6章 生活領域の変更による表現型の変化

生物進化の長い歴史の過程で、生物の中には生活領域を変えたものがいた。ある種は陸上生活から水中生活に移行したし、別の種は陸上でも密林生活から草原生活に移行したものもいた。そして、このように生活領域を変更した生物種は決して少ないものではなかった。そのような彼らは移行した環境に適応した形質を備えることで生きてきた。この環境適応も突然変異と自然淘汰ということになるのだろうか?

もくじ
   生活領域変更の必要性     

   危険回避のシェルター

   ウミイグアナのレストラン

   環境変化による交雑

   密林から草原への馬

   
細胞レベルの環境認識

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生活領域変更の必要性     ☆

地球生物が生息する場所は、陸上,水中,土中,空中 (樹上)などの領域がある。さらに、同じ陸上でも密林と草原では環境は異なるし、同じ密林でも昼行性か夜行性かの生活スタイルの違いによっても環境は異なる。これまで進化の理論を展開するとき、それらの一つの領域だけで進化を考えることで、矛盾を生じさせない議論で済ませてきたのではないだろうか。それゆえ、適応進化するまでに数百万年を必要としても、その長い期間の進化プロセスで環境に適応できていない間も生き続けられるとしてきた。しかし、生物は歴史の中でしばしば異なる生活領域を選択してきた。そして、その生活領域の変更では、従来から備わる形質や機能では異なる領域で生活するには不十分となり、新たな変異をすることで環境適応できたことも少なくない。

一般的に、動物が異なる生活領域に移行するには、それなりの理由がある。第一に捕食者に命を脅かされた動物が身の安全を求める。第二に旱魃などによって食料を失った動物が餌を求める。第三に気候変動による悪環境からの回避などさまざまなものがある。このような状況に遭遇すると、安全や餌を求めてそれまで生活していた領域とは別の領域に活路を見いだすことになる。

そのような状況になったとき、陸上から水中に移行するものもあれば、それでも地上に残るものもいる。その違いはそのときの捕食者や餌の状況が自分にとってどれだけ切羽詰ったかの認識の違いによって判断が異なる。このことから自然環境や生活環境の変化は動物が生活領域を変えるきっかけではあるが、最終的に異なる領域に移行するか否かの決断は、動物の意思によるものに他ならない。それゆえ、そのような状況の動物に遺伝子のエラーが発生しているものではない。

そのとき陸上から水中に生活の場を移し変えることや、逆に、水中から陸上に生活の場を移し変えることがある。このようなとき生命の危険の切迫から、まず安全や餌のある場所に生活領域を移行する。これによって捕食者の心配は解消され、求めていた餌にありつけることで生きられることになる。とりあえずは良しとする。

しかしながら、自らに備わる遺伝情報の機能では、祖先から続いた陸上の環境に対して適応するための機能は備わるから、陸上で多少の環境変化が生じても制御可能である。しかし、祖先が経験したことのない水中生活の環境に対して適応できる制御機能は備わってはいない。このように生活領域を移行した動物の身体には、それまで陸上生活していたときとは異なるストレスが生じることになり、移行した水中環境に適応する必要に迫られる。結果として、新たな水中で生活するには、それらの動物は遺伝子のいくつかを変える必要があり、備わる機能も変化させることになる。

従来論では変異について生物の意思が関与する余地はなかった。しかし、生物の意思なくして語ることができない生態を数多く見ることができる。たとえば、海中動物が陸上に上がることを希望することや、陸上歩行動物が空中を飛行することを希望することも欲求である。逆に、陸上動物が何らかの理由によって再び海中生活を希望することも欲求の一つである。

しかし、これらは単に移動すれば良いのではない。水中から陸上への移行では水がなくても生きられる身体に作り変える必要があるし、浮力によって打ち消されていた体重が陸上に上がることで重力によって身体にかかっても生活に支障をきたさない構造にする必要がある。同様に、陸上歩行から空中を飛行することは、物理的に飛翔能力を備える構造が必要である。これらは何れも目的のない遺伝子のエラーによって生じるような都合の良いものは存在しない。このように何かを意図した生物は、自ら希望する目的に適う変異を創造して促すと推測する。

