−日記帳(N0.996)2004年08月27日−
長嶋ジャパンに思うこと(3)

「アテネでの銅メダルは金以上の価値が有る」との長嶋監督の中畑コーチへの言葉は、個人的な発言としては何ら問題なく中畑コーチ以下スタッフ、選手等へのねぎらいの言葉としては最高と思います。しかし、国を挙げて、国の威信を賭けて、国を代表するチームの総責任者としての公の発言としては、 天真爛漫な長嶋監督の性格を考えても不適切で無責任のそしりを免れ得ないと思います。

8月5日の日記に「長嶋監督に苦言を呈す」と題して長嶋監督を批判しましたが、再びこうして批判するのは長嶋ファンの私としてはとても辛いのですが、野球ファンとして、一国民として、思いを率直に述べようとすると、結果として批判になってしまうことをまずはお許し頂きたいと思います。彼の場合、この世界では天皇のような存在ですので、彼を戒めたり、彼に忠告したりする人がいなから、このような批判が生まれる背景が生まれるように思われてなりません。

最近の長嶋監督の言動で問題だと思うのは、公の場に出ずに、松井選手とか中畑コーチとか特定の人にしか声も掛けず、顔を見せないことです。病み上がりの姿を見せたくない思いによるものと一応理解しますが、もしそうならばメッセージの形でいいですから総責任者としての公の発言をすべきだと思います。今回はオリンピックと言えども全員プロの集団で参加して、結局優勝と言う目的を達成できなかったのですから、その責任を取るのはプロの世界では当然のことです。原前巨人監督も、山田前中日監督も優勝を果たせなかった責任を取って辞任しております。

長嶋監督はアテネで指揮をを取れないことぐらい、かって体が資本のプロの道に身を置いていたのですから充分判っていたと思います。それを公言するタイミングを失したため正式監督不在のままアテネに臨まざるを得なくなった責任を問われても致し方がないところですが、彼の現場に出向きたいとの激しいまでの情熱を考えれば不問に付してもいいと思います。

しかし、4年後の北京を考えた場合は、もう許されないと思います。長嶋さんの日本代表監督には期限が付いておりませんので、現在でも依然として日本代表監督のままで、本人からの辞任要請が無い限り、4年後の北京でも指揮を取ることになります。しかし、昨日の日記で述べたましたように数々の問題点が顕在化しており、これを解決することが4年後の最大の課題です。

長嶋監督が例え外交辞令としても「アテネでの銅メダルは金以上の価値が有る」との考えの延長線上で4年後に指揮を取るならば、彼自身の今後の健康状態も併せ考えて後任監督を考えていく必要が有ると思います。後任監督としては、早い時期から科学的な手法も取り入れて、今回の問題解決を積極的に図る意欲を持ち、健康で監督経験の有る人材を視野にいれるべきと思います。

長嶋監督は、そうした動向をも察知した上で今回の敗戦の責任を取って辞任を申し出るべきで、その反応を見て自分の身の処しかたを決めるべきと思います。長嶋監督は人間とし素晴らしい存在感を持っておられるが故に、世間は彼を神様扱いし、マスコミも彼の過去の栄光を理由に治外法権的な特権を与えてしまったため、彼の感覚が麻痺してしまっているように思えてなりません。このままでは、長嶋監督にとっても不幸なことになりそうです。マスコミもその責任に一端を感じて彼を諫める報道をする時が来つつあるように思います。

−日記帳(N0.997)2004年08月28日−
台湾、初の金メダル

金メダルを獲得した陳詩欣選手(右側)

アテネ・オリンピック女子49キロ以下級のテコンドーは陳詩欣(台湾)とヤネリス・ラブラダ(キューバ)との決勝となり、5:4で 陳詩欣優勢のまま終盤を迎えようちしておりました。会場に詰めかけた200人以上の応援団の大声援を受けて、陳詩欣(26才)は、あと数分で祖国、台湾にとって五輪史上初の金メダルを手にするとの思いがこみ上げてやや動きが鈍くなりました。すかさず、相手のヤネリス・ラブラダ(キューバ)は攻勢に出て、陳詩欣は守勢一方になり、審判からたて続けに3回の警告を受けてピンチになりました。しかし彼女は何とか相手の猛攻を交わしてそのまま試合終了、彼女はコーチと抱き合って喜びをともにしました。

喜びを噛み締める彼女の脳裏に父親の姿が過ぎりました。陳詩欣は、テコンドーの選手だった父親の指導を5歳の頃から受けて14歳で台湾代表チーム入りし、15歳で国際試合に初めて出場して優勝し、その後も国際試合で7回も金メダルを獲得して、「早熟の天才」とうたわれました。しかし、“17歳の時、長期の苦しい訓練に耐えられず、燃え尽き症候群”にかかって、訓練キャンプを脱出して行方不明になってしまいました。

その間、生活のために道端で、台湾特産の檳榔(びんろう)売りをしたりして3年間の流浪生活をしていました。この檳榔は木の実で、覚醒作用のある成分を含んでいるので、本来は食用としては問題が有るようですが、何故か観光客などに人気が有ってよく売れるのです。どうも、その原因はその味にあるのではなく、売り子さんが若い女の子で、ビキニの水着や下着姿で露出度が高いことにあるようです。従って、台湾ではどちらかと言えば、顰蹙を買う職業ですので、彼女はかなり落ち込んだ生活をしていたことが窺われます。

ところがある日、アパートでテレビのある広告を見て彼女は胸をうたれました。その広告は、親孝行したくても親はもういないという内容でした。自分をここまで育ててくれた父親を思い浮かべるととどめなく涙が出てきました。彼女はぐれた心を改めて父親の誕生日の日に家に戻って、父親に深く自分の過ちを詫び、再度戦うことを誓って練習に励み、こうして栄光を掴んだのでした。

そして、彼女の優勝を知って奮起した男子58キロ以下級の朱木炎選手がメキシコの選手に勝って金メダルを獲得し台湾はテコンドーで一気に金メダル2個を獲得したため、アーチェリー団体競技で男子が銀メダル、女子は銅メダルを獲得していたことから、台湾のメダル獲得数は、合計5個となり、台風17号の直撃による被害も忘れて台湾は歓喜に湧きました。そして、表彰式ではじめてチャイニーズタイペイとしてIOCに認められた歌が場内に流れた時、あれが青天白日旗のもと、中華民国・国歌だったらどんなに嬉しいかと、台湾の人たちは歓喜に噎びながらも複雑な思いで耳を傾けたのでした。

1984年ロサンゼルス五輪から積み上げてきた金メダルが100個を突破した中国の袁偉民団長は、台湾の初の金メダル獲得を祝福して「(中台)両岸同胞の共通の喜びだ。台北(台湾)が引き続きよい成績を出すことを希望する」と台湾側にメッセージを送りました。まさに体制を超えた記念すべき金メダルとなりました。




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