| −日記帳(N0.443)2003年 2月06日− | −日記帳(N0.444)2003年 2月07日− |
| chasukeクンの病状 | chasukeクンさようなら |
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| 通院前1/30(木)のchasukeクン | 通院後2/3(月)のchasukeクン |
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| 死後10分後のchasukeクン | 別れを惜しむサリーちゃん |
chasukeクンの体重が今年になって急激に減りだしたことは、1月18日の日記にも書きましたが、体重減だけでなく食べ物の嗜好や排便習慣も急変してきましたので病的要因によるものと判断し、近所の行きつけのペット病院に連れていきました。そしてその診断結果はショッキングな内容でした。 病名は腎不全でした。いずれ尿毒症になり死に至る病気で、不全、つまり損傷した腎臓は元に戻ることはなく、猫の場合は3/4以上が不全になると症状が顕在化するのでその時点ではもう抜本的な治療法は無いとのことでした。 chasukeクンの血液と尿の検査結果は最悪の状態で、特に尿中に栄養分だけでなく、血液まで混じっており、よくもそのような状態でこうして生きていられるものだと獣医さんは驚いていました。従って入院しても有効な治療が出来る保証は出来ないので、このままにしておくか延命策として通院治療をするかのいずれを選択するように獣医さんから言われました。 ショックを受けて頭が真っ白の状態でしたのでどうしていいか判らず迷っていると、その獣医さんは「血液を採るために前足にせっかく確保した点滴口を外してしまうと多分二度と確保できなくなるがそれでもいいのか」と脅迫まがいの言い方をしてきたのです。 妻はもう助からないのに痛い思いをさせてまでも延命処置をするのはむしろ可哀想だ言って、注射孔を外してもらってこのまま帰ることを主張したのですが、私は藁にもすがる思いで通院することに決め、その旨獣医さんにお願いしたのです。しかし、これが間違いであることが数日後に判ったのです。 この日に行った治療?は次のようなものでした。 点滴口から水500mlを10分かけて点滴したのですが、chasukeクンは痛いのか暴れるので3人がかりで押さえつけて点滴を続けました。その姿を見るのに忍びず点滴台の点滴容器の水位が下がっていく様子ばかり見つめていました。これが終わると点滴口から栄養液を太い注射器で注入し、更に2本の細い注射器を肩口に刺しました。 次に、腎臓が殆ど働かないために発生する有毒のアンモニアを大腸を通過する時に吸着する目的で活性炭含む薬を包んだカプセルをピストルのような道具でchasukeクンの喉に打ち込み、打ち込むと強引に口を塞いで飲み込ませるのです。これを8発も打ち込んだのです。打ち込まれる度にchasukeクンは驚いて飛び上がるのです。 こうした治療を3回毎日行ったところ、chasukeクンは良くなるどころか逆に急激に運動量、食欲、排便量が減ってしまいました。特に点滴口に刺しっぱなしなっている針で傷つかないようにガムテープで固定されているため思うように歩けず見るからにせつなそうに見えるのです。 上の左側写真は病院に行く前日に撮影したのですが、この1mぐらいの高さの書棚に軽く自力で飛び上がれたのですが翌日、治療後はガムテープ固定の影響も有ったのでしょうが二度と飛び上がることは出来ず、治療3日後は、上の右側の写真のように見るからにやつれ、ヨタヨタ歩きになってしまいました。治療で悪化したと言うより治療の効果が全く認められず、痛い思いをさせるだけのように思えてきたのです。 治療4日後に治療に連れて行こうとしてケースに入れようとしたところ、恐怖で凄い抵抗を示してケースに入ってくれません。そこでこのままでは3、4日で死亡してしまうような気さえしましたので、ここで治療を打ち切ってchasukeクンを少しでも楽にしてもらうことに決め、獣医さんに点滴口を元に戻すよう依頼しました。 獣医さんは、一言「そうですか」と言っただけでその理由は問いませんでした。ペットや飼い主への思いやりに欠けるように思われるこの獣医さんに怒りを覚えながらも、一応お礼を言って二度と来ることのないこの病院を後にしました。その後2、3日は食欲低下、体重減少、飲水量低下は続きましたが運動量は少し回復し、3日後の2/5(水)は家の庭や前の公園に散歩できるほどでした。そしてそれから2日後の運命の日、2/7(金)を迎えました。 |
