5章 変異の地域較差と生きた化石

これまで進化はランダムに発生する遺伝子のエラーと自然淘汰によるものとされてきた。しかし、地域によっては数百万年かそれ以下の短い期間で進化が見られるものがある。その一方で、数千万年から数億年の長い期間、ほとんど進化が観られない進化停止状態ものがある。そして、このようなことが地域による違いがあることがわかっている。なぜだろうか?

もくじ
   淘汰圧と進化     

   進化停止状態の条件

   生きた化石

   コウモリとムササビの違い


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淘汰圧と進化     ☆

進化でいわれる突然変異には、目的がなくランダムに発生するものとされている。このことは生物種によって突然変異が発生するものと発生しないものがあってはならないし、変異発生は地域や環境などの影響を受けるものではないことを意味している。地域や環境が影響を及ぼすのは、変異した後の生物が生き残れるか否かの自然淘汰で、それ以前のエラーによる変異発生は地域や環境に関係なく、総ての生物で発生するとされてきた。それにもかかわらず、生物によってはシーラカンスのように地質年代に渡って変異を停止した状態の生物が存在することや、地域によってはマダガスカルのように多数の生物が変異を停止した状態を維持している現実がある。

これまでのさまざまな進化論では、進化といわれる変異について局所的にはこれ以上ないほどに詳しく説明される。その反面、生きた化石といわれるような変異が停止した状態とみなされる原因についての説明は見ることが少ない。進化の理論が正しいものであるとき、「逆もまた真なり」が成り立つ必要があり、変異が発生する理論はそっくりそのまま変異をしない、又は、変異を停止した生物についての説明も満足できなくてはならない。しかし、従来ではこの部分の説明が不十分ではないだろうか。

生物の中には原始の姿に近似のまま、長い歳月に渡って変異が観られないものや、自然環境や生活環境に必ずしも適応できているとはいえない生物でも、形質の変異が観られないものもいる。そして、これらの生物についてどのような説明がなされてきたか? 突然変異は起こっているが環境にマッチングした変異に遭遇しなかったため、それらの変異は淘汰したとされるのである。随分漠然とした説明ではないだろうか。地球の自然環境は 1万年単位でダイナミックに変化しているが、一般的に生物が進化をするのに数百万年とされている。その一方で、生物の中には数千万年から数億年を継代したものでも、たいした変異が観られない種もいるとされている。これをどのように説明するのだろうか。

これまでの突然変異と自然淘汰では、変異の発生は生物種や生息域に関係なく、目的もなくランダムに発生することになる。そして、エラーを起こした生物は自然淘汰によって生き残れるか死滅するかの選別がされることになる。このとき変異を起こした生物に自然淘汰はどのように作用するか考えてみたい。

突然変異によって生じたマイナスの要素は大から小までさまざまあり、大きなマイナスでは誕生と同時に死ぬものもいるが、小さなマイナスでは多少は生きられるものや、成体近くになるまで生きられるものもいることになる。そのような僅かなマイナスを負った生物にとって、自然環境の変化巾が大きく不安定で、生活環境の捕食者が多い環境では生きられる確立は低くなる。一方、自然環境の変化巾が小さく安定して、生活環境の捕食者の恐怖が少ない領域であると、類似のマイナス要素であっても生きられる確率は高くなる。すなわち、突然変異のマイナス要素が同じであっても、自然淘汰の 「淘汰圧」によって生き残れるものと淘汰されるものとに分かれることを意味している。これがこれまでいわれてきた自然淘汰ということになる。

このとき絶海の孤島のような隔離された環境では、海洋性気候によって自然環境の変化巾が小さく安定し、生活環境の捕食者の恐怖が少ないことから、他の地域に比べると淘汰圧は小さくなり、突然変異を起こした生物の多くが生き残れることになる。その結果、そのような地域の生物種は多種多様になることを意味している。

