独り言
(1)

ここでは、日々の生活の中のちょっとした出来事や、ふと感じたことなどを、つづってゆきたいと思います。

 


行けなかった交流山行

 1999/6/26



 私は、この冬、視覚障害者と晴眼者(目が見える人)がともに山を楽しむ同好会に入会しました。
 そして、その当時から、この5月下旬に上高地で行われる、全国の同じ主旨の団体が集まる「交流山行」への参加をとても楽しみにしていたのです。新緑の匂い、野鳥のさえずり、そして全国から集まった方々との交流を思い描き、この日を心待ちにしていました。ところが・・・。

私はこれまでの山行には、盲導犬のセレスを家に置いて参加しているのですが、この交流山行は、1番楽なコースなら殆どアップダウンが無く道も広いという事なので、セレス同伴で参加したいと希望してきました。

 けれど、担当者から、盲導犬を連れて行くことは遠慮してほしいと言われてしまったのです。そして、この交流山行の時、家族が外出しなければならず、セレス1人で長時間留守番させることはできないので、私も参加を断念せざるをえなくなってしまったのでした。

 遠慮してほしい理由は、表向きは、ケビンに「動物は入れないでください」と貼り紙があったからという事でしたが、今は公共の宿泊施設は殆ど盲導犬同伴を認めているので、このケビンも、関係省庁に電話でお願いすれば、簡単に解決するでしょうし、その交渉は、私がやってもいいと伝えていました。

 盲導犬使用者のサポートは難しいと聞いている、という理由も挙げられていました。普段のなれた道ならサポートはいりませんが、集団で動く時のスピード調整とか、初めてで道順がわからない時などサポートしてもらうことはあります。でも、街で、盲導犬にも視覚障害者にも接するのは初めてという人が、上手に後ろから声をかけて誘導してくれるのですから、普段視覚障害者に接している人なら、なんでもないことでしょう。また、狭くてごちゃごちゃした道は、誘導者の腕につかまったり、肩につかまって後ろを歩いたりする方法を採ることがありますが、これは山行のサポートと代わりありません。
 そして、これらのことは、もちろん担当者に説明しました。

 でも、関係者の本音は他にいろいろあるようでした。「こんな大きな集団で、犬のせいで移動が滞っては大変」、「木道を歩いていて、盲導犬が落ちたら困る」、「盲導犬は町中を誘導するもの、山に行くのはおかしい」、「キャンプファイヤーを行う場所が狭く、セレスのいる場所が無い」、「山道を何時間も歩くより、家で留守番していた方がセレスにとって幸せではないか」等々、つまらない理由が関係者の口から聞かれました。

 盲導犬と登山、という事になると、意見が分かれるところだと思います。
 けれど今回の交流山行で私が選んだコースは、アップダウンが殆ど無く、道幅も広いので、「登山」とはいえないでしょう。
 また、もし、アップダウンがある等で、盲導犬と歩くのはきつい、というなら、山行の時はセレスをケビンで待たせるという方法もあります。けれど、担当者からその点での問題は、出ていませんでした。

 「盲導犬は、使用者に取っての「目」であり、いつも一緒に行動するのが当然である」というスタンスに立っていないので、こんな理由から「遠慮してもらおう」ということになるのでしょう。これは、社会全体の盲導犬理解の水準から、5年も10年も遅れていると感じます。しかもこれが、一般の団体ならともかく、「視覚障害者と晴眼者」の団体なのですから唖然とするばかりです。

 反省会でこの問題が取り上げられ、今後前向きに見当するという事になったのは、大きな進展でうれしいことですが、今回の交流山行に参加できなかった私の無念な思いは、暫くは消えないでしょう。



エスター、安らかに!

99/5/31


 エスター、あなたのママと私は、アイメイト協会の同期生でした。あなたは、お茶目で甘えん坊の、とても愛らしい女の子でしたね。いつも夜中にママのかけているタオルケットをかじっては、ママを困らせていましたね。

 あなたのママは、子育て真っ最中の時に失明し、それから10数年、1人で外出したことがなかったということで、ママにとって4週間の訓練はそれはそれはつらいものでしたが、あなたと一緒に、本当に一生懸命ガンバリました。

 協会を出た翌年、鹿児島にママとあなたを訪ね、初夏の日差しの中、ママとあなた、私とセレスの二組で、街を闊歩しましたね。あなたのママは、いきいきと外出を楽しんでいました。