これまで突然変異や自然淘汰は当たり前のように語られてきたが、これらの理論はごく狭い領域や部分的生態では成り立つように見えるものの、多くの生態を比べることや広い領域では成り立たない理論ではないだろうか。従来論は生物の適応進化からの逆推理によって導き出したものと推測する。

生物は環境適応に遭遇するまでただ待つのではなく、積極的にストレスを解消してきたから生き残れたのであろう。これは初めに遺伝子のエラーが起こらなくても、以前と異なる環境で生活するとき、自らに生じるストレスを解消するには新たな機能遺伝子が必要になり、「遺伝子の一つや二つ変える必要がある」ことを語っている。すなわち、「遺伝子のエラーの中から自然淘汰によって環境に適応できたのではなく、環境に適応しようとした結果、遺伝子の一部を変える必要があった」ことを意味するもので、このことを分子レベルは認識して対処してきたから、大多数の生物が適応進化に至ったことになるとすべきではないだろうか。

これまでいわれてきたことは、生物種の違いは遺伝子の違いであり、遺伝子の違いは生物種の違いであるとされてきた。しかし、同一生物種のヒトでも遺伝子はおよそ 0.1%の違いがあるとされている。それではこれは間違いか。そのようなことはない。同一生物種であっても異なる環境で長い歳月生活すると、遺伝子のいくつかは変化しても不思議ではない。以上より、生物種の違いは遺伝子の違いであっても、遺伝子の違いが必ずしも生物種の違いになるとは限らない。




危険回避のシェルター

ここではなぜこのように考えるか。ここでは生活領域を変更するときの動物の遺伝子に変化は起こっていないと考えている。たとえば、ゲノムによる進化系統樹では、マナティーは象に近く、クジラはカバに、アザラシはクマに近いとされている。このことは彼ら両者で祖先が共通する可能性があることを示している。これについても従来論では初めに突然変異ありきとする考え方ということになる。たとえば、クマのなかに突然変異が起こり、その突然変異は後足が鰭に変化したということになる。そのような個体の陸上生活者は滅びるが、たまたま水中に生活領域を移行したものは生き残ることができた、ということではないだろうか。

しかし、ここではそのように考えてはいない。第一にクマにも複数の種があり、ある生息領域で生活するクマには彼らより強い捕食者がいて、クマはその捕食者に脅えていたと推測する。第二にクマの生息領域が旱魃か寒冷化によって、陸上生活領域のほとんどの食料を失ったと推測する。アザラシの祖先のクマについては、このような二つのケースが考えられる。彼らは身の安全のために捕食者のいない環境か、餌が確保できる環境を探し回っているうちに、水中という捕食者が苦手とする環境を認識したか、魚を餌とすることに解決を見出したと推測する。たとえば、北海道のヒグマが川を遡上する鮭や鱒を捕まえるように。

今日のヒグマは生活の多くが森などの陸上で、餌を取るときだけ川に入る。このことから推測すると、アザラシの祖先は餌以上に捕食者の危険を感じたであろう。その結果、捕食者のいる陸上を歩くことは極端に減ることで陸上移動のための足は次第にその目的を失うことになる。その一方で、水中移動のためには水かきが必要になり、その目的にあわせて足が鰭に変化することになる。これは破骨細胞と骨芽細胞の働きと日常の代謝活動によって形状変化したと考える。

それでもアザラシは水中で完全にリラックスできるのではなく、しばしば捕食者のいない陸上や氷上で身体を横たえてくつろぐ姿を見ることができる。さらに、出産や育児では流氷のなかに空間を作って子育てをしている。この部分がマナティーやクジラと異なるとことで、マナティーやクジラは出産や育児さえも陸に上がることなく水中ですることに比べると、アザラシはそこまでは水中生活に適応できていないことになる。だが、そこまでの水中への適応は、アザラシが求めていないということになるのかもしれない。

ここではアザラシについて、なぜこのように考えるか。それにはアザラシの進化の過渡期を推測させる動物がいる。それは南アメリカに生息するカピバラである。南米中央部のパンタナールに生息するカピバラはネズミの仲間であるが、私たちが日本で見るネズミに比べて遥かに巨大化した動物である。彼らは陸上生活者で草を食べて生活する。しかし、カピバラには彼らを捕食する天敵がいる。それが肉食動物のジャガーやアナコンダである。決して逃げ足の速くないカピバラは水辺近くで生活して、天敵の危険を感じると水中に逃げる。そのような彼らは 5分ぐらいならば水の中に潜り続けることも可能で、水中生活にも少しではあるが適応できている。

