| −日記帳(N0.1286)2005年06月18日− | −日記帳(N0.1287)2005年06月19日− |
| ベルヌイの定理に思うこと |
ヨットによる世界一周に思う |
昨日の「アルキメデスの原理に思う」の話の続きです。 「何故飛行機が落ちないのか」との中学生の私の質問に、担任の先生が「ベルヌイの定理」によるもの」と教えてくれましたが、アルキメデスの原理はすぐ判ったのですが、この定理はどうしても判りません。この定理は、流体の圧力、密度、速さ、位置エネルギーを相互に関連付ける流体力学の基本定理で、基本式が微分方程式で表されることから、微分、積分を知らない中学生には難解そのものでした。 しかし、何としても理解したいとの一念から、微分、積分の解説書を先生から借りて勉強してみたのですがやはり中学生の学力では無理で途中で断念しましたが、距離を時間で微分すれば速度、更に微分すれば加速度と言った微分の概念は理解できたのは幸いでした。 「ベルヌイの定理」は何も方程式を解かなくても概念的に理解できます。早い話、流体は広いところから狭いところに流れると流れが速くなることをこの定理は言っているわけです。川幅が狭くなると急流になったり、ビルの谷間や地下鉄にお出入り口で風が強くなるのもこの定理によります。 このことは飛行機の翼の上下でも同じことが言えます。翼の上側では丸くなっている分、平たくなって下側に較べて空気の流れる移動距離が長くなっておりますので、広いところから狭いところに流れる場合と同じことになります。 つまり、ヨーイドンで翼の前方の付け根から後方の付け根に向かって翼の上下に分かれて流れた空気が後方の付け根で合流してゴールインしますが、移動距離が長い翼の上側を流れる空気はその分速く流れないと一緒に合流できませんから流速が大ききなります。流速が大ききなると、その部分の気圧が翼の下側の部分より低くなりますので、翼は上に持ち上げられることになります。つまり揚力が翼に働くことになって飛行機は落下しなくなるわけです。こうして、漸く、中学生の私は飛行機が「ベルヌイの定理」により落ちないことを知り、これがきっかけで理数系に進むことになりました。 そこで、他にも「ベルヌイの定理」を応用したものが無いかどうか調べてみました。すると、有りました、ヨットです。かねてから、何故ヨットが風上に向かって航行できるのかが、飛行機が落ちないことと並んで私の疑問でした。何と、飛行機が落ちないのと同じ原理でヨットが風上に向かって航行できることを知ったのです。 この場合、風上と言っても風の方向に対して斜めまででその限界は45度です。つまり、風上に向かう時はクロスホールド走行と言って45度近くまで斜めに走行し、ある程度走行したら船体を90度反対方向に向きを変えて再び風上に斜めに走行しますので、ジグザグに進んでいくことになります。この向きを変えることをタッキングと言って初心者泣かせの行為なのです。 舵を思い切り切ってから帆を手で反転させるのですが、タイミングよくしないと反転の勢いでヨットが転覆して横倒しななることしばしばだからです。私も、何回となく転覆して海に放り出されたことが有りますが、ヨットは転覆しても自動的に復元しますので、そのまま沈没したり転覆したままになることはまず有りません。ヨットの船底には重い鉄板のセンターボードが縦に取り付けられておりますので転覆してもこのセンターボードの重みで復元する設計になっております。 ヨットの帆は斜めに風を受けると風上側に膨らみます。すると飛行機の翼と同じ状態になり膨らんだ側の帆の面上の風の流速が帆の裏側の凹んだ面上の流速より速くなって低圧になることから帆の膨らんだ方向にヨットを進めようとする力が働きます。そのままではヨットは帆の膨らんだ方向に横滑りしてしまいますので、センターボードにより横方向の力を減殺して真っ直ぐ方向の力だけにするコトデヨットは横滑りせずに前に進むことが出来ます。まさに、ヨットは「アルキメデスの原理」と「ベルヌイの定理」を利用した素晴らしい乗り物だと思います。 こうして、高校時代は「アルキメデスの原理」を利用した水泳に興味を持って水泳部に、そして大学時代は「ベルヌイの定理」を利用したヨット似興味を持ってヨット部に入部しましたが、長続きせず、半年以内で退部してしまいました。そして、現在は「アルキメデスの原理」を利用したボートで釣りを楽しみ、「ベルヌイの定理」を利用した航空機で海外旅行を楽しんでおります。 |
