−日記帳(N0.382)2002年11月09日−
焼津に帰省して同級会出席

エジプト旅行帰りの疲れが取れないまま、同級会出席、母校のサッカー試合応援、旧友との会食のために故郷の焼津に帰省することになりました。今日は焼津市内の料亭で午後12時からの宴会でしたので、家を9時に出て武豊線経由大府から東海道線に乗り継いで豊橋、浜松で乗り換え、11時半に焼津駅に降り立ちました。

このコースは、先回の帰省の折りに始めて実行した経済コースで、新幹線利用と較べて時間が約1時間増えますが、料金は逆に7,260円から2,940円と半額以下になることから帰省のお決まりコースになってしまいました。また、このコースのいいところはローカル線の車中で乗り降りしていくその地方の人達の会話を生で聞けることです。

この武豊線は知多半島の東側の大府を起点に隣町の武豊までの19.3kmを結ぶ単線ですが、実は東海道線に次ぐ日本で2番目に古い鉄道であることは案外知られておりません。

明治時代に東京から関西を結ぶ鉄道が計画された際、海岸沿いの東海道ルートは外国に海から攻撃を受けた時に危険と考えて山の中を走る、いわゆる中山道ルートが立案されました。そこで海路から鉄道用建設資材を運搬する目的で武豊港から名古屋までの路線が建設されましたがトンネル等が多く工事が困難と判り、東海道ルートに変更になってしまったのです。

そして東海道本線が開通し大府−名古屋間は東海道本線として使用され工事用路線だった大府−武豊間は支線として存続することになりましたが、元々鉄道建設資材の運搬が目的で流通、乗降客での採算は採れない上、並行して名鉄線が通っているため日本有数の赤字路線となって再三廃線が論議されたにもかかわらず、東海地方で最も古い路線である等の理由で今日まで何とか持ちこたえている有様ですが、武豊町に隣接する常滑市沖に中部国際空港が2005年に開港されることから再び息を吹き返し脚光を浴びるかもしれません。

現存するJRの駅舎としては、我が街、半田市内にある武豊線・亀崎駅の駅舎が最も古く、1886(明治19)年の建築とのことですから115年以上そのまま使われていることになり凄いことだと思います。半田市が明治時代の5大ビール会社の旧カブトビール・半田工場跡地に有った赤煉瓦の建物を明治を偲ぶ史跡として巨費を投じて購入しておりますが、その建物は1898(明治31)年の建設ですから亀崎駅の駅舎はそれより12年も古いのでこれを指定すればそんな無駄金を使わなくてもよかったはずです。また、JRとともに全国に紹介して観光客を誘致できると思います。

そんなことを考えながら、亀崎駅の駅舎を車窓に眺めながら半田を後にしました。
−日記帳(N0.383)2002年11月10日−
清水で母校のサッカー応援

昨晩は、母校の中学の近くの料亭で20人近い同級生たちが集まって同級会が開かれ、中には卒業以来始めて顔を合わす同級生もおり懐古談に話の輪が広がり時間の経つのを忘れるほどでした。午後3時におひらきとなりましたが、それから2次会、3次会と市内を飲み歩き、歌い歩き、実家に辿り着いたのは9時過ぎでした。

今日は清水市内にある、清水エスパルスの本拠地、日本平運動公園球技場で、高校サッカー選手権試合準決勝の藤枝東高対清水商業戦が行われますので同球技場に出向きました。昨年も同時期にこの球技場に観戦に来たことが有りますが、バス停から延々坂を登っていくため息切れしてしまった苦い経験に懲りて今回は清水駅からタクシーで行くことにしました。

藤枝東高は、FWに山本(県指定)、森下、MFに田中、成岡(U−19県選抜)、赤星(U−16県指定)、河井(県選抜)、 岡田(県選抜)、DFに大井(U−19県選抜)、佐塚、長原(U-16 県指定)、GKに清野(県選抜)の2:5:3の布陣でイレブンのうち、ユース代表4人、県指定、選抜が4人と言う絢爛豪華なメンバーで午後1時5分キックオフしました。

前半は、藤枝東の動きが悪くパスが繋がらず、清水商がボールを支配し再三シュートされたものの何とか凌ぎ切りましたが、後半早々、清水商・井上平君のシュートで1点先制されてしまいました。 ところがそれから直ぐに藤枝東・森下君が同点のゴールをすると、藤枝東の動きがよくなりボールを支配するようになりました。

結局、両校その後無得点のまま延長戦になりましたが、それでも決着がつかずPK戦になりました。結局GK清野君のファインセーブで3:1で勝ち、の11月16日(土)にWカップが行われたエコバで静岡学園と決勝戦を行うことになりました。勿論、また観戦に行くつもりです。
(写真は成岡君)


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