水中に適応できるといってもカピバラの足がアザラシのように鰭になったのではなく、彼らの足は通常の陸上歩行に何の支障もないし、他の陸上哺乳動物と違いはない。しかし、ジャガーなどに比べると水を怖がるよりは、むしろ彼らは天敵である肉食動物のなどから身を守るために水中に適応しようとしていると見られる。さらに、食事以上に危険を伴う交尾や出産も水の中で行なう。そのような彼らに足が鰭に変わるような遺伝子のエラーと呼ばれるものは起こってはいない。このカピバラは生活領域を変更したのではなく、陸上生活するなかでの危機管理対策として水中を選んだということになる。このように陸上から水中に生活領域を移行するものには、その目的が存在すると考える。

アザラシの祖先が陸上生活から水中生活に移行した理由は、捕食者からの身の危険か、餌の枯渇による新たな餌の確保のためかは、確実な証拠とするものはない。だが、カピバラが陸上から水中への過渡期とする理由は、天敵による身の危険を回避するためと考える。これを過渡期とすることは将来カピバラが水中生活者になるという前提であるが、カピバラは水中生活者になるために遺伝子にエラーが起きているのではない。それゆえ、彼らがこのまま水中生活者に移行することを意味するものではない。今後彼らの生活のなかで今日のような捕食者の危険が減少するか、捕食者が他の地域に移ることで安全になると、水中を一時避難場所とする必要もなくなり、陸上生活を続けることになるであろう。

すなわち、遺伝子にエラーが起こったため生活領域を変えたのではなく、日常の生活のなかで安全を求めて生活領域を変えるもので、その生活領域は一時的なこともあれば、捕食者を脅威に感じることで二度と陸上に上がれなくなることもある。それがマナティーやクジラということになるであろう。そのような状況判断によって彼らは生活領域を選んでいることになる。陸上から水中に移行することで命を確保できた後、彼らには水中という環境の違いによるストレスが生じることになる。彼らは移行した水中でもストレスを解消する必要に迫られて環境に適応しようと努力する。その結果、遺伝子の一つや二つ変える必要があった。そのような目的で変えた遺伝子は、移行した水中という環境を認識したものであり、適応進化といわれるものになり得る。

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視点を変えてみよう。象,カバ,クマなどの祖先のなかで、陸上から水中に生活領域を変えたものについて考える。このとき正しく遺伝子の受け渡しをできたのが 99.9%で、残りの 0.1%に突然変異が発生したとすると、従来の考えでは 99.9%は安定して生き続けるが、0.1%がマイナス要因で適応できずに淘汰されるとしてきた。そして、その繰り返しの中から 0.1%のなかに水中の環境に偶然マッチングする変異に遭遇するのに、数百万年の歳月によって繰り返されるエラーの中からの累積淘汰によるものとされる。しかし、このように生活領域変更種は、突然変異をした 0.1%の生物はエラーによるマイナス要素であることは言うまでもないが、正しいコピーの個体であっても陸上から水中に生活領域を変えたことで、自らに備わる遺伝情報では制御できない苦痛や強いストレスを受けることになる。

これによって生活領域を変えた生物種は、移行した環境に総てがマッチングしないことから、生体内での制御が困難となる。このような環境ではエラーの個体は言うに及ばず、正しく遺伝子を受け渡した個体であっても、陸上から水中に移行した動物は毎日の生活さえも困難となる。このような生活を数百万年繰り返す中で、進化の変異が見つかるかどうかわからない 0.1%の突然変異を繰り返して生き続けることができるだろうか。

このように自らに備わる制御機能で制御できない状況で、数百万年もの地質年代に及んで生物が生き続けることができるならば、地球上の生物に環境に適応した進化の変異は必要ないものになる。それにもかかわらず、陸上から水中に生活領域を移行した生物は異なった環境で生き残ってきた。そして、そこでは水中の環境に適応した変異を備えてきた。言い換えると、移行した新たな環境に適応しようと対処したから生き残れたことになるであろう。このようなことは陸上から水中に移行したものだけではなく、他の生活領域に移行した生物であっても同様である。