今月に入って、日本の高齢ヨットマン二人(東京都台東区の斉藤実さん(71)、兵庫県芦屋市の堀江謙一さん(66)=が相次いでヨットによる単独無寄港による世界一周に成功して日本に帰港するという快挙が報じられました。そこで、この機会に36年前に単独無寄港ではありませんでしたが、私の知る限り、日本人として初めてヨットで東回り世界一周を成し遂げた知人のことを採り上げようとしたのですが、ある事情で今日まで延ばしてきました。 実は、その4人の乗組員の船長が、先週の日曜日の選挙で再選を果たした、半田市長・榊原伊三氏(65)だったからです。選挙期間中の候補者の過去の出来事に触れるのは問題が有ると考えて、今日まで触れるのを控えてきたという訳です。このことは、2003年11月の12日と22日の日記で採り上げておりますので、改めてレビューしてみたいと思います。 榊原伊三氏は地元の高校でヨット部に在籍していた頃からヨットでの世界一周を夢見ておりましたが、、名古屋の大学に在学中の昭和37年に、その夢を掻き立てるようなビッグニュースが飛び込んできました。同じ年頃で関西の大学出身の堀江謙一さんが単独で太平洋横断の快挙を成し遂げたのです。昭和38年に我が街、半田市の市役所に就職してからもその夢を捨てきれず、同級生の大工の新美春光氏によるヨット「白雲号」が完成した昭和44年に市役所を退職して、新美春光氏を含む同級生3人とともにヨットによる世界一周の夢を実現させるべく最初の寄港地の米国・ロスアンゼルスに向けて半田港を出航したのでした。そして、その新美春光氏が一昨年、私の家のリフォームを請け負われたことがきっかけで知人となり、彼からこの事実を知ることになりました。 現在は、新材料や通信手段の進歩などによりヨットで世界一周することそのものはそれほど珍しくなくなったためヨットマンたちの目標は、一人だけの「単独」、途中どこの港にも寄らない「無寄航」、航行日数を短縮する「最短記録」、高年齢で挑戦する「高齢記録」に拘ったり、争ったりするようになっております。 榊原伊三氏たち4人は、そのような記録に拘ることなく、純粋に自分たちの夢を実現させるために世界一周を思い立ったわけですから、一人ではなく仲間たちで苦労をともにし、喜びを分かち合い、寄航した先では上陸して現地の人たちとの交流を深めたり、あるいは道中3回も盗難に遭ったり、カリブ海で嵐に遭遇してマストを折られたりして、資金、資材が乏しくなっため寄航先でアルバイトして稼いだり、道中会話に困らないようにするためにロスアンゼルスで英会話を習ったりするなどしてヨット以外の生活も楽しんでおられます。 日本人でヨットによる世界一周を成し遂げたのは、昭和49年(1974)に単独無寄港世界一周の堀江謙一さんですから、単独無寄港ではありませんが、榊原伊三氏たち4人は、それより11年前に世界一周をしていることになります。私の手元に資料が有りませんので、間違っているかもしれませんが、ヨットによる非単独、非無寄港の世界一周は榊原伊三氏たち4人が日本で始めてと冒頭で言い切ってしまったわけです。間違っているようでしたら、情報を教えて頂きたく思います。 斉藤実さんは、太平洋を南下し、南米最南端のホーン岬、南アフリカの喜望峰を経て、オーストラリアのタスマニア島付近から北上して日本へ戻るという東回りのコースを採っておられますが、榊原伊三氏たちも同じようなコースを採っております。彼等はロスアンゼルスに半年ほど滞在し、メキシコに寄航後、パナマ運河を通って、カリブ海に入り、コロンビア、ブラジル、アルゼンチンの港に寄港してから、アフリカ大陸の最南端の喜望峰を通過してオーストラリアに寄港後、ラバウル、グアム島経由で北上して2年1ヶ月を要して日本に帰っております。 確かに、斉藤実さんの3倍以上の航海日数、斉藤実さんの1/3程度の年齢を考えればヨット技術の面では斬新さは無いかも知れませんが、まだ日本人にとって海外旅行が夢に近かった頃、自分たちで作ったヨットを信じて、苦労しながらもみんなで楽しく2年にも及ぶ世界旅行をして青春を謳歌された若者4人に敬意を表したいと思います。このような貴重な経験はその後の人生にきっと役立っていることと思います。 |
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