18章 これからの生物進化を考える

これまで唯一優れた思考能力を備えたものが人であり、もっとも進化した究極の生物がヒトであるとされてきた。そのような人の生活というと、自然破壊,温暖化,廃棄物の垂れ流し,そして戦争など、これまで歴史を築き上げてきた祖先生物の思考能力や知的創造の豊かさから乖離したものとなっているのではないだろうか。同様に、生物の進化についての考え方も、これまでの人の発想そのものを見直す必要があるのではないだろうか。

もくじ
   細胞脳の活動を認識する手段

   進化の考えに方向転換の必要性

   あとがき


上の をクリックすると 本文に飛びます





細胞脳の活動を認識する手段

日本人が過去に漢方や東洋医学ではなく西洋医学を学ぼうとしたとき、最初に学んだことは人体の内部構造がどのようになっているかを知ることで、西洋で書かれた解剖書を18世紀後半に翻訳をした、いわゆる解体新書の時代とされる。そのとき翻訳書を見ながら人体を解剖したであろう。これによって臓器の位置とその機能を知ることができた。これは内臓だけではなく臓器と同様に頭蓋骨の中も解剖することで、その内部構造が理解されたと推測する。

このとき行われたのは生体ではなく死体をメスで切り刻むことで、人体内部の物理的構造が如何なる形をしているか知るものであったであろう。人体内部でも臓器が物理的機能備えているのに対して、頭脳は知的機能を備えているとされている。このことから現在の脳科学で主流とされることは、死体の物理的構造を知ることではなく、生体が備える知的機能の所在を確かめるため、脳波を始めとして脳の活動状況が研究されている。このことは頭脳をハード機能として見るのではなく、ソフト機能として見ていることに他ならない。解体新書は過去の時代であるが、これを前提に現代の分子生物学に置き換えると類似のことが見えてくる。

分子生物学は分子レベルであるから人体に比べるとその対象物は桁違いに小さい。そこで過去にはメスで切り刻んだものを、現代ではメスを制限酵素に持ち替えてDNAを切り刻む。そして、その内部構造を見るには肉眼で見ることは困難で、X線結晶解析,ゲル電気泳動,電子顕微鏡などによってDNA内部の塩基配列や物理的構造や細胞レベルの機能を知ろうとする。

過去と現在の双方では、対象物の大きさは桁違いに異なることからメスと制限酵素の違いはあるが、考え方とやっていることは過去の時代と同じである。すなわち、何れもその物理的構造を知ることを主たる目的としている。ここで考えるべきは、人体の臓器では解剖によって物理的構造を知るとしても、頭脳では知的機能を知るために物理的構造よりはその活動状況を知ることにある。

これを細胞レベルに置き換えると、サイトゾルのミトコンドリアを始めとするオルガネラの機能を知るために電子顕微鏡を始めとする最新の機器によって物理的構造を知ることは有効であるとしても、DNAの遺伝情報を始めとする知的機能を司るとすると、物理的構造のみならずその活動状況を知ることではないだろうか。

もしも、DNAに頭脳と類似の知的機能が備わっていると、解体新書の現代版に相当するDNA解剖学では、物理的塩基配列の情報は解析できたとしても、DNAの知的機能を知ることはできないことになる。いい換えると、DNAの本来機能が立体構造にあるとすると、現在のゲノム解読で行なわれていることは、それらの立体構造を解き、制限酵素のメスによってDNAを切り刻んで物理的塩基配列を解読している。これはDNAの立体構造に本来備わっているであろう機能を抹消した上で調査していることになり、過去の解体新書の時代に行なわれたことと類似である。

勿論、頭脳の内部構造である神経細胞の物理的構造を知ることも必要なことであるように、DNAの内部構造である塩基配列を知ることも必要なことではあるが、生物の本質が如何なるものかを知るためには、頭脳の本質は神経細胞による情報伝達の構造以上に、その働きである思考能力とすると、DNAについても塩基配列の内部構造以上に、その働きを知ることが重要ではないだろうか。これは現在の脳科学で行われているように、生きて活動している頭脳の脳波を見る如く、生きて活動しているDNAが如何なる機能を働かせているかをクロマチンの状態で 「細胞脳波」を採取することが必要ではないだろうか。知的機能を前提にすると、検証すべきはハードを捜し求めるのではなく、ソフトを如何に見つけだすかにある。

