13章 細胞レベルの *認識と知性 はDNAに

従来進化の遺伝子のエラーならば、如何なる条件でもエラーは起こり得るが、ここで言うように、進化が生物の認識,思考,知的創造によるものならば、それを可能にする機能が存在しなければならない。しかし、これまで認識や知性などは頭脳によるもので、頭脳以外に、生物にはそのような機能は存在しないとされてきた。 しかし、ここでの進化は細胞を単位とするもので、認識や知性の機能が頭脳だけではなく、細胞レベルに備わると考えている。そうであるなら、細胞レベルの認識や知性の機能が、何処にどのような形で存在するか示す必要がある。ここからは細胞レベルの認識や知性について考えることにする。

もくじ
   思考の原点は単細胞生物に

   現存する思考システムと二つの脳     

   細胞脳の所在とDNA構造

   DNA情報の循環と方向性

   媒体の創造とコイル

   生と死のはざま

   DNAが超らせんを作る目的
     

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思考の原点は単細胞生物に

ここまでは生物の生態や進化について考えてきた。ここまで読まれた方は、ここでの考え方が従来の考え方とは異なり、随分歪んでいると考えられるだろうが、このような考えを持ちだすことによって、荒唐無稽な理論をでっちあげようというのではないし、21世紀の現代に 19世紀まで語られた生気論を蒸し返そうとするのでもない。でも、思い起こして欲しい。頭脳がないとされる植物のランが、頭脳を備えた昆虫である蜂の生殖行動を逆手に利用して自らの生殖に利用することが、植物の目的や思考なくしてあり得るであろうか。

さらに、人が利用する医薬品を初めとする多くの化学物質は、彼ら植物が作りだしたものを抽出しているものも少なくない。これらが私たち人の思考や創造と何処が違うか。違うことは何もない。なぜならば、このように植物と類似のことを人が行ったとき、それは思考であり知的創造と呼ばれてきた。

ここまで長い時間とスペースを使って、従来進化とここでの進化について考えてきた。なぜか。今日ではどのような進化の考え方を示しても、大多数の人は進化の議論以前に、突然変異と自然淘汰の考え方が正しいというもので、それ以外の進化の考えについて、聞く耳を持たないとする人が少なくない。それゆえ、これまで延々とあらゆる方向から説明してきた。

多くの人に認知されたものと、ここでの考え方は相反するものになった。もっとも大きな違いは、進化の発端がエラーによるものか、知的創造によるものかの違いということになる。これまで認知された進化の考え方は、突然変異と自然淘汰によるもので、そこでは生物の意思や目的が介在しないばかりか、生物の思考や知的創造など介在しないとされてきた。それゆえ、従来進化では思考や知性について考える必要がなかった。

しかし、ここでの進化の考え方とは、総ての生物が自己を認識し、自然環境や生活環境を認識する中で、環境の変化によって生じるストレスを解消する目的によるもので、生物の意思は言うに及ばず、思考や判断が介在するものとしてきた。そして、この延長線上にあるのが進化の一つとして表現されることになる。そして、この 「自己の認識,環境の認識,思考,知的創造,判断」 (以後これを 「*認識と知性」と表現する)は総て細胞を単位として行われていると考える。

しかし、私たち人の考えでは、*認識と知性 は頭脳を唯一のものとし、頭脳の他に *認識と知性 に類似する機能は存在しないとされてきた。それゆえ、動物でも足の踵や膝小僧では思考はできないとされ、同様に、頭脳が物理的に存在しないとされる植物では思考はできないとされてきた。それにもかかわらず、生物体を形成する細胞は環境を認識できるだけではなく、環境の変化に対して適切に対処できている。

一方、従来進化で語られる表現型とは、生物体の姿かたちや色彩についてのもので、野鳥の雌の羽が褐色であるとか、キリンの首が長いと表現されるように、生物個体を単位として考えられてきた。しかし、ここでの進化の単位は、生物個体ではなく細胞を単位とするとしてきた。

このことから、ここで考える進化とは、*認識と知性 を可能にする頭脳に類似する機能が、細胞レベルに備わる必要があるというもので、生物の進化はこの細胞レベルの *認識と知性 の機能によって創造されたものとしてきた。果たして、そのようなものが存在するであろうか。ここからは従来進化では語られることのなかった進化を創造することのできる細胞レベルの機能がどのようなもので、何処に存在するかについて具体的に考えることにする。

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動物も植物も生物は細胞から成り立っている。細胞の中にはオルガネラや核があり、核の中にはDNAが収納されている。そのDNAには塩基がつながっていて、生物の種や形質の違いによって塩基の配列が異なる。生物は進化と称して形質が変異する。と同時に、塩基配列も更新される。逆に、生殖によってDNAの塩基配列が変わると、それに伴って形質が変異する。すなわち、生物が備えるDNAの塩基配列による遺伝子と形質には相関関係が成り立っている。これは遺伝子と形質についての概略であり、実際にはこのような単純なものではなく、複雑で緻密なシステムによって構築されている。従来から進化で議論されてきた形質の変異は、元を正せばDNAの変異を語るものでなければならないし、進化を正しく語るには分子レベルで議論する必要がある。

ここで考えたいことは、この優れた遺伝子システムが如何なる経緯によって構築されたかである。地球 46億年の歴史の中でおよそ 38億年前に単細胞の生命が誕生したとされている。そして、15〜10億年前に真核生物が誕生したとされ、10〜5億年前には多細胞生物が誕生したとされている。これらから、真核生物誕生以前には遺伝子を備えた原核生物が誕生したとされている。しかし、地球上に最初に生命が誕生したからといって、その生命体に付随して遺伝子システムがついてきたかどうかは確認されていない。

一方、生命の源であるタンパク質を合成するアミノ酸は、隕石と一緒に宇宙から来たとされる説もあるが、タンパク質や核酸が宇宙から来たとされる証拠は見つかってはいないとされている。万一生命体が宇宙から来たとしても、生命誕生から遺伝子が備わるまでには何億年かの期間があり、宇宙からの生命体に遺伝子システムは備わっていなかったとすると、生命誕生からおよそ 23億年の間とは、地球に誕生した単細胞の微生物が思考能力を備えるための時間であり、備えた思考能力によって創造したものの一つが遺伝子システムであったと推測することはできないだろうか。

すなわち、15億年以前に遺伝子を備えた原核生物が生存していたということは、遺伝子システムの基礎が構築されて、その当時の生物にはすでに *認識と知性 に類似する機能の原型となる基本形態が出来あがっていたと推測する。勿論、今日の頭脳に比べられるものではないとしても。

これまでの考え方では単細胞生物に思考機能はなく、多細胞生物の時代も後になってさまざまな機能分化がなされる中で頭脳が備わり、その頭脳が進化することで次第に思考機能が備わったとされている。結果として、近代になって出現したヒトはもっとも進化することができ、豊かな思考能力を備えた生物とされている。しかし、これは正しい評価であるか疑問である。

