| -日記帳(N0.1258)2005年05月21日- | -日記帳(N0.1259)2005年05月22日- |
| 館内一人だけの映画鑑賞 |
潜水艦映画「K-19」を観て |
先日、5月8日のことでした。潜水艦英が好きな私は不覚にも「ローレライ」と言う日本映画が潜水艦映画であることを知ったのが5月6日のことでした。、そして、この映画が5月8日が最終上映日であること、6日と7日には用事があることから5月8日が最後の観賞日であることから、この日に近くの映画館に行くことにしました。 ところが、新聞で上映時間を見て驚きました。土曜日でもないのに、何と夜中の11時30分からの上映で、終わるのが真夜中の2時近くなるからです。しかし、この機会を逃すと近くの映画館で見ることが出来なくなりますので敢えて行くことにしました。そして、行ってまたまた驚きました。入館したら誰もいないのです。上映開始までまだ15分ぐらい有りましたので、そのうちアベックでも入ってくるのではと変な期待をしていたのですが結局、誰一人入ってこないまま館内が暗くなり幕が開いていきました。 よく、超満員の映画館で立って見た時、一人だけで見られたらと思ったものですが、こうして生まれてはじめて一人だけで見ることになって、やはり映画はみんなでみるものだと思いました。しかし、期待した「ローレライ」は見ていくほどにその荒唐無稽なストーリーに腹立たしさを覚えるようになっていきました。 この潜水艦が敵艦の位置を正確に索敵できる超高性能のレーダーを搭載しているため米軍の艦船が魚雷の餌食になることから恐れられているとの説明ナレーションが有ったので、どんなレーダーかと楽しみにしていたら、何とそれがドイツからきた美少女だったのには笑えてきました。敵艦が近づくとこの美少女を乗せた小型潜航艇をロープで繋いで潜水艦の前方に放ち、少女の脳裏に浮かんだ敵艦の姿を位置情報として映像化すると言うのです。 そして、この美少女を米軍に引渡す代償として、米軍に東京に原爆を投下してもらって日本復興の足がかりにするという最後のどんでんがえしには怒りすらこみ上げてきました。罪も無い東京の多くの市民を犠牲にしての日本復興など有り得るはずもありません。 途中で出ようと思ったのですが、私一人のために何人かの人たちが働いていると思うとそれも出来ませんでした。そして、帰り際に数人のスタッフから「有難うございました」と挨拶されて、何か申し訳ないような気分になりながら家路につきました。 |
私は、潜水艦を扱った映画が大好きです。子供の時に見た戦前のドイツ映画「潜水艦西へ」(U-BOOT WESTWARTS (1940独)を見たのがそのきっかけだったように思います。密室の艦内で息をひそめながら潜望鏡で捉えた敵艦の英駆逐艦に魚雷攻撃を仕掛ける場面に子供ごころに興奮を覚えていたように記憶しております。この映画はナチスドイツが戦意高揚のために実物の潜水艦を使って撮影されたもので、第二次大戦以降の潜水艦モノの第一作で今でも戦争映画の不朽の名作と思っておりますが、ソフトが作られておりませんので二度と見ることが出来ないのが残念です。その後の潜水艦映画で、印象に残っているんもは次の4作でした。 ・眼下の敵(1957米)南大西洋での米駆逐艦と独潜水艦の戦い ・潜水艦潜航せず(1954伊)大西洋での伊潜水艦の活躍 ・U-571 U-571 (2000米) 友軍を偽装しU-571略奪する米潜の活躍 ・ラストUボート(1993日独米墺)ウランを日本に運ぶUボートの物語 そして、今晩視聴したテレビ朝日の「日曜洋画劇場」の「K-19」も素晴らしい潜水艦映画として記憶に残りました。この映画は米ソ冷戦が背景でしたので戦闘シーンこそ有りませんでしたが、原子力潜水艦搭載原子炉の冷却管破亀裂による放射能汚染の恐怖の中で米ソの核戦争を誘発しかねないメルトダウンによる核爆発を阻止しようとする潜水艦の艦長と乗組員の死闘は圧巻でした。そして、新任のボストリコフ艦長役のハリソン・フォード、ミスにより前艦長から副艦長に降格されたポレーニン副艦長役のリーアム・ニーソンの演技も圧巻でした。 1961年に、冷戦下でソ連が弾道核ミサイル構想に遅れを取り戻すべく作った原子力ミサイル潜水艦「K-19」が、その処女航海で実際に起こした原子炉事故に基づいており、その場所がATO基地の近海だけに、もし核爆発を起こせば第3次世界大戦の引き金となりかねなかっただけに犠牲になった7人の乗組員の決死の原子炉修理作業が感動を呼びました。 しかし、この事故から25年後の1986年に起こった同じソ連のチェルノブイリ原発の事故で作業員が「K-19」と同じぐらいに被曝の危険性のある作業をさほど危険とも思わずに行っていることから考えても、「K-19」の乗組員たちも実際はそれほど危険とは思っていなかったのではないでしょうか。従って、乗組員たちが死を覚悟して原子炉の修復作業を志願したとのこの映画のシナリオにはやや疑問を感じますが、逆にそれほど危険と思っていなかったからこそ修復作業が一時的に功を奏して最悪の事態を免れたとも言えます。 因みに、修復作業に従事した「K-19」の7人の乗組員の被曝量は、チェレンコフの青白い光を見ながら溶接作業をしていたことから、致死被曝量言われる8シーベルトを遥かに越えていたものと思われます。その38年後の1999年に起きたJOCの臨界事故で、遠めにチェレンコフの光を見て作業した3人のうち後に死亡された2人の被曝量がそれぞれ17、8シーベルトと言われておりますので、恐らく20シ-ベルトを越すぐらいの酷い被曝だったと推定されます。現に7人は帰港して間もなく死亡しております。 人間が1年間に自然界から受ける被曝量が0.002シ-ベルト、胃のバリウム検診1回で、0.003シ-ベルト、レントゲン技師に許容されている年間被曝量の限界が0.05シ-ベルトから考えても、20シ-ベルトが如何に凄い被曝量であるかが判ります。映画では、作業時間を1人10分以内としておりましたが、2回目の修復作業をした7人目の作業員は18分もかけたため作業終了後に失神し、艦長の捨て身の救出で助け出されたものの急性白内症で失明状態に陥るほどでした。 映画のラストは、本来なら軍事裁判でシベリア送りになるはずのボストリコフ艦長が、一時は艦内で対立したポレーニン副艦長のボストリコフ艦長の勇気と責任感を讃える証言などによって無罪となり、その20年後に老いた身で亡くなった部下の墓前に立った時、ポレーニン元副艦長が現れて案内されるままに歩いていくと、数十人もの元「K-19」の乗組員たちの拍手を受けるシーンでした。部下の救出で致死量に近い被曝を受けた艦長が生きながらえるなど、不自然なところも数々有りましたが、この事実を風化させてはならないとして5年の歳月をかけた女性監督キャサリン・ビグロー、過去最高の出演料で主演を引き受け、製作陣にも名を列ねたハリソンフォード等の熱意が、そんな不自然さを全く感じさせませんでした。 それに引き換え、日本を戦後復興させるために、米国に東京に原爆を投下させるとの特命をおびて日本の潜水艦が出撃するなどと言うあまりにも荒唐無稽な日本の最新の潜水艦映画「ローレライ」は愚作中の愚作としか思えませんでした。 |
| 前 頁 へ | 目 次 へ | 次 頁 へ |