ウミイグアナのレストラン

カピバラが捕食者による身の危険を回避するため水中に移行したこととは別の条件に、餌の枯渇による新たな餌を求めて陸上から水中に生活領域を変えたものが、ガラパゴスのウミイグアナと考える。ここではカピバラは天敵から身を守る目的で水中を選び、ウミイグアナは餌の確保の目的で水中を選んだ。彼ら両者は完全に水中生活者になったのではなく、多くの時間は陸上で生活するもので、彼らにとっての水中はシェルターであったり、レストランであったりする。それゆえ、見た目の姿かたちに変化は少ない。

ガラパゴス諸島は赤道直下に位置し、南米エクアドルの海岸から約 1000q西に浮かんだ火山のホットスポットによってできた群島である。ガラパゴスにはリクイグアナとウミイグアナが生息している。地球上に生息するイグアナには水中に適応した種が他にいないことから初めは皆リクイグアナで、その一部がウミイグアナに進化したとされている。そして、陸から海に適応進化するには地質年代に相当する長い期間を要したとされている。ほんとにそうであろうか。

ガラパゴスのウミイグアナは、現在もいるリクイグアナのように初めは島の草やサボテンを食べていたと考えられている。しかし、あるとき旱魃に遭遇してイグアナは食糧不足に陥った。そのときイグアナの一部は食料を求めて移動し、海岸で食べることのできる海藻に巡りあったと推測することができる。初めは波打ち際の引き潮によって海水面から現れた岩に貼りついた海藻を食べることになるが、次第に水にも慣れてくると自ら海中に潜らなくても、居乍らにして潮位の干満によって海中に没することになり、いつしか海中にまで潜ることができるようになる。

それには陸上の植物に少ないミネラルなどの魅力を海藻に見つけたと推測できる。そして、この時間は長い歳月ではなく極短い期間に行き着いたであろう。なぜならば、このように対応するのに何万年もかかっていたら、旱魃によって食べるものがなく命を落とすことになるからである。もしも、彼らが長い時間かけたものがあるとするならば、それは潜水時間ぐらいであろう。現在では 1回の潜水で数十分 (およそ 30〜40分)潜り続けることができるが、当初は呼吸のために何度も浮上したであろうと推測する。

これと同様のものがいる。マッコウクジラは海面上で充分呼吸しておいて、およそ 2時間の間無呼吸のまま数千mの深海へ潜り餌のイカを捕獲している。同様に、氷海で生活するウェッテルアザラシも通常 15分ぐらい無呼吸潜水が可能であるが、深海へ潜るときには 1時間以上も無呼吸であることもわかっている。このように長時間の無呼吸ができることは、血液中のヘモグロビンが酸素を蓄えることができることによるもので、ヘモグロビンの量を増やすことで無呼吸の時間を長くすることが可能とされている。

今日ではガラパゴスのイグアナは、リクイグアナとウミイグアナの二種類に分類されている。リクイグアナからウミイグアナに分かれるとき、ここでは突然変異は起こっていなかったとするもので、それまでの陸上の草本やサボテンを餌としていたものから、海草に食生活を変えたに過ぎないであろう。その海草も最初は干潮のときだけ食べて、満潮になったら食べずにいたかもしれない。その後海水にも慣れて水を恐れなくなったと推測する。

ここまでのプロセスに突然変異は必要としない。今日リクイグアナとウミイグアナに遺伝子の違いがあるとすると、それ以降、水の中の時間が増える対策として遺伝子の一つや二つ新たに備える必要があったというべきではないだろうか。

そこで水の中の対策としての形質の違いを一つ紹介する。リクイグアナの尻尾の断面形状は円に近似であるが、ウミイグアナの尻尾の断面形状は扁平で、手漕ぎ舟のオールの断面形状に似たものになっている。陸上の尻尾の目的は防御の手段や速足の時のバランスに利用される。その尻尾も水中になると、オールとなって推進力に利用するには断面形状は円よりも扁平の方が理に適っている。これは尻尾の細胞が水の刺激から細胞の数と分布を変えたと考える。このことから進化は遺伝子のエラーが最初に必要としていない。