ここでの考えでは、思考には形態的に二つのタイプがあり、「マクロの思考とミクロの思考」というレベルの異なる思考としている。私たち多細胞生物の考えでは集合体形成された個体レベルが単位となっているが、生物の基本単位は一個体一細胞とするもので、この単位での思考を考える必要があるのではないだろうか。ここでは *認識と知性 は単細胞生物の時代に創造されて確立したもので、それ以降、現在私たちに備わる思考とは当時確立された思考を基礎にして発展したものと推測する。

しばしば日本人は比喩的表現として、「君は単細胞だね」などと馬鹿にした言葉を発することがある。それは単細胞生物の構造が単純であることから愚かな生き物の如く表現するようであるが、ここでは単細胞生物にもそれなりに思考機能が備わっていたと推測する。現在では多くの多細胞生物が存在するが、それら多細胞生物の思考の源は単細胞生物にあって、単細胞生物のあるものが進化して多細胞になっても、思考の源はミクロに存在していたのではないだろうか。




現存する思考システムと二つの脳     ☆

現在ヒトゲノムの解読はすでに終わり、解析が行なわれている。解読だけでも大変であるが、解析はさらに大変とされている。それほどまでに複雑な遺伝子システムを創造する並外れた思考能力と、それをシステムとして構築することが如何に大変なことかは想像以上のものである。さらに、このような遺伝子システムのみならず遺伝子と形質をリンクさせて、遺伝子の変化に伴って形質を変異させて進化することのできる実施能力が、一連のシステムの中に収められている。

前にも述べたように、この遺伝子システムは隕石と一緒に宇宙から来たものではないと推測するし、偶然や突然変異で出来あがったものでもないであろう。これほどまでに優れた創造可能なシステムを知性といわずに何を知性といえるだろうか。さらに、どんなに優れたものでも一度創られたものが形を変えることなく長い期間に渡って存続し続けるだけなら、創られたときのシステムは消滅しても対象物を残すことは可能である。しかし、進化することとは変異を加えながら継代することで、創造されたときのシステムが必要なだけではなく、そのときどきの思考も必要とされる。

たとえば、伝統工芸品を残すならば美術館に大切に保管すればそれで事足りる。しかし、その伝統工芸を時代の変化に対応させながら存続させるためには、できあがった工芸品を残すだけではなく、道具は言うに及ばず、工芸品を産みだす技を備えた匠といわれる技術者が存続し続ける必要があり、その時代での新たな創造をする必要がある。

一方、便利なコンピュータもできあがったソフトを使用するだけなら電源を入れるだけで今後何十年でも使用可能であるが、今後時代の変化に伴って適応したソフトとして活用しようとするならソフトの更新は不可欠で、創られたときのシステムや考え方を存続させる必要があるだけではなく、変化するそのときどきの時代の考え方も一緒に必要となる。

このことから、生物が進化することなく今日まで来たなら、複製することで継代は可能であったとしても、単なる継代ではなく変異による進化をしてきたことは、最初に創られたときのシステムや考え方が存続してきただけではなく、その後受け継がれたさまざまな生物によって、その時代の変異が加えられて継代してきたことになる。

すなわち、遺伝子システムは塩基配列の結果だけが残っているのではなく、「誕生当時の考え方とその後の生物の思考」とによって進化の変異がなされてきた。そうでなければ単なる世代交替はできたとしても、それぞれの時代環境に適応した進化をすることはできないことになると考える。これらから、ここでは進化の変異がDNAのエラーと考えない理由がここにあり、進化は生物の細胞レベルの知的創造と考える所以となる。

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二つの脳は頭脳と細胞脳
多細胞生物の中には群体のボルボックスのように同一細胞の集合体からなるものがいる。同一細胞でもボルボックスは一部に機能分化があり、群体の中の細胞を取り出したとき一細胞では死滅するものと、娘細胞として新たな群体を形成するものがあるとされている。一方これとは別に、これまで進化によって多細胞生物の身体は複雑に機能分化されてきた。ヒトの身体の細胞でも、あるものは骨になり筋肉になる。別のあるものは心臓や肝臓になる。さらに、別のあるものは神経になり頭脳になる。

哺乳類のような複雑な動物では、細胞の種類は 200種を超えるとされている。このことは身体のあらゆる機能は一度に総ての機能ができたのではない。これは進化の過程で、その都度機能分化によって一つひとつの機能が創造されて追加したとされる。さらに、これらの機能分化で頭脳ができたのは随分後のことで、最初にできたものが頭脳でないことはわかっている。何を言いたいのか。

私たちの身体の機能分化は、頭脳によって考えて作られたものではない。さりとて、神様によって作られたものでもない。ましてや、突然変異 (遺伝子のエラー)によって作られたわけでもないであろうと推測する。これらは生物を構成する細胞に、それらの機能を創造することのできる思考能力が備わっていたと考える。その知的な創造を可能にする思考体によって、塩基配列と連動して機能分化がなされるとするもので、私たちが進化と称して生物の形質の違いを認識することができると考えている。

この並外れた思考能力が如何なるもので、何処にあるかを考えるとき、名前は何でも良いのだが、頭脳と区別する意味で、とりあえずこの思考体を
『細胞脳』 と仮定する。細胞脳は頭脳と異なり細胞の一部に存在し、意思表示や思考が可能なところで、この細胞脳によってそれまでなかった骨細胞,神経細胞などの新たな細胞種を創造することや、心臓や肝臓などの臓器を創造することになり、私たちヒトに備わった頭脳も機能分化の一つとして創造されたと考える。さらに、環境変化の情報によっては、すでにある細胞種の細胞数を変えることや分布を変えることによって、それまでとは異なった機能を備えることができる。

細胞脳の思考とは単なる想像ではなく自然環境や生活環境を認識し、環境が変化したときその変化によって生じるストレスを解消するために思考することができるとするもので、そのときの思考基準はそれぞれの生物に備わるDNAの遺伝情報を基にした考えになる。さらには、自らの新たな欲求を満足するための思考をする。そのため、生物は変異に際して適応進化といわれるように変化した環境に適応した形質になることや、知恵によってストレスを解消することができると考える。

形質の変異は単に姿かたちや色彩のみならず、その形質を裏付ける身体内部のタンパク質や酵素までもが伴わなければ形質の変異は成り立たないであろう。それは偶然やエラーなどの一過性の間違いを何万回も繰り返して累積したとしても可能なことではなく、それぞれの時代を生きた生物の細胞脳の思考に基づいた創造というべきではないだろうか。このことはストレスや欲求を解消する手段が物理的形質に限定されるのではなく、生物の多くが知恵によって解決している。