―     *     ―     *     ―     *     ―

地殻変動を調べるものに地震計がある。この地震計ではプレートの跳ね返りによる地震や、火山噴火の爆発による地震、さらにはマグマ移動の低周波地震までも捕らえることができる。しかし、この地震計で大陸移動の動きを捉えることはできない。地震計は瞬時の動きを認識するための装置であるから、桁違いに大きな力による地殻変動であっても、年間数o程度しか移動しない大陸移動は地震計では計測することができない。

今日では大陸移動は全く別の方法のGPSによって計測することが可能になっている。これと類似のものにMRI磁気共鳴装置がある。これによって頭脳のどの部分が活発に活動しているかを画像によって知ることができる。このとき加えられる刺激が五感のどの部分に対応するか、そして、内容が運動,判断,思考などによって頭脳の中の活発に活動する領域と不活発な領域があることがわかる。

このMRIもまた人の頭脳の活動を知るために開発された装置で、人の頭脳の活動速度に合わせて作られている。このため、これによって頭脳の活動を調べることはできても、それは個体レベルで、細胞レベルの細胞脳の思考活動を確認することはできない。さらに、MRIでの調査の多くが物理的刺激に対する反射的反応であるとすると、思考や創造についてはこれまでとは異なる計測方法が必要になる。

現在もっとも進んだ計測機器でも、右脳や左脳というように頭部を数等分に分割した程度のもので、そのときの反応についても活動が活発か否かを赤や青の数色で表現するような漠然としたものである。目指すべきは、一つひとつの細胞をピンポイントで把握できることと、物理的刺激による単なる活動ではなく、どのような思考ができているかということが認識できることが必要ではないだろうか。しかし、それらは近い将来新たな計測方法が考え出されると思います。

たとえば、電子顕微鏡では細胞を殺して固定した状態で観ていたが、GFP (緑色蛍光タンパク質)では生きた細胞の中でのオルガネラの挙動を観ることができる。これに類似するものではないだろうか。さらに、これ以上の実験手段が考え出されると、良い環境の細胞脳は新たな創造のための思考はすることなく、劣悪の環境の細胞脳は思考する中で進化の創造をすることを見ることができるのではないだろうか。




進化の考えに方向転換の必要性

今日の状況を振り返ってみるに、現在は 1世紀半前と同じような状況に置かれているのではないだろうか。過去に多くの人が神様の創造についてたいした疑問も持たずにいて、疑問を持っていたのは一部の人に限られていた。今日では多くの人が総合説の考え方にはたいした疑問も持たずにいて、疑問をもつものは一部の人に限られているようである。

過去には、神様を唯一無二とすることで多くのことは処理されてきた。そこに不思議があったとしても、全能の神様のなされることは絶対で、それ以上の説明を必要としなかった。そして今日では、自己の認識や環境の認識、そして、思考や知性や判断などは頭脳を唯一無二のものとしている。その頭脳はというと一部の動物に備わったもので、動物の中には頭脳が備わらない動物がいるし、植物では頭脳の概念そのものが存在しないとしている。そして、大多数の人はこれを正しいとする。それだからこそ尚更のこと、頭脳が備わらないとする植物に*認識と知性に値するものが観られると不思議ということになる。

過去に、神様は全能とする考えから生物学の方向にシフトしていったように、今考えなければならないことは、*認識と知性について頭脳を唯一無二とする考えから、方向転換する必要があると考える。この基本を変えない限り今後如何なる進化の理論が出されようとも、たとえ総合説に今まで以上の説を取り込んだとしても、生物の進化を正しく説明できるものではないと考える。

