−日記帳(N0.1082)2004年11月21日−
同級会の会場から母校応援

決勝点をゴールした藤枝東・三輪選手
(「がんばれ藤枝東高」から転載させて頂きました)

高校サッカー王国、静岡県の勢力図が変わりつつあるようです。2002年Wカップに6人((中山(藤枝東)、服部 (東海大翔洋 )、西沢(清水東)、小野(清水商 )、 川口(清水商 )、 森島(東海大翔洋 ))もの日本代表選手を送り込み、カズ、武田、相馬、藤田、名波、高原、山田、堀池等の日本代表選手をも輩出し、豊富な全国優勝経験を持つ、静岡県のサッカー名門高、清水商、静岡学園、東海大翔洋 、清水東、藤枝東等は、1995年の静岡学園の優勝以来、8年間優勝から遠ざかっております。

ところが、今年の静岡県予選では、準々決勝で優勝候補筆頭の静岡学園が静岡北に、清水商が常葉橘に敗退するなどの大波乱が起こり、結局、準決勝は聖隷クリストファー対常葉橘、静岡北対藤枝東の組み合わせになり、藤枝東以外の名門校は姿を消してしまいました。そして、先週日曜日の準決勝で常葉橘、藤枝東が勝ち残り、今日昼から両校による決勝戦が、Wカップ会場となったエコバで行われることになりました。

この母校、藤枝東を応援するために帰省したのですが、たまたま今日の昼から中学の同級会が開かれるため、残念ながら会場に駆けつけることは出来ないので、宴会の席からテレビ観戦で応援することにしました。宴会の開会とほぼ同時にキックオフしましたので、私としては試合状況が気になって宴会どころではありません。しかし、久しぶりの同級会ですのでテレビに釘付けというわけにはいきません。そこで、携帯ラジオをポケットに忍ばせて経過を見守ることにしました。

案の定、前半は何回か危ない場面が有り、押され気味のまま終了し、後半早々にFWの三輪選手が1対1の状態で落ち着いてゴールして先制し、そのまま守りきって1:0で勝ちました。これで、藤枝東は昨年に続いて連覇し、静岡県勢としては9年ぶり、藤枝東としては1971年以来となるなる33年ぶりの優勝を目指すことになりました。同級会が終わってから藤枝東の同級生と連れ立って2次会の会場に出向いて祝杯を挙げました。それにしても、相手の常葉橘は強かったと思います。2年生以下のメンバーでこの大会に臨み清水商を破り、藤枝東を苦しめたしの実力は侮れません。さすが、今年の中学選手権で全国優勝しただけのことは」あり、来年は強力なライバルになりそうです。

−日記帳(N0.1083)2004年11月22日−
故郷、焼津の名前が消える?

草薙の剣が祭られている名古屋の熱田神宮

父、景行天皇から西国に続いて東国征伐の命を受けた日本武尊は、伊勢神宮にいた叔母の倭姫命(やまと姫)から贈られた「むら雲の剣と袋」を携えて駿河の国に赴き、そこで恭順に意を表す賊達に気を許したことから、火攻めの騙し討ちに遭い、遠方から火勢が日本武尊の周囲に迫ってきました。その時、「むら雲の剣と袋」を思い出して、まず剣で草を刈り、火が移らないようにしてから袋の中の火打ち石で、刈った草に火をつけました。火は燃え上がり、逆風に煽られ、賊の方に燃え広がり、日本武尊は逃げる賊を追いかけて討ち滅ぼしました。

これは古事記や日本書紀に出てくる「東征物語」のくだりですが、焼け野原になったこの地が焼遺(焼津)と呼ばれるようになったとの言い伝えが有ります。万葉歌人、春日老の歌に、「焼津辺に吾が行きしかば駿河なる阿部の市道に逢ひし児らはも」が有りますので、既に奈良時代に焼津の名称が有ったことは事実のようです。

ところが、この伝統のある「焼津」の名前が消えようとしております。志太平野に位置する焼津、藤枝、島田、大井川町、岡部町の3市2町は合併協議会を設立して合併の準備を進めてきましたが、島田市、大井川町が相次いで離脱宣言したため、焼津、藤枝、岡部町の2市1町の合併に切り替えて、今年6月に志太合併協議会を設立して前向きに検討を進め、ほぼ2/3ぐらいまで詰めを終え、来年1月の最終決定を待つばかりになっておりました。

合併後の新しい市名は「志太」と内定しているため、「焼津」の名前が消えることになっておりました。ところが、合併を前向きに検討していたはずの、戸本焼津市長が今日の市長選に先立って、この志太合併協議会から離脱することを宣言したことも影響して対立候補の立候補が見送られた結果、無投票で戸本焼津市長の再選が決まるとともに、事実上焼津市の合併構想は棚上げされることになりました。

地方分権の推進・少子高齢化・住民ニーズの多様化、地方交付税や税収などの収入の伸びを見込めないことから、地方都市の財政がひっ迫し、合併は避けて通れない課題であるだけに、今後の 焼津市の対応、合併に意欲的な藤枝、岡部町の反発、焼津市民の反応が注目されます。この焼津市長の豹変の裏には藤枝市の財政赤字の問題が有りますが、「焼津」の名前が消えることに反発している漁業関係者の意向が見え隠れしているとの見方が市民の間に広まっているように思えました。とにかく、ひとまず「焼津」の名前が消えなくなった」ことに安堵しました。


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