四国の秋を訪ねて

 ☆ ちょっと遅くなりましたが、この10月に出かけた、四国の旅行記を連載します。
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  初めに

 なんか、ゆったり旅がしたいな。
 ふとそう思い、体育の日の祝日と週休、それに、年休を1日取って、3泊4日で出かけることにしました。

 行き先は、あれこれ思いを巡らせ、まだ1度も足を踏み入れていない、四国に決めました。

 まず下調べ。点字図書館のレッファレンスを利用して、点字かテープになっている四国のガイドブックを捜してもらいましたが、全体を網羅している物は、9年前に録音されたガイドブックだけ。後は、高知とか道後温泉など、地域を限定したものばかりです。四国は、ここ数年、本州との間に幾つもの橋が架かり、様変わりしているので、古いガイドブックでは用をなさないでしょう。

 それで、旅慣れた人や、県・市町村の観光課、観光協会などに電話をかけまくり、情報を集め、小豆島・四万十川と、足摺岬に行くことにしました。

 次に、「全国視覚障害者誘導ボランティア連絡会(JBOS)」に加盟している、小豆島と高知のボランティアグループの方に電話やEMAILでガイドをお願いし、旅行代理店で、列車やホテルの手配をしてもらいました。

 いつものように、前日荷物を宅急便で最初の宿泊地に送り、これで、準備完了です。


    
1日目(10/9)


●夢見心地


 朝4時半、爽やかな秋の空気の中を、駅まで走り、私鉄からJRへ。ラッシュ時には2分くらいの間隔で走っている山手線だから、早朝でも5分に1本くらいは来るだろうと思ったのは大きな間違いで、なんと、20分近くも来ないのです。かなり余裕を持って新幹線に乗れると思っていた私は、ホームで時刻表を見てもらって真っ青になってしまいました。


 でも、念のためにと、JRの改札を入る時に、東京駅での新幹線への乗り換えの誘導をお願いしておいたので、助かりました。

 東京駅のホームに降りると、駅員が待ってくれていて、通路に溢れる人をかき分けて、早足で私を誘導してくれ、6時発ののぞみの席に着いても、まだ5分ほどの余裕がありました。

 もう既に着席している方達に立ってもらって、3人掛けの席の、窓側に座り、セレスのハーネスをはずすと、セレスは、「わかってる!」とでも言うように、くるっと、椅子の下に丸くなりました。

 岡山までは3時間半。列車を降りれば駅員が待ってくれているはずなので、安心です。
 同席したのは若いご夫婦と赤ちゃん。グループ旅行のようで、楽しそうに会話が弾んでいます。私は、コンビニで買ったサンドイッチと車内販売の紅茶で朝食を済ませると、前夜殆ど眠っていないので、椅子を倒して、四国の旅に思いを馳せつつ、夢の中に入って行きました。

「北九州のトンネルで崩落事故があったため、この電車は、新大阪止まりとなります。」
 私を心地良い眠りから目覚めさせたのは、名古屋を過ぎて間もなく、車内に流れたアナウンスでした。


●混沌の中で



 そんなアナウンスが入っても、車内は静かです。放送も1回だけで、その後しばらくは何事もなく、あの放送はなんだったのだろうと、不思議に思うくらいでした。

 けれど、京都を過ぎると、放送が繰り返し流れるようになりました。


 早朝に崩落事故があり、山陽新幹線は始発から止まっていて、いつ回復するかもわからないと言うことです。人身事故でなかったことだけが救いでした。

 携帯で、小豆島でガイドしてくださることになっている誘導ボランティアのAさんに電話しました。

 Aさんはもうニュースで状況を知っていて、冷静な声で応対してくれ、動揺していた私の気持ちは、しだいに落ち着いて行きました。

 「大阪港からも12時過ぎに小豆島への高速艇が出ていて、それだとそんなに遅くならないけど、新大阪からだと、交通が複雑だから、大阪の誘導ボランティアに連絡が着くと良いんだけどね」

 私はもう、半分大阪港へ行く気になっていました。

 隣のご夫婦は、元々新大阪で降りる予定だったのですが、私のことを心配してくれ、それをきっかけにいろいろお話をするようになりました。

「私達は、これからダウン症のセミナーに参加するんです。もう1人子供が別の席にいるんですが、その子がダウン症なんです」
 若くてはつらつとしたご夫婦でしたが、障害を持つ子供を、前向きに育てていることを知り、共感を覚えました。

 新大阪近くになると、ホームに列車がまだつかえているとかで、、徐行運転となり、しだいに、ことの重大さが身にしみてきます。


 やっと列車が駅に到着し、ホームに降りましたが、非常時ですから、もちろん駅員が待ってくれている訳はなく、私は、セレスのハーネスを握り、行くあてもなく歩き始めました。