さらに、これらのことは自らの意思を表現する頭脳を備える動物のみならず、意思表示の頭脳を備えないとされる植物も同じように適応進化し、これら両者が極めて近似の発想や創造を可能にしている。このことから頭脳は機能分化した多くの器官を維持管理することや、外部情報による速い判断をすること、さらに、進化を必要とする情報を提供することはできたとしても、頭脳は自ら進化を実行できるものではない。ここでは 「進化の変異は生物の *認識と知性 によるとしてきたが、その *認識と知性 は頭脳によるものではなく細胞脳による *認識と知性」ということになる。

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生物の形質はDNAの情報によって形成されるものであるが、そのDNAの遺伝情報を基にして思考に類似することができるものが細胞脳ということになる。喩えるならば、私たちの頭脳では誕生当時に知的情報はないとされている。その空の状態の頭脳に学校教育として知識を蓄積すると、その蓄積情報を基にして思考することが可能になる。しかし、たとえ知識を蓄積しても、数学の知識を蓄積したからといって、英会話が上手になるのではない。

一方、DNAには生物固有の遺伝情報が生まれながらに備わっている。それゆえ、思考のための知識を学校教育によって蓄積する必要はない。すなわち、頭脳は思考のための知識を蓄積しないと思考には至らないが、生まれながらにして遺伝情報を蓄積できている細胞脳は、人が大学を卒業した知識を備えた状態と類似になり、活動するためのエネルギーさえ供給すれば、DNAの遺伝情報を基にした思考が可能ということになる。たとえば、風に吹かれて飛んでいるアルソミトラの種子は、すでに細胞脳によって飛翔の良し悪しを認識できることになり、自らが大木に成長して種子を作るときには、さらに優れた飛翔を創造することになるであろう。

勿論、頭脳思考は教育によって何を蓄積するかで、数学,科学,経済学など思考可能な領域を自由に選択することができる。これに対して、DNAはそれぞれ生物固有のものであるから、それぞれの生物のDNA情報を基礎にしたもので、遺伝情報から逸脱した思考まではできないことになる。上記のように数学の知識によって英語が上手にならないように、魚に備わる遺伝情報では昆虫の思考には至らないことを意味している。それでも、生物に備わるDNAの基本は同じであることから、類似の思考も可能になると予測する。喩えると、生物の中には保身のために体表面に刺や針を備える動物がいるが、自らの身を守るという発想は類似のことが考えられるもので、植物でも体表面に刺や針を備えるものがいる。これがDNAを基本にした思考や創造ということになる。

これまで生物を紹介するとき、動物と植物を組み合わせるように説明してきた。これは頭脳を備えた動物と、頭脳を備えていないとされる植物の思考形態が極めて近似のもので、変異の思考と創造が同じ基礎の上に成り立っているとしている。もしも、動物が頭脳によって変異の思考をするとなると、植物に頭脳はなく動物に類似の思考はできないことになる。

このことから頭脳は変異について動植物共通の思考基準に該当しない。そこで動物や植物に共通する思考体が存在する必要があるとするもので、それが細胞脳ということになる。動物に備わった頭脳の思考とは外部情報を基にした判断レベルに近似である。それに比べて細胞脳の思考は極めて複雑な遺伝子システムや生殖システムなど生物の根幹をなす思考で、遺伝子の一部を書き換えることで生物の形質までも変えることができる。

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遺伝子と発現の間の介在
生物の細胞はDNAを複製し、細胞分裂によって増殖し、発生では遺伝子情報に基づいて機能分化し、代謝では自ら必要とするものを作り出している。これまで、これらのことは総て遺伝情報としてプログラム化されていて、スイッチが入るとされてきた。生物としての根幹をなす発生過程の多くはそうであったとしても、遺伝情報の総てではないと推測する。そこには総てがプログラム通りではなく、状況によってはフレキシブルに対処できる要素が備わっているであろう。

なぜなら発現スイッチがプログラムされているとすると、同じ遺伝情報を備えていることは体質も病気も総てが遺伝情報に従うことを意味している。しかし、遺伝情報の中には発現するものと、発現しないものとがある。このことから、物理的遺伝情報と発現の間に何らかのものが介在する要素が備わっているとするもので、そこで介在する要素とは *認識と知性 による余地が残されていると考える。

たとえば、遺伝子の中には節約遺伝子や浪費遺伝子なるものが存在するとされるが、総てが遺伝子通りになるわけではない。節約遺伝子を備えていても総てが肥満になるのではなく、環境によってはスリムを維持できる。ここでの環境とは、生物個体の生活が自制型であるか放任型であるかによるもので、これは生物個体の意思や思考ということになる。この意思や思考によって遺伝子を備えていても、発現することもあれば発現しないこともある。同様に、たとえ癌遺伝子を保有していたとしても、節制によっては必ずしも発病するものでもない。逆に、遺伝子としてプログラムされていなくても、癌を呼び込むような喫煙や飲酒や不摂生を継続することで発病するものもある。これは病気について述べたものだが、病気に限るものではないと推測する。

このことは、「生物の変異は総てが遺伝情報だけで決定するものではなく、環境や思考機能が介在することのできる余地が確保されている」とする。だからといって遺伝子から逸脱して無制限ではなく基本は遺伝情報にある。だから不変性が維持されているのであろう。そして、この一連の過程は細胞を単位としてなされるもので、このようなことができる細胞を備えたものを生物としている。

DNAに内蔵された遺伝情報に従ってさまざまな種類の生物に成長することそのものが知的行為で、このようなことは無生物にはできない。「生物は細胞に備わる細胞脳が知的要素」というべきもので、生物にとって知性のために頭脳がある必要はなく、細胞脳を備えた細胞の集合体である生物は、知性の集合体ということができる。そのため人が定義するような頭脳がなくても、環境に適応するための思考や創造することが可能ではないだろうか。




細胞脳の所在とDNA構造

ここでは生物には頭脳以外に思考可能な場所があるとし、それを細胞脳としている。細胞脳とは細胞の一部に存在して *認識と知性 (自己の認識,環境の認識,思考,知的創造,判断)が可能なところとしている。しかし、真核細胞のサイトゾルには核やさまざまなオルガネラがあり、核にはDNAがあるが、細胞の中の何処を見渡しても細胞脳なるものは見当たらない。ましてや原核細胞では核さえも見当たらない。それでは、そのような細胞脳とは何処にどのような形で存在するのか説明する必要がある。

結論から先に述べると、ここでいう 「細胞脳とはDNAの立体構造による二次的機能」と考えている。タンパク質はアミノ酸配列が変わることで変化するが、一次構造のペプチド鎖には機能は備わらず、タンパク質の機能が発現するのは高次構造になったときとされている。同様に、RNAも機能が発現されるのは立体構造を形成することによるとされている。このことから、DNAも立体構造によって機能を保有することができると考える。ここでいう細胞脳とは臓器のように物理的に機能分化したものではないから、細胞中のオルガネラのような形態のものではなく、DNAが立体構造を形成することによって生じる二次的機能としている。