その一方で、大きな大陸の開放された環境では、自然環境の変化巾は大きく不安定で、生活環境の捕食者に遭遇する機会が多くなり、このような地域の淘汰圧は大きなものとなる。そのため類似の突然変異であっても生き残れずに滅びることになる。このような地域では突然変異を起こした生物の多くが生き残り難く、進化種が誕生でき難いことになる。これが自然淘汰による淘汰圧ということで、これまで語られてきた自然淘汰によるものとなる。

しかし、現実の進化はこれとは全く逆になっている。絶海の孤島のような環境に生息する生物は、淘汰圧が小さいにもかかわらず進化生物を観ることは少ないという以前に、変異の発生しない古い形質が維持された状態である。一方、大陸の開放された環境に生息する生物は、淘汰圧が大きいにもかかわらず数多くの進化生物を観ることができる。

このような生態は突然変異と自然淘汰を否定することはできても、肯定することは困難ではないだろうか。さらに、突然変異がランダムに発生することも問題である。なぜなら、淘汰圧が小さいにもかかわらずほとんど変異が出ていないということは、進化につながる突然変異は起こっていないことになる。

これらから考えられることは、生物は変異の発生以前に環境が認識できていたと考える。それゆえ、自然環境が穏やかに安定して生活環境で捕食者の恐怖がないとき、そこに生息する生物にストレスはほとんどかからない。たとえ僅かなストレスがかかったとしても、そのストレスは自らに備わる制御機能によって解消もしくは緩和されて変異する必要はない。それはミジンコにとって自然環境が安定しているときは単為生殖を継続し、生活環境で捕食者の恐怖がないときあえて体表に刺を備えないように。

これは遺伝子のエラーが環境にマッチングしなかったのではなく、エラーは単に間違いでしかなく進化にはつながらないことを意味しているであろう。進化はエラーの如く起こるものではなく、環境の変化によって必要とされるとき、生物自らが促すことによるものであろう。それゆえ、自然環境や生活環境が安定していると、生物にとって変異は必要ではなくなる。このような変異が停止もしくは中断した生物は、生息地域によって著しく表れるものがある。それについて説明する。




進化停止状態の条件

アフリカ大陸と隣のマダガスカルは元来陸続きの一つの大陸で、およそ 8000万年前大陸移動によってアフリカから切り離されたとされている。それゆえ、大陸から分離する以前に生息していた生物は、共通していたと考えられている。同じような生物が生息する中で、変異の発生に生物種や地域格差は存在せずランダムで、同じ 8000万年の期間の経過から、どちらにもほぼ等量の変異が発生していたと推測できる。

一方、自然淘汰についてはランダムに発生した変異が、自然環境や生活環境によって排除するものと選択するもので、アフリカとマダガスカルでは 8000万年の間に環境が異なったことで、選択されて生き残れる種は異なることになる。そして、自然淘汰で引用される弱肉強食について、アフリカ大陸には多くの肉食動物の恐怖があるが、マダガスカルに大型肉食動物はいない。このようなマダガスカルではランダムに起こったエラーであっても、自然淘汰の淘汰圧はアフリカに比べて小さく、エラーの多くが生き残れる条件が整っていることになる。これによってアフリカに比べてマダガスカルではさまざまな進化生物が観られると推測できる。

しかし、現実にはアフリカ大陸では多くの生物に進化の変異が見られる。これに対して、マダガスカルでは進化の変異を見つけることが極めて困難とされている。ここで注目するのはマダガスカルの多くの生物は進化の変異を停止した状態で、古い時代の形質を維持しているものが数多く見られることである。マダガスカルの植物はおよそ 1万種ほどで、その内の 80%がバオバブを始めとする固有種とされている。動物の固有種ではカメレオンが数多く生息し、原猿類も多くてアイアイは中指が針金状で鈎爪を持ち、ラミーの実をほじって食べる。

