| −日記帳(N0.1741)2006年09月12日− |
| 9.11から5年経って思うこと(2)
(ブッシュ大統領の支持率の推移) |
| −日記帳(N0.1742)2006年09月13日− |
| 9.11から5年経って思うこと(3) (WTC跡地は今後どうなるのか) |
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| 9.11の5周年で跡地で献花するブッシュ大統領夫妻 |
ブッシュ大統領がNY同時多発テロの首謀者とみられるオサマ・ビンラディンを逮捕するために彼を匿うタリバン掃討を目的としてアフガニスタンに派兵した時、米国民は勿論のこと殆どの国はこの派兵を支持し、米国内でも50%台だった支持率がテロ発生後には90%前後まで跳ね上がりました。しかし、オサマ・ビンラディンを逮捕することができなかったことから無意味な掃討作戦との批判が高まるにつれてブッシュ大統領の支持は低下の一途を辿っていきました。 そして、イラクのフセイン大統領が大量破壊兵器を隠し持っているとの疑いが晴れなかったこと、それがアルカイダに渡る恐れが有ることなどを理由に、国連決議を得ないままフランス、ドイツ、ロシア、中国等の反対を押し切ってイラク戦争に踏み切って圧倒的な強さでイラク軍を撃破した時点で米国内の支持率が60%台から70%台まで上がりましたが、戦後のイラク情勢が悪化するにつれて再び下がりはじめたもののフセイン大統領拘束で50%台から60%台に戻し、テロが活発化するに従い再び下がり始め現在は40%から50%台を推移しております。 結果として、イラクに大量破壊兵器は隠されていなかったこと、フセイン政権とアルカイダとの関連も無かった事実が明るみになるにつれ、その後のイラク・パレスチナ情勢に改善の兆しが見られないことに加え、台風カトリーナでの失態、原油の高騰などブッシュ大統領への逆風が吹きまくったにもかかわらず支持率が40%から50%台で横ばいを続け40%を割り込むことが無いのは、やはり米国民のNY同時テロに対する並々ならぬ思いがブッシュ大統領のテロ組織壊滅を誓う強い決意を思い出させるからだと私は考えております。 確かに、アフガニスタン派兵以降の米国の対応には問題点は有ったと思いますが、NY同時多発テロ以降、航空機を利用した同類の事故やNY同時多発テロを上まわる規模のテロは、スペイン、ロンドンで痛ましい事故は有りましたが幸い発生しておりません。先月のロンドンでの旅客機の同時爆破テロも未然に防がれました。それはブッシュ大統領のアルカイダとその関連のテロ組織を徹底的に壊滅しようとする並々ならぬ決意とそれに基づく行動がその抑止に繋がっている事実は否定出来ないと思います。 NY同時多発テロでの見事に計算された用意周到な計画とその資金力から、同類のテロの再発は必至と考えていただけに5年経過した現在、その思いを強く感じます。結果論として、NY同時多発テロ以降のイスラム過激派関連の対応ではブッシュ大統領やこれを支持したブレア英首相、小泉首相等は悪玉、イラク戦争に反対し一連の対応に柔軟な姿勢を示した独仏露中の首脳たちは善玉のような印象を与えておりますが、その是非はいずれ歴史が判定してくれることと思います。 |
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| WTC跡地(グラウンドゼロ)の再開発構想のモデル図 |
WTC跡地は「グラウンド・ゼロ」と何時の間にか呼ばれるようになりました。この名前は元々、広島に投下された原爆の爆心地のことで、その焦土と化した風景が広島の爆心地によく似ていることから付けられたようです。しかし、死者・行方不明者の数で、広島の原爆被災では約30万人、NY同時テロでは約3,000人、比率にして100:1ですから比較すること自体、意味が無く原爆被災者やその遺族の方々の中には、この呼び方に違和感を感じたり、異議を唱えたりする方々も多く居られることと思います。私もやはり違和感を感じ、米国人の無神経さに憤りさえ感じます。 一昨日の日記に、このNY同時テロによるニューヨ−クでの死者・行方不明者の総数を2,792名(ハイジャック犯人を含む)としております。瓦礫の中からの遺体、遺品を捜索しての身元確認は困難を極めたようです。骨や歯など遺体の一部が見付かり、DNA、歯形照合等で特定して身元が判ったのは約3,000人の死者・行方不明者のうちの約60%の1,800人程度で残りの約40%の1,200人の殆どは遺体、遺品ともに発見されませんでした。160万トンにも及ぶ瓦礫の中から丹念に捜索が行なわれましたが、2002年7月15日にこれ以上の捜索は無意味としてその大部分を3か月かけてマンハッタン沖スタッテン島に運び出してしまいました。 そして、最後に残った押し潰された鉄骨部分などの残骸の廃棄については遺族側から、遺体がその中にまだ残っている可能性が有るとして反対したため廃棄することができず、その後もごみ処分場に大量に放置され続けておりました。しかし、2005年3月初めに当局はおよそ1100人分の身元が判明できないまま確認作業を中止することを決断して鉄骨類はくず鉄として再利用のためインドへ輸出されました。遺族からの何故遺体が残骸中に残っていないのかについては、爆破、火災、崩落による高温、高圧の過酷な条件の下で骨が蒸発した可能性が高いとの意見も出されましたがその真相は未だに判っておりません。 WTC跡地を慰霊の場にして欲しいと遺族から要望が有りましたが、多くのオフィススペースが失われたためにニューヨークから企業が流出することを恐れた市当局や、跡地の所有者のニューヨーク・ニュージャージー港湾局らは、ビジネス街の一等地であるこの場所を再開発する必要に迫られ、新たなオフィスビル・商業施設と交通ターミナルの再建を企画しました。当初の再建案は経済復興色が強すぎたため遺族の反対で撤回され、改めて世界の建築家を集めて2004年に行われた建築設計競技の結果、ユダヤ系米国人の建築家ダニエル・リベスキンド氏の案が採用されました。 彼はホロコーストの生存者の両親のもとで1946年にポーランでド生まれたユダヤ人で、イスラエルで音楽を学んだ後、米国、英国で建築学を学び1965年に米国籍を取得してからはドイツに在住して1970年代末より革新的な都市計画案を発表し欧米各地の大学で教鞭をとりました。1988年のベルリンのユダヤ博物館コンペ当選後、主として美術館、博物館等の設計に携わり、帝国戦争博物館(英)、 フェリックス・ヌスバウム美術館(独)、ヴィクトリア&アルバート美術館増築(英)、デンバー美術館増築計画(米)、王立オンタリオ博物館(加)等を手がけ、2001年には第5回ヒロシマ賞を受賞し、今や世界有数の建築設計家として知られております。 彼の案は、上の画像に示すように、四つの高層ビル群、慰霊施設、二つのプールからなっております。この中で最も象徴的な建築物はアメリカの独立した1776年に因んで、1776フィート(約541m)で全米一の高さとなる「フリ−ダム・タワー」(上の画像の1棟)です。他の高層ビル群のうち、4棟(上の画像)の設計は、黒川紀章氏らとともに丹下健三氏門下の三羽ガラスと称された日本の代表的建築家の1人で、名古屋大学豊田講堂の設計で知られる槇文彦氏(76)に決定しております。プール1、2は旧南棟・北棟跡の祈念スペースですがその詳細は判りません。また追悼施設の詳細も判りません。ただ、遺族からは祈念スペースが地下になっていることへの不満、逆に施主側からは跡地に空き間が多く有効利用されていないことへの不満が出ており、未だに具体的な設計には至っておりませんので完成予定の2010年から遅れるものと思われます。 風力発電ファンの私にとって嬉しいのは、このフリ−ダム・タワーの地上およそ370メートルの高さの展望デッキの上に300kwの風力発電用のタービンが設置されることが決ったことです。下層から上層に向けてねじれて見えるフリーダム・タワーの構造の上層に置かれた風力タービンは、最も強い北西からの風を正面に受けることができると言われます。この電力でフリ−ダム・タワーの全消費電力に約20%をまかなうと言われますが、割高になることは間違いないと思われます。また、ビルの外装には、外光を最大限に取り込みながらも断熱効果の高い素材を使い、ビル内のロビーなどのエリアは、自然な風通しを活かすことなどで省エネを図るとのことですので、この点でも注目を浴び、世界中に省エネをアピールすることになればいいと思います。 |
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