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話は変わります。一昔前のある年、イギリス・ウェールズ地方では旱魃によって牧場の緑がなくなってしまった。そのとき牧場にいたヒツジはどうしたか。彼らは牧場の外れの海岸に行き海藻を食べていたのである。その後、ウェールズ地方で再び牧場に緑が戻る頃、ヒツジ達は丸々と太っていたと伝えられている。これはヒツジの数に比べて、海岸の波打ち際の海藻が豊富にあったことを示している。もしも、波打ち際の海藻の量が少なかったとしたら、ヒツジが海藻を求めてウミイグアナのように海中に潜っていたかどうかは定かではない。ヒツジが海中に潜る前に牧場の緑が回復していたのである。

同様の事例として、イギリス北部のシェトランド諸島の海岸線に隣接する牧場のヒツジ達は、現在でもしばしば海岸で海藻を食べているのを見ることができる。これは陸上植物に少ないミネラルの補給と考えられている。

一方、カピバラと類似の生態の動物がいる。アフリカに生息するミズマメジカは小型の鹿の容姿であり陸上生活するが、水場の近くで生活していて天敵の危険に晒されると水の中に入って危険を回避する。さらに、単に水中に逃げ込むだけではなく水底を歩いて移動することや、水中を泳ぎまわることのみならず、水に潜って魚を捕らえることまでできる。一回に潜り続ける時間はおよそ4分間である。イギリス・ウェールズ地方のヒツジは水中に入ることまではしなかったが、ヒツジに近似の鹿の仲間のミズマメジカは、水中にも対応できていることになる。




環境変化による交雑

それではなぜイグアナについてこのような推測をするのか、二つの例を紹介したい。ガラパゴス諸島は赤道直下にありながら、南氷洋に発したフンボルト海流が北上して赤道付近で西に向かって流れてガラパゴスの島々に突き当たる。このためガラパゴスは低緯度にありながら海水温の低い海域があり、ガラパゴスペンギンが生息することでも知られている。

この海域に 1982年の春から 83年の夏にかけて発生したエルニーニョは規模が大きかった。これによってガラパゴス諸島一帯の海水温が上昇して、イワシを始めとする小魚が姿を消した。このため、イワシを主食にしていたペンギンは減少したとされている。同時に、海水温が上昇したことで海藻の大部分が消失し、ウミイグアナは激減したとされている。このとき海藻を主食にしていたセイモア島のウミイグアナのとった行動は、陸上のサボテンや草を食べていたことが確認されている。

日本の気象庁のデータでは、エルニーニョ現象はその規模に違いはあるものの、1950年から 2000年までの 50年の間に 1951,53,57,63,65,69,72,76,82,86,91,93,97年と、2年から 6年の間隔で 13回発生していて、この高水温現象は 1年から 1年半程度持続している。すなわち、ガラパゴスで生活する生物が生き残るためには、この 1年から 1年半を如何にして乗り切ることができるか否かにかかっている。

この期間は食料の絶対量が減少するため、形質の有利,不利に関係なく相当数の生物が命を落とすことになる。辛うじて生き残ったものも従来の食料とは異なるものであっても食べなければ飢えを凌ぐことができない。結果として、身体の一部の機能は変化の必要性に迫られる。フィンチの嘴はこの類ではないだろうか。これまではフィンチの嘴やウミイグアナが進化の変異をするのに数百万年を要すとされてきた。しかし、現実には 1年から 1年半が進化には重要で、この短い期間を生き残れるか否かであろう。1997年にもひどく痩せたウミイグアナが観察されている。

一方、1981年にリクイグアナ生息領域にそれまでとは異なった形質を持つ個体が発見された。その個体はリクイグアナとウミイグアナの両方の形質を備えていることがわかった。これはそれまで限られた領域内で生活していたものが、エルニーニョかラニーニャによって食料がなくなり、通常の生活領域から外れて別種の領域まで餌さ採りに行ったとき交雑したと考えられている。この交雑種の生息領域がリクイグアナの領域であったことから、リクイグアナの雌とウミイグアナの雄との交雑であることを推測する。