 そして、私達は1年ぶりに、枕を並べて、アイメイトを持った喜びや失敗談を、夜遅くまで語り合いました。

 ママは、あなたを本当のむすめのように、かわいがっていましたね。あなたのつめもママが自分で切っていたし、シャンプーは、毎週してあげているとのことでした。

 私はときどき、鹿児島の暑い日差しの中を歩くあなたとママのことをなつかしく思い描いていました。

 ママから、あなたの訃報を聞いた時、涙が止まりませんでした。エスター、あなたともう1度会いたいと思っていたのに・・・。

 でも、あなたは、体が弱かったけど、一生懸命生きてきたのですものね。これからは空の上から、ママを見守ってあげてくださいね。


 エスターは、’99年5月3日、9歳と3ヶ月でいのちを閉じました。 心から冥福をお祈りします。
そして、Tさんが、早く悲しみを乗り越えて、元気になりますように!



※本編のUPが当方のPCトラブルにより大幅に遅れたことを深くお詫びいたします。(お手伝いのヒトより)


                              
再会 
                  
99/3/26


 先日、「ホームページみっけ!」と、1行だけ書かれた、差出人不明のメールが届き、どなたなのかしら、と、気にかけていました。

 それから2・3日して、前述のアドレスの方から、またメールが来ました。
そこには、ホームページの感想などの後、アマチュア無線のコールサインが名前とともに記されていました。

 実は、私は、インターネットの前にパソコン通信にはまっていたのですが、その前には、アマチュア無線の愛好家だったのです。

 5年半ほど前、スキーの時便利だからと友達に誘われて、無線局を開局し、スキー場での使用に止まった友達をよそに、私はあっという間にはまってしまい、二階のベランダからアンテナをたてて、関東一円に向けてCQCQ(みんなへの呼びかけ)の毎日となりました。

 やがて親しい仲間ができ、夜のおしゃべりタイムを楽しむようになり、ネットワークのオフ会のように、みなで忘年会やカラオケ、「移動運用」に出かけたりもしました。

 ところが、3年前パソコンを購入すると、またまたあっという間にパソ通に夢中になり、ハムの仲間とはしだいに遠ざかり、いつしか遠い思い出になってしまったのです。

 そのメールは、その当時の仲間の1人からのものでした。きっと、ネット・サーフィンをしていて私のポームページに出会い、その場でオンラインで最初のメールをくれたのでしょう。なつかしさで胸がいっぱいになりました。

 これからはアマチュア無線と別のメディアで、また友好を深めて行けたらと思います。 ホームページを開いていると、こんなすてきな事もあるんですね。


壁を超えて

                         
1999/3/3


 先日、ある公立小学校で、4年生にお話と点字の授業をしてきました。

 生徒さんたちは前もって幾つかのグループに別れて、「視覚障害者にとっての住み良い町」というようなテーマでいろいろ調べたそうで、その中から出た質問を事前に先生から伺っていました。
 最初の1時間は、その質問への答えを織り込みながら、仕事、日常生活、生い立ち、セレスのこと、歩行中の困難などをお話し、生徒さんたちは熱心に聞いてくれました。

 5分間の休憩時間には、みなセレスの周りに集まり、触らないように気を付けながら見ていました。セレスは大勢の子供達に見つめられて、ちょっと閉口しているようでした。

 2時間目は点字の学習です。最初にちょっと導入のお話をした後、まず、点字の法則性をみなで発見し、しおりに点字で書いた「いぬ」「うさぎ」の単語を読み、最後に自分の名前を書きました。

 一人一人が点字で書いた名前を私が読むと、生徒さんたちはみな大変うれしそうでした。

 そして、最後の「お礼の言葉」で男子の生徒さんが、訥々とでもはっきり、 「今までは、障害を持つ人が遠い感じがしていましたが、ぼくたちと同じなんだと思い、身近に感じました。これからは困っている時には声をかけたいです」というようなことを言ってくれた時には、思わずウルウルしてしまいました。

 点字の教材づくり、授業のサポート、筆記用具の貸借などでご協力くださった皆さんに感謝いたします。

電車の暖房は要注意!
                     
