛を唄ったものが多くて、ちょっとこっ恥ずかしいところが多いのは事実なんだけれど、それでもやっぱ心に響く詩であることには変わりない。特にあんな年代のあんな状況においてはね。これはどうしようもない事実であったのだ。
そう言えば、最近も相変わらず「道をはずれた」小田さんは頑張っているようだね。


 TULIP

チューリップと言えば「きみのために生まれかわろう」 、「TAKE OFF」、「無限軌道」という3枚のアルバムだ。これらはどの曲がなどという悠長なことは言ってられず、アルバム全体の曲の構成というか流れみたいなものがすばらしい。特に「きみのために生まれかわろう」はすごい。感受性の強い時期に、それも異性が絡んでいたもんで余計にインパクトが強かったのは事実だ。これはもう、実際そうなんだから仕方がなくて、誰がどう言おうと変えることはできないのであった。「きみのために生まれかわろう」なんて、もろにビートルズの影響を受けているのがわかるようなアルバムだよね。
結局ぼくの中のチューリップというグループは、十代後半の一番微妙な年代の一時期に局所的に集中している。これは完全にぼくの心の背景を反映したものなのでどうしようもないけれど、それを抜きにしたとしても財津和夫のセンスというのはなんともすごいなあ。どこかの情報で、財津和夫は大学時代にピアノを修得したというのを聞いて、自分も一時期ピアノに凝ってしまったっけ。小学校低学年の頃、ピアノではなかったけど、オルガンを習いに行っていた時期があった。河合楽器のオルガン教室というのを近くの幼稚園でやっていて、そこに通っていたのだ。なんでピアノでなくてオルガンなのかはよくわからないけれど。それで、家にはピアノがあったもので、チューリップに凝った時期に財津和夫の真似をして「おれもピアノで引いてみたい」という願望を持ったのであった。それでレコード屋さんでチューリップの楽譜集を買ってきて練習したけど、結局うまくいかなくてやめたけど。普通ピアノは学校に入る前のような小さい頃から習っていないと指が堅くなってうまくならないことは聞いていたので、大学時代に修得したという財津和夫のすごさには参ったと思った。
「きみのために生まれかわろう」の「雨が」からメドレー形式で続くところや、「TAKE OFF」の後半の「愛は不思議なもの」から続くメドレーなどは、完全にビートルズばりだよね。彼らがビートルズに傾倒していたのは有名だけど、いや、だからこそ、ただビートルズの真似をしているとは言えない何かがあるんだよね。そりゃプロとしてあれだけ受け入れられたわけだから当然なのかもしれないけれど。ただぼくなんかが感じるのは、そんなビートルズの影が色濃く感じる初期のアルバムこそワクワクして嬉しいね。


 井上

井上、なんて書いてしまうとなんだかひどく自分が偉そうに聞こえてしまうのでちょっと気が引けるけど、やっぱ、井上と言えば陽水ですよね。そしてぼくにとっての陽水といえば「断絶」と「氷の世界」なのだ。実は井上陽水はそれほどよくは知らない。そりゃ、ヒット曲をたくさん作った人だから普通には知っているつもりだけれど、アルバムを持っていないし。とにかくなんでおれが陽水かといえば、それは完全にチューリップと同じで、もう単純にそのときに好きだった人がよく聴いていたテープを貸してくれたからなのだ。あまりにも単純明快ではっきりと言い切ってしまうけど、でも音楽の影響ってそんなもんじゃないんだろうか。そしてここで白状してしまえば、当時好きだった人の名前がチューリップの「無限軌道」の中に曲名として載っている。さらに思い出話をしてしまえば、そのときの彼女がよく言っていたのが「断絶」の4曲目の曲名だったなあ。「私ってxxxxxなんだねー、きっと」とね。「氷の世界」の「はじまり」「帰れない二人」、そして「桜三月散歩道」なんてのはいいよねえ。あの頃はこれ聴いただけで泣けてきたよね。もちろん今は懐かしさで泣けるんだけど。
しかしこの人はホントに味のある喋り方をする、味のある人ですよねえ



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