これらが意味するものは何か。動きの遅いカメレオンや、同様に、動きが遅いものや争いに弱い原猿類が、昔のままの形質でも生きていられるということは、捕食者の恐怖が極めて小さかったことを意味するもので、マダガスカルの生物は日常生活の中で争うことや、新たな機能を備えるという必要がなかったことになるのであろう。

8000万年の間でアフリカとは異なる環境になったマダガスカルの条件としては、突然変異はランダムで目的もなく種や地域に関係なく発生するものであるから、アフリカと類似かそれに相当する変異が発生していなければならない。違いは環境であるから、生き残る生物は自然淘汰の選別を受けてアフリカとは異なる種が生き残っていなければならない。しかし、マダガスカルでは突然変異そのものがランダムに発生していないことを示していると推測される。

これは自然淘汰をする以前の問題である。このような状況はマダガスカルだけに見られるのではない。大陸移動で早い時期に分離して、その後他の大陸と陸続きにならなかったオーストラリア大陸にはマダガスカルに似た生態系が残っていて、進化の形跡が見られない古いタイプの固有種が数多くの生息する地域である。

これは進化の発端は、突然変異のような目的のないものではないと考える。生物は環境を認識して生活できている。そして、その環境が変わるとストレスを生じるが、そのストレスを解消もしくは緩和しようとする。そのときの対処が自らに備わる制御機能で処理できるとき変異は必要ない。しかし、自らに備わる制御機能で制御困難のとき、新たな対処が必要となり、そのときの対処の一つが変異として表現されるものと考える。

すなわち、常に日常生活で自然環境や生活環境を認識し、その環境変化に対処可能な生物にとって、自然環境の変化巾が小さく安定し、生活環境の捕食される心配が少ないとき、そこで生活する生物にとって自らに備わる制御機能で充分であって、それ以上の制御機能を必要としない。このことはそれに伴って進化の変異も必要ではないことになる。マダガスカルはその一つで、アフリカ大陸から切り離されたことで一つの隔離的領域と見なすことができる。これによってマダガスカルでは長い歳月に渡って進化の変異が停止もしくは中断した状況になったと考える。

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このような生態はマダガスカルに限るものではない。もっと小さい領域では、たとえば、フロリダの地下水脈に生息する魚のフロリダガーも、進化の変異が停止した状態が継続されている生物の一つである。このフロリダガーに類似するものには、キューバの湿地帯に生息するマンファリがいる。マンファリの鱗は、2oもの厚さがあり 2億年前から生息し、進化の変異が観られないとされている。清らかな泉に生息することから微生物が少なく、それに伴って餌となる動物も少ない。さらに、このマンファリの卵には毒が含まれていて捕食されないといわれている。

一方、シーラカンスは数億年の長い期間に渡って進化の変異が見られない種とされている。シーラカンスの生態は良く分からないが、生息域を深くすることや生活スタイルを変えることなどによって、捕食者や争い相手を避けることで安全や餌を確保できたのではと推測できる。

一方、ギアナ高地のテーブルマウンテンの頂は、周りの平地とは切り立ったおよそ 1000bの断崖によって隔絶されている。この頂に生息する生物にも同様の変異を停止した状態が継続されていることを観ることができ、このテーブルマウンテンの頂の生物はおよそ 75%が固有種である。

同様に、日本の南に位置して太平洋の真っ只中にある南硫黄島は、進化の変異が貧弱といわれている。なぜか。海洋性の気候によって自然環境が安定し、生活環境の捕食者の恐怖がない環境では、変異によって対処する必要がないことを示している、と私は考える。

これらは自然淘汰以前に、突然変異の考え方そのものが存在しないのではないだろうか。これらの動物の中には、彼らの生活領域で自らが食物連鎖の頂点にあると認識できるとき、捕食される恐怖によるストレスは皆無に等しくなり、防御のための変異は必要なくなる。同様に、さまざまな隔離的環境条件が整うとき、捕食されるというストレスはなくなり変異の必要性はなくなる。このような環境の中で生活することのできる生物にとって、変異によって新たな機能を求めようとする発想そのものが生じないと推測する。