1999/3/2


 盲導犬が車内の通路に横たわるとじゃまになるので、私が座れた時は、セレスはその椅子の下に入れるようにしています。

「 電車の中で、使用者が座った椅子の下に横たわっていた盲導犬が、暖房で火傷して、それから電車に乗るのを異常に恐がるようになって、リタイアしたんだって。」
 以前、そう言う友達に、 
「それは酷い!!暖房が入ってる事を確かめなかった使用者がわるいよ!」と、思わず感情的になってしまった私でしたが・・・。

 先日の通勤の帰り、地下鉄で座れたので、暖房が入っていない事を確かめてから、セレスを椅子の下に入れました。
 そして、45分、私は熟睡してしまいました。

 下車駅のアナウンスでタイミング良く目を覚まし、セレスを呼ぶと、な、なんと、セレスは蒸かしたての肉まんのようにほかほかになって椅子の下から出てきたのです。
ハーネスの金属部分など、触れないほどの熱さです。
私はびっくりして、セレスの胴体を触ってみました。幸い火傷はしていないようでした。

 電車は地下鉄から私鉄に乗り入れ、地上を10分ほど走って私の下車駅につきます。地上に出るとドアが開く度に冷たい空気が入って来るので、暖房を入れるのでしょう。いつのまにか椅子の下がこんなに熱くなっていた事に、全く気付かない私だったのです。

 こんな事もあるのだ、いつもセレスの安全には十分注意しなければいけないのだと思い知らされた出来事でした。


中里の思い出
                         
1999/2/6

  先週末、越後中里でスキーを楽しんできました。

 中里には、私の青春の思い出が詰まっています。

 大学三年の冬、いつも飲んだりだべったりしている仲良しグループの中の視覚障害の友達が、一度スキーをやってみたい、と言ったのをきっかけに、スキーに行くことになりました。

 友達の部屋に集まり、あれこれ飲みながら打ち合わせて、その年は、水上(みなかみ)のホワイトバレーに行くことにしました。宿泊は、超豪華な日本旅館!なにも知識のない私達は、ちぐはぐなことばかりしていたのでした。

 総勢七人、うちスキー経験者は1人!そして、初心者六人中視覚障害者三人という、そうそうたるメンバーです。
 という訳で、その年は、板を付けて緩斜面を歩くところまでで終わってしまいました。
 翌年は、スキー経験者を誘い、いろいろ調べて、中里へ。もちろん泊まったのは民宿です。

 メインのゲレンデは込んでいるので、そのはずれのスノーウッドで、どんなサポートが滑りやすいか、手を繋いで滑ったり、縦に並んで滑ったりと、いろいろ試して、後ろからの声かけが滑りやすい、ということになりました。

 そして、いよいよリフトへ!それまで、スキーは別世界のことと思っていた私。腕に回数券を付けて初めてシングルリフトに乗った時、思わず感涙してしまったのでした。

 次の年は、夜ならすいているだろうと、ナイターでメインのゲレンデへ。ちょっぴりあこがれていた人と一緒に乗ったペアーリフト!冷たい空気が張りつめ、粉雪が舞い、BGMが静かな山々に響き、とてもロマンチックな雰囲気でした。

 中里に行くと、あの頃のことをなつかしく思い出し、胸がいっぱいになる私です。

ショッピング
1999/1/24


 この冬はあと3回スキーの予定があるので、先日スキー用具の買い足しに行ってきました。

 私は、行きつけのブティックや化粧品点、CDショップなどはセレスと2人だけで行きますが、何軒かの店を覗いていろいろ見て捜したいような時は、どなたかに一緒に行ってもらいます。

 今回は、ウォーキング・タンデム自転車の競技会などでサポートもしてくれる、Sさんが一緒に行ってくれました。

 スキー靴を修理したかったのですが、ラッシュの電車の中を持って行くのもしんどいので、宅急便で職場に送っておきました。

 アフター5に、車で職場に迎えにきてくれ、お茶の水近くのスポーツ用品店が集まっている所へ向かいます。 まず、靴の修理。これは、金具をぱちんとはめ込むだけでOKで、簡単に済み、ほっとしました。

 次は、スノー・ブーツです。私は好みもはっきりしているし、あれこれうるさいので大変です。
 「町中でも履けるのが良いな。」
 「あんまりごっつくないのが良いな。」
 「長靴型じゃなくて、紐のが良いんだけど」

 そんな事を言いながら何軒か覗いて(何足かのブーツに触ってみて)、希望の物に出合いました。
 「これは、色は焦げ茶・黒・ベージュがあるよ。ロゴはここにあって、ロゴの色は黒のは白、焦げ茶のはオレンジ、ベージュのは白だよ」
 その靴に触れながら、Sさんの説明を聞きます。そして、おとなしそうなベージュ色のを買いました。 

次はスキーバッグです。今持っているボストン型のは、運ぶ時にどうもうまく行かないので、縦型でスキー靴も立てて入れる形のがほしかったのです。

 これも何軒も捜して、やっと希望の形のがありました。 まず、どんな色のがあるか、教えてくれ、私が関心を持った物については、手を取って、配色を説明してくれます。 「これは全体が黒で、ロゴやファースナーや、ストラップの縁がローズピンク。ちょっとかたいけど、ピンクがきいてるね」