―     *     ―     *     ―     *     ―

ここではさまざまな生物の生態を知ることで、進化の変異の本質が何処にあるかを捜し求めてきた。しかし、生物進化を語るにもかかわらず、従来の進化では登場することのない用語が数多く出現することになった。なぜか。従来進化で語られてきたこととは、突然変異,遺伝子のエラー,自然淘汰,弱肉強食,競争原理,収斂新化,多様性,共進化などがある。そのような言葉でいわれてきたことの一つひとつについて、さまざまな生態から見てきた。しかし、生態はそれらについて説明するものにはなり得ていない。すなわち、従来進化では、生き残りの進化も滅亡の淘汰も総ての発端が遺伝子のエラーによるもので、目的のないものとされてきたのではないだろうか。

そこでの事象は、思考も事故も分離されることなく混在した状態で議論されてきた。そのため、問題や矛盾を生じることになったと推測する。さらに、見た目も考えも人の視点によるものであって、人の認識機能の能力の範囲でしかなかった。そこでは生物の本来の機能や思考が正しく理解できていたか疑問であった。そこで、ここでは多くの事象に対して分離することと、人の眼から生物の眼に視点を変えること、この二つを主眼にしてきた。

分離することとはどのようなことか。たとえば、「進化の変異と事故の変異」,「体内技術と体外技術」,「個体レベルの思考と分子レベルの思考」,「DNA系細胞脳と神経系頭脳」などは、それを示す考え方である。しかし、これらは用語としての分離であって、実際に必要なことは、生態についての見方や考え方の中でそれぞれが分離して認識できることが重要であると考えてきた。

次に視点を変えることであるが、これまでは人の視点でのみ考えられてきた。それは可視光線であり可聴領域であって、存在する総てではない。ここで生物の視点に立つこととは。たとえば、人が道具を使わずして直接認識できない紫外線や超音波があるように、人に備わるの機能領域では直接認識できないものでも、存在するものがあることを推測する必要がある。そのような視点に立つと、「知的条件」,「限界ストレス」,「適者の知恵と不適者の知恵」,「DNA言語」,「細胞脳」などはそれに相当するものとなる。中でももっとも重要なことが、生物種によって差こそあれ、「総ての生物が自らの意思と思考によって生きている」であろうとする。

ここでは新たな用語や考え方によって、分離することや視点を変えて説明してきた。そこで導き出されたものが総ての生物に備わるであろう思考能力で、細胞脳に備わるとする考え方ということになる。それゆえ、DNAが立体構造を形成してそこにエネルギーが供給されても思考能力が存在しないとき、ここで述べた総てが机上の空論となり、雲散霧消することになる。

―     *     ―     *     ―     *     ―

一方、これまで生物学の研究とは科学技術の進歩とその関連技術の利用によってステップアップしてきたともいえる。なぜなら、生物学の常識とはそれを実証できる技術が必要で、取り巻きの環境技術が備わるまではそれを正しいと証明することができない。たとえば、顕微鏡の発明によって細胞が認識できたのもその一つということになる。それは単に顕微鏡や電子顕微鏡に限ることなく、その他多くの科学技術の進歩によって、さまざまな新しい発見がなされてきた。それによって生物学のそれまでの常識がその都度書き換えられてきた。

ここでの生物変異の考え方も、現段階で実証できるものは何一つない。さらに、ここでのDNAに思考能力が備わっていることを証明する技術は未だ存在しない。ひょっとすると技術はあるのかもしれない。もしないとしてもナノテクノロジーの時代に突入したとされることから、近い将来新たな技術によって状況証拠ではなく、直接的データによって証明できると期待する。しかし、残念なことはナノテクの研究の多くがハードであってソフトではない。それが期待を裏切るものとなっている。

科学技術は数年前からナノテクに突入し、これが新しい技術として確立するのは 10〜15年後と推測されている。そして、このナノテク関連技術も 10〜15年後には新たな技術として利用されるであろう。当然の如くナノテク技術についても例外ではなく、生物学に大きな影響を与えることが推測できる。そのとき書き換えられる内容を言及することはできないが、現在の常識を書き換えるに値するものが研究されて、生物学が新たなステップに入るであろうことは容易に推測できる。それは顕微鏡の発明によって細胞が認識できたときのように。