RNAには何種類ものタイプがあり、タンパク質の種類になると無限とされるほどである。これらに比べるとDNAの形態は一種類である。細かく分けると原核細胞と真核細胞とでDNAの立体構造は若干異なることから、厳密にいうと二種類のタイプとしても、そのDNAがタンパク質の高次構造やRNAの立体構造のように、らせん構造を基本とした立体構造を形成することは、それによって必要とする機能を引きだす目的があると考える。

これまでDNAは遺伝情報を蓄積するものとされていたが、それは塩基配列によって物理的に備わるもので、この塩基配列は立体構造を解いても保存されている。すなわち、タンパク質のポリペプチドの一次構造と同じ条件である。ここで重要視するものは、DNAが立体構造を形成したときにポリヌクレオチドの物理的遺伝情報とは別の機能が生じるであろうとしていることで、その機能が *認識と知性 ということになる。これらから、生物で *認識と知性 を備えるのは頭脳に限定したものではなく、細胞核の中に収納したDNAの立体構造でも可能であると考えている。

これまでタンパク質の高次構造やRNAの立体構造による機能が研究されてきた。しかし、DNAについて立体構造による機能は語られることがなかった。その理由は、長いDNAは小さな細胞や核に収納するためにはコンパクトに折りたたむ必要があるとするもので、DNAの超らせんの目的は核への収納目的で、それ以外の目的はないとされてきた。さらに、DNAには生物にとってもっとも重要とされる遺伝情報の塩基配列が存在することで、DNAが存在する最大の要因がこの遺伝情報としたことではないだろうか。生物にとってこれほどまでに重要な機能を発見したことで、それ以外の機能が存在するとはしなかった。

しかし、ここではDNAの塩基配列はタンパク質のアミノ酸配列の一次構造に相当するもので、タンパク質の高次構造やRNAの立体構造に備わる機能を考慮すると、タンパク質やRNAにもっとも近縁なDNAの立体構造にも機能が備わるのではないかの推測をする。さらに、DNAに生物として欠くことのできない遺伝情報の機能があることは、DNAが備えるであろう二次的機能はその遺伝情報に関連するもので、同等に重要な機能が存在すると推測することは特別のものではなく、生化学での考え方の一つとしてはどうだろうか。

ここで二次的機能としているのは、塩基配列のように固定的に備えるものではなく、一次としてのエネルギーを供給したときに限り、DNAの立体構造から機能が引きだされることを意味するもので、たとえDNAが立体構造を維持していても、エネルギーが供給されないと二次的機能の *認識と知性 は生じないことになる。すなわち、エネルギーの一次に対する二次的機能の意味である。

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DNAのアンチ・パラレル構造
RNAが一本鎖であるのに対して、DNAは二本鎖のアンチ・パラレル構造になっている。そのDNAの働きは大きく二つあるとされている。その一つはDNAの保存であり複製である。これによって生物の種が維持される。もう一つはDNAの遺伝情報の一部をRNAに複写する。これによって生物が生きるのに必要な代謝ができる。この二つが生物の継代と日常生活を可能にしている。このとき複写ではDNAの一部の遺伝情報をRNAにコピーするが、コピーするのは一本鎖で大きな問題はない。一方、DNAの複製では二本鎖に組み合わさったものを解き、解いた二本鎖を鋳型にしてそれぞれの相補鎖を作り、結果として、四本二対のDNAにすることになる。

このとき問題になることが、DNAの二本鎖の進行方向が逆向きになったアンチ・パラレル構造である。DNAの流れは 5´から 3´に向かって流れるため、5´から 3´へのリーディング鎖については通常の複製が可能であるが、3´から 5´へのラギング鎖については流れに逆行して複製することになる。

このため、通常の複製ができずに、複製に際して先へ飛んで逆走するという特殊な方法を採らざるを得ないことになる。この逆戻りの面倒な工程を繰り返してそれぞれをつなぎ合わせる複雑なプロセスをたどる、いわゆる岡崎フラグメントである。これによってラギング鎖はリーディング鎖に比べると、エラー頻度がおよそ 10倍に達するとされている。

DNAの二本鎖がアンチ・パラレル構造している理由について、もしも、二本鎖がパラレル構造であると、相補対の塩基が同一方向に手を伸ばし水素結合ができないとされている。そのため、一方の鎖を逆向きにすることで水素結合が可能になるとされる。ここで一つの問題がある。それではDNAがなぜ二本鎖にしたかである。一本鎖では塩基が変性し易いが、二本鎖の相補性の塩基対にすることで塩基を安定保存させることができるとしている。しかしながら、二本鎖アンチ・パラレル構造にすることで、複製に際して片方のエラーが 10倍にも及ぶことは、塩基の安定保存のメリットまでも打ち消すことは本末転倒ではないだろうか。アンチ・パラレル構造にする理由とは、水素結合の手をつなぐ目的だけであろうか。

アミノ酸では側鎖のつく方向が反対のものがあり、L型D型の左右異なる鏡像異性体が存在する。生体を構成するアミノ酸はL型が使用されているものの、この鏡像異性体の考え方は、DNAにもっとも身近なアミノ酸にこの考え方が存在する。もしも、DNAの二本鎖が鏡像異性体の構造を採用していたなら、DNAの複製で一本の鎖はノーマルに進み、もう一本の鎖は先へ飛んで逆戻りのアブノーマルなことをすることなく、岡崎フラグメントも必要とせず、それに伴うエラーの発生も防ぐことができ、二本鎖の相補性塩基対にしたことの理由が理解できる。

もしも、鏡像異性体の考え方が最初からないならば仕方ないとしても、もっとも身近なアミノ酸に鏡像異性体の考え方があるにもかかわらず、さらに、この鏡像異性体の考え方がDNAの塩基配列の正確な保存と複製においてもっとも有効な手段である。それにもかかわらず採用しなかった。無駄なことや非効率なことはしない遺伝子システムが、およそ 10倍のエラー発生というリスクを覚悟してまでアンチ・パラレル構造にこだわったのは、何を考えてのことであろうか。

このことからアンチ・パラレル構造には、これまでDNAの目的とされている遺伝子の保存や複製とは別の目的が存在すると推測できないだろうか。そして、そのことが遺伝子の複製よりもプライオリィテーが高い。それゆえ、複製に際して逆走のリスクを甘んじて受入れざるを得なかったのではないだろうか。




DNA情報の循環と方向性

ここでは細胞脳なるものを設定している。それゆえ、この細胞脳がどのようなもので、如何なる根拠に基づいて導き出すことになったかを説明する必要がある。ここでは、これまで存在しないとされるものについて語るものです。それゆえ、それがどのようなものか説明をするのに比喩的表現を採らざるを得ないことが少なくない。そのことを最初にお断りしておきます。