 私は、幼い頃に見えていたので、色を覚えています。触れながら説明を聞いていると、イメージが浮かんできます。 (うん、黒にローズピンクなら、すっきりしていてちょっと華やかで良いかも・・・。)

 もちろん意見が食い違う事もあります。
 例えば、
 「このグリン、きれいで良いと思うよ。この色、好きだな。」とSさん。
 「うぅーん、私、グリン系あまり好きじゃないのよね。紺のはないかしら?」と私。
 そんな時はいろいろ加味して、私が決断します。

 また、「赤」と言っても、いろいろな赤があるので、説明が大変です。 「これは、朱色の赤。こっちのは渋い落ち着いた赤」という具合です。

 そしてもちろん、使いかってや値段もしっかりチェックします。

 こうして、買い物は順調に進み、他に、小物を2・3点買い、軽い食事をして、最寄りの地下鉄駅まで送ってもらいました。

 セレスは、私があれこれ選んでいる間、商品の正札に関心を持って食べたそうにしていたので、
 「No!食べちゃ駄目よ!最後の0を消すなら良いけど・・・」
なぁんて何度か叱りました。

 荷物は、Sさんに車で持って行ってもらい、後で宅急便で私の家に送ってもらいました。

 Sさん、いろいろありがとう!充実した買い物ができて、大満足です。



 
セレスが迷子!?
 99/01/09



 スペイン旅行の途中、自宅の留守電をチェックすると、その中の1軒にS福祉事務所からの物がありました。

 12月28日のその電話は、
 「F交番で盲導犬を預かっているので、その件でお電話ください」という物です。

 えぇ??セレスが迷子!?
 私は一瞬狐につままれたような気分になりました。 でも、セレスは私と一緒に今スペインを旅しているのだから、別の盲導犬です。

 S福祉事務所管轄内の盲導犬使用者は、私の知る限り4人。それにしても、盲導犬だけが迷子になり保護されるなんて、ちょっと考えられません。

 でも、以前こんな事もありました。
 スペインの友人で、アメリカで訓練を受けてきたロレンソは、彼の盲導犬モリーにトイレをさせる時、草むらで「行ってこい」と、リードをはずしてさせていました。モリーはようを済ませると道草を食って、なかなかロレンソの元へ帰ってこず、ロレンソはいつもいらいらしながら、「戻ってこぉい」と読んでいたのでした。

 その後、日本でも、訓練所によってはノーリードでトイレをさせる所があり、盲導犬が迷子になってしまうことがあると聞き、驚いたものでした。

 帰国後、S福祉事務所とF交番に、その後の「盲導犬」の事を聞いてみました。

 どうやらそれが盲導犬かどうかははっきりしていないようです。ラブラドールだったので、盲導犬だろうと判断し、福祉事務所に交番から問い合わせがあったようなのです。

 そして、その犬は、持ち主が現れないまま、動物保護センターへ引き取られたそうです。今度はそちらで、飼い主を捜すことになるとの事でした。

 さて、年が明けてそろそろ10日になります。そのラブちゃんは、無事ご家族の元に帰れたでしょうか?ちょっと気がかりな私です。


     

 セレスのそっくりさん!?
'98/12/18


このあいだ勤め先の障害者福祉会館でイベントがあり、三日間で二千名を越す来場者がありました。 そんな中、一人の来場者に声をかけられました。
 「家にも盲導犬がいるんだよ。この犬、家のに顔がそっくりだなぁ・・・!!」
 だいたい盲導犬はラブラドルだから、似ていますが、その程度の似方ではなさそうです。
 「お名前は?」 「コレット」
 聞いたことがあるような・・・。
 「おいくつですか?」
 「8歳。もうすぐ9歳なんだ」
 セレスと同い年です。
 そう、お誕生日も一緒だし、同じCから始まる名前だし、どうやらセレスとコレットは、一緒に生まれた兄姉に間違いなさそうです。
(セレスのお母さん犬を預かっていた繁殖奉仕の方は、1度目のお産で生まれた子犬にはAの付く名前、次はBの付く名前、という風に子犬に名前を付けているらしいのです。)
 セレスには7匹の兄姉がいて、皆アイメイトになったと聞いています。日本のどこかで、セレスに顔も性格もよく似た兄姉達が、使用者の目となり、活躍しているのですね。
 みんな、元気で、長生きしてね!!


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