結果として、マダガスカルやオーストラリア大陸、さらにはギアナ高地のように、通常の生活領域に比べて変異に地域格差がある。しかし、これらは上記の地域だけではない。生物は地球上の熱帯から極地まで均等に分布するのではない。ある生物は熱帯雨林の林床や樹冠であることや、ある生物は温帯の湿原というように、それぞれの生物種の生息領域は限定的領域である。さらに、昼行性や夜行性というように生活スタイルにも違いがある。これらからそれぞれの生物の生息領域は、大陸の中でも大海原でも、地域的,地形的,時間的,空間的生活領域による直接見ることのできない領域が設定されて、立体パッチワークのような状態で分布している。このような領域内で生活する生物にとって、その隔離された環境が安定した条件であると、多くのエネルギーを費やして変異する必要はなく、変異がほとんど起こらず世代交替だけが繰り返されることになる。

従来からいわれる変異は目的なくランダムに発生するとか、地域や環境が関係するのは自然淘汰であるとされてきた。しかし、実際はそうではなく、生物は自然環境や生活環境を認識した上で変異をしていたことになるのではないだろうか。それゆえ、自然環境が安定して生活環境の捕食される心配がないとき、必要以上のエネルギーを使ってまで変異をしようとはしていないことを意味するものであろう。このことから生物の変異は遺伝子のエラーでいわれるように、めったやたらに変異した後で自然淘汰によって滅びたのではないと考える。ここで示した変異の地域格差は、生物が進化するのに突然変異も自然淘汰も何れもが存在しないと考えている。




生きた化石

視点を変えてみよう。長い期間を要して進化したとされる生物が、ある時点以降ピタッと進化の変異を停止することで、進化に要した期間の何十倍,何百倍もの期間、進化を停止した状態を維持することの証明も必要である。キリンの首や象の鼻が伸びる期間と、それ以上に長い期間進化が止まり、それ以上伸びることなく、逆に短くなることもなく、さらに、それとは違った進化も発生しない状況は随所に見ることができる。いわゆる進化の変異停止状態となる。

一方、偶然に起こるとされる遺伝子のエラーは 1回と限定されるものではなく、2回,3回と起こっても不思議ではないし、従来論ではエラーは何度も起こるとしている。それにもかかわらず進化の変異を見ることは少ない。その理由としていわれることは、エラーは起こっているが、たまたま有利なものがなく環境に適応しなかったためそれらは淘汰したというのである。その結果、進化の変異は数百万年に一つといわれることになる。

しかし、地球環境は 1万年単位で大きく変化しているが、進化の変異が数百万年であると、その間進化できない生物は環境変化に対処できずに滅びることになるであろう。しかし、多くの生物は継代し続けている。さらに、現実にはマダガスカルのような地域も存在する。これらからエラーがランダムに起こるとする考え方は信じ難い。その一方で、エラーが起こっていることは実証されているとなると、エラーは進化につながらないということになるのではないだろうか。

一方、キリンの首は高い木の葉を食べるには他の動物に比べて有利ではあるが、足元の池の水を飲むには極めて不自由で、そのときの姿は無防備そのものであることは、現在の環境だけを考えても野生動物として決して環境適応できたとはいえるものではない。それゆえ、長い期間の進化と考えるならば、今とは違った進化を模索しても良いはずである。しかし、進化が継続している兆候は見えてはこない。これらをどのように考えるか。

ここで考えることは、多くの生物が生息する領域では自然環境や生活環境が変化するため、そこに生息する生物には大なり小なりストレスがかかることになる。中でも食物連鎖によるストレスは大きい。そのストレスを解消や緩和するために思考することになる。この思考は限定された生物によるものではなく、大部分の生物がこれを行なう。これが互いを刺激し合うことで切磋琢磨する。しかし、このような切磋琢磨には多大な努力が求められて多くのエネルギーが必要とされる。