生物誕生の歴史の中では初期にはポリヌクレオチドもさまざまな結合がなされ、パラレルに類似のものもあったであろう。しかし、パラレルではDNAが機能を備えることはなく価値を見出せなかったと推測する。何を言いたいのか。それはポリヌクレオチドの塩基配列による物理的遺伝情報以上に、DNAがアンチ・パラレルに拘ったことは循環ではないかと推測する。その循環の目的は二つある。一つは、外部からの環境情報の循環による情報の伝達と更新であり、もう一つは、エネルギーの循環による思考能力の機能発現である。

現代産業の象徴である電気製品では、さまざまな機能を備えた部品を配置する。と同時に、エネルギー供給である電池を配置し、それぞれをつなげることが必要となる。そして、電気製品の機能を得ようとするときにはスイッチを入れる。それまでスイッチの部分で接続が切れていたものがつながることで、電池に蓄積された電気エネルギーが循環する。この電気エネルギーが循環したとき電気製品としての機能が生じることになる。

ここで循環についての理解を容易にするために喩えを示したい。物の流れや情報の流れについて考えるとき、鉄道システムが理解を助けてくれる。一般的に鉄道は上下二車線によって構成されている。利用者はこの上下二車線を使うことで如何なる目的地にでも行くことができるし、物の輸送も可能になる。

次に、このシステムに情報が流れたとしよう。何処で発生した情報でもあってもこのシステムに供給すると、目的は一ヶ所であれ複数箇所であれ情報を伝えることができる。このシステムは上下二車線の形態を採っている。この二車線はアンチ・パラレル構造によるもので、決してパラレル構造になってはいない。もしも、二車線がパラレルで同一方向に向かっていたなら列車は運行できなくなり、情報は循環できないものになってしまう。

さらに、鉄道と情報について考えたい。鉄道には紐状形態の東海道線や東北線がある。一方、山手線のように環状形態のものも存在する。両者の何れもが上下二車線のアンチ・パラレル構造になって機能を果たしている。紐状形態では東京を出発して下り線を走り終点の大阪に到着すると、今度は線路を隣に変えて来たときとは別の上り車線を走ることになる。これによって列車は上下二車線の両方を走ることによって往復することができる。

これに対して、環状形態では山手線のように内回りと外回りの二車線があり、同じ東京駅を出発しても内回りの電車は内回り線を何度も周回するが外回りの線路を走ることはない。同様に、外回りの電車も内回り線を走ることはない。同じアンチ・パラレル構造でありながら紐状形態と環状形態では電車と情報の流れは異なる。ここで東京と新橋の間で事故が発生したとすると、外回りの電車は東京駅に到着後に線路を変えて内回りの電車として、これまでとは反対方向に走ることになる。この事故が発生したときの運行が東海道線と同じ紐状形態となる。

次に、線路の枕木の一つひとつに情報が記録されて、列車の進行方向に向かってその情報を読み解くことができるとすると、紐状の東海道線では一つの列車に乗って一往復すると、枕木に記録された上下二車線総ての情報を読むことができる。しかし、環状の山手線では一つの電車に乗り続けて何回周回しても、枕木に保存された情報は半分しか読むことができない。一方、線路の両側の景色は日ごとに変化する場所と、いつ見ても変化しない場所とがある。これは人が作り出した鉄道システムであるが、このシステムを頭の隅に置いて再び遺伝子システムに戻りたい。

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生物の遺伝子システムでは、原核生物と真核生物の二つのタイプが存在する。生物の起源を考えるとき原核生物が先に誕生し、後になって真核生物が誕生したとされている。それぞれのDNAの形は何れも二本鎖のアンチ・パラレル構造で共通しているが、原核生物が染色体の数が一本で環状タイプであるのに対して、真核生物は染色体の数が複数本で紐状タイプをしている。さらに、環状タイプと紐状タイプについての一つの推測は、先に誕生した原核生物の環状タイプDNAに事故が発生して切断され、環状タイプから紐状タイプになったと推測することができる。

原核生物のときの情報は環状のため片側のみの認識で、双方の情報が共有されていなかったと推測できる。これに対して、真核生物の情報は紐状のため情報は両方向が入り混じり共有することができたと推測できる。これは上下二車線の進行方向の異なった線路の枕木に記録された情報の解読に相当する。

一方、通勤で見る車窓からの景色のように、工事やビル建設によって日ごとに変化する景色がある。一方で、何年も変化しない田園風景もあるように、DNA全体では塩基の変化が発生し易い部位もあれば、長い歳月に渡ってほとんど塩基の変化が見られない部位も存在する。

DNA二本鎖が情報の保存と複製だけではなく、複製以上にプライオリティーの高い目的が存在するとき、それは情報の循環と方向性ではないだろうか。もしも、二本鎖がパラレル構造であると、情報の保存と複製には最適であるが、循環することができない固化したものになってしまう。すなわち、生きた情報ではなく死んだ情報になってしまうのではないだろうか。

生物は毎日変化する環境の中で自律制御や意思制御によって生活していることから、生体内には親から受け継いだ遺伝情報以外に、日常の情報が絶えず循環しているであろう。それゆえ、ホメオスタシスと呼ばれる生体内での制御が可能となる。これらから推測するとき、細胞核内のDNAの中にも情報が循環していると推測する。このような流れがあることで、分裂のための複製が行なわれることや、RNAへの転写が必要に応じてできるのではないだろうか。それら循環する情報の中から必要とするものは上書きされるもので、それら上書きされたものは新たな情報の一つとして次世代に引き継がれるであろう。

これまで遺伝情報はタンパク質を作るものであり、生物の形質を決定するもので、獲得形質は遺伝しないとされてきた。このことから生存中にDNAは変化しないものとされ、親から受け継いだものをそのまま子孫に伝えるとされている。唯一、世代交替のときに限りDNAの複製に際して間違いが起こり、その間違いによって新たな形質が発現するものとしている。しかし、これではDNA上での情報の循環は必要ないものであり、自律制御や意思制御さえもできなくなるのではないだろうか。さらに、このDNA情報が固化した形態では、DNA二本鎖はアンチ・パラレル構造にする必要はない。

DNAでの情報の流れは 5´から 3´に向かって流れるため、情報を循環させるためには、二本の鎖は流れの向きを逆方向にすることで初めて情報を循環させることができる。情報が循環するにはDNAの構造はパラレルであってはならず、アンチ・パラレルが必要であった。DNAが複製に際して発生するエラーリスクを覚悟してまでも、アンチ・パラレル構造にこだわったプライオリィテーの高いものがあったとすると、それは情報の循環であり、エネルギーの循環が必要であったことを語っているのではないだろうか。

