| −日記帳(N0.1597)2006年05月01日− |
| 五月に入って思うこと(1) (メーデーについて) |
| −日記帳(N0.1598)2006年05月02日− |
| 五月に入って思うこと(2) (メイストームについて) |
今日から風薫る5月です。今日、5月1日は労働者の祭典、メ−デーですが最近はすっかり影を潜めマスコミでも殆んど取り上げられなくなってしまいました。昭和30年代から50年代にかけては、主な会場での風景、共産党、社会党(現社民党)、主要労組組織の首脳の挨拶、スローガンなどが華々しくテレビで報道されたものでした。しかし、平成に入って賃上げ、時短等が労使交渉の場でそれほど大きな役割を持たなくなってから、メーデーは形だけの行事になってしまいました。 メーデー華やかなりし頃は、この日を出勤日にするとメーデーに参加のために労組に加入している社員の大半が休暇を取ることから仕事にならないとあって殆んどの企業は休日にしておりましたが、最近はメーデーのためではなく、GWの飛び石休日解消のために30日、2日も含めて休日にする企業が多いようです。地元のトヨタ系企業は、5月1日(月)、2日(火)を休日にして4月29日(祝)から5月7日まで9連休にするところが多かったようです。 私がサラリ−マンをしていた頃は、労組から支給される参加費の数百円につられてメーデーに参加したもので、終ると雀荘に直行するのが常でした。ところで、メーデーは当然、ロシアなどの当時の共産主義体制の国で始められたものと思っていたところ、1886年の5月1日にアメリカの労働者が「8時間の労働、8時間の休息、8時間の教育」をスローガンにストライキ、デモを行ったが起源で、1889年パリで開かれた第二インターナショナル創立大会で、この日を『万国労働者団結の日』と定めて、翌年に第一回メーデーが各国で行われたと知って意外な感じがしました。日本では1905年(明治38年)平民社で開かれた「メーデー茶会」がメーデー集会の最初とされております。 自宅近くに市営球場が有りますが、この地区のメーデーはここが主会場で、ここからメーデーの歌「聞け万国の労働者」の合唱が聞こえてきたものでした。 聞け万国の労働者 ♪ とどろきわたるメーデーの♪ 示威者に起る足どりと ♪ 未来をつぐる鬨(やみ)の声♪ BGMに流れているこの歌は、1901年に旧制一高(現在の東大教養学部)の第11回記念祭寮歌として作られたもので、日露戦争開戦前の極東地域の不穏な情勢を背景に日本がこの地域で勢力を広げていくことを鼓舞した次のような歌詞になっておりました。その威勢のいいメロデーが軍歌に向いていることから、軍歌「歩兵の本領」にも採用されました。 アムール河の流血や♪ 氷りて恨み結びけん♪ 二十世紀の東洋は ♪ 怪雲空にはびこりつ♪ |
春一番とともに、漁師さんなど海上従事者に恐れられているのが5月のメイストームです。私もボートで海釣りをしますので、海に出るのが待ち遠しくてつい春到来とともに海に行きたくなるものですが、春先は寒冷前線通過、春一番、そしてこのメイストームは常に念頭に入れておく必要が有ります。メイストームは前線を伴った低気圧が日本海で発生し、南より暖かく湿った空気が流れ込むことにより起こるもので、この低気圧は急激に台風のように発達して速いスピードで日本列島を襲うという恐ろしい気象現象です。現象としては寒冷前線通過の時によくにておりますが、そのメカニズムは全く異なります。 メイストームは日本海に発生した低気圧が急激に発達して太平洋側の高気圧との間で気圧差が大きくなることから南風が急激に強くなる現象で、かなり広い範囲で長時間そのような状態が持続します。それに対して寒冷前線通過による一時的な荒天は、高気圧圏内で暖かい空気の塊である気団と冷たい空気の塊である気団が接することによって生ずる前線上で起こります。特に冷たい気団が暖かい気団に向かって移動する寒冷前線では、その通過の際に冷たい空気が暖かい空気を押し上げながら下に潜り込むため急激に押し上げられた空気は、冷えて積乱雲をつくり大粒の激しい雨を短時間降らせ風向きが変わるとともに気温が下がるためその気温差によって突風が吹き荒れます。しかしこの状態は数時間程度で収まり、雨も止み風収まって晴天になるのが普通です。 私も過去3回この寒冷前線通過により危ない目に遭いましたが心得が有った分、冷静に対処し最寄の港に緊急避難したり、僚船に曳航をお願いしたりして事なきを得ました。メイストームはその気圧配置から事前に予知できますし、天気予報でも最近は繰り返して警告してくれますので、天気予報を注意してウオッチしておれば大丈夫ですが、寒冷前線は局地的でしかも急激に発達することが有りますので、きめ細かく天気予報をウオッチする必要が有ります。 天気予報がまだ不充分だった1954年当時、メイストームにより361人が犠牲になった遭難事故を契機に、メイストームと名付けられて注意が呼びかけられるようになりました。1954年は青函連絡船、洞爺丸の沈没、第五福竜丸のビキニ岩礁での被曝、そしてこのメイストームによる漁船の遭難と船に纏わる不幸の多い年でした。1954年5月9日に北海道・花咲港沖の 北海道東方沖合で、サケ・マス漁業に出漁してい600隻以上の漁船がメイストームによる大時化に巻き込まれ、沈没・行方不明95隻を含む409隻が遭難し、死者361人という史上最悪の漁船遭難事故が発生しました。 5月9日から5月10日にかけて華北から日本海に進んできた低気圧は、北日本近海で急激に発達し、9日9時には988hPaであったが翌10日9時には北海道東方に出て952hPaまで発達し、北海道周辺海域では風速15〜30メートルの暴風となり、ここで操業中のサケ・マス船団を襲ったのでした。以来、この種の低気圧のことをメイストームと名付けて注意が呼びかけられるようになったのでした。我々もこのことを心して海のレジャーを安全に留意して楽しみたいと思います。 |
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