|
スペインの旅、’98夏
はじめに
9年前、バルセロナの近くで行われたスペイン盲人協会主催の集まりに参加してすっかりスペインびいきになってしまった私は、友人宅を訪ねたりホームステイして語学学校へ通ったりしていたのですが、それでは物足りなくなり、95年夏から、休暇が取れると相棒のセレスとスペインの自由旅行を楽しむようになりました。
そしてこの夏も8月15日から31日まで、北部の海沿いの町から中部にかけて、14泊(プラス機内2泊)の旅をしてきました。
滞在地は、国境の町オンダリビア(2泊)、ピカソの市民戦争の絵で有名になったゲルニカ(2泊)、海辺のリゾートヒホン(2泊)、山間のリゾートカンガス・デ・オニス(3泊)、しっとり落ち着いた内陸の町サモーラ(2泊)、城壁に囲まれた町アビラ(2泊)、そして、パリ(1泊)です。
そこで、この旅で印象に残ったことを、ちょっとだけスケッチしてみたいと思います。
今回は落ち着いて
前日、セレスの餌やコート、私の衣類や点字のガイドブックを詰めたカート(車輪)付きのソフトケースを宅急便で成田空港へ。15日は土曜日だけど仕事。職場で4時頃セレスに少し早めの食事を与え(いつもは午後7時)、機内持ち込み用のリュック一つで空港へ向かいます。
セレスは、いつもは列車が空港に近づくと呼吸が荒くなり、チェックインの頃、きゅーんきゅーんと2・3度鼻を鳴らして旅への不安を訴えるのですが、今回は友人達が見送りにきてくれたので「一緒に行くのかな?」と安心していたらしく、実におとなしくしていたのでした。
メッセージ・カード、大成功
今回の最初の宿泊地はフランスに国境を接する町なので、パリからTGV(フランスの新幹線)で入る事にしました。でも私、フランス語は全く駄目。そこで思いついたのがメッセージ・カード。スチュワーデスに状況を説明し、空港の地上職員宛に「タクシーに乗せてください。料金を前払いしたいので確認してください」、タクシーの運転手さんに「モン・マルトルの駅まで行って、駅員さんを捜してください」、そして駅員さん宛に「7時発のTGVに乗せてください」と、3枚のフランス語のカードを作ってもらいました。
そして、これらを順に渡して、無事TGVに乗ったのでした。
車内でも周りの人にはスペイン語を解する人が無く、ちょっと苦労しましたが、やっとたどり着いた売店のお兄さんが、日本語で「40フラン」と言ったのには、拍子抜けしてしまいました。
国境の川を船で往復
国境の川沿いの道は、散歩道として整備されています。ゆったりと歩を進め、時々ベンチに腰掛けてフランス側の街並みを想像したりしているうちに、ふと、この川を渡ってフランス側に行ってみたいという衝動に駆られてしまいました。

ホテルのフロントで相談したら、15分おきに船が出ているとの事。翌日早速出かけたのでした。 さらさらという波音を聞いていると15分ほどでフランスのエンダイアに到着。料金は200ペセタ(約200円)。
川向こうが外国なんてこれまでは想像できませんでしたが、この川越しに、かつては国境警備隊がにらみ合い、あるいは戦っていた時代もあった事を思うと、EU統合の意味を改めて考えさせられました。
さて、まずは腹ごしらえ。レストランを探そうと道行く人に訊ねたのですが、ああ、やっぱりここはフランス、スペイン語の通じる人がいないのです。でも「レストラン」という言葉が何とか通じて、やっと食事にありつけたのでした。
その後お土産を買い、近くの浜辺を歩きました。波打ち際までの奥行きの深い砂浜にはオイルの匂いをぷんぷんさせた人たちが大勢肌を焼いています。
夕方スペインに戻り海岸に行ってみましたが、こちらの方はなんかひなびていて人もまばら。ちょっとがっかりしました。
セレスのストライキ!?