このことから、DNAの二本鎖は両親からの情報を固化した状態で保存と複製や転写することが目的ではなく、常に生きた情報の循環による更新と保存や複製とするもので、何よりもエネルギーの循環によって *認識と知性 の機能を備えるものと考える。すなわち、生物には生体内や細胞のみならず、DNAにも最新情報が循環されていて、その情報を基にして最良の手段を思考したものの一つが進化の変異と考えている。このことが大部分の生物が適応進化といわれる所以であろう。そして、この情報とエネルギーが循環することは、情報の保存や複製以上にプライオリティーが高かったと考える。このことから、環境の変化を認識しない目的のない遺伝子のエラーから適応進化は起こらないし、あってはならないとするもので、ましてや擬態のように目的対象物が決まった変異が生物の意思や目的なくして発生することは、万に一つもあってはならないと考えている。

伝統工芸の説明を思いだして頂きたい。伝統工芸品を保存するならば、美術館に大切に保管すれば長期に渡って保存することができる。しかし、伝統工芸品ではなく伝統工芸を残すならば、美術館に保管するのではなく工芸技術者が継承して後世に渡って工芸品を作り続けることが必要である。もしも、DNAが従来からいわれるものであると、複製や代謝は可能であるから世代交代はできるが、環境変化を認識したホメオスタシスのような制御ができないばかりか、伝統工芸のように進化の変異ができないことになるのではないだろうか。




媒体の創造とコイル

生物に備わる機能や形質には、その一つひとつに目的があるとここでは考えている。そして、それらの機能や形質を支えている細胞の一つひとつにも同様に目的があるとしている。それはタンパク質の高次構造についても同様で、その構造特有の機能を備えることになる。細胞レベルで観られるこれらは、個々の物質だけに目的があるだけではなく、それぞれの状態が形成されることは、その状態にも必要とする目的があるのではないだろうか。すなわち、DNAが解けたり、再び立体構造の超らせんを形成することは、DNAが解ける目的と同時に、再び超らせんの形成を必要とする目的があると考える所以です。

生物が生物である基本とは、存在するものから新たなものへの機能の変換ではないだろうか。ある媒体にエネルギーを供給して異質の機能が生じるとき、そのプロセスこそが生命体としての生物の根幹ではないだろうか。それは自力活動であり、自己認識であり、思考能力の類とするもので、これまで *認識と知性 という言葉で表現してきた。そこで必要なものはエネルギーであり媒体である。さらに、エネルギーはどのようなものであっても、利用可能なエネルギーから目的とする機能に変換をするための新たな媒体を創造する。そこで創造されるものは酵素や特定のタンパク質ということになる。

このようにあらゆる機能は、その目的を達成するために媒体を創造することで可能になるのではないだろうか。それらの媒体を始めとして総てを産みだすもっとも基本となる媒体が *認識と知性 になる。すなわち、「生物としての基本となる *認識と知性 を可能にする媒体がDNAらせんの立体構造」によるものとしている。DNAはこれまでいわれている物理的遺伝情報の保存のみならず、らせんを繰り返すDNAの立体構造は、機能媒体として現段階では物理的に計測することのできない *認識と知性 の機能が備わっている、と私は考える。

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ここでもう一度、比喩的表現で産業製品の媒体について考えてみたい。ラジオから流れる音は物理的に叩くことで音を発生させるのではなく、電気の流れを振動に変換している。このことは産業製品である自動車やテレビなどでは、エンジンや液晶などの機能媒体を創造する必要がある。勿論、エンジンや液晶などの単一媒体ではなく、膨大な数の機能媒体が必要で、それらの媒体が揃ったとき自動車やテレビとしての機能が発揮される。これら媒体の多くは、あるものの変化ではなく異質のものへの変換となる。そして、それらを可能にするには変換するための新たな媒体が必要となる。それらの媒体ができたとき目的とする機能変換が可能になる。

それではこの媒体は如何にしてできるのか。それらは人の思考によってのみ作られるもので、それ以外の方法の偶然や突然の事故によってできるものではない。これまで人がさまざまなものを作り産業革命や I T 革命といわれることをしてきた。これらは体外技術であるから生物進化の変異にはあたらない。しかし、これらも通常の変化に相当するものではなく、新たな機能を可能にするための変換ということになる。

これを前提に生物の変異を振り返ると、それまでとは異なる生物種として認識できるためには、それまで備わる機能媒体に新たな機能媒体が追加されることを意味するものではないだろうか。そして、新たな機能を得るために媒体を創造することで、そのためには媒体を創造することのできる思考能力が不可欠である。それらは現代科学のように思考によって初めて可能になるもので、後先が関係しない一過性の突然変異で目的のある媒体を創造することは不可能であろう。ここではDNAがらせんを主体とした立体構造の超らせんを形成することで、糖やリン酸そして塩基の化学結合による通常の化学的性質ではない別のものを求めるとしたら、そこには変換による何らかの機能媒体の創造が存在すると推測する。一方、事故の変異はそれまで備わっていた形質の破損や機能の喪失で、一過性の突然変異であっても事故は発生し得る。

この媒体についての喩えを示したい。電気が一たびタングステンに流れると光が発生し、ニクロム線に流れると熱が発生する。そして、銅線に電気が流れると磁力が発生する。ここで流れるエネルギーは皆同じ電気エネルギーであるが、媒体に何を使用するかによって発生するものが変わってくる。このときタングステンもニクロム線も真っ直ぐであると発生する量は僅かある。そこで直線ではなくコイル形状にすることで、光や熱として利用可能な機能にすることができる。これによって実用化されたものが電球であり、ヒーターである。同様に、銅線をコイル形状にすると方向性を備えた磁力の機能として得ることができる。

このことは電流を一次エネルギーとして供給するとき、コイル媒体に何を介在させるかによって得られる二次的機能が異なることを意味している。さらに、磁力については銅線のコイルを幾重にもすることで磁力を強くすることができる。この磁力の機能を利用したものがモーターであり、逆の構造にすると発電機の機能を備えることができる。さらに、この原理で磁力発生のためにその都度コイルを巻くのではなく、定常的に磁力の機能に特化させたものが磁石となる。この考え方は単に電気と磁力に限定されるものではないと推測する。

たとえば、太陽の光を一次エネルギーとし、葉緑体の媒体を介在させることで、糖を作る二次的機能が生じることと類似であるし、その糖を一次エネルギーとして酵素の媒体を介在させることで運動の二次的機能が生じることになる。これによって得られた二次的機能が生物の根幹で、これらの媒体を寄せ集めたものが植物や動物の生物体を形成するであろう。

すなわち、電気を一次エネルギーとして、さまざまな媒体を使って光,熱,磁力などを初めとした機能を取りだすもので、それらの中から必要とするものを組み合わせることで、デジカメや携帯電話を作りだすことができる。同様に、さまざまな機能を備えた酵素などの媒体の中から必要とするものを有機的に組み合わせることで、多種多様の生物になるのではないだろうか。そこには採取可能な一次エネルギーから異質の二次的機能を得ようとする意図が見て取れる。

