−日記帳(N0.1232)2005年04月25日− −日記帳(N0.1233)2005年04月26日−
JR福知山線の脱線事故に思う 世界の列車事故について


今日の午前9時18分頃、、兵庫県尼崎市久々知のJR福知山線尼崎〜塚口駅間で、宝塚発同志社前行き上り快速電車(7両編成、乗客約580人、高見隆二郎運転士(23))の前4両が脱線し、先頭車両が線路脇のマンション1階にめり込む形で激突しました。兵庫県警は37人死亡、負傷者は222人と発表しておりますが、まだ車内に閉じ込められている乗客も相当残っていることから、まだ死者、負傷者とも増える恐れが有るとされております。 私が釈然としなかったのは、この重大事故に対するJR西日本の記者会見での報告内容のうち、次の点でした。

1.運転士の運転ミス以外の要因を匂わせる無意味な説明:
2.多くの乗客の目撃証言より車掌の証言を採用して公表:
3.運転士が事故直前に携帯を使用していた事実を未公表:
4.車掌の状況説明が少なすぎることに対する説明が不足:

レール上に石の摩滅痕が有ったとして置石の可能性が有るとの説明、事故現場のカーブで列車が脱線する限界速度は計算上133キロとの説明は、運転士の運転ミス以外に事故原因が有る可能性を示唆することに繋がり、JR西日本の責任回避の姿勢にも受止められかねませんので、被害者家族の心情を考えると適切な説明ではなく、むしろ不謹慎との謗りを免れないと思います。真の事故原因は今後、警察で事実関係に基づいて徹底的に究明されるはずですので、このように信憑性に問題がある情報や計算に基づいての事故原因の推定は今後の捜査の妨げになることは有っても何の意味も持たないと思われるからです。

現に、後日、この摩滅した石の成分は線路内にある小さな敷石の成分と同一で、故意に線路外から運ばれて置かれた大きな石ではないことが実証され、また限界速度は急ブレーキのかかり方などの他の要因も加わるともっと低くなることが専門家から指摘され、133キロは殆ど意味ののない数字であることが判明しております。多分、事故直後、JR西日本側は運転士の運転ミス以外の要因を重視して社内の関係者からの情報を収集した結果と思われます。仮に、事故原因が運転士の運転ミス以外の要因だったとしても、JR西日本側の責任が免れることは有り得ませんので、事故直後の記者会見では被害者家族らへの謝罪と当面の救出に全力を挙げることと、正確な情報の発表をすべきだったではないでしょうか。

JR西日本は、伊丹駅でのオーバーランは3車両分ぐらいは有ったとの多くの乗客の証言を無視して、車掌の8メートル説を信用して公表したものの、後になって車掌が実際は40メートルだったのに運転士に頼まれて過小申告したことを告白したことから、8メートルから40メートル に訂正する失態を演じております。更に、事故直前のカーブに差しかかった時の速度が異常に早かったとの乗客の証言も殆ど無視していることを併せ考えるならば、自社に不利な情報を無視し、身内からの情報を重視するJR西日本の体質が露呈したと言っても過言ではないと思います。

JR西日本は、高見運転士を事故直前に2度無線で呼び出したのに応答が無かったことから、携帯電話を使用していた可能性があったにもかかわらず、敢えてそれには触れようともしませんでした。しかし、後日、高見運転士の遺体とともに発見された携帯から事故直前の通話記録が確認されております。

事故車両に乗車していた松下正俊車掌(42)は、7両目にいたため無事でしたが、どうも彼の証言は少なすぎる上、信頼性に乏しく、次から次へと証言を修正しております。オーバーランを8メートルから40メートルに、速度も当初は「何時もより速いように感じた」から「揺れが酷くてこのままでは脱線しそうだ」と運転指令に携帯で連絡していたことが後日判明しております。その事実が有ったにもかかわらずJR西日本側は記者会見では一切触れておりませんでした。車掌からの事情聴取に不備が有ったか、あるいは知っておりながら意図的に隠していたのかのいずれかですが、ここでもJR西日本の責任が問われます。


発生国名 死者 事故状況
1915 英国 227 旅客列車が軍用列車と衝突
1917 フランス 543 軍用列車がトンネル入口で脱線
1944 スペイン >500 旅客列車がトロトンネルで衝突
1944 イタリア 521 トンネル内で停車し窒息死
1949 ポーランド >200 急行列車が脱線
1955 メキシコ 300 グアダラハラ峡谷に落下
1957 パキスタン 250 停車中の油積載貨物列車に衝突
1970 アルゼンチン 236 停止中の通勤列車に激突
1972 メキシコ 208 巡礼者を乗せた列車が脱線
1981 インド >800 洪水で橋が崩れた後列車通過
1989 旧ソ連 575 ガス爆発が停車中の列車に
1990 パキスタン >210 旅客列車が貸車と衝突
1994 アンゴラ >300 ブレーキミスで列車が峡谷に落下
1995 インド 358 牛に激突して停車した列車に激突
1999 インド >285 急行列車が正面衝突
2002 エジプト >360 満員列車が炎上したまま暴走
2004 イラン >200 化学物質積載の列車が脱線炎上
2005 日本 107 列車が脱線し線路脇のビルに激突


尼崎での列車事故は各国メディアでも大々的に報じられ、特に米国のCBSではトップ扱いで連日、報道されておりました。その中でも米国のCBSNEWS は、2000年以降の世界の重大列車事故のひとちとして上表のように報道しておりました。但し、尼崎での事故での死者数は最近の情報により修正してあります。尚、世界の列車事故での最悪の事故は、上表でも紹介されているように、1981年のインドで800人以上の死者を出した事故です。因みに、尼崎事故より多くの死者を出した日本の列車事故は次のとおりです。

・1947年 八高線列車転覆事故             死者=187人
・1962年 常磐線三河島駅での三重衝突事故事故  死者=160人
・1963年 東海道線鶴見列車多重衝突事故      死者=161人


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