リクイグアナはサボテンによじ登ることはできずに地上に垂れ下がったサボテンの果肉を食べることや、落ちたサボテンの花を食べていた。しかし、このとき発見された交雑による新種 (新種と見なすか否か)のリクイグアナには、それまでとは違った特徴が備わっていた。それはウミイグアナの形質である波がきても岩にしがみつくことのできる鋭い爪が備わっていた。そのため、この交雑種はサボテンによじ登って花や果肉をかじり取ることができる能力を備えていた。このことから、これまででは進化に数百万年必要とされていたが、容易に交雑種が確認されたことはそれほどの期間を必要としないということになる。

これまでリクイグアナからウミイグアナが誕生したとすると、リクイグアナの遺伝子にエラーが起こったためとされているが、ここではそのように考えてはいない。エルニーニョやラニーニャなどの気象変動や、旱魃によって食糧不足に陥ったとき、イグアナの中には失った餌に変わるものを捜し求めたであろう。それが海藻ということになる。それも総てのイグアナではなく、一部のイグアナがその海藻を餌とすることで生き残ったと考えることができる。このような自然環境の変化によって多くのイグアナが死んでもイグアナの形質の優劣ではないし、自然淘汰の力によるものでもない。これは単に餌の絶対量が減少したものである。

さらに、今日ではリクイグアナとウミイグアナで遺伝子に違いがあったとしても、常時陸上で生活するものと、生活の一部を海中で過ごすものとでは、遺伝子の一つや二つ変える必要があったであろう。これは決して遺伝子のエラーによってウミイグアナが誕生したものではない。すなわち、進化の変異の発端に遺伝子のエラーがあるのではないし、エラーの中から自然淘汰によって選ばれるものでもない。生物は自らが生息する環境が認識できている。その環境が変わるか異なる環境へ移行すると、その環境変化によってストレスが生じる。そのストレスを解消もしくは緩和するために、ときとして変異が必要になる。進化の発端は日常生活が前提にある。それゆえ、変異した形質や機能は限りなく環境の変化に適応したものとなる。




密林から草原への馬

生活領域の変更では、陸上から水中のように大きな環境の変化ほどでもないが類似のこともある。同じ陸上であっても生活領域を変えることで形質が変化することも少なくない。たとえば、密林生活から草原生活に移行することや、昼行性の動物が捕食者から逃れるために夜行性に移行することも同様である。これらは何れも遺伝子のエラーによって変異が初めにあるのではなく、移行した環境に適応すべく対処した結果、遺伝子の一部が変化することや形質が変異することになると考える。

進化の推移は化石によって知ることができる。ここで馬について触れたい。馬の祖先の身体はキツネぐらいの大きさで、足の指は 4本で第 3指が中心であったが他の指も使われていた。生活領域は密林で速く走れなかったし、藪の中では速く走る必要もなかった。この密林生活については、この時代の臼歯の形状から当時木の葉が主食であったとされている。その後、身体は次第に大型化してヒツジぐらいの大きさになり、臼歯の形状は木の葉から草本に移行するものが現れていた。このことは生活領域が草原に移行しつつあったことになる。その後、さらに身体は現代の馬に近い体格となるが、木の葉の主食はなくなり草本になっている。そして、この頃になると足の指の第 1指はすでに退化し、残り 3本のうち両側 2本は使い物にならないほど退化して、中指 1本で立つようになっていた。このことで彼らは草原を疾走することができたと考えられている。そして、臼歯の構造はさらに草本に適応した形状になっていた。

この馬については同じ陸上ではあるが、生活領域が密林か草原かによって動物のそれぞれの部位にかかるストレスは変わることになり、そのストレスを解消するための変異と考える。この馬の進化の流れについては発掘された馬の化石の分析から明らかにされている。

木の葉に比べて栄養豊かな草本を主食にすることで身体は大きくなるが、その草本を食べるには草原で生活することになり、その草原では密林のように捕食者から隠れるものはない。結果として、草原では捕食者の肉食動物から身を守るためには速く走れることと、捕食者監視のために背伸びしてでも視界を広げる必要性から足全体で歩くのではなく、指の中でも一番長い中指の爪先立ちへと変異したと推測する。