エネルギーの供給方法とDNAらせんの思考能力発生では、二つの考え方ができる。第一に一次エネルギーを電流として流す磁力発生タイプである。これはDNAらせんにエネルギーを循環させることで、磁力に相当する二次的機能である思考能力を発生させる。これとは逆に、第二では流れる電流を二次的機能として取りだす発電機タイプである。これはDNAの廻りに磁力に相当するエネルギーを供給することで、らせんには二次的機能である電流に相当する思考能力を循環させる。

何れの場合としても、DNAのらせん媒体に一次エネルギーを供給することによって得ることのできる二次的機能は、化学物質や物理的機能に限定するものではなく、介在する媒体や供給するエネルギーによっては 「無形態の *認識と知性 さえも得ることができる」と推測する。

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進化の変異は新たな機能を得るために媒体を創造することで、そのためには媒体を創造することのできる能力が不可欠である。一方、事故の変異はそれまで備わっていた形質の破損や機能の喪失で、後先が関係しない一過性のエラーであっても事故は発生し得るが、目的のある媒体を創造することは困難ではないだろうか。たとえ小さな携帯電話の一つでも、数多くの機能媒体の部品が揃ったとき電話としての機能を発揮するもので、そこでは一つのエラーも許されてはいない。生物の形質も数多くの機能媒体が揃ったとき、新たな形質を備えた生物種が形成される。それに関与する総ての媒体は目的に合わせて創造されるもので、一つのエラーも許されてはいないと考える。

従来論のようにDNAが備えたものが物理的塩基配列であり、それは固化したもので世代交替時のエラーさえなければ変異することさえないとすると、DNAがすることは複製や転写となる。この複製や転写に必要とする以上のエネルギーが必要となると、超らせん構造による機能を導きだす自力活動のために多くのエネルギーを必要としているであろう。このことからエネルギーの本来の目的はDNAの立体構造による機能を得るためのものと推測する。このことはたとえDNAが超らせんを構成していても、生体から死体になってエネルギーの供給が停止すると、複製や転写することはもとより、二次的機能の思考が停止することになる。

一般的に、DNAの遺伝情報は生体のみならず死体からでも採取が可能であることから変異しないと考えられているが、化学的に合成した塩基の物理情報は死体になっても保存されるが、無形の機能はエネルギーの供給されている生体にのみ備わるもので、エネルギー供給の停止した死体では無形の機能は消滅することになると考える。

さらに、磁力を発生させるときのコイルは単一素材の銅線であるが、ヌクレオチド鎖はリン酸や糖の鎖であり塩基もつながっている。銅線のような単一素材ではないヌクレオチド鎖のらせん媒体に、一次エネルギーが供給されることで得ることのできる二次的機能があるとしたら、それは単に遺伝情報を保存したり転写したりするような消極的な物理的機能ではなく、積極的な無形態の機能ではないだろうか。

20種類のアミノ酸を異なる配列によって構成する高次構造から、10万種以上の異なる機能のタンパク質を作ることに比べて、リン酸と糖の繰り返しのヌクレオチド鎖に求めるものとは、タンパク質のようなバラエティーに富んだものとは考え難い。さらに、このヌクレオチド鎖には遺伝情報の塩基が付随していることから、塩基配列の遺伝情報に無関係の機能を備えることは考え難い。このことから総ての生物に備わる遺伝情報を料理することのできるオールマイティーの機能とすると、*認識と知性 の機能ということになる。




生と死のはざま

DNAには生物固有の遺伝情報が保存されている。そのため、生物の身体の一部であれば毛根や血液からでも遺伝情報を解読することができる。これは生体についてであるが、生体ではなく死体からでも遺伝情報は解読することができる。その意味から、これまでDNAの情報は常に固化した状態で保存するとされてきた。しかし、ここではDNAを固化したものとは考えてはいない。

生物にはそれぞれ決まったDNAが備わっている。そのDNAにはエネルギーが供給される。同時に、情報も供給されているとするもので、それらの情報は必要に応じてDNAの情報を上書きできるとしている。生きているときエネルギーと共に供給していた情報も、死を迎えるとエネルギーが供給されなくなり、それに伴って情報の供給も停止する。この情報の停止した状態が以後の死体に保存されているDNA情報になると考える。

これまで遺伝情報は両親から受け継いだものをそのまま子孫に受け渡すもので、この遺伝情報は自らの世代では変異するものではなく、世代交替時に遺伝子のエラーによって一部が変異するものとされてきた。すなわち、世代交替での間違いさえなければ変異しない固化したものとされている。しかし、ここでは遺伝情報に関して、生体と死体には明らかな相違があると推測している。

生体のDNAの遺伝情報は固化したものではなく、常に最新の情報が循環している。循環の過程で一部の遺伝情報は新しい情報によって古い情報が上書きされることがある。これに対して、死体のDNA遺伝情報は循環していた情報が停止し、停止時の遺伝情報が固化した状態で残されているとみなす。

このように環境の変化によって情報が上書きされると、日常の総ての変化を書き換えるように想像するかもしれないが、頭脳と細胞脳の時間的スパンは大きく異なっている。このことは私たちが暑いとか寒いとかや明日はこうしたいというようなものではなく、生物として長い世代を継続できるようなレベルの考え方に基づいた思考がなされ、それに該当する情報が上書き更新されるとするもので、情報が循環するからといって、「めったやたら」に更新するものではない。

さらに重要なことは、それらの情報を更新するか否かの判断が如何にされるかである。ここでの判断にも思考は欠かせない。このことは継代によってDNAに如何なる遺伝情報が保存されていたとしても、新たな情報が循環できることと、そこにエネルギーが供給されることが必要である。単なる化学物質の連結や情報が循環できない固化したものであるとき、そこには情報を上書きするか否かの判断のための思考能力さえも発生しない。




DNAが超らせんを作る目的     ☆

今日では、DNAといえば誰もが二重らせんと答えるように、DNAの二重らせんと立体構造は認知されている。これはタンパク質の高次構造やRNAの立体構造に類似するもので、真核細胞のDNAの立体構造は超らせんと呼ばれている。しかし、なぜDNAが超らせんを形成する必要があったのかとなると、それについて語られることは少ない。語られるときには、DNAは殊の外長い、その長いDNAを小さな核に収納するには、コンパクトに折りたたむ目的でこのような超らせんを形成したとされている。はたしてそうであろうか。ここではDNAの超らせんには収納することとは別の機能目的があると考えている。

