−日記帳(N0.457)2003年 2月20日− −日記帳(N0.458)2003年 2月21日−
イラク攻撃に対する理事国の対応 止まない雨はない

イラク情勢に関して3月7日のブリクス国連監視検証査察委員会委員長らの査察追加報告を受けて米英から対イラク武力行使を容認する新決議案が提案される可能性が高まっております。 この決議案が採択される条件は常任理事国の米英仏中露5ケ国と2年交代の10ケ国の非常任理事国からなる15ケ国の理事国のうち9ケ国以上の賛成投票です。

但し、15ケ国の理事国のうちの常任理事国の米英仏中露5ケ国の1ケ国でも反対投票、つまり拒否権を発動したら例え残りの14ケ国の理事国全てが賛成投票しても採択されません。ところが、ここで問題になるのは常任理事国が投票を棄権した場合、これが拒否権と見なされるか否かです。何故なら、憲章第27条3項では、紛争当事国は投票を棄権しなければならないとされておりますが、このような義務的棄権に対して、自発的な棄権は拒否権に当たるか否かについては明文化されていないからです。

同規定の常任理事国の全会一致の規則から解釈すれば自発的棄権や欠席も拒否権の発動とみなされるはずですが、1946年にスペイン問題調査のための小委員会設置の決議が当時のソ連の自発的棄権のもとに成立したのを機に、自発的棄権国のある状態においても実質事項の決議を採択する必要性が殆どの国に受け入れられるようになり、5つの全ての常任理事国が自発的棄権をした場合でも、9カ国の賛成投票があれば決議を採択できることになっております。

常任理事国のうち米英2ケ国は紛争当事国としての義務的棄権をせずに賛成票を投ずるものと思われます。 残りの仏中露3ケ国は米英のイラク武力行使について、国連による査察継続を主張していることから賛成することは考えられず反対か棄権かのいずれかですが今後の対米政策の重要性から考えて棄権する可能性が最も高いように思われます。従って常任理事会での賛成票は最大で米英と最後は何時も賛成側にまわる仏を加えて3票、最小は米英のみの2票と思われます。

従って残りの10ケ国の非常任理事国、ドイツ、スペイン、パキスタン、チリ、アンゴラ、ブルガリア、カメルーン、ギニア、メキシコ、シリアの動向が問題となります。このうち、スペインは国連で米国支持、メキシコは米国の隣国で同盟国、パキスタンはアフガン戦争で米国に借りが有り、ブルガリアは以前から米国支持を表明していることからこれらの4ケ国が賛成票を投ずる公算大で結局合計米英合わせて6票となり、反対投票確実なシリアと仏中露とともに査察継続を主張しているドイツを除くギニア、チリ、アンゴラ、カメルーンへの多数派工作が今後の米英の課題となります。

ギニア、チリ、アンゴラには日本からODAによる経済協力を受けていることから米国は日本に多数派工作を依頼しており、日本の外務省もこれらの国々に賛成票を投ずるよう打診しており、これを念押しするためにパウエル国務長官が急遽22日に来日する予定になっております。日本としても、この3ケ国が賛成すれば国連で新決議案が採択されることが確実視され米国支援のお墨付きが得られることから多数派工作を積極的に展開するものと思われます。

国連加盟国が大戦直後の約4倍になっているのに、常任理事国は大戦戦勝国の米英仏中露5ケ国のままで、非常任理事国も加盟国の数に比例して増加しておりませんし、金次第で動く国でも非常任理事国になれますので、国連の安全保障理事会は世界の世論を反映する議決機関とはとても思えず、このような多数派工作が選挙運動の買収工作のように思えて不愉快になりました。

愛猫のchasukeクンが亡くなって2週間経ちました。亡くなって火葬するまでは遺体の入った棺を見るのも辛く、さりとて火葬して跡形も無くなると思うと寂しさがこみ上げ、トイレ室で便座に座ると、既に片付けられた入り口の片隅に有ったchasukeクン専用のトイレ箱を思い浮かべ涙が滲んでくるのを押さえきれませんでした。

