随筆


サラマンカの思い出 (1993年夏)



 4年前バルセロナで行われたスペイン盲人協会主催の集まりに参加した時、私はすっかりこの国に魅せられてしまい、この夏、思い切って、4週間マドリッド西部の小都市サラマンカで学生生活を送ることにした。

 それに先立ち、スペインの私立語学校7校に、こちらの事情、全盲で盲導犬を使用している事、スペイン語を3年ほど勉強している事などを書き添えて学校案内を請求したところ、6校から送られてきた。これは、以前日本で英語学校を訪ね歩いた時、殆どの学校が私のグループ・レッスン受講に難色を示したのとは大きな違いだった。

 そしてサラマンカでの生活は大変快適だった。

 学校から紹介されたホスト・ファミリーは、視覚障害者も盲導犬も受け入れるのは初めてだったが、私達をよく理解し、家族の一員のように接し、必要な事だけ手助けしてくれた。 授業では、点字のテキストは無かったが、先生は必要に応じて読んだり、声に出しながら板書してくださったし、クラス・メイトも助けてくれたので、皆と楽しく勉強することができた。又、週末の学校主催の遠足では、友たちと湖のほとりで1日を過ごした。 そして、街を歩いていると、道行く人々が誰ともなく見守っていて、困って立ち止まると、気楽に声をかけ、手をかしてくれた。

 道には点字ブロックも無いしバスには車内アナウンスも無い等々、視覚障害者向け設備という点では充実しているとは言えないこの国で、明るくのびのびと生活することができたのは、外国人も障害者もしなやかに受け入れてくれる人々の心の広さに寄るところが大きかったと思う。

 教会の鐘の音で目覚めた朝、盲導犬セレスと歩いた石畳の道、バルでの土地の人達との語らい、そして広場に夜遅くまで響いていた学生達の歌声・・・。私はこのサラマンカでの4週間を決して忘れないだろう。                     

 

1993年秋、記


スペイン盲導犬との旅

(1995年夏)



「今、国境の川を渡っているところよ。もうスペインに入ったわ。」
 隣のコンパートメントから移ってきたセニョーラがそう教えてくれた時、国境を列車で越えるのが初めての私は感動で胸がいっぱいになった。

 6年前バルセロナで開かれたスペイン盲人協会主催の集まりに参加してこの国にすっかり魅了され、スペイン語を勉強し、何度か滞在型の旅行をしたが、今回は、フランスから列車でスペインに入り北部の海沿いの町や村を中世の巡礼地サンティアゴ目指して旅することにしたのだ。相棒は盲導犬のセレスである。

 電話で直接ホテルに予約をし、セレスの2週間分の餌と点字のガイド・ブックをリュックにつめた。しかし準備が進むにつれ不安もつのっていった。パリでの列車への乗り換えは大丈夫か、スペイン入国時の検疫はどうするのか、各地のホテルは盲導犬を拒否しないだろうか等々、考え出すと心配はつきない。

 そして某日、私とセレスはパリ行き夜行便の人となった。

 パリでは空港からのバスで隣合わせたスペイン語のわかるパリジェンヌのレスリーが駅の待合い室までつれていってくれ、駅員に指定の列車に乗せてくれるよう頼んでくれた。スペイン入国時の手続きは何もいらなかった。最初のホテルは私たちを快く受け入れてくれたばかりか、エレベーターには点字表示と音声ガイドも付いていた。それに、いつもセレスが私に寄り添い、見知らぬ街で懸命に導いてくれた。こうして不安は日を追うごとに明日への期待に変わっていった。

 美しい海岸を見おろす散歩道の波音が聞こえるテラスで休憩したサン・セバスティアン。中世にタイム・スリップしたような石造りの家々が続く石畳の町サンティジャーナ。ふとバスを降り、炎天下セレスと海岸までクタクタになって歩いたサン・ビセンテ。朝教会の鐘の音で目覚めたオビエド。ヘスース老人が隣町の砂浜へ案内し自家製のサンドイッチをご馳走してくれた、小さな漁村ビベイロ。3年ぶりで友達と再会した軍港の街エル・フェロール。バスを待つ私たちを心配し、何度も店から出てきて声をかけてくれた、カフェテリアの青年が心に残る坂の街ベタンソス。小さな居酒屋でつまんだ海の幸とワインがおいしかった、どこにいても鴎の声が聞こえる半島の街ラ・コルーニャ。そして観光ガイドのセニョリータが知り合いの土産店に案内し、様々なミニチュアに触らせながらこの地方の文化を説明してくれた、中世の巡礼の地サンティアゴ。

 スペインへの思いを暖かく受けとめてくれた人々に包まれたこの旅は、私に「フラメンコ」や「情熱」という言葉で表現されるスペインとは違った、素朴で落ちついた北部の魅力を教えてくれたばかりでなく、大きな自信と語り尽くせない思い出を残してくれたのであった。

1995年秋 記

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