新たなナノテクによって生物学のこれまでの常識が覆されて、新たな常識が作られるとき、それはDNAの物理的構造のハードが求めるものではなく、DNAが備える無形態のソフトではないかと推測する。これまでの数百年の技術はその多くがハードで、個体レベルでいうならば形質の違いであり、分子レベルではDNAの物理的遺伝情報が求めるものであった。これからは物理的形態機能から無形態機能の思考や知性の本質に迫るであろう。

―     *     ―     *     ―     *     ―

ここでの生物進化の考え方は、今日の常識から乖離したものであることは、誰よりも本人が一番理解しているものです。そのように今日の常識では荒唐無稽といわれるような考え方を敢えて提示することは、10〜15年後の近未来への方向性を意味しています。そのため、現在の常識を前提に評価するとこれは間違いであるとされる所以です。

従来、進化論として認知されたものとは現時点で正しいとするものではあるが、将来に渡ってその正当性を保証するものではない。すなわち、現在認知された常識とは、長いプロセスの短期間領域でのその時代での技術によって実証されたことの共通認識に他ならないのではないだろうか。現段階では荒唐無稽の細胞脳という以前に、愚か者の寝言と表現される細胞脳である。なぜなら、ここでの考えが数多くの状況証拠から推測したもので、実験データによって裏付けられたものではないことである。しかし、振り返ってみると、メンデルの法則は実験によって検証することができるが、進化論とは従来から語られるそれぞれの仮説さえも、直接検証することはできない状況証拠から導き出したものとされている。一日も早く実験によって証明されることを望む。

これまでここに列記したものの中には、推測によるものも少なくない。これらは問題解決のために従来とは異なる発想するときの、ものの見方や考え方の手段の一つを示したものに過ぎないことをご理解いただきたい。それゆえ、ここに書いた総てが正しいものではないとしても、ここで基本とする考え方である頭脳とはレベルの異なる思考体、
『もう一つの脳』の基本は的を射ていると考えています。




あとがき

このPART-Wは、全体をまとめるのが大変であったため、2007年 12月 1日から 2008年 3月 22日までの間、ブログとして毎日書きました。その書いている 4ヶ月の間に類似のメールを頂きました。このHPでも同様のご質問があるかと思いまして、最後にあたりここに記させて頂きます。それは、「これを書く拠り所とした参考書籍を紹介するように」とのことでした。

ここでの内容に特別の書籍はありません。ここで書きました内容についてですが、本を初めとしてさまざまな資料から、私が集めて書き留めたものです。たとえば、アルソミトラの実験についてはテレビの科学番組によるものであり、可聴領域や超音波領域は百科事典から引用したものです。そのようにして生物を中心に集めたさまざまな資料の中から抜粋してこれを書いてきました。

進化の方向性を見つける資料はここに書いたものだけではなく、収集した総ての資料を基にして、さまざまな方向から分類したり分析するとき、進化について突然変異も自然淘汰も、私には進化のメカニズムとは思えませんでした。そのため、多くの生態を拠り所に試行錯誤して導き出したものが、このような進化についての考えということになりました。その結果、従来進化では登場することのなかった用語が数多く登場することになりました。たとえば、「事故の変異と進化の変異」,「限界ストレス」などを初めとする多くの用語は総て私の造語によるもので、そのような用語を使用した書籍は存在しません。そして、それらから導きだした 『細胞脳』も私の造語で、これが私の考える生物進化の結論ということになります。

私が収集した生態についての多くは、研究者の研究ですから信憑性が高いと思っています。しかし、ここに示した進化についての考えを導き出したのは私ですから、数多くの生態の分類や分析の中には私の理解不足や勘違いがあるかも知れません。それでも私は、「遺伝子のエラーが進化につながらないこと」,「進化が自然淘汰で選別されていないこと」,
『細胞脳の存在』についてなど、ここでの基本的な考え方に大きな誤りはないと思って考えてきました。    中村