肉親の死に遭遇してない私にとって家族同然だったchasukeクンの死はこれまで経験したことの無い辛く、悲しい経験になりました。親類、友人の死に遭遇した時も辛く、悲しかったのですが時間の経過とともに消え去っていったものでしたが、今回は何時までたっても消え去ろうとしないのです。そんな折りの数日前にテレビで、倉島厚さんの著作「止まない雨はない」についてご本人が語っておられるのを視聴して少し気が楽になりました。

倉島厚さんは、鹿児島気象台長を最後に60歳で定年退職後、NHKに気象解説員として出演しお茶の間の人気者になっていたことをよく私覚えております。船で海釣りをする私にとって気象知識は必要で有り、また気象科学にも興味が有りましたので倉島さんの解説はとても参考になりましたがその後はテレビなどでお見掛けする機会もなかったのでとても懐かしく視聴させて頂きました。

倉島厚さんは10人兄弟姉の9番目の子供として生まれ、気象大学校卒業後、海軍技術士官の試験を受けて海軍技術省員になり特攻隊の訓練に参加したと言う珍しい経験をされましたが、幼少の頃から気が弱く、中学時代に、嫌いな軍事教練にはじまって、中間試験、学期末試験を経て最も怖い徴兵検査で終わる一連のプロセスが気になって、うつ病になってしまったとのことです。 その時に既に70歳近かった父上に、「お前はそのプロセスを横に並べて考えるからオドオドするんだ、縦に書いて、ひとつずつ区切って乗り越えていくように考えればいいんだ」と言われて実際に、

軍事教練・中間試験・学期末試験・徴兵検査  のように横並べから

軍事教練
中間試験
学期末試験
徴兵検査

のように縦並べにしたら確かに気が楽になったとのことでした。 私もどちらかと言えば、先のことは考えずに目先のことだけを考えるタイプですのでこの縦型思考に近いかも知れませんが、最悪の事態を想定して大局的に物事を考えるのには少し問題が有るかも知れません。

また、倉島さんは人の老年期を季節に例えると、「冬に向かって歩きはじめた秋の終りだ」と言っておられます。晩秋の天気は「木枯らし、時雨、小春日和、木枯らし、時雨、小春日和」と周期的に繰り返しながら、冬に近づいていきますが、人間の老年期もそれに似ていると言うのです。

倉島さんにとって最初の木枯らしは68歳の時の喉頭ガンで、それを乗り越えて小春日和がしばらく続いたものの、公私に渡って倉島さんを支えてきた奥様が今度は胆管細胞ガンで入院し、入院後28日目に他界されて木枯らしになり、更にその後つ病になって食欲も萎えて体重は16キロも激減、生きていく望みも失って時雨模様の状態が続いたとのことでした。

その頃、倉島さんは後悔と罪の意識に苛まれていたそうです。彼は以前喉頭ガンになった時に延命処置をしないで尊厳死を望んでいた経験が有ったことから奥様も同じ思いだろうと勝手に考えて一緒に尊厳死を望む文書を書くよう奥様に促したそうですが直ぐには奥様は書かなかったそうです。そして入院の前日になって書かれたそうですが、それがとても綺麗な字体だったそうです。

そのことから、倉島さんは奥様が実は最後の最後までまでガンと戦いたかったのではないかと思うようになり、 自分が妻を殺したのではないかという罪の意識、規則を守るあまりに病院に一度も泊まらなかったことに対する後悔の念に苛まれて奥様の後をを追って死にたくなり、何度も自宅マンションの14階の屋上に行ったそうです。その時は何時もカメラを携帯することで人に見つかっても怪しまれないようにしたそうです。

ただ、そこから飛び降りるとNHKアナウンサーの廣瀬久美子さんの自宅のテラスに落ちて迷惑を掛けるのではないかと心配したりして、なかなか飛び降りきれず、最後に飛んだものの体は上に上がっただけで同じ場所に着地したそうです。その後精神神経科に入院し、うつ病から立ち直った倉島さんは今は何度目かの小春日和の中にいると笑っておられました。そして「やまない雨はない」と最後に言われました。 
私はこれを聞いて、chasukeクンへの悲しみがいずれ懐かしみに転化していくのだなと確信するようになり、何か安らぎを覚えました。倉島さん、そしてこの本をサイトで紹介して下さった眉山葉子さん有り難うございます。

  
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