今回の旅で、セレスがどうしても先へ進みたがらずほとほと困ってしまった事が2度ありました。
1度目は例の川沿いの散歩道。1日目は、2キロほど先の終点近くにあるレストランまで気持ちよく歩き、テラスで川風に吹かれながら夕食を取ったのですが、次の日の午後もう一度行ってみると、1キロほど歩いた所で、宥めても叱っても前へ進まなくなってしまったのです。どこか怪我でもしたのか、体調でも悪いのかと、私はしゃがんで、セレスの体中を触って見ましたが、特に異常はなさそうです。でも、どうしても歩こうとしないので、しかたなくそこから引き返しました。
2度目はヒホンで、海沿いの散歩道を歩いた時です。やはり1日目は3キロ近くある整備された道を波音を聴きながら歩いたのに、次の日は途中で歩こうとしないのです。近くにいた人達も心配して、タクシー乗り場まで送ってくれました。
これまでにそんな事は1度も無かったので、私はちょっと自信をなくしてしまいました。でも、なんの理由も無く歩きたがらない事はあり得ないと、その時の事をゆっくりと思い出してみました。
そしてまず海辺の散歩道の方から解決しました。散歩道を手すり沿いに歩いていると、大きな波のしぶきが、私の頭くらいまで上がってきたのです。私はびっくりして悲鳴を上げてしまいましたが、その時はセレスは歩き続けました。ところが2度目にその地点に近づいた時、セレスは危険と判断し、それ以上進まないことにしたようなのです。
では、川沿いの散歩道は・・・?これも思い当たる事がありました。その道の先には飛行場があり、2度目の散歩の時、2度飛行機が離陸し、川に沿って私達の横を飛び去って行ったのでした。その爆音はすさまじい物でした。セレスには間近を飛んで行く飛行機は、巨大な怪獣が空を飛び、私達に襲いかかって来るように思えたかもしれません。これ以上先へ進むと危険だと思うのも無理はありません。
賢明に危険を回避しようとしている我が相棒に、改めて感動を覚えたのでした。
旅行案内所に触地図!?
スペインの中都市に宿泊する時は、できるだけ、スペイン盲人協会(ONCE)を訪ねることにしています。そこでは、生活や歩行の指導員、コンピューターの指導員、心理相談員、ソーシャル・ワーカーなどが、圏内の視覚障害者のニーズに応えています。
私の目的は、歩行指導員が持っている、机一つくらいの大きさの市内の触地図を触らせてもらい、その町の地理を説明してもらうことです。でも、これまで、指導員が出張指導に出ていたり、バカンス休暇を取っていたりで、多くの場合、目的は達成されませんでした。
この夏も、ヒホンで、ONCEを訪ねようと、電話局で番号を訊いて、電話してみました。でもやはり、指導員は不在でした。
ところが、要件を訊いた係の人が、
「旅行案内所に、触地図があると思うから、行ってみてください。」と言うのです。
私は、半信半疑でしたが、時間があったので行ってみることにしました。
ヒホンの町は、海側はリゾートですが、内陸に入ると、非常に近代的な町でした。きれいに整備された並木道の先に、小さな旅行案内書がありました。
「こちらに触ってわかる地図があると聞いたのですが・・・。」
窓口の人は、
「ここにはないですよ」と、最初不思議そうに応えましたが、ふと何か思い当たったようで、
「はい、あります。どうぞ、お入りください。」と、私を、3畳間くらいの部屋の中へ招き入れてくれ、1冊の、バインダー閉じの厚い本を机の上におきました。
最初のページを開くと、そこには確かに、塩化ビニール紙の上に浮き出た地図がありました。それは、ヒホンの海側の地図です。感激の声を上げながら、地図に触れていると、
「アストゥリアス地方の地図もありますよ。」
係の女性が、もう1枚、地図を見せてくれました。それで、これから行くカンガス・デ・オニスやコバドンガの位置がわかりました。
そして、本のページをめくると、ヒホンの文化やスポーツ施設などの、観光情報が、点字で書かれています。私は、しばし読みふけってしまいました。
そして、帰ろうとすると、
「この地図は、お持ちいただいて結構ですよ」と、2枚の地図を、袋に入れてくれたのでした。
一般の旅行案内所に、触地図や点字の史料があり、目の不自由な人もそこへ行けば情報を手に入れることができる、なんて素晴らしいことでしょう!!
