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初夢は行動の原点?
皆さんは初夢をご覧になりましたか? 一富士、二鷹、三茄子って、ちょっと古いかなぁ。 実は人間と
言う動物は何時でも夢を見るんだそうです。 ほんの少しの刺激が脳に刺激を与えて、それが夢の素に
なるんだそうですが、どんな刺激が楽しい夢になるのか、又は、悪夢になるのかは判らないみたいです。
そういやぁ、人間って眠っていなくても夢を見る生き物ですよね。 夢を見なくなったら人間として壊れ始
めたってぇ事なんでしょうかね。 夢もチボーもない!! 昔そんなギャグを飛ばしてた人がいましたっけ。
人という動物が好き好んで苦労を背負い込むのは何故なんでしょうか? 我家の愛犬なんぞ、苦労なん
て下僕(家人)がする物と決めて掛かっているような御姫様犬で、嫌な事は絶対にしようとはしません。
それに引き換え、その飼い主である私や家人はなんの因果か次々に苦労を背負い込んでいます。 何も
苦労が好きなわけではありませんが、仕事や学問、人付き合いや街中を歩く事にすら苦労をしています。
それは、その苦労を個人的に求めているからであり、人として求められているからでもあります。 苦労の
先にあるものを求めていると言ったら判りやすいのかもしれませんね。 それが夢なんじゃないでしょうか。
仕事や学問をするのは将来、こうしたいとか、ああなりたいと言った夢があるから頑張るんでしょうし、社会
生活上要求される制約から受ける苦労(ルール遵守)は共通の夢の為と言えるのではないでしょうか。
夢があるから、我慢もできるってぇもんでしょう。 昨今はそれこそ夢もチボーもない輩が狂気に走ったり、
日本の社会をぶち壊しに掛かっています。 彼等にもし、ほんの少しの夢と希望があれば、無残な結果は
大きく変わっていた事でしょうに…。
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今日、1月8日は雪の朝でした。 埼玉と言う所は
夏暑く、冬寒いという実にファンタスティックな気候
なんですが、さすがに雪の朝はいいもんですなぁ。
(大雪で苦労をしておられる地域の方々には不謹
慎ですね。 ごめんなさい。)
地上の汚れを覆い隠す新品のシーツのように全て
を真っ白な景色に置き換えてしまいます。 しかも、
雑音までフィルターをかけたようになくなってしまい
深閑と静まり返った夜明けはとても綺麗でした。
日本には明確な四季があります。 それが農業
に多くのバリエーションを与え、様々な可能性の素
にもなっています。 工夫一つで様々な農業をやる
事ができるんです。 それぞれの気候や風土に合
わせて独自性のある生き方を探す事ができます。
そういやぁ、都会に四季ってありましたっけ?
アスファルトジャングルは何時も熱帯…?。
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人は夢を見る生き物です。 いや、夢を見なくなったら人は人でなくなりかけていると言っても良いんじゃ
ないのかな。 もし、夢がなければ数え切れないほどの苦労なんか誰もしなくなるでしょう。 嫌な事や辛い
事なんか、夢と言う動機付けがなければ誰も立ち向かおうとはしないでしょう。 若者は殆ど無限と思える
ような可能性に向けて様々な努力をします。 汗や涙を流しながら多くの経験をして、自らの夢に向かって
邁進して行きます。 これって、若者の特権とか良く言われていますけど、私は違うと思うんですよ。
要は、夢が有るか無いかだと思うんです。 年齢ではなく、夢を見られるかどうかだと私は思うんですよ。
ある人が、夢を見るから苦労を背負い込むんだと言ってくれました。 身の丈にあった生活を真摯に見つ
める事が人としての生き方なんだと話してくれました。 「貧富や社会的地位の事を言ってるんじゃないよ、
何が幸せなのかは人それぞれだけど、少なくとも叶わぬ夢なんか見るもんじゃないよ。」そう言いました。
夢を見なくなった人って、現状に満足している幸せな人か、生活に疲れて脳細胞が壊れかけてる人なので
はないかと思うんです。 でもね、現状に満足している人だってその生活を維持する為に苦労するでしょう
し、生活に疲れている人ならそれ以上の苦労をする筈です。 それなのに、夢を見れなくなってしまったら
一体どうやって数多くの苦労に立ち向かっていくんでしょう。 夢は苦労の源ではなくて、苦労に立ち向か
おうとする人間の活力源なのではないでしょうか? 明日を夢見る事ができれば、今日を凌げるもんです。
今日を凌ぐ事ができれば明日へと希望を繋げていく事ができます。 人生の”意味”とはどの位夢を見る
事ができるかで知る事ができるのかもしれません。 そして、人にとっての”幸せ”とは多くの人々とその夢
を語り合い、分かち合い、少しずつそれを実現していく事なのかもしれません。
蛇足かもしれませんがこれだけは解ってもらいたい事があります。、夢を見る人間には決して年齢制限
等はないという事です。。 特に、就農事業に携わっている貴方、そう、アナタの事です。 人の夢を事務
的に、簡単にあしらっていると、今にとんでもない事になるかもしれませんよ。 お解り頂けますかな?
