−日記帳(N0.1029)2004年09月28日−
今夜は中秋の名月

今夜が中秋の名月だと言うのに、朝刊を広げてみても、このことに触れる記事を見付けることが出来ませんでした。確かに、満月は月に1回(正しくは29.5日に1回)起こり、中秋の名月はそのうちの1回に過ぎませんので、中秋の名月だからと言って特別に取り扱う必要はないかも知れません。でも、澄み切った秋の夜に月をめでる気持ちそのものが現代に生きる我々にとって大切だと思います。

まだ電灯の無い昔の人たちにとって、漆黒の闇夜は怖かったものと思われます。昼間は明るい太陽で、夜でも家の中なら灯をともして明るさを得ることが出来ますが、外には街灯もなく、提灯を灯しても足下しか明るさを得ることは出来ません。こんな時、若い男女がデートしようとしても漆黒の闇夜ではお互いを認識しあうことすら難しかったことと思われます。

そんな時、月に1回訪れる満月の月明かりは天然の街灯であり、デートなどナイトライフを楽しむのに絶好の機会ですから、来れば楽しく、去れば待ち遠しかったことと思います。そんなことから、日本、中国など殆どの国では、この満月を基準とする旧暦を採用しておりました。つまり、月明かりの全くない新月を月初めとし、満月の日を15日としていたわけです。

月は29.5日かけて地球を回る地球の天然衛星で、太陽、地球、月を平面的に見た場合一直線上に並ぶ場合が月に2回あります。月と太陽が同じ方向に並ぶ場合は月は完全に太陽の影になるので地球からは見えず、これを新月と言い月齢を0とします。その新月から29.5日の半分経過したほぼ14から15日目に月が太陽と真反対の位置で一直線上に並びます。この時は月の片面が全て太陽光線を受けるのでまん丸く見えます。これが満月で月齢は新月からの経過日数の14から15となります。

このように、旧暦では月の満ち欠けをベースとし、新月となる日をその月の一日(ついたち)、三日月は3日、満月は15日(十五夜)といった具合に、日付と月の満ち欠けに対する呼び名が一致しております。しかし旧暦では、1年が29.5日/月×12月/年=354日/年となって、実際の1年365日に対して11日ほど少なくなってしまい不都合が生ずるので閏月を設けて調整しております。もし月が30.4日かけて地球を回れば新旧の暦が一致して現行の閏年の設定だけで済むことになります。

従って、旧暦の8月15日が今年の場合、今日の9月28日になるわけです。そして、昔の人の満月に対する思いは、十三夜、十六夜(いざよい)と言った言葉にも表れているように思います。満月の二日前を十三夜と言って大切にしたようです。二日後に憧れの満月を控えた十三夜は、現代の「花金」的存在で、その思いは、「河岸の柳の行きずりに ふと見合せる顔と顔 立止まり懐しいやら 嬉しやら 青い月夜の十三夜♪」の歌詞で知られる「十三夜」に込められているように思えます。

満月が過ぎると、月はどんどん欠けていくとともに月が上がってくるのが遅くなることから、翌日を十六夜(いざよい)の月、翌翌日を「立待月(たちまちづき)」、翌翌翌日を「居待月(いまちづき)」、翌翌翌翌日を「寝待月(ねまちづき)」と呼んで親しんでおりました。また、中秋の名月の翌月の十三夜、つまり旧暦の9月13日を、中秋の名月を「芋名月というのに対し、「豆名月」あるいは「栗名月」と言って月を観賞する日本独特の習慣が有ります。

十三夜の月見は、一月前の中秋の名月の月見に対して後の月見と呼び、東京近辺では、十五夜の月と十三夜の月は同じ庭で見るもととされ、別のところで見ることを「片見月」あるいは「片月見」といって嫌ったそうですが、一戸建てになかなか住めない東京のお家事情では庭から月を見ること自体が難しく、まして違った庭から見ることなど、別荘や別宅を持てる金持ちはとにかく一般庶民ではまず無理です。残念ながら今夜の中秋の名月は、秋雨前線の停滞により見られそうにありませんので、来月、10月26日の十三夜の「片見月」だけになりそうです。

−日記帳(N0.1030)2004年09月29日−
中日、優勝に王手

声援にガッツポーズで応える落合監督

昨晩の神宮球場でのヤクルト戦に逆転勝ちして、中日のマジックは一気に二つ減ってM1となり、優勝に王手がかかりました。この試合、川上、石川の両エースの先発で始まり、5回表を終えて0:0の投手戦が展開され、5回の裏に稲葉に17号ソロを浴びて先制された時は、これはヤバイと思いました。 何故なら、ヤクルトには7回以降は石井、五十嵐のリーグナンバーワンのダブルストッパーが居るので、次の6回が無得点で終わると完封負けする恐れが有ったからです。

ところが、そんな危惧を井端が吹き飛ばしてくれました。6回の表、激走して駆け込んだ川上を塁において2番井端がカウントはノースリーから、ものの見事に2ランを放って、2:1と逆転してくれました。ところが、その裏に、犠飛で1点を返され、同点になってまた危惧を抱いた7回の表、今度はそれを森が吹き飛ばしてくれました。井端に続いて2ランを放ち、再び4:2とリードしました。

森選手(25)は昨年までは名前の「章剛」を取って「ショーゴー」と命名していましたが、一軍出場機会は一度もなかったことから今年から元の名前に戻し、更にスイッチから得意の左打ちに専念して一念発起していたところを落合監督に見込まれて先日、一軍登録されて直ぐの横浜戦で先制の2ランを打って期待に応えたばかりでした。97年にドラフト2位で大分藤蔭から入団し、 高校では3年夏の県大会で3試合連続場外弾放つなど主砲として活躍し通算44本塁打 の記録を持つスラッガーとして期待されておりました。

この森をはじめ、土谷、高橋、英智などは、昨年までは殆ど一軍出場機会は無かったのですが、今年の後半から、英智、森は先発で使われるようになり、土谷、高橋は代打、走塁、守備要員として随時使われるようになりました。その結果、大西、井上、森野等のヴェテランが代打に廻ることになり、打陣の層がが厚くなりました。落合監督の彼等の素質を見抜いたその慧眼には脱帽するのみです。

このような試合展開になったら、中日のお家芸の鉄壁の岡本、平井のダブルセットアップからストッパーへ岩瀬への継投がヤクルトの反撃をかわして4:2で見事に逆転勝ちして、川上は最多勝ほぼ確定の16勝をあげるとともに、中日は優勝に王手をかけました。明日のヤクルト戦に勝てば、いよいよ5年振りの優勝が決まります。あの落合監督が、よほどこの勝利が嬉しかったのか、試合終了後、珍しくもファンの声援に両手をあげて応えておりました。


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