これまでの考え方は細胞核が存在する。その小さな細胞核に長いDNAを収納するには、小さく折りたたむ必要があるとしている。しかし、ここでは発想そのものについて、そのように考えてはいない。DNAに機能を持たせてその機能のレベルを上げるには、サイトゾルに浮遊させるのでは高機能には至らない。そこでサイトゾルから隔離してDNAにとっての最適環境を作ることを目的にしたと考える。すなわち、DNAを核に押し込めるのではなく、サイトゾルに存在するDNAを核膜によって隔離保護したということになる。このことはDNAを取り囲んだものでDNAを圧縮して挿入したものではない。

ここでは生物に備わるものには、その一つひとつにそれぞれの目的が存在すると考えている。すなわち、DNAは小さな核に収納するために折りたたまれたのではなく、「立体構造の超らせんにすることそのものに必要とする目的があった」のではないだろうか。そして、核膜は超らせんの目的のために保護する目的で備わったと考える。

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タンパク質の高次構造やRNAの立体構造に機能があるのに対して、DNAの塩基配列は物理的情報で、超らせんによって備わる機能ではない。RNAが立体構造によって機能を保有するならば、DNAも超らせんを形成することで機能が備わると推測ことは自然の発想ではないだろうか。それは物理的塩基情報と異なる機能で超らせんを解いたとき消失するようなものである。

それではそのような機能を備えた超らせんとはどのようなものか。真核細胞ではヒストンを介して規則的に何段階にも渡ってらせんやループの折りたたみを繰り返してクロマチンの超らせんを形成する。もしも、DNAが小さな核に収納する目的であったならばこのような規則性は必要ないし、らせんを基本とした超らせんにこだわることなく如何なる形状であっても小さく圧縮すれば事足りる。

さらに、DNAは長くつながったポリヌクレオチド鎖を生涯に渡って折りたたんだ形態を維持すればよいのではなく、DNAの複製や転写に際してその都度超らせんを解くもので、何段階にも渡ったらせんやループを解いたり、再び超らせんに戻したりを繰り返す。そのように面倒なことをしてまでも超らせんを形成することは、単に細胞核に収納するためにコンパクトにするのではなく、形成する超らせんの立体構造にすることそのものに、必要とする目的があったのではないだろうか。

なぜなら、DNAは細胞核に収納するために常に超らせんや染色体の状態であるのではなく、しばしば部分的に解かれた状態にあることや、細胞分裂の前にはDNAの量は 2倍にもなる。それでも核からはみ出さずに収まっている。すなわち、これまでいわれるほどコンパクトにまとめなくても収納可能であることを意味している。このことはDNAが超らせんにする目的はコンパクトにするためではなく、他の目的が存在すると考える所以である。逆に、原核細胞のDNAは真核細胞に比べて短く、原核細胞に核はなく細胞質に核様体の形で収まっていることから、必ずしもコンパクトにしなければならないものではない。それにもかかわらず、原核細胞のDNAもらせんを形成することは、単に収納するためにらせんにすることが目的とは考え難い。

それほどまでに超らせんを形成するということは、超らせんを解いても保存されている塩基配列の遺伝情報とは異なり、らせんを繰り返した超らせんから発現するものに求めるものがあったと推測することができる。すなわち、生体にもっとも影響を及ぼすタンパク質が高次構造によって機能を備えることや、RNAが立体構造によって機能を備えるように、DNAも超らせんを作ることにで、通常の化学合成では得ることのできない機能を備えることが目的であったと推測する。

タンパク質のポリペプチド鎖は、アミノ酸が連結しただけの一次構造は単なる化学結合で、タンパク質としての機能は備えないとされている。αへリックスやβシートの二次構造、さらにはホールディングによって三次,四次構造を形成するとタンパク質としての機能を備えるものとなる。

これとは逆に、タンパク質はアンモニアなどによって高次構造を解くことができる。解いたときそれまで高次構造が備えていたタンパク質の機能は失われる。一方、DNAの超らせんも熱を加えると超らせんが解ける。その後、加えていた熱を除去すると、再び超らせんに戻ることができるとされる。このとき熱を加えてもポリヌクレオチド鎖は壊れず超らせんだけが解けるとされている。このことから、タンパク質の一次構造では機能を保有せず、高次構造になって初めて機能を発現できることは、DNAも超らせんになったとき機能が備わり、逆に、超らせんが解けたとき備わっていた機能は消去されると推測できないだろうか。

たとえば、ゲノム解析のためにDNAの超らせんを解いたときでも、化学結合は壊れず保存されていることで塩基配列は解読することができる。このときDNAが超らせんを形成することで備える機能があるとすると、超らせんを解いてゲノム解析することは、超らせんに備わっていた機能は自ら消去していることになる。

このことはDNAが備えているとする機能も、超らせんと共に現われたり消えたりすることになる。これは人為的なものであるが、DNAでは細胞分裂のための複製やRNAへの転写では、自らの意思で一時的に超らせんを解くことになるが、このときDNAの超らせんが備えていた機能は一時的に消えるとしても、複製終了後再び超らせんに戻ったとき、消えていた機能も復帰すると推測する。

従来ではDNAには塩基配列の遺伝情報が備わるとするもので、複数の機能は存在しないと考えられている。しかし、塩基配列の遺伝情報は超らせんの有無に関係のない化学結合による物理的性質である。それゆえ、ここでは 「物理的塩基配列とは別に、超らせんによる機能が存在する」と推測している。

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それではDNAの超らせんにどのような機能が備わっているか。タンパク質のアミノ酸配列による高次構造はさまざまである。このため、アミノ酸配列が変わることによるタンパク質の種類は無限で、それぞれのタンパク質が備える機能は千差万別である。これに対して、DNAの構造はただ一つの超らせんで他の形態を採ることがなく、総ての生物が同じであることは生物に共通の機能と推測する。

一方、DNAには塩基配列の物理的遺伝情報が備わり、配列を変えることで新たな機能を得ることができるが、進化するにはその塩基配列を必要に応じて料理する必要があり、遺伝情報に基づいた機能を創造する必要がある。しかし、それらの機能を考えている部位は、サイトゾルのオルガネラの中には見当たらない。だからといって目的のある機能媒体が遺伝子のエラーによってできるとは考え難い。この機能を創造する能力は、細胞内の何れかに存在しなくてはならないもので、それがDNAの超らせんに備わっていると推測する。

これによって過去の遺伝情報を継代した上で新たな環境情報が循環すると、DNAの超らせんに備わった機能である *認識と知性 によって、環境の変化に適応した必要とする機能媒体を創造することのみならず、自らの強い欲求にも知的創造が可能となる。これが目的のある擬態や食虫植物の変異をも可能にするのではないだろうか。

もしも、DNAが従来からの遺伝情報だけであったならば、遺伝情報をそのままの状態で継代できたとしても進化の変異は不可能であろう。それは進化の変異の大部分が環境に適応できていて、その適応は知的創造なくして創りだすことは至難の業である。