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初夢は見ましたか? 見ていなければ、今からでも遅くは有りませんよ。 何時でも時間は有るんです。
大いに夢は見るべきです。 楽しい夢なら気分が良いし、悲しい夢なら夢であった事を喜ぶべきです。
夢は寝ていても見れますが、起きていても見る事ができます。 歩いていても、仕事をしていても、遊んで
いても、喜んでいても、悲しんでいても、何時でも夢を見る事はできます。 死の床についていても夢は見
ているのかもしれません。 酔生夢死。 ぶらぶらと日を送り、無駄に過ごしたように思える人生でも夢は
見た筈です。 夢を夢で終わらせるか、実現に向けて苦労を背負い込んでみるかは各々の決断次第でし
ょう。 困難な状況や苦しい環境にある時にこそ夢は大事な要素となります。 それが、数多の障害を乗り
超える為のメインエンジンとなるからです。 中高年となった方々の中には、夢を見ることに対して戸惑い
や気恥ずかしさのような物を感じる方がおいでになるようです。 それは、きっと人生経験の中で学びとっ
て来た事から夢の結果を予想してしまうからなんでしょうね。
夢を見てそれに向かってがむしゃらに走っていた若い時と違い、中高年である我々には分別とか諦念と
言った、年を経て染み付いていった物があります。 夢を見てはそれを不可能な物として否定してしまうと
言った妙な習性も身についているようです。 でも、夢の結果なんて予想しても意味があるんでしょうか?
夢を否定した所で夢は夢のままなんですよ。 夢は否定する為に見るもんじゃ有りますまい。 特に、起き
て見る夢は、叶うと信じて見るもんでしょう。 夢を実現させようと考えては何の斟酌もせずに、ただ闇雲に
走り回っていた若い頃から、夢は夢のまんま、何も変わっちゃいない筈ですよ。 ただ、一寸ばかり年を
とって現実というものを知ったからと言って、全てを知ってしまった訳でもありますまいに、物知り顔で夢に
背を向けるなんて馬鹿げていると思いませんか? 年をとってそれなりに知恵や財産を持っているのなら
それらを生かす事を考えてみてはどうでしょう。 若い頃ならとてもできないと思えた事が今の貴方になら
もしかしたら、出来るようになっているかもしれませんよ。
初夢は、”発夢”と読み替えて見ませんか? 年の始めに大いに”発夢”を語り合いましょう。 声を出して
呼びかけてみましょう。 きっと誰かが答えてくれる筈です。 恥ずかしいとか、みっともないとか、年相応
の分別がないとか、年寄り臭いカビの生えそうな訳知り顔なんか一切合切投げ捨てて、21世紀の幕開け
に素直な気持ちで自分の”発夢”を話してみませんか。 夢を語る事が行動への第一歩なんですから…。
そうして、今年こそ、ルーラル・ライフへの第一歩を勇躍、踏み出して行こうではありませんか
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