−日記帳(N0.984)2004年08月15日−
北島康介物語(1)

康介少年は東京都荒川区西日暮里で精肉店・北島商店を営む北島富士男さん(58)の二人兄弟の長男として、1982(昭和38)年9月22日に生まれました。5才から東京スイミングセンター(初心者幼児クラス)で水泳を始めるほどに、水泳が好きだったことから、小学校は荒川区内ではなくて、お隣の文京区の千駄木小学校に入学しました。当時の千駄木小学校には立派なプールが有り、水泳教育に熱心だったことをご両親が知っておられたものと思われます。そして、結果的にはこの千駄木小学校に入学したことが彼にとって幸運でした。

千駄木小学校で水泳部に入って水泳を本格的にはじめ、都内の水泳大会で優勝したことは有りましたが、10才-ジュニアオリンピック 50m平泳ぎで優勝した程度で、特に注目を浴びるほどの存在ではなかったようですが、彼にとって幸運だったのは、1年の時に所属していた東京スイミングセンターのコーチ、平井伯昌氏に指導を受けたことでした。平井伯昌氏は、後に北島康介選手の専属コーチになって彼を育てあげた、いわば北島康介選手にとって恩人に当たる人ですが、その平井コーチは物静かに黙々と泳ぐ康介少年の泳ぎを見て、あまりにも体が固かったので水泳選手として大成するのは無理だろうと思ったそうです。

康介少年の人生観をガラリと変えてしまうような出来事が起こりました。千駄木小学校5年の時にあるテレビ映像をみて感動しました。それは、1992年(平4)のバルセロナオリンピックで まだ14歳の中学生だった岩崎恭子さんが、女子200m平泳ぎで金メダルに輝いて、「今まで生きてきた中で、一番幸せです」と晴れ晴れしくインタビューに答えていたシーンでした。彼はこれを見て将来自分もオリンピックに出たいと思うようになり、将来水泳の道に進むことを決意し、人生の転機を経験したのでした。そして、千駄木小学校を卒業する時、「大きな夢。それは速くなって、日本の代表選手に選ばれて、オリンピックに出ることだ」と文集に書いていることからもその決意のほどが窺われます。

こうして、千駄木小学校を卒業して、千駄木小学校に近い同じ文京区内の文林中学に進学してから、再び平井伯昌氏の指導を受けることで大きな転機をむかえました。中学生の康介少年に再会した平井伯昌氏は、体が固いことは小学生の時と変わらなかったのに、目つきが鋭くなる時が有るのを見て、「康介は行くなー。オリンピック選手になるな」と思ったそうです。 文林中学3年生の時、平井コーチから本格的に指導を受けて全国中学校選抜大会で100m及び200m平泳ぎを制して頭角を現し、平井コーチの期待に応えました。

そして、高校は、ラグビーで有名な都立本郷高校に進学し、高校1年の時にインターハイ優勝し、その名を全国に知られるようになりましたが、彼が名実ともに日本水泳界の第一人者になったのは、本郷高校3年の時に日本選手権に出場してからのことでした。(明日の日記へ)

−日記帳(N0.985)2004年08月16日−
北島康介物語(2)

本郷高校3年の2000年4月の日本選手権に出場し、100m平泳ぎで1分1秒41の日本新記録で優勝、200mではそれまでの自己ベストを5秒近く縮める2分13秒47の記録をマークして一躍全国区のスター選手になり、その年のシドニー・オリンピックに高校3年生で出場し、メダル獲得にまでは至らなかったものの、 100m平泳ぎ準決勝で1分1秒31の日本新記録を樹立し、男子競泳の日本選手では最高位の4位入賞し、世界にアピールしました。

北島選手にとって、オリンピック出場は小学校5年時、4歳年上の中学2年生だった岩崎恭子さんが金メダルを獲ったことに感動して以来の念願だっただけに嬉しかったことと思います。 日体大に進学後の2001年4月の日本選手権で、50m、100mで日本新記録で優勝。更に200mでも優勝して3冠を達成し、世界選手権出場を決めて、名実ともに国内第一人者になりました。

2001年は、東アジア大会で100m、200mで優勝、100mで世界選手権(福岡)で4位 、日本選手権、パンパシフィック大会(横浜)で日本新記録、大会新記録などを連発して優勝し着実に記録を伸ばしていきました。そして、北島選手をして、「世界の北島」にしたのは2003年のバルセロナで開かれた第10回世界選手権大会でした。ここで彼は、100mで 59秒78 、200mで2分09秒42 のともに世界新記録で優勝したのです。

このように順風満帆のもと、アテネ五輪に備えて着々と準備していた北島選手に嫌な出来事が2件起こりました。北島選手が今年6月、欧州GPローマ大会に参加したものの、100m、3位 200m2位と破れたことに加え、最大のライバルと言われた米国のブレンダン・ハンセン(22)が、100mで、北島選手の持つそれまでそ世界新記録59秒78を、0秒48上まわる59秒30の世界新記録を出し、さらに 200mでも、北島選手の持つそれまでそ世界新記録2分9秒42を、0秒38上まわる2分9秒04の世界新記録を出したのです。

このことに危機感を抱いた北島選手の専属コーチ平井伯昌氏は「現状では200mに絞らざるを得ない。今やっていることが間違いじゃないかと反省しないとだめだ」と危機感を示し、昨年正式に発足した「チーム北島」のスタッフを総動員して対策に着手しました。平井伯昌氏は、北島選手が中学2年の時、その荒削りながら天性のスピードを見抜き彼をトップアスリートにするために、この「チーム北島」の構想を考え、その道のプロに声をかけて北島選手の強化に乗り出したのでした。明日は、「チーム北島」に触れてみたいと思います。





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