| 4章 韓国とその歴史(李王朝までーその1) 韓国には世界遺産が5ケ所(石窟庵と仏国寺、八萬大蔵経のある伽耶山海印寺、 水原(スゥウォン)城、昌徳宮、宗廟 )が有りますが、このうちあとの3ケ所はいずれ も李王朝時代に造られ、かつソウルがその首都であったことからソウル旅行には 李王朝の歴史を事前に理解しておく必要がありますので引き続き触れておきます。 金春秋によって朝鮮半島に漸く新羅による統一国家ができたのに、彼の死後王位 継承を巡る争いが激しくなり、地方豪族が「後百済」、「後高句麗」を名乗り統一新羅 に圧力をかけ、後三国時代がが始まりました。 後高句麗を倒して武将の王建により建国された高麗は更に他の2国を併合して936 年に統一を達成し、文官優位、仏教重視の政策により安定期を迎えたものの、武人 政権の復活や蒙古(モンゴル)の侵入により国力は低下し、ついに高麗政府は太子 をモンゴルに人質に差し出して降伏し、日本侵攻のために高麗人を提供したのです。 この間、正規軍であった三別抄は反乱を起こしてモンゴルに徹底抗戦を試みました。 高麗政府がモンゴルの先導役をやらされていたのに対して三別抄は日本に警告を 発して対モンゴルの共闘を呼びかけたのです。 モンゴルは三別抄の鎮圧に戦力をとられ、結果として1273年まで日本出撃が遅れる ことになり、日本側もその間準備する時間的余裕が出来た上、その出撃時が台風 シ−ズンにズレ込んで「神風」が吹いて日本側の大勝に終わったのですから、日本 にとっては、この高麗人の三別抄は恩人と言うべきでしょう。 |
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