スペインでは、旅行案内所は、かなり小さな村にもあります。他でも、是非ヒホンのまねをしてほしいとおもいながら、爽やかな気分で、並木道を帰りました。
サンセット・クルーズ
海沿いの散歩道を歩いていると、モーターボートが波に乗り軽やかに走って行きます。これに乗ってみたい!なんでもやってみないと気の済まない私。部屋でゆっくりシエスタ(昼寝)を取った後、サンセット・クルーズに出かけました。
ボート乗り場でタクシーを降りると、女性の運転手さんが足場の悪い所を上手に案内して桟橋へ連れていってくれます。暫く待たされるのかと思ったらすぐ乗船。女性の乗務員が、なんのためらいも無く私とセレスを船に乗せ、「どうしても危険な状況になったら、助けに来るからね」と言い残して、運転席へ行きました。ボートは15・6人乗りでしょうか。私は1人で1番前の席です。家族連れが多く、私の後ろには子供が3人列んでいました。
セレスは私の足元に横たわります。
以前河口湖でモーターボートの経験のあるセレスですが、海は初めて。私はちょっとだけ心配でした。
ボートは静かに桟橋を離れます。もう夕日は殆ど落ちてしまったようですが、日差しのなごりの暖かさをかすかに頬に感じます。爽やかな海風、ロマンティックな雰囲気です。
でも、しだいに波が荒くなり、ボートは上下に揺れ始めました。座席の縁を両手でしっかり握っていないと、振り落とされてしまいそうです。そのうちに横揺れも加わり、小さなボートは木の葉のように揺れています。後ろの席の子供達が波乗りに会わせて、愉快そうに声を上げ始めたので、私もそれに合わせて、「わおーっ、ひゃあーっ、」と叫びました。
セレスは、びくともせず、横たわったままです。
そして、40分ほどでクルーズは終わりました。
ボートを下りると、後ろから降りてきた乗客達が口々に、「素晴らしい犬だね」「おとなしいもんだね」と、セレスに感堪の声を上げています。私はちょっぴり誇らしい気分でした。
湖で牛と戯れて
カンガス・デ・オニスからバスで30分ほど登ったコバドンガという町は、歴史的にはレコンキスタ運動の発祥の地であり、コバドンガ国定公園の入り口でもあります。
この国定公園には、美しい湖があるとガイドブックにあったので、以前から是非行ってみたいと思っていました。
カンガス・デ・オニスからまずバスで海抜1200メートルのコバドンガへ。そこからのバスは非常に本数が少ないため、タクシーで行くことにしましたが、観光タクシーは往復が原則。湖で暫く遊びたい私も、往復分の料金5千ペセタを払わなければならないと覚悟を決めていました。
バスを降りて近くにいた人にタクシー乗り場の場所を訊ねると、その人は人なつこそうなセニョールで、「ここでいいんだよ。こちらの姉妹と相乗りで1200ペセタでいいよ」と言うのです。暫く待ってタクシーに乗り込みます。セレスと私は助手席です。そこで、さっきのセニョールが、このタクシーの運転手だったということがわかりました。そしてこのタクシーはワゴン車で、結局8人ほどの相乗りとなりました。だから料金も割安だったのです。
運転手はときどきこの周囲の様子を説明してくれますが、内容は牧畜やおいしいハムやチーズの話など。50%くらいしか理解できません。そこで私は自分に語意が理解できそうな事をちょっとだけ質問してみました。
ヘアピンカーブの道を40分ほど登ると、美しい湖を見おろす地点に到着。みな車を降ります。
私が、「湖の近くのレストランへ行きたいのだけど・・・。」というと、運転手は快く車でレストランまで送ってくれ、座席に案内しながら、4時半のバスで帰るという私に「帰りのバスはさっきみんなが降りた所だからね。」と言って戻って行きました。
レストラン、といっても、テラスに木製の長椅子とテーブルが何列か列ぶだけ、メニューも簡単な物でした。でも、ウェーターは私をレイナ(王女)なんて呼びながら、親切にサービスしてくれ、相席の人たちと話が弾み楽しい一時でした。
食事が終わった頃、11・2歳の少年が話しかけてきました。「さっきタクシーの運転手に、君をバス停まで送るように頼まれたんだ。」帰りの事まで心配してくれていたあの運転手さんに、感激して胸がいっぱいになりました。
「ありがとう、でも私、もう少し湖の近くで遊んでいきたいから・・・」と答えて、店を出て歩き出すと、近くにいたセニョールが、「湖の方に行きたいなら一緒に行こう」と私の腕を取り、歩き出しました。 広い芝生にカウベルの柔らかい音が聞こえてきます。はしゃいでいる私を牛の近くに連れていって、牛に触れさせてくれます。でも、セレスが興味津々で牛に近づくので、牛がちょっと興奮してしまい、なかなか触れません。芝生を降りて行くと、足にごろごろと石が触れるようになり、水際に着きました。セニョールが私の手を取り、水に触れさせてくれます。さっきからついてきていた少年が大きな石を湖に向かって投げると、じゃぼーんと音がして、水の深さがわかります。