この木の葉から草本へ、小型から大型化へ、ベタ足から中指の爪先立ち、低速歩きから高速疾走へと変異していったのが馬の進化過程の一部ではないだろうか。そこでは一つひとつの機能に目的があるから、自然環境や生活環境に限りなく適応できている。総ての草食哺乳動物がこのような進化をしたのではないとしても、これらは陸上から水中のような大きな生活領域の変更でなくても臼歯や足の指の形状が変異することを示している。そして、このプロセスに突然変異は必要ではないと考える。




細胞レベルの環境認識

一般的に、生物は自らに備わる制御領域の範囲で生活をしたいものである。それゆえ、大規模な気候変動に限らず、通常の四季の季節変化であっても回避しようとするものもいる。私たち人は四季の季節変化によって薄手のTシャツや厚手のコートに衣服変えることで調節している。哺乳動物や昆虫の中には、夏になると高山に移動して冬になると里に戻る動物もいる。これは自らに備わる制御領域内でストレスを少なくして生活できることを目的とするもので、環境の変化を最小限にする目的がある。一方、同じ陸上の生活領域であっても昼行性から夜行性に変えるときでは危険を回避することが目的の場合が多い。

このように生活領域を変えることや生活スタイルを変えることは、自然環境や生活環境の変化が理由であっても、領域を変えることは生物の意思に他ならない。そして、移行した環境があまりにも異なると、それまで生活していた領域の制御機能では制御困難になり死ぬものがあるとしても、それでも生き続けるものもいる。彼らは自らの意思によって変更した領域の環境に、それまでとは違った体内制御によって調整していることになる。

それでは自らの意思で生活領域の異なる環境に移行するのではなく、自らの意思に反して自然環境や生活環境が変わったときどうなるか。環境が変わってもそこに定着することは、自らの意思で環境の違いを受入れることを意味している。先に述べたことは環境の異なる領域に自ら行ったものであるが、この場合では環境がやって来たことで、行ったか来たかの違いである。自ら行ったとき異なる環境に適応できたならば、異なる環境がやって来たときでもそこに定着することは、適応できる能力が潜在的に備わっていることを意味している。生物の中でも自力移動しない植物がこれに相当するであろう。

一方、上記の猛禽類の嘴や人の顎形状のように、数ヶ月から数十年で変化することから考えると、陸上生活で使用していた足に遺伝子のエラーが起こらなくても、水中生活に移行することで鰭に変異することは可能となるであろう。すなわち、「遺伝子のエラーの中から自然淘汰によって環境に適応できたのではなく、環境に適応しようとした結果、遺伝子の一部を変える必要があった」ことを意味するもので、このことを細胞レベルは認識して対処してきたから、大多数の生物が適応進化に至ることになったとすべきではないだろうか。従来進化の起点が遺伝子のエラーとすることに対して、ここで考える進化の変異が、それぞれの生物に備わる制御機能の延長線上にある理由がここにあり、それゆえに適応進化につながる所以でもある。

これとは逆に、植物のように自力移動しない生物では自ら異なる生活領域に移動しなくても異なる環境がやってくる。祖先が経験したことのない環境に遭遇するとき、自らに備わる制御機能では制御できないものもある。そのときの環境変化が台風や旱魃のように短期間の事故であるとき、多くは環境適応に対処する間もなく滅びることになるが、長い時間を要した温暖化や寒冷化の変化のとき、それまで備わる制御機能を拡大利用して対処の方法を考えることで、環境が変化しても適応できているものがいる。たとえば、自然環境の寒さに対しては、草本では茎や葉に細かな毛を備えることで寒さに耐えるものもいるし、茎や葉を枯らして根だけを残すことや、樹木ならば落葉させて幹と枝だけで寒さを乗り切る対処がある。さらに、生活環境の捕食者に対しては、自力移動できない植物は防御のための二次代謝産物を備えることで、捕食者からの攻撃を回避しようとしている。

動物は身の安全や餌の確保のために生活領域を変えることができるが、変えた領域で生きるためには新たな環境適応が必要とされる。逆に、動物のように自力移動できない植物は、自らの意思で生活領域を変えることはできない。しかし、それまでの生活領域で生き続けるためには、変化した環境であっても対処できる環境適応が必要とされる。そして、動物であっても植物であっても、そのような状況で対処する彼らの手段は理に適った知的なものとなる。