 この列車が入ったホームは上りのホームらしく、聞こえて来る放送は、東京行きのアナウンスばかり。現状も山陽本線の状況もわかりません。とにかく状況を聴かなければと近くにいた人に、駅員を捜してもらい、やっと見付かった駅員は、
「間もなく岡山行きの臨時のひかりが出るはずです。確認しましょう」と、私を誘導して歩き始めました。どうやら、大阪港まで見知らぬ土地を単独で移動しなくて済みそうです


 列車の発車時刻は迫っていました。が、情報を知りたい人達が駅員のところに殺到します。

 そんな中に、ヒステリックに、情報不足への抗議をしている中年の女性がいます。今ここで駅員に苦情を怒鳴り散らしたところで、どうにもならないのですが、その女性は、言いたいことを、全部言わないと、気持ちが収まらないのでしょう、がんがん駅員に言いなぐります。その駅員は、いろいろ言い分もあったのでしょうけれど、
「はい、すいません」
「はい、申し訳ありません」を繰り返し、その女性は、言いたいことを言ってしまうと、去って行きました。

 駅員は私を下りのホームのその列車まで送ってくれ、満員のため、私とセレスは、デッキの角に立ちました。

 その臨時のひかりは、2・3の駅に止まり、1時間ほどで岡山に到着、今度はホームに駅員が待ってくれていて、改札へと向かいます。

 そして、特急券を払戻してもらうために、何度も列に並び、やっと改札をでました。

 よくニュースで、「この事故で、●●万人の足に影響がありました」と言いますが、そんな時、一人一人、いろいろな事情の中で、大変な影響を受けているのだということを、実感したのでした。


 駅を出ると、南国らしい熱い太陽が私を包み、その瞬間、事故による混沌とした時間のことは、遠い記憶に変わって行きました。



●小豆島観光


 バスは町中を細かく停車しながら新岡山港へ。高速艇のチケットを買い足し、いよいよ乗船です。

 私は、初めて四国へ行く時は、簡単に橋を列車で走り抜けるのではなく、船で渡りたい、と以前から思っていて、それも今回小豆島を選んだ理由の一つでした。

 船客は地元の人ばかり。会話に混じる方言にも旅情を感じ、胸が弾みます。

 Aさんとは何度か携帯で連絡を取り、時間の打ち合わせをしました。この時は、携帯があって良かったと痛感しました。

 そういえば、携帯を持つ気が全くなかった私が、購入する決心をしたのも、昨年の秋、長崎をセレスと旅行しようと思った時でした。

 高速艇は3・40分で、最初の予定より1時間ほど遅れて、小豆島に到着。下船するとすぐ、Aさんが声をかけてくれ、Aさんと、誘導ボランティアの見習いとおっしゃっていたCさんの案内で、Aさんの車で、まずはオリーブ園の近くの食堂へ向かいました


 友達から素麺が名物と聞いていたので、食べてみましたが、特別どうということはなく、その後に食べたソフトクリームが、なんの味だったかは忘れてしまったのですが、とてもおいしかったのを覚えています。

 そして、スペインのレティロ公園を思い出しながらオリーブ園を散策、土産店で、好評のオリーブオイルのハンド・クリームを買い、公園のすぐ近くから出ていた映画村への小さな船にちょっと心を残しつつ、車で映画村へ。

 途中、よくライブコンサートが開かれると言う、小高い丘を訪ねました。そこは、潮の香りと木の香りに包まれた芝生で、いつか、こんな所で、好きなアーティストのライブを聴いてみたいと思うようなすてきな場所でした。

 映画村は、「24の瞳」のロケ地を観光用に保存してある所で、当時の田舎の雰囲気、昔の学校などがしのばれました。砂利道を歩く足音が心地よく、ベンチで、波の音を聞きながらいただいた、小豆島原産のミカンのおいしさが心に残っています。

 太陽が燦々と輝き、どこからも海が見え、静かで、時間の流れが止まっているようなのどかさに、島の旅情を感じた一時でした。



●小豆島の夜


 ホテルの部屋は土庄港に面していて、遠く汽笛の音が旅情を誘います。

 ホテルに入るとすぐレストランで夕食。海の幸が豊富で、ビールでも飲みたい気分でしたが、1人ではちょっと気後れしてしまい、結局オーダーしませんでした。

 また、以前、石川さゆりの「波止場時雨」を聞いて、小豆島に憧れた私は、夜の街もちょっと歩いてみたいと思っていたのですが、やはり、セレスと一緒とはいえ、女性1人ではと、躊躇してしまいました。

 そのうえ、このホテルには温泉があると代理店で聞いていましたが、フロントでは特に説明はなかったし、早起きして疲れてもいたので、部屋のユニットバスだけにしてしまいました。

 こうして、1人旅の物足りなさをかみしめつつ、早々と床についた小豆島の夜でした。


(つづく)

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