それからまた牛と戯れながら、バス停に向かいました。週末をこの湖の近くで過ごしているというセニョールと、さっき食事をしたレストランのオーナーの息子だと言う少年は、私がバスに乗るまで、一緒にいてくれたのでした。
偶然の出会い・再会
こんな風に旅をしていると、思いがけない出会いや再会があるものです。
まず、カンガス・デ・オニスのホテルのフロントの女性は、2年前やはりセレスとの自由旅行で宿泊した、北部の山間のリゾートフェンテ・デのホテルで、働いていたとの事でした。
また、サモーラのホテルでは、前の日まで、同じくカンガス・デ・オニスのホテルに泊まっていたという家族連れに声をかけられました。
そして、コバドンガからの帰り、カンガス・デ・オニスでレストランを探していたとき、リーズナブルで雰囲気の良いレストランを紹介してくれたセニョールがいました。一旦家に戻った後、私の帰りを心配してレストランに戻ってきてくれた彼と、このアストゥリアス地方の事、スペインの生活の事など話が弾みます。そして、私が何度もお会いしよく知っているスペイン盲人協会の役員が、この町の出身で、このセニョールの幼友達だったという事がわかった時には、世界の狭さを身を持って感じたのでした。(ちなみにスペイン語では、世界はハンカチのようだ」という言い方をします。)
セレスの活躍ぶり
スーツケースをタクシーからおろしホテルに入ると、セレスは「今日はこのホテルに泊まるのね」と尻尾をゆっくり振り始めます。チェックインの手続が済みボーイさんの案内で部屋の前に立つともう尻尾はちぎれそうです。
部屋に入りハーネスを取ると、2・3度私に飛びついた後、デン繰り返しを何度かして、喜びを体中で表します。それから、私はボーイさんに部屋を案内してもらいながら説明を受けます。特に、電気のスイッチ、エアコンの操作方法、ごみ箱の位置、冷蔵庫の中の飲料水の並び方、バスルームに備えられたシャンプーやボディーソープの並び方などはしっかり確認します。セレスも私達の後について、部屋の隅々までチェックしているようです。
私がバスルームに行くとついて来て、よく、バスタブの前に拡げた足ふきの上に丸まっています。
部屋を出る時は、ドアの取っ手に髪の毛を束ねるゴムを絡めて置き、戻った時にそれで確認します。部屋を出てからフロントまではセレスが殆ど道を覚えているので安心です。ホテルに帰ってエレベーターを降り「ハウスドア」と声をかければ、「後は任せて!!」というように、セレスは誇らしげにドアまで歩きます。
ところで、スペインには、中世にできた「旧市街」が、どこの街でもよく保存されています。どこも石畳の細い入り組んだ道ですが、その雰囲気や匂い、道の幅や足に感じる石畳の感触など、それぞれ微妙に異なっています。私は、モニュメントを見るより、このような街をゆっくり歩くのが好きです。 ボランティアの皆さんに点訳していただいたガイドブックや触地図で、だいたい様子を頭に入れて置きますが、よく道に迷います。道を尋ねると街の人たちはとても親切に教えてくれます。そしてセレスは見知らぬ街を、私の安全に注意しながら一生懸命歩きます。こんな時、セレスあっての自由旅行なのだと、痛感します。
また、バスや電車を待っている時、「この犬はスーツケースから目を離さないね」と、よく人に言われます。タクシーに乗り、スーツケースをトランクに入れる時も、セレスは荷物の動きをじっと目で追っているそうです。なかなか頼りになる相棒です。
友達とドライブ!!
サモーラのホテルをチェックアウトしようと料金をカードで支払っていると「こんにちは」と日本人男性の声。セレスがスローモーションでその声の主に飛びつきました。(「NO!」)そう、この日、パソコン通信で知り合ったスペイン在住の友達とその彼女が、車で私達に会いに来てくれたのでした。 彼が運転し彼女が助手席、私が後部座席に座りセレスがその足元に横たわり、さあ、出発です。 彼女は、初対面にも関わらず、さりげなく、でも要所要所で車窓の景色を説明してくれます。セレスとの旅で唯一足りない物を補ってもらい、私は大満足です。
私達が話しに夢中になっていると、セレスがはっはっと荒い息をして、気を引こうとするので、みな思わず大爆笑です。
まずは、彼等の住む町へ。ここの町は中都市なので、スペイン盲人協会のオフィスがあります。そこで音声腕時計を購入。そして近くのレストランで昼食です。大きな煉瓦の釜で焼いた、この町の名物料理、子羊の肉のおいしかったこと!!それからバル(立ちのみ喫茶店兼食堂)に入ると、去年訪れたときに知り合ったおじいちゃんが声をかけてくれました。
その後次の宿泊地アビラへ。部屋に荷物を置いてカフェテリアで休憩。セレスとの二人旅に、彼等は華を添えてくれたのでした。
城壁に登った!!