そのような経験を継続していた生物にとって、大陸から切り離されて絶海の孤島になると、海洋性の気候によって自然環境の変化巾が小さく安定し、生活環境の捕食者の恐怖がないとき、それまで生物が抱えていたストレスは皆無に等しくなる。そのため、それまでのストレスが解消された生物には、もはや多大な努力と多くのエネルギーを使って自ら変異を促す必要がない。これによって生物は進化の変異が停止した状態となり、単なる世代交替が繰り返されるであろう。これがいわゆる 「生きた化石」といわれるものになる。

さらに、自然環境は短期間でダイナミックに変化するが、そのような環境で生活する生物でも変異が観られないのはなぜか。多少の環境変化では自らに備わる制御機能で制御できていることを示している。さらに、進化と呼ばれる形質の変異は最後の手段で、多くは形質を変異させなくても知恵によって対処できていることを意味するものと推測される。それゆえ、地球環境は 1万年単位でダイナミックに変化する中で、進化の変異が数百万年単位であっても滅びることなく継代できることになる。従来進化のように形質だけに限定すると、このことは説明できない。しかし、適応進化の本質は形質に限定するものではない、と私は考える。




コウモリとムササビの違い

もう一つ別の視点で見てみよう。ムササビは哺乳類でありながらコウモリのように空中移動することが可能である。しかし、現在は滑空だけで飛翔には至っていない。鳥やコウモリの進化でいうならば、進化のプロセスを中断した状態が続いていることを意味している。これを従来論で説明すると、滑空から飛翔に移行するための遺伝子がエラーを起こすのを待っていることになる。そして、飛翔を可能にする遺伝子のエラーが起こったとき、それが自然淘汰によって選ばれるというのであろう。しかし、ここではそのように考えてはいない。

ムササビは一度の滑空で木の高さの 2倍の距離まで滑空できると仮定すると、高さ 25mの木々の林では 50mの距離を飛ぶことができることになる。現在のムササビの生活環境は木々が林立していて 5〜10m間隔で隣り合っている林では、50m滑空できるムササビにとって移動のために地上に降りる必要はなく、地上生活する捕食者のストレスは皆無でコウモリのように何qも飛行する必要がない。もしも、ムササビの生活環境が現在の林ではなく、サバンナのような草原に 10m前後のそれほど背丈の高くない木が 50mから 100mの間隔で点在する環境になり、地上には捕食動物が歩き廻っている状況に変化したとすると、そのような環境移行期にはムササビは現在の滑空から飛翔に移行するであろう。

現在のムササビが滑空でそれ以上の飛翔をしないのは、遺伝子のエラーが発生していないのではない。現在の環境では現在の滑空で充分安全で、それ以上を望んでいない。そのようなムササビも環境が変わって木々が少なくなり、移動手段に地上を使うような状況になると、新たな林を探して移動するであろう。万が一にも周りにも林がなくなりサバンナのような環境に移行するようなとき、ムササビは飛翔かそれともそれ以外の新たな変異を創造することになるであろう。ムササビの滑空一つであっても、それは自らを認識して環境を理解しているもので、変異のそれぞれに目的があることを示している。目的も必要性もないときストレスは生じないし、変異も必要としない。

これに関する生態事例は数限りなくある。これらのことは地球生物の進化は、変異する期間と変異しない期間とがあることを示すもので、軽微な変異と自然選択の長い期間をかけた累積でないばかりか、生物の意思とは関係なくランダムに発生する目的のない遺伝子のエラーによって起こるものでもないと考える。さらに、進化に要する期間は地質年代に匹敵するものといわれていたが、そのように長いものではなくもっと短い期間で終了するもので、生物にとって多くの期間は変異をしない世代交替が続けられていることになるであろう。