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今年も恒例の夜桜の宴 中国の反日運動に思うこと(1)



5年前に学生時代の友人と二人だけで自宅近くの公園で寒さに震えながら夜桜見物をしたのがきっかけで翌年は、会社関係の友人が加わって3人となり、その翌年は5人となり、そして今年は7人に増え、毎年の恒例に行事となりました。会場の公園が自宅からは近いので私が幹事を勤めることになりました。幹事の仕事は、まず宴会の日時を決めることから始まりますが、実はこれが最も重要なことになります。

まず、その年の開花時期を予想して、その1週間後から2週間後のメンバーが共通に都合のいい日時をメール交換で連絡しあって候補日を3件設定し、メンバー全員がメルアドを持っておりますので、その候補日の中から天候、開花の程度を読んで2日前に決めてメールで通知します。メールで一度で全メンバーに連絡出来ますので日時の設定はさほど面倒では有りません。 宴会の七つ道具の塩ビシート、座布団、ガスこん炉、魔法瓶、鍋、コップ類、食器類を女房殿の協力を得て、車では入れない公園内までバイクで運べるので、女房殿には申し訳ないですがこれまたそれほど苦労は入りません。

次に重要な仕事は、場所の確保です。上に桜の枝が有ること、下の地面が出来るだけ平らであること、照明が有ることの三つが絶対条件で、さらに地面に芝が生えていること、風が避けられることなどを加えて場所を定め、塩ビのシートを敷いて確保します。その場合、昼間ここで花見する人にはそのまま使って頂けるように張り紙をシートに貼り付けておきます。

こうして、2日前に今日の6時半から開催と決め、場所も風が強くなることを予想して風が避けられる場所を重視して決めました。(上の画像のシートの有るところ)傾斜が少し有りますが、その他の条件は全て揃っている上、横にストーンテーブルが有りますのでここでガスこん炉を使えて便利です。朝方まで降り続けて雨も止み、心配していた北西風も夕方になって穏やかになり、3日前に満開だった桜も葉桜にならない程度に花が残っておりましたので絶好の花見ごろとなりました。



焼酎の湯割りとおでんと、メンバーから差し入れられたおつまみに、トルコ旅行土産のの50度トルコ焼酎のRAKUを交えて宴会が始まりました。すると、コップの中に桜の花びらが落下したり、時折一陣の風が吹くと、桜吹雪となって花びらが肩に頭に舞い降りるなど、なかなか風情が有りました。昨年は満月に当たりましたので「緑酒に月の影宿し」だったのですが、今年は「酒盃に花の香を宿し」でした。9時半にお開きとなり、後片付けは女房殿に任せて2次会のスナックに出向きました。


  このところの中国での反日運動はとどまるところを知らない様相を呈してきました。その背景には次の四つの問題が有るように思われます。

1.歴史問題
2.台湾問題
3.靖国問題
4.領土問題

  中でも、歴史問題が教科書問題と一体となって反日の気運を高めているようです。1972年9月に、田中、周両首脳会談とその後の日中共同声明で、田中首相は「日本が中国国民に多大のご迷惑をおかけした」として謝罪しましたがその中国語訳が「添了麻煩」と言う、ごく軽い侘び言葉になっていたたため、逆に中国側に不快感を与えたことに端を発しているように思われます。その後も、天皇の「両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」のお言葉、更には細川・羽田両首相による従来より一歩踏み込んだ謝罪が行われました。

  しかし、中国側はこの謝罪が歴史問題に基づく謝罪になっていないことに不満を示し、今日に至っているようです。83年1月の中曽根の「浮沈空母論」、87年6月の外務省高官の「ケ小平=雲の上の人論」、88年4月の奥野国土庁長官の「侵略否定論」、90年11月の石原慎太郎議員の「南京大虐殺のでっちあげ論」、94年5月の永野法相の「南京大虐殺はでっち上げ論」、89年2月の竹下首相の「歴史の後世評価論」、94年8月の桜井環境庁長官の「侵略戦争の無意図論」、95年8月の島村文相の「侵略戦争謝罪不要論」などの、いわゆる失言が相次ぎ、その結果、撤回、辞任等も一部行われたことに加え、後に述べる靖国問題も絡んで中国側に一層の不信感を与えたものと考えられます。

  台湾については、戦後、日本は台湾を中国として認めておりましたが、1972年の日中共同宣言を機に、台湾との国交を断ち、中国を唯一の合法政府と認めることで、一応の中国側の理解は得られたものの、その後、日本政府が李登輝・元総統への査証(ビザ)を発給したことから中国側の不信感が台頭し、現在に至っております。

靖国問題の発端は、このサイトの4月10日の日記にも書きましたように、1972年9月の田中、周両首脳会談での周首相の「戦争は日本国内の一部の軍国主義者によって発動されたものであり、大多数の日本国民も戦争の犠牲者であるとの認識を示して、戦争の被害者が同じ戦争の被害者に賠償を求めることはできない」の発言にあるとされております。つまり、その一部の軍国主義者が東條被告等のA級戦犯であるから彼等を靖国神社に合祀するのは、賠償放棄と言う中国側の寛大な精神を踏みにじるものであると中国側は不快感を示すのです。

領土問題は、尖閣諸島の領有権のことで、日本、台湾、中国でそれぞれに領有権を主張しておりますが、今回の反日運動の火種になるような新たな問題は発生しておりません。むしろ、日中の領海線付近での石油掘削に関する問題の方が大きくクロ−ズアップされそうです。

我々、日本人としては今回の戦争にはそれなりの理由が有ったにせよ侵略したことは事実として認めざるを得ず、それなりに謝罪しているのに何故、このような反日運動に繋がっていくのかが理解できません。確かに、教科書での歴史に関する記述を問題にされますが、両国の検定制度の違いや、逆に中国側の教科書での事実と異なる日本人論や、今回の戦争勝利は中国によると言った間違った歴史論に対してむしろ日本側が抗議すべきであるとさえ私は思っております。また、東條被告等のA級戦犯はヒットラーのような独裁者ではなく、むしろ犠牲者であり、中国側の指摘は当たらないと考えております。

このように、日中で意見がスレ違う日中の歴史観、人生観には大きな違いが有るからだとも考えられます。その典型は「大同小異』という言葉の解釈だと思います。日本は「小異を捨てて大同につく」ですが、中国では「小異を残して大同を求める」の意味になるようです。中国では、その小異が歴史で大同が現在と未来と解釈されていると考えれば判るような気がします。日本は、過去の歴史は水に流して将来に望みを繋ごうとしているのに対して、中国は、歴史は正しく認識した上でそこから未来に繋ごうとしているのですから、噛みあうはずが有りません。

日本が歴史認識でこのような考え方からの違いから誤解を与えたことに謝罪し、中国側はデモ等での暴力行為に対して日本側に謝罪することを同時に声明発表することで収拾することが唯一の解決策で、そろそろ水面下で交渉を始める段階にきているように思います。


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