(アビラの聖テレジアと城壁)
(写真提供:まんじゅう)
アビラは城壁に囲まれた落ち着いた街です。到着した次の日は、町中を散歩したり、街を一巡りする観光用の乗り物に乗ったりして、あっという間に1日が過ぎてしまいました。でも、心残りが一つ、それは、城壁に登ること!!
スペイン最後の日、時間が急いていましたが、トライすることにしました。
ホテルをチェックアウトし、荷物を預かってもらい、城壁に登れるという広場まで道を聞きながら歩きます。ここだな、と思うと、「今はここからは登れないんだよ。向こうの広場へ行ってごらん」という具合で、なかなかみつかりません。
やっとたどり着いた広場で登り口を訊ねたら、かなりの年輩らしいセニョーラが、最初は、登るのは大変だからやめた方がいいと言っていましたが、どうしても登りたいという私の言葉に、「じゃぁ私が一緒に登りましょう」と、狭い階段を先に立って登り始めました。城壁は10メートルほどの高さがあり、急な階段を上るのは年輩のセニョーラには大変そうで、苦しそうに息を切らして登って行きます。私とセレスは、後に続きました。
そして、遂に城壁の上に出ました!!
セニョーラは、上からの景色を「絵のような景色ですよ」と、手を取って説明してくれます。そして、写真も撮ってもらいました。
それから、タクシーを拾ってもらい、スペイン風の別れの挨拶をした時、このセニョーラの優しさに胸がいっぱいになりました。
そしてホテルへ直行。荷物を乗せて、駅へ向かいます。電車に無事に乗れた時には、ほっとしました。
レスリーとの再開
「やっとパリに来てくれる気になって、私うれしいわ」シャルル・ドゴール空港に迎えに来てくれたレスリーの最初の言葉でした。
レスリーとは、私が初めてセレスとの自由旅行を試みた時、この空港からのバスの中で出会ったのでした。大胆にも、私はその時もパリから列車でスペインに入る計画を立てたのです。しかも、メッセージ・カードの準備などなにもなしに・・・。レスリーがセレスの頭をなでたので、「今仕事中なので触らないでください!」と言ったのが、出会いのきっかけでした。そしてフランス語とスペイン語の話せるレスリーは、私を駅まで案内し、駅員に、TGVに乗せてくれるように頼んでくれたのでした。 その後私達は年に数回の電話と手紙のやりとりをしていました。彼女は何度も私をパリに誘ってくれましたが、私は、日数の少ない旅だし、まだまだスペインを充分知らないのでパリ行きを断ってきたのでした。
レスリーが彼と住んでいるアパートは、階段の窓にステンドグラスがはまり、室内の壁や柱に彫刻が施された、旧くて重厚なアパートです。
そして、「オラ」という小さな犬が、セレスの友達になりました。
旧い広場のテラスでお茶を飲んだり、メルカード(マーケット)で買い物をしたり、あこがれのシャンゼリゼ通りを歩いたり、セーヌ川の船下りをしたりと、盛りだくさんで、大変充実した1日となりました。
道行く人がセレスをなでようとすると、「今は仕事中なので触らないでください!」と、レスリーが注意していたのが印象的でした。
スペイン盲導犬事情
最後にスペインの盲導犬事情をちょっとだけお話しします。
盲導犬の実働数がどのくらいなのかは見当がつきませんが、小さな街でもいるようです。
訓練所は4・5年前に、スペイン盲人協会がマドリッドに設立しましたが、需要に追いつかず、盲人協会の援助で、アメリカ東部の訓練所に行く人も多いようです。
マドリッドの訓練所の場合、命令語はスペイン語ですが、内容的にはアイメイト協会のコマンドと殆ど変わらないようです。
犬種は、やはりラブラドールが殆どですが、友達に、シェパードの盲導犬を持っている人がいます。
公共の乗り物はみな乗れることになっていますが、末端まで理解されておらず、私は市内や長距離のバスで何度かトラぶって、お陰でたくましくなりました。
ホテルやレストランは、州により、盲導犬の権利が認められている所とそうでない所があり、ホテルでは拒まれたことはありませんが、レストランは州による違いが顕著です。
街の人々は、犬の文化の違いによるのでしょう、「かわいいね」と盲導犬をペット化して見ることは無く、仕事をする犬として認めているようです。
|