昨日からchasukeクンの容態が急激に悪化し、水も食事も拒否するようになり、歩行はできるもののふらつくようになりましたので今日がお別れの日になる予感が有りました。元気な頃は毎朝、食事中の私に付きまとって、海苔などをおねだりするのが日課のようになっていましたが、この1週間は布団で覆われたコタツの下にうずくまる日が続いておりました。 そんなことでコタツの下はchasukeクンの定住場所になりましたので、出入りし易くなるように1ケ所布団をめくりあげて、床暖房のスイッチを常時ONにして暖かくしてあげました。それでも、昼間は時々この出入り口から抜け出して水と食事のある場所まで行くのですが鼻先で嗅ぐだけで摂ろうとはしません。目が欲するだけで既に体が受け付けないのでしょう。また、座敷に臨時的に置いてあるダンボール箱のトイレにも時折、行くのですが箱の中に入るだけで排泄しようとする姿勢はとりませんでした。 chasukeクンは生後のしつけが良かったのでしょうか、排泄は大小ともども我々が使うトイレ室の中の専用のトイレでするように習慣付けられており、2週間ほど前までは一度も専用トイレ以外の場所で排泄したことはありませんでした。一昨日の夜はコタツに近くの臨時トイレを素通りしてわざわざ遠い専用トイレまで重い足を引きずって排泄しており、我々に迷惑をかけまいとするけなげな行動が涙を誘いました。 更に驚いたことに、その日の昼間我々が留守している間に階段をよじ登ったのでしょうか、2階の日当たりのいい窓辺でひなたぼっこしながら外の風景を眺めていたのです。恐らく死期を悟り大好きなこの場所にどうしても行ってみたかったのだと思います。そして、その日の庭での散歩でも外に出られるのはこれが最後と思ったのでしょうか、家の中に戻るように促してもなかなか入ろうとしませんでした。 昨年11月初旬にエジプト旅行から帰宅した時、8日間も留守番をしてくれたchasukeクンが嬉しそうに鳴くのですがその声がかすれ、体つきもやつれているように見えたので体重を計ってみたら留守している間に1キロ近く体重が減っていたことがありました。用意しておいたドライフーズの減り方が少なかったので、その時は贅沢になったのだとその時は考えておりました。しかし、今にして思うと、その時既に彼の腎不全が進行して、ドライフーズを受け付けなくなっていたように思います。 その時、我々がこの病気に気付いて食事療法をしていたら、もう少し長生き出来たのではと思うと後悔の思いがこみ上げ、「chasukeクンごめんね」と心の中でつぶやき、彼の命と引き替えになったかも知れないエジプト旅行に思いを馳せ、編集中の「エジプト旅行記」は何としても立派に完成させて彼に捧げようと誓いました。 こんなことを思いながら、コタツに入って夕食を終えてテレビを観ていると、コタツの中からchasukeクンの悲しげな鳴き声が聞こえ、私の膝にすり寄って来ました。そっと頭から背中を撫でてやると鳴き声が止みました。そんなことを繰り返しているうちに午後11時50分頃になりました。急に静かになりましたので、妻が布団から出して抱き上げると既に瞳孔は開いたままながら手足は痙攣するように動いていました。妻が抱きながら汚れた口元を布で拭いてあげていたら足を真っ直ぐに伸ばしたかと思うと顔を痙攣しその瞬間全ての動きが止まりました。 午後11時55分、臨終でした。 想像していた程に苦しむことなく、失禁、吐物も無く死に至るまでも周囲を綺麗にして逝ったchasukeクンに報いるために顔を拭いて毛を整え応急の棺代わりのダンボール箱に安置してから花びらで顔のまわりを飾ってあげました。(上の左の写真)そして、家族全員明け方までchasukeクンの思い出を語りながら別れを惜しみました。 chasukeクン、本当によく頑張ってくれたね 最後の最後まで手のかからないように、 我々を悲しませないように、 chasukeクン、本当に楽しい思い出有り難う 何時までも何時までも忘れずに、 我々のことを見守ってね、 chasukeクン、君と何時も一緒に居れるように 思い出を一杯ファイルに詰めておいたよ、 開けば何時で会えるように、 |
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