−日記帳(N0.467)2003年03月02日− −日記帳(N0.468)2003年03月03日−
アメリカズカップでスイス優勝 主無き場所に今は雛たちが




世界最高のヨットレース第31回アメリカズカップ(ア杯)は、2日、ニュージーランドのハウラキ湾で9戦5先勝方式の第5戦を行い、挑戦艇シリーズを制したスイスの「アリンギチャレンジ」が防衛艇のニュージーランドの「チーム・NZ」を45秒差で破り、開幕から5連勝でカップ奪取に成功しました。艇長のラッセル・クーツは、敵側のチームNZで艇長を務めた1995年と前回の2000年に続き、無敗でア杯3連覇を達成しデニス・コナー(米国)の13勝を抜き、ア杯の艇長通算最多勝記録を14に伸ばしました。

アメリカズカップについては、日本が財政難から出場中止して以来、興味が無くなったこともあって、このニュースには一瞬驚き唖然としました。でもよくよく調べてみるとむしろ当然であることが判り、改めてヨットの面白さを見直すとともに、敗因がヨットレースをプロスポーツとして成熟させられなかったニュージーランドのスポーツ事情にあることが判り複雑な思いに駆られました。

「アリンギチャレンジ」のクルー16人のうち7人は艇長を含め先回大会までニュージーランド艇で優勝経験を持ち、スイス人は富豪のベルタレッリ氏を含め3人だけですので、言わばニュージーランド同志の戦いのようなもので、勝敗の鍵を握る艇長のクーツをニュージーランドから引き抜くのに契約金が25億円とも噂されており、ニュージーランドには彼を引き留めるだけのプロスポーツ意識が無かったように思われます。

アメリカズカップの原点であったヨーットレースは英国貴族の間で行われておりましたが、第一回万国博覧会(1851年嘉永4年)に、新興国のアメリカが「アメリカ号」1隻を送り出して15隻の英国艇に挑戦し予想を裏切って圧倒的な強さで優勝し、重さ4キロの純銀製の水差し(上の写真)が贈られました。1857年にこの水差しのオーナーは勝利を収めたアメリカ艇の「アメリカ号」を讃えて「アメリカズカップ」と呼び、全ての国のクラブがこのカップの獲得を目指して競い合うことを願って贈与証書と共に、ニューヨーク・ヨットクラブにこのカップを寄贈しました。これが世界初のスポーツトロフィーとなりました。

そして、その趣旨に沿って第1回大会が1871年にニューヨーク港外で行われ、英国はじめ22艇が参加しましたが米国が再び勝ち、以来英国をはじめアメリカ以外の国々がカップの奪回を必死に試みましたが、1895年までの7回の大会で全て敗退し、1899年には英国王エドワード7世の依頼により紅茶で財をなしたトーマス・リプトンが挑戦しましたがそれでも果たせませんでした。

結局英国はカップ奪回を果たせぬまま現在に至り、アメリカは132年後の1983年まで連続優勝しましたが、1983年の第25回大会でオーストラリアのクラブがアメリカのクラブを史上初めて破り、カップはは初めてアメリカを離れオーストラリアに渡りました。次の1987年の第26回大会でアメリカは賜杯を奪回したものの1995年の第29回大会でニュージーランドに奪われて連覇されたため今度の31回大会にアメリカは必勝を期して3チームを送り込んだのですが果たせませんでした。

アメリカズ・カップはサッカーのワールドカップやオリンピックのように国別対抗ではなく、ヨットクラブ同士で争われるため世界中のどのヨットクラブもその予選シリーズであるルイ・ヴィトンカップに出場する権利があります。 そこで優勝したクラブが前回優勝したクラブに挑戦すべくアメリカズ・カップ本戦にに出場することが出来ます。つまり、予選シリーズの優勝カップがルイ・ヴィトンカップ、アメリカズ・カップの優勝カップがアメリカズ・カップと言うことになります。

アメリカズカップ本戦を制したクラブは防衛クラブとしてカップを保持し、次の大会の自国での開催権と大会日程を決める権利が与えられます。従って大会を自国に誘致するためにはカップを獲得せねばならないため「お金で買えないカップ」として世界中の大富豪や企業家たちを魅了することになります。本戦は海域の風上と風下に設置されたマークを3周して先にフィニッシュラインを通過した艇を優勝とし、これを5回先に制した方が優勝としておりますが、今回、スイス艇は5戦、5勝0敗で優勝しました。

ヨットは後方からの風は勿論、前方から風を受けても進むことができる点の特徴が有ります。前方と言っても風に対して45度が限界でそれ以上の角度で左右の斜めにジグザグさせながら目的の方向に進ませていきます。 角度を大きくとると速度は上がりますがジグザグの幅が広がり過ぎて効率が悪くなり、小さくとるとその逆になりますので、その角度の取り方と左右に向きを変えるために帆を反転させる、タッキングのタイミングが艇長の腕の見せどころとなります。

このように、前方から風を受けても進むことができるのは、飛行機が飛ぶのと同じ原理で、弧を描いて膨らんだ帆の外側の空気の流速がベルヌイの法則により内側より速くなるので帆の垂直方向に力が働きこれをヨット真下に進行方向に平行に降ろしたセンターボードで垂直方向の力を打ち消して進行方向の力を得ることができるからです。

ヨットの帆は非対称に張られますので風を受けるとヨットは帆が張られている方向に大きく傾きますのでクルーの人たちが反対側の縁に身を海側に乗り出してバランスを取ります。そのために、クルーは16人も必要になり出来るだけ体重の大きい人がいいわけです。私もヨットマンを志したのですが体重不足で断念した経緯があります。

昨年、1月16日の日記で紹介しましたように、アメリカズカップに挑戦した日本艇「ニッポンチャレンジ」は1995年の3回目の挑戦で敗退し、今は廃墟と化した蒲郡のアメリカズカップ旧日本基地内に寂しく展示(下の写真)されております。日本経済が蘇り再び挑戦して優勝し、蒲郡沖で挑戦を受ける夢は私も含めてまだ諦めておりません。

つい先日まで寒さに震えていましたのに、3月の声を聞くと周囲に何か華やいだ雰囲気が感じとられます。先月16年間家族のように可愛がってきた愛猫のchasukeクンに死なれた悲しさも漸く薄らいで春到来を心待ちする心境になってきました。

窓辺の書棚の上には小さなお雛様が所狭しと並べられております。ついこの間まではここは彼の一番好きな場所で、ここから隣の家の庭を見たり、また部屋中を見渡せれので、我々の様子を見守っていました。主を失ったその場所を見る度にその時の様子が瞼に浮かんでで悲しさが募る私の心情を察してか、娘がお雛様を並べて気が紛れるようにしてくれたのでした。

近くの公園の桜は、今日は朝からの冷たい雨に濡れながらもじっと開花の準備をしているのでしょう。今年の桜の開花は例年より早く、東海地方の開花は3月21日と予報されております。あと、3週間で開花、月末には満開のもとで夜